アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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日常の幸せを胸に抱く

 

「それで、今日は何か用事があったんじゃないか?」

 

唐突だが、蔵馬らしい爽やかな切り替え方だった。

甘い空気を引きずることなく、日常に戻る術を彼は知っている。

 

「…ええ。蔵馬に相談があるの」

 

「珍しいな、君が相談なんて」

 

少し迷ってから、葵はおもむろに分厚いカタログを差し出した。

中には、ところどころ付箋が貼ってある。

霊界のマークが入ったカラフルな紙面、それだけで蔵馬はやんわりと苦笑する。

 

(だいたい見当がついてしまったが……)

 

この出来事を、彼女がどのように語るのか、至極楽しみでならない。

カタログを受け取って中を覗くと、目を留めたのは色とりどりのドレスのページだった。

察しの良い彼は、すぐに彼女の相談内容の詳細を理解した。

 

 

蔵馬の母・志保利が、予定を早めて7月に結婚式をあげることになり、葵は正式に南野家から招待を受けていた。

 

人間界での婚礼の儀式や、招待された場合の服装などを調べている時に、ぼたんに会った。

その話をすると、霊界通販のカタログを意気揚々と持ってきた。

 

「これが今のトレンドなんだよ!」

 

と、ふりふり系のドレスを勧めてくれたのだが、葵はどうにも気が進まなかった。

曖昧な返事をしていると、ぼたんからカタログをずいっと半ば押し付けられて、途方に暮れているところに、蔵馬のことを思い出して訪ねたというわけだ。

 

「なるほど……ね。これはこれで似合うけど。葵はどう思ったの?」

 

話を聞きながら、彼女とぼたんの温度差が、手に取るようにわかる。

 

「そうねぇ…。悪くはないんだけど、どうもこれを着ている自分を想像できないの」

 

「はは。君らしいね」

 

しばらく、二人で霊界通販のカタログを見ていた。

いくつか彼女の好みを的確に拾い、おおよその検討がついたところで、蔵馬は切り出した。

 

「つまり、葵は露出がそれほど多くなくて、華美ではなく落ち着いた色味と、デザインのものがいいんだよね?」

 

「ええ、そうね」

 

「ふむ」

 

蔵馬は顎に手を置きながら、しばらく考えた。

その間、彼女はカタログのページをめくりながら、ぼたんが勧めたものと自分が好むものとを比較しているようだった。こういうところが、葵らしく微笑ましい。

 

「これで良かったら」

 

立ち上がると、彼は紙袋を取り出して、葵に差し出した。

袋の中から出てきたのは、上品な紺色のワンピースだった。

程よい光沢の生地に、繊細なレースの刺繍が美しく浮かび上がる。

深すぎず浅すぎないネックライン、ゆるやかな袖、膝丈のすっきりとしたライン。

色素の薄い彼女の髪や肌とも、合うだろう。

 

それは、用意周到な男の計算でもあり、彼女の困り顔を、先に想像していた優しさでもあった。

 

 

「……なんだか、頂いてばかりね」

 

葵がそっとワンピースの胸元を指先で撫でながら、目を伏せる。

 

「気に入った?」

 

「ええ。素敵ね。蔵馬は、人の好みがよくわかるのね」

 

ふわっと花が開くような微笑みが、彼の前に広がった。

「いつ買ったの?」と聞く彼女に、「さていつでしょう?」と相変わらずの返事をした。

二人の間に小さな笑みが生まれる。

 

「似合うものを、選んだだけだよ」

 

その言葉に、葵がふと何かを思い出したように頷く。

 

「あなたは、言葉と行動で人を喜ばせるのが上手ね。きっと、お母さん譲りね」

 

「それは……お互い様だよ」

 

「………え?」

 

期待通りの反応に、蔵馬はふっと笑った。

葵自身に自覚がないのも無理はない。

彼女は無意識のうちに、彼を和ませ、喜ばせていることに。

 

(その無垢さが、君らしいんだ)

 

それを口には出さない。ただ、静かにその存在を尊ぶだけ。

 

「……あ。靴とバッグを忘れてたな。今日、時間あるけど、買いに行こうか?」

 

「一緒に行ってくれるの?」

 

「もちろん。どこか目当てのお店はある?」

 

そう言われて、葵は少し考えたあと、以前コートを買った商店街の店を口にした。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

休日の午後、二人は静かに商店街の一角に佇んでいた。

 

ガラス戸を押して入った店内には、木の香りと落ち着いた色合いの装飾が漂っていた。

すぐに店員の女性が目ざとく葵に気づき、にこやかな声をかけてくる。

 

「いらっしゃいませ!……あ、あなた、前にコートを買ってくれた子よね?」

 

軽やかに会話が弾みそうになった瞬間、葵の隣に立つ蔵馬に気づいた店員の表情が一変する。

目をぱちくりとさせ、次の瞬間、思わず声を漏らした。

 

「も、もしかして、君がコートの同級生?!」

 

「はじめまして」

 

蔵馬は、静かに一礼をした。眼差しや立ち姿も優雅で、店員も他の客も目が釘付けになっている。

 

コートの同級生というカテゴリーに、彼はいつぞやの葵の言葉を思い出した。

 

(そう言えば、『同級生』と説明していたんだったな)

 

心の奥で、彼はそっと思い出し笑いをした。

 

「秀一君です」

 

彼女の紹介に、店員は再度驚いたように目を見開いた。

女性はコートの同級生が同性だと思っていて驚いたのか、彼の容姿を見て驚いたのか、それとも他に理由があるのか。

蔵馬と葵を交互に見て、しばらく言葉を失って驚いている。

 

彼はいつものように微笑んだまま、さりげなく彼女に言葉をかけた。

 

「オレは外で待ってるから、ゆっくり買い物してきて」

 

葵は小さくうなずき、一人店の奥へと歩を進めた。

 

 

出かける前に、「蔵馬に色々ともらってばかりだから、今回は自分で買う」と葵に念押しをされていた。

彼は昔の稼業も手伝って、財政的にゆとりは十分ある。

しかし彼女の経験を奪うことをしてはいけないと思い、今回はその意志を尊重した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

ガラス戸の外に立った蔵馬は、葵と店員のやり取りを静かに見守っていた。

 

式当日のドレスはどうしたのか尋ねられ、「彼が準備してくれていた」と話す葵に、目をむく女性。

一瞬彼に視線を移し、「本当に……同級生なの?」などと小声で話しているのが、蔵馬の聴覚にははっきりと届いてしまう。

 

彼は特に表情を変えることもなく、微笑みを浮かべて立っていた。

 

(こういうのも、いいものだな…)

 

蔵馬は、少し離れた所から彼女を眺めるのも好きだった。

客観的に、こういう人なのかという発見がある。

 

一つ一つの仕草が、彼の中で写真のように保存されていく。

息をする瞬間、花がほころぶような微笑み、話を聞いて頷くさま、髪をかき上げる手の動き、ゆっくりと話す声、ずっと見ていたくなるような深い瞳が、瞬きで見え隠れする様子。

 

葵が動くたびに、肩下まで伸びた髪と、白地に小花柄のブラウスの裾がふわりと揺れる。

ジーパンとのコーディネートは、葵に似合っていた。

 

ずっと見つめていたい。一瞬の動きも見逃したくなかった。

いつから自分は、こうやって彼女を目で追っていたのか。

 

(きっと……あの時からだな…)

 

もう随分と前から、心は葵に向いていた。

 

 

彼女を眺めている蔵馬の立ち姿は、傍からみるとまるで一つの絵画のようだった。

麗しく、ほのかな切なさを醸し出していた。

白いシャツと細身の青のジーンズという飾らない服装でも、絵になる男だった。

 

そんな彼の魅力に惹きつけられ、同年代の女性二人が声をかけてきた。

彼は優雅に微笑みながら、スマートに受け流していた。

 

「連れがいるんです」

 

一切の無駄を省いた言葉に、余韻だけが残る。

その振る舞いさえも、映画のワンシーンのようだった。

 

 

一方店内にて。

店員の対応は、とても丁寧だった。

彼女の話を聞き、当日の小物やアクセサリーも用意してくれた。

せっかくだからと買った後に、ハーフアップのやり方を教えてもらい、いつもと違う髪型になって葵が戻ってきた。

 

(……髪型一つで、こうも印象が変わるんだな)

 

 

【挿絵表示】

 

 

彼女の歩み寄る姿に、蔵馬は静かに見惚れていた。

風に揺れる毛先が、彼の記憶のどこか深くを撫でていく。

何気ない瞬間の中に、美しさが宿っていた。

 

「もういいの?」

 

「ええ。十分買物ができたわ」

 

髪型を器用に変えることをしない彼女の気質を考慮して、簡単なアレンジを教えてもらったようだった。店員の気遣いがうかがえる。

当日に本人ができるかは正直不明だが、そこは自分がフォローできそうだ。

 

「……うん。その髪型、似合ってるよ」

 

「ありがとう。当日までセットできるように練習するわ」

 

 

その言葉に蔵馬はふっと目元を細めた。

次いで、その視線が彼女の手元に移る。左手には紙袋、そして右手には何かを握っていた。

 

「葵、それは?」

 

「店員さんがくれたの。商店街の中にあるカフェのフルーツ白玉っていうスイーツの割引チケット。有効期限は一週間以内なんですって」

 

葵は手の中の2枚の紙をひらりと広げる。

 

「フルーツ白玉って、なにかしら?」

 

チケットの文字を読み上げながら、葵はおそらく食べ物であろうそれを想像している様子だった。その目は、好奇心できらきらと輝いていた。

 

(……本当に、素直だな)

 

その無邪気な反応に、蔵馬は密かに愛しさをかみ殺す。

 

「せっかくだから、食べていこうか」

 

その言葉に葵は彼を見上げて、ふわっと表情を緩める。

蔵馬は、この笑顔に弱いなと内心で自身を指摘した。

 

 

 

午後3時、カフェのドアをくぐると、どこか懐かしい音のするドアチャイムが小さく揺れた。

店内は木を基調とした落ち着いた空間。年季の入った椅子や丸テーブル、ゆったりと本を読む常連客。時間が緩やかに流れていた。

 

二人は窓際の席に案内される。外には、陽に透けた街路樹が揺れている。

 

(そういえば、今まで葵と、こうやって出かけることも少なかったな)

 

魔界と人間界という超遠距離の関係性。

幾度の戦いを乗り越え、ようやく今、こうして日常のひと時に彼女と並んでいる。

蔵馬にとって、こうした時間は一番遠い場所だったのかもしれない。

 

案の定、カフェも白玉も初めての葵はとても喜んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「このナポリタンやアメリカンって言うのは何?」

 

「ああ、それはね。ナポリタンは甘めのトマトソースのスパゲッティで、アメリカンは薄いコーヒーのことだよ」

 

「へえ、食べ物に面白い名前がついているのね」

 

新しい言葉に触れるたび、葵の目がきらきらと輝いていく。

メニューを指さしては、彼に聞いてを繰り返した。

 

店内を観察したり、メニュー表を見て食べ物を想像する葵を、蔵馬は指を組んで顎を乗せながら眺めていた。

今日は、どうしてもゆっくりと彼女を見ていたい気分だった。

まるで夢の続きを味わうように。

 

(この人は、こういう時は子供のように可愛い人になるんだ)

 

 

しばらくして、二人の前に目当てのものが運ばれてきた。

食べやすくカットされたカラフルな果物と、丸い白玉が涼しげなガラスの器に盛られている。その上には、透明なシロップが光を受けてきらめいている。

 

まさに子供が宝物を見つけたように、葵の顔がぱっと明るくなった。

木のスプーンに、果物と白玉をすくって口に入れる。

 

「どう?」

 

「美味しいわ。食感が何とも言えないわ」

 

「葵は、本当に美味しそうに食べるね」

 

「そうかしら?」

 

蔵馬はいつもの柔らかい微笑みで、彼女が食べる様子を見ていた。

人間界での何気ない日常を共に過ごすことが、これほど色鮮やかに感じるとは思わなかった。家族に抱く気持ちとは、明らかに違う。

 

(オレは、オレのことを理解しているつもりだったけど、こういうひと時が好きな自分もいたんだな)

 

 

そして、今日は珍しく、葵がゆっくりと味わって食べているのが面白い。

そう思っていた時、目の前の人がこちらを窺うように見ていた。

そんな彼女に、蔵馬は「どうしたの?」と優しい視線で会話する。

 

「あなたを目の前にして、一人で食べてるのを意識すると、なんだか食べにくいわ」

 

「気にしなくていいよ。君の姿に見惚れていたんだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

蔵馬の声は柔らかく空気を揺らす。その深い目だけがほんの少し、何かを宿していた。

 

(しばらく会えなくなるから、目に焼き付けておきたいんだ……)

 

蔵馬が8月から魔界に行くことを、彼女はまだ知らない。このひと時の終わりが決まっていることを、彼だけが知っていた。

葵はまだ、その想いの深さに気づいていない。

 

けれど、葵は今の蔵馬に対して、無意識的に彼の琴線に触れる行動を起こす。

 

「……。」

 

彼女は少し迷ったようにスプーンを止め、しばらく考えた。

目の前の男と自分の手元の器を、交互に見た。

そして…。

 

「はい」

 

「……っ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

彼女はふっと小さな決意をしたように、スプーンをそっと彼の前に差し出す。

その手の中には、色とりどりの果物と白玉が乗っていた。

予想もしなかった一瞬に、時間がふと、止まったように感じられた。

 

(全く……。かなわないな)

 

蔵馬は肩の力を抜くように微笑んで、差し出されたスプーンをそっと口に運んだ。

閑静な店内の中、静かに笑い合う二人の空間が、初夏の光と共にゆっくりと流れていった。

 

 

 

街はまだ明るかったが、太陽は西の空へと傾きかけていた。

照り返す光が舗道に長く影を落とし、ふたりの影法師が、ゆっくりと並んでのびてゆく。

 

商店街を抜けて、帰路へ向かう途中。

軽いやりとりをしながら、ゆっくりと同じ道を進む。

 

「あのカフェ、素敵だったわね」

 

ぽつりと呟いた葵に、蔵馬は短く頷いた。

 

「うん。君と行けてよかった」

 

(本当は……もっと、話したいことがある)

 

けれど、それを口にするには、まだ早すぎるような気がしていた。

あるいは、遅すぎるのかもしれない。

そんな曖昧な境界の上を、彼の心はそっと歩いていた。

 

未来は決まっていないけど、その不安も抱えながら、蔵馬は今この瞬間を慈しむように、隣の想い人を見つめた。

 

 

 

その時、一陣の風が吹いて、彼女の髪を揺らした。

丁寧に整えたハーフアップの毛先がほどけかけ、小さな房が頬にかかる。

ふっと穏やかに微笑むと、蔵馬は立ち止まる。そして葵の髪に横から手を伸ばした。

 

「……。」

 

何も言わず、指先で彼女の髪をすくい、乱れた部分を整える。

肌に直接触れるか触れないかの距離。

その仕草には、優しさだけでなく、ほんの少し名残惜しさが混ざっていた。

 

自分の髪に触れられる様子に、葵は自然と彼の動きを目で追う。

そして瞳に茜色の太陽を映して、花のように微笑んだ。

 

「蔵馬。今日はありがとう」

 

「……たまには、こういうのもいいだろ?」

 

「ええ」

 

何気ない日常の中の幸福と切なさが同居した瞬間。

蔵馬はそれを胸に抱きしめた。

 

 

彼が靴とバッグを買い忘れたのは、単なるうっかりだったのか、それとも……。

その真実は、蔵馬の心の奥にそっと仕舞われたままだった。

 




いわゆる人間界でのデート模様の回ですね。

あまり高校生感を感じない蔵馬ですが、人間としての経験はまだ16年と少しなので、本気で恋したら、人間としての好奇心で彼女を連れて歩きたいのではないかと。

そしてそんな彼女に、静かに心を揺らされるのを人間として妖怪として楽しむのが、蔵馬らしさのように感じました。
そんな妄想を形にしました。
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