アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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中盤、黒い方に友情出演していただいています。この方と蔵馬のやり取りが好きです。



第52話

買物の後日。

葵は蔵馬の部屋でハーフアップの練習をしていた。

 

「…また、ずれたわ……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

鏡を前に苦戦する彼女。

結び目はどうしても中心から逸れ、髪は意図しない方向へ傾いてしまう。

かれこれ小一時間、試行錯誤を繰り返している。

 

「どうしても、中心にいかないの」

 

「ふむ……。君の場合、髪よりも指の方が迷子になってるんだね」

 

体が硬くて、腕が回らないわけではない。

指を動かして、予定通りに仕上げることができないだけ。

 

試しに洗面所に行って、合わせ鏡の方法でやってみることを提案したが、より複雑になったようで、もっと難易度が上がったようだ。

 

蔵馬はベッドにもたれ、肘をついてその様子を微笑ましく眺めていた。

いや、実のところ、静かには見えても、心の中ではいろんな意味で笑いが止まらない。

予想通り過ぎて。

 

「自分の指の動きがわからなくなるの」

 

「……うん。そうだということは、わかるんだけどね……」

 

(どうしてこうも、器用に不器用なんだっ………)

 

しまいには、自分の指と髪が巻き付いていき、取るのに苦労している。

 

「精神年齢が数千歳級なのに、こういう時は3歳児みたいになるよね。君って」

 

「……蔵馬。声が笑ってるわ」

 

目の前の飄々としている男に向かって言う葵に、「オレは元々こんな声です」と彼はお決まりの台詞を返した。

始終笑いをこらえている彼を気にせず、葵が真面目に取り組んでいるから、それが更に蔵馬の琴線に触れる。

 

(……やれやれ)

 

どうにも器用にいかないその姿を見かねて、蔵馬は小さく息を吐いた。

 

「もう、見ていられないよ。……こっち、おいで」

 

その手に導かれるまま、葵は座る位置を変える。

彼はまず、彼女の指先と髪の絡みをほどいた。そして長い指で、そっと彼女の艶やかな髪をすくい、丁寧に左右に分け取っていった。

手つきは滑らかで、動きには一切の迷いがない。

 

数分もしないうちに、左右対称でバランスの取れたハーフアップが完成していた。

鏡で仕上がりを見た葵がぽそっと呟く。

 

「……私、やっぱり不器用なのかしら」

 

「……まだ、発展途上なんだよ」

 

その言葉に、葵は後ろを振り返り、彼を見上げた。

 

「蔵馬……。今度は顔も笑っているわ」

 

「……オレは、元々こんな顔です」

 

(だめだな……。この人は、どこまでもオレの心を……)

 

蔵馬は想いが溢れそうになるのを抑えるために、口元に手を置いた。

感情が鎮まるのを待ちながら、葵を見つめる。

心の奥の水面が平らになったとき、別の感情が芽生えた。

 

自分がカットして整えた髪を、こうやってアレンジするのも何かの因縁なのかもしれない。

 

温かい日の光に照らされた彼の表情は、どこか誇らしげだった。

 

「…あと1か月あるから練習するわ…。できなかったときは、お願いしてもいいかしら?」

 

「……うん。どうしても難しい場合は、当日オレがするから」

 

蔵馬はふっと笑うと、目の前の人に腕を伸ばした。

そして優しく、しっかりと胸の中に収めた。

どこか懐かしく、優しく甘い、酔芙蓉の香りが彼の魂までも満たす。

 

(本当に…可愛い人なんだ)

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

静謐な空気の中に立つその姿は、一匹の狐が悠然と森を歩く様にも似ていた。

 

蔵馬。

気配無くそこにあることに、気づかないものは気づかない。

気づけば見惚れる優雅でしなやかな佇まい。

 

その本質は、知性と本能、相反するものが絶妙な均衡で溶け合う稀有な存在だ。

彼の根底には、魔界の狐として、妖狐としての原始の本能が深く息づいている。

 

新たな場所に足を踏み入れた瞬間、その目は僅かな光の揺らぎすら捉え、耳は葉擦れの音さえ漏らさない。

鼻孔をかすめる微かな匂いにも敏感に反応し、その空間の安全性を静かに、徹底的に見極めようとする。

危険に対して、無防備に身を晒すことを、彼の本能は許さない。

 

しかし同時に、その深い瞳の奥底には、研ぎ澄まされた知的な光が瞬く。

「未知なるもの」への抗いがたい衝動。

それは、決して好奇心という軽い言葉では収まらない。

目の前に差し出された「謎」を、その核の一片まで暴きたいという欲求。

 

そう、たとえば、葵がふと無邪気に見せる、常人なら気にも留めぬ問いかけや行動に、彼の視線が一瞬だけ止まることがある。

その刹那、蔵馬の瞳は静かに細められ、微かに柔らかく口唇の端がほころぶ。

まるで、また一つ未知の扉が開いたことを察したかのように。

 

 

狐は賢い、そして従属するということを知らない。

 

蔵馬は決して他者に媚びない。

妖狐としての矜持(きょうじ)、そして人間界で築いた冷静で柔和な知性。

その両方が彼の脊髄に刻まれ、いかなるときも自己の尊厳を何よりも重んじる本質的な姿勢を示している。

 

気高く、潔い生き様だった。

 

仮に心を許した相手でも、必要以上に距離を詰めず、自ら甘えることもない。

それは誰かと共同している最中も、一時的に仕える形をとっていたとしても、心は、魂は決して明け渡していない。

 

 

 

 

彼の五感は、他者のそれを遥かに凌ぐ。

夜闇の中でさえ微細な色彩を見分け、かすかな音を拾い、微風に乗る気配の変化を逃さない。

跳躍すれば、木々の梢さえも難なく踏み越え、その身はまるで風のようにしなやかで自由。

地形が変わろうと、環境が厳しかろうと、瞬時に馴染み、己の生存圏と化してしまう。

それこそが、真のサバイバリスト。

 

 

さらには、狐が地の磁力を感じ取るように、蔵馬もまた世界の流れ、空間のゆがみ、目に見えぬ「位置」を本能で読み取る力を持つ。

だからこそ、何処にいても彼は迷わず、確信をもって歩む。

ー探し物も見つけやすい。

 

彼の背に流れるのは、孤高という名の誇り。

その独立した魂は、群れることなく自らの道を切り拓くことに躊躇いを覚えない。

 

 

 

そんな彼が、時折見せる柔らかな瞬間がある。

たとえば葵が、何の気なしに差し出す花笑む顔や、幼子のように屈託なく投げかける問い。その度に蔵馬は、静かに目を伏せ、心のどこかに微かな揺らぎを覚える。

 

警戒でも好奇でもない、ただ「知りたい」、「傍にありたい」と願う純粋な想いに、魔界の獣としての本能が緩むのだった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

夜の森の奥で、ひときわ冷たい風がそっと吹き抜けた。

密やかな木々の間をすり抜け、葉が触れ合う音が静かに広がる。

枝がしなり、空気の流れに揺れる音。その微細な変化に、蔵馬の耳は自然と反応していた。

 

長く艶やかな髪がふわりと宙を舞う。

彼はゆるりと顔を上げ、視線を夜の闇の向こうへ向けた。

 

(来たな……)

 

その場に立つ気配。

気を殺しているつもりなのだろうが、蔵馬の鋭敏な感覚からは隠しきれない。

夜の闇を裂くような、張り詰めた気の流れ。

 

「……飛影か」

 

振り向かぬまま、蔵馬は静かに微笑む。

 

「何かご用ですか?」

 

飛影が木の陰から姿を現す。

冷えた気配を纏ったまま、影のように滑り出た。

 

「お前こそ。こんな場所で何をしている」

 

「……少し、風に当たっていたんだ。ここの森の空気は、魔界の匂いに少し似ているから……」

 

蔵馬は振り返らず、前方の木々を見たまま言った。

境界トンネルでの激闘から、幾ばくも経っていない。

 

人間界に戻り、穏やかな日常に身を置きながらも、先の戦いで久しぶりに魔界の空気に触れたこの体は、かつての感覚を明確に思い出した。

妖狐の性が、ときおり顔をのぞかせる。

 

人間界で社会に溶け込みながら生きてきたが、皮肉にも、この身は妖狐のとき以上の妖力を得た。

その矛盾とズレが、時折、彼の心を揺らしていた。

 

 

飛影は答えない。気配を崩さないまま蔵馬の隣の木に背を預ける。

 

沈黙。

だが、それは気まずさではない。

二人の間に流れるのは、妖怪としての信頼関係の乾いた静けさ。

互いに探る必要も、余計な言葉もいらない距離。

 

 

「フン……。人間界の匂いが、だいぶ染みついたようだな」

 

ふと、飛影が呟く。

その声は風に溶け、枝の鳴る音と重なった。

蔵馬は小さく肩をすくめ、目を細める。

 

「否定はしないさ。でも……それも悪くはない。面倒なこともあるが、人間の暮らしは、時に驚くほど新鮮だ」

 

「オレには無駄な刺激だ」

 

飛影は吐き捨てるように言い放つ。だが、その声音に鋭さはない。

しばし、二人を沈黙が包む。

 

上空を風が渡り、葉が一斉にざわめく。

夜の森は深く、冷たい。どこか、魔界の空気を思わせた。

 

「……幻海のところに集まるのは、聞いているのか?」

 

飛影が、視線を木々の向こうに投げたまま口を開いた。

 

「ああ。葵から霊界の伝言を受け取ったよ」

 

蔵馬もまた、目の前の暗い森を見つめたまま応じる。

 

「……この状況で、あいつはまだ霊界の使い走りをしているようだな」

 

飛影の声が少し不機嫌になる。

 

境界トンネルの一件以来、霊界は以前ほど自由に妖怪が出入りできる場所ではなくなっていた。飛影なりの、葵への不器用な気遣いだった。

蔵馬はふっと微笑んだ。

 

「……なんだ。あなたもやっぱり、葵のことを案じてくれているんですね」

 

「……元・物資補給源だ」

 

彼らしい物言いだった。

眉間に僅かにしわを寄せたまま、飛影は蔵馬を見た。

 

 

「お前が魔界に戻れば、あいつは、少しは長生きできるのか?」

 

「……それはわからない」

 

飛影の言葉は意外だった。

魔界に戻れば、葵の儚さを超える手立てが見つかる可能性があるのかと、言っているようだった。

蔵馬は目を伏せた。

 

「オレは、今の蔵馬として生きる。それだけだよ」

 

「フン」

 

飛影は鼻を鳴らして短く応じると、視線を空へと向けた。

葉の間から覗く月が、白く冷たく二人の横顔を照らしている。

 

 

「お前が魔界で黄泉のところにつけば、どう動くのか見物だな」

 

「それはお互い様ですよ。幽助は雷禅、あなたは躯のところに行く。いずれは、オレたちが戦うこともあるかもしれない」

 

蔵馬の声は静かだったが、その奥に隠された熱を、飛影は感じ取る。

それは、強者との戦いを求める妖怪の本能であり、また、それぞれの道を選んだ三人の関係が、交錯する予感でもあった。

 

「人間界にいるよりは、面白いものが見れそうだぜ」

 

森の静寂を裂くように、ふっと風が吹いた。枝葉がかすかに鳴り、遠くの梟がひと声、夜の気配を告げる。

 

 

蔵馬と飛影の間には、なおも沈黙が流れていた。

やがて、その沈黙を破ったのは飛影だった。

木に寄りかかっていた身を起こすと、彼は蔵馬から遠ざかるようにゆっくりと歩き出した。

 

「……おい。敵として再会しても、手加減などするなよ。妖狐の姿で本気で来い」

 

その声音には、挑発でも皮肉でもない、真摯な響きがあった。

言葉の裏にあるのは、かつて刃を交えた者同士の、純粋な敬意だった。

蔵馬はその言葉にふっと微笑み、ようやく振り返る。

 

「ああ。君とは決着がついてないからね。どんな形であれ、選んだ道の先で君と戦う日が来るのなら……その時は、迷わず戦うさ」

 

二人は初めて出会ったとき、認識の誤解から敵対していた。

奇妙な縁が今まで続いていることは、偶然ではない。

 

「フン」

 

飛影はわずかに口の端を上げ、森の影へと身を溶かすように姿を消した。

 

蔵馬は再び夜空を見ながら、わずかに色が変わりつつある目を細める。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……魔界で会おう。飛影」

 

夜の闇はますます深く、薄い月明かりが差し込む静けさの中に、遠い未来の気配だけがわずかに漂っていた。

 

 





この蔵馬と飛影のやりとりは、妖怪二人のドライかつ確かな信頼を描いてみました。書いていて、蔵馬と飛影のコンビは広がりがあって楽しかったです。
もちろん、前半の蔵馬と葵の相変わらずなやりとりも。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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