アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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終盤に、盲目のあの方に登場していただきます。


雨と虹の告白

挙式が終わり、人々の笑顔と花の香りに包まれた空気が、少しずつ日常の匂いに戻っていく。

葵が帰ろうとしていると、背後から蔵馬に呼び止められた。

 

「少し、ここで待ってて」

 

ブーケは、丁寧に紙袋に包んでもらった。

今日の良き日を迎えた蔵馬と、彼の母親の気持ちを想像しながら、彼女は空を見上げながら、その場に留まった。

 

 

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蔵馬の新しい家族も穏やかな人たちで、彼の人間としての生活がこのまま続けばいい。

そう願っていると、再び彼女を呼ぶ声がした。

 

「そこまで送っていくよ」

 

「せっかくのおめでたい日に、家族と一緒にいなくていいの?」

 

「母さんが、君のことを気にかけていたんだ」

 

それは花嫁の厚意であり、彼のさりげない気遣いだった。

葵は素直にその形のない柔らかな結晶を受け取ることにした。

人間界で彼女の帰る家は特にないが、それをわかっていて二人は歩き出した。

 

 

「素敵な式だったわね」

 

道すがら、蔵馬と彼の母親と過ごした日々を思い出して、葵は胸がいっぱいになった。

 

「あなたも幸せそうに見えるわ。蔵馬……おめでとう」

 

「………ありがとう」

 

言葉は短く、それ以降は風の音と足音が会話を繋いだ。

穏やかに並んで歩く足音と、初夏の風が心地よかった。

 

青空の片隅に暗い雲がゆっくりと広がる。

遠くで雷が鳴っているのに気づいた葵は、雨が来そう。そう思った瞬間。

 

突然夕立が降った。夏の空は気まぐれだ。

ざあざあと大粒の雨が一気に天から降り注ぐ中、二人はすぐに近くの公園へ駆け込み、大きな木の下に入った。

 

蔵馬はハンカチを取り出して、彼女の腕や髪、服の雨粒をぬぐった。

 

「短時間でやむだろうから、しばらくここにいよう」

 

「雨をゆっくりと眺めるのも、いいわね」

 

 

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「……。」

 

葵の言葉に、これもなるべくしてこうなったと思った。

ずっと、胸に秘めていたことを伝える頃合いだった。

 

夕立が街の喧騒を洗い流し、人影は消え、残ったのは雨音の世界に二人だけ。

再び優しい沈黙の会話が続いた。

 

彼女は何を思っているんだろう。この雨の音からの声を聞いているのか、今日の結婚式を思い返しているのか、それとも、彼の言葉を待っているのか。

 

雨が降りしきる中、蔵馬は目を伏せて、地面に落ちる雫の余韻をしばらく見つめた。

 

 

「……葵」

 

いつもより低く繊細な音で、彼は静かに口を開いた。

 

盗賊時代の旧知の仲である黄泉から、使者を通して魔界へ誘いを受けたことを伝えた。

現在の彼は、魔界の三大勢力の一人となっていた。

黄泉という名前を聞いて、葵の表情がわずかに動いた気配。

それを、蔵馬は彼女の顔を見ずとも肌感覚で感じていた。

 

(あなたは…一人で、ずっと抱えていたのね)

 

秋の予定だった結婚式が、今日になったのも、以前に妖狐に戻った時の彼の言動も。

すべてが葵の中で腑に落ちていく。

 

「葵……。オレの肉体は、妖化が進んで完全に妖狐の力を取り戻したんだ」

 

「ええ」

 

「暗黒武術会のあと、月に一度……オレは南野秀一でありながら妖狐蔵馬(くらま)になっているような錯覚に襲われることがあった」

 

地面に雨が落ちる音をすり抜けるように、蔵馬の繊細でどこか影のあるような声が彼女の体に吸い込まれる。

 

「その時、ひどく好戦的な自分に気づく。キレると突然、妖狐蔵馬(くらま)に戻ることさえある。先日、君の前で妖狐の姿になったように……」

 

「……。」

 

彼の告白を、葵は知っていた。妖怪の肌感覚で、南野秀一の肉体の時ですら、妖力の増加を感じていた。そして何度か妖狐の蔵馬と対峙して、体がその妖気を覚えていた。

 

 

不意に、雨に混ざって小さく声が聞こえる。

 

 

『流れにゆだねる』

 

 

葵は小さく息を吐いた。

そしてぼんやりと虚空を見つめながら、口を開いた。

 

「今日は、あなたにとって一つの節目なのね」

 

「そうだな」

 

蔵馬は短く答え、視線を空遠くに向けた。

 

「行くんでしょう?」

 

「……とりあえず、夏休みの期間だけと言ってある」

 

(きっと、その間だけでは収まらない)

 

葵は心の中でそう呟いた。

あの日、突然妖狐に変化した彼は、「また話せる時になったら話す」と言った。

それから、1か月以上経っている時の沈黙を考えると、複雑に絡む何かを感じた。

 

葵は、天から降る雨粒を眺めながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「私たちは、皆、それぞれの人生の大いなる旅の途中。おなじ道を行くときもあれば、別々の道を進むときもあるわ。……それでも」

 

その続きを、蔵馬は遮った。

突然、葵を横から抱き寄せる。

濡れた髪が頬に触れ、いつもの彼女の香りに混ざって、しっとりと雨の匂いがする。

 

「心は……傍にある」

 

「……私も、あなたの心の傍にあるわ」

 

葵の声は、柔らかく、揺らぎのない灯のようだった。

 

蔵馬の決断を否定も肯定もせず、葵はただまっすぐに受け止めた。

それがどれほど温かく、胸の奥に沁み渡ったことか。

思い返せば、彼女とは何度も近づいては離れるということを繰り返している。

それでも行く道が交わり続けていることに、確かな因縁を感じずにはいられなかった。

 

「別々の道を歩くことは、相手を尊重すること。それは祝福と同じだわ。今日の結婚式と変わらないと思わない?」

 

いつもより落ち着いた、潤いのある声と言葉に、蔵馬の心は静かに衝撃を受けた。

 

「………そうだな。その考え、葵らしくて好きだな」

 

次第に弱くなった雨音の中、柔らかかくガラス細工のような繊細な声が葵の体に響く。

静かに心をくすぐる涼やかな匂いに、胸の音がゆっくりと加速する。

蔵馬の腕の中で、彼女は顔を上げた。

 

世界は新しい匂いで満たされていく。

ふたりを包む沈黙は、ただの空白ではなく、温もりを含んだ間だった。

 

(蔵馬。あなたは、ずっと祝福されているのよ)

 

そう告げようとして、代わりに口からこぼれたのは。

 

「……蔵馬。虹だわ」

 

 

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彼女の視線の先、蔵馬の後ろには、上がりかけの雨に混ざり、雲の切れ間から光がさしていた。

抱きしめていた手を緩めて、彼は振り返る。

半円の大きな7色の光のアーチが空に架かっていた。

 

「……きれいだな」

 

「やっぱり、あなたは祝福されているわ」

 

「……君から言われると、本当にそう感じるよ」

 

葵は目を細めて、虹からの言葉を受け取りながら蔵馬を見つめた。

 

 

『その前途に、仕合わせを』

 

 

この深くて、潔く美しい生き方の人と、これからも共に歩きたい。

 

 

 

 

雨宿りが終わり、通りには再び人の気配が戻ってきた。

二人は並んで歩き出す。

頭上には、つい先ほどまでの雨が嘘のように、鮮やかな青空がひろがっていた。

 

「そういえば、秀一君が二人になるのよね」

 

葵の何気ない言葉に、蔵馬は彼女を見た。

 

彼の新しい弟の名前も秀一だった。それは偶然にしては妙に出来すぎていて、どこか不思議な巡り合わせを感じさせる。

南野家では、これから4人での新しい生活が始まろうとしている。

 

「弟さんの方を秀一君と呼ぶとすると……蔵馬のことは、どう呼ぼうかしら?」

 

葵は空を仰ぎながら、半ば独り言のように呟いた。

 

「オレは、君に任せるよ」

 

彼女はしばらく考えていた。表情はいつも通り柔らかいが、その瞳は真剣だった。

 

「愛称でもいいけど…。あなたが生まれた時に頂いた名前だから、省略したり形を変えずに呼びたいわ」

 

(本当に……かなわないな)

 

こういう何気なく言った言葉が、蔵馬の心の深い所にある琴線に触れる。

胸の奥が、温かく揺れている。人間としての名を、ただの仮の器ではなく、大切に扱ってくれることが。

 

「……なるほど。君らしいね」

 

葵は改めて、蔵馬に向き直った。そして花が開くように笑った。

彼はその微笑みを、深い眼差しで抱きしめた。

 

「それでは、秀一」

 

「はい」

 

わずかに間を置いた二人の声が、往復する。

青空の下、互いの顔を見合わせて静かに微笑む。

その笑顔はどこか照れくさいようで、未来を照らすものだった。

 

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

「……そうか」

 

魔界にて。

黄泉は部下の調べた葵の情報を聞き終えて、盲目の瞼の裏を光らせた。

偵察の結果、葵はどこかの美姫でもなければ、巨額の富を持つわけでもなく、戦闘力が高いわけでもない。蔵馬をしのぐ策略家ということもなく、人間界、魔界において蔵馬との血縁関係もない。

 

最近生まれた、D地区郊外に出没する亜空間移動ができる非力な妖怪という報告を聞き、いぶかしむ。

 

(女の好みが変わったか、何か弱みを握られているのか、多大な恩があるか、それとも……。)

 

 

蔵馬の人間界での母親への愛情を考えたら、葵に対しても何かしらの情を抱く理由があるはずだと考えるが、明確な点が見つからない。

蔵馬らしくない曖昧さがそこに漂っていた。

 

「……解せぬな」

 

そのことを黄泉は不審に思い、眉がわずかに動いた。

 

霊界の仕事も請け負っていると聞き、部下に葵と霊界との関係も調べるよう指示を出した。

葵の背後にあるもの。それを突き止めなければならない、と。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

結婚式から1週間後。

蔵馬は、弟の秀一から受け取った二枚の写真を手にしていた。

 

「ありがとう。自然な表情で良く撮れてるよ」

 

写真の中には、自分と葵が並ぶ姿があった。

 

「この人、秀一さんの彼女ですか?とてもお似合いですね」

 

中学生らしい好奇心に満ちた声が、隣で響く。

 

「そう見える?秀一君の想像に任せるよ」

 

少し高い艶のある声の主は、年の功の余裕で面白そうに言った。

 

「えぇ?だって式に呼んでるし、ブーケもらっていたから。次は秀一さんの結婚式なのかと思ってたのに」

 

「はは。さて、どうだろうね」

 

さらりと笑って受け流すその横顔に、弟は首を傾げた。

蔵馬の胸中では、弟の何気ない言葉が、静かに波紋を広げていた。

 

 

 

 

数日後。柔らかな陽ざしが差し込む午後、葵は蔵馬の部屋を訪れていた。

彼は机の引き出しから、一枚の小さな封筒を取り出し、さりげなく差し出した。

 

「これを渡そうと思っていたんだ」

 

受け取った葵が封を開けると、中から写真が現れた。

光沢の紙面には、二人の姿が鮮やかに残されていた。

 

 

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「ありがとう。写真、初めてだわ。その時の一瞬を残せて、後で見ることができるなんて、不思議ね」

 

「礼なら弟に」

 

「ええ。なんだか、いい顔してるわ……」

 

結婚式当日、志保利母に名前を呼ばれて振り返った瞬間の二人の姿。

二人の距離は近く、次の瞬間には言葉を交わし、手を取り合うかのような自然な親密さがそこに写っていた。

向かって右が蔵馬、左にブーケを抱えた葵が映る。

柔らかい表情で、今にも返事をしそうな躍動感が表れていた。

 

「そうだな」

 

蔵馬もまた、視線を横から添え、穏やかに相槌を打った。

 

葵はしばらく写真を見つめ続け、やがて手帳を取り出すと、空いたクリアホルダーにそっと収めた。

閉じた後も、指先が名残惜しそうに表紙を撫でていた。

 

 

「再婚したから、お母さんの苗字は変わったのよね?」

 

「うん、畑中になったよ」

 

「そうしたら、あなたは南野秀一じゃなくなるの?」

 

「いや、オレは南野秀一のままだよ。人間界の戸籍上のルールで、母親が再婚しても子供の苗字は変わらないんだ。オレが畑中秀一になったら、弟も同じ名前になってしまうしね」

 

蔵馬の家の表札には、今後元々ある南野に畑中が増えることになる。

 

「……そう。あなたは変わらないのね」

 

明るい陽ざしの入る室内で、彼女が虚空を見つめながら言った言葉が、彼の胸の奥に吸い込まれていく。

何を想っているのだろうか。その瞳に何を映しているのだろうか。

蔵馬は、耳を澄ませるように葵の心に寄り添おうとした。そしておぼろげにその輪郭を感じとった。

 

虚空にあった彼女の視線が、すぐ隣の男に向けられた。

そしてふわっと花が咲くように微笑んだ。

彼はその深く輝く瞳を、歓迎する。

 

「蔵馬は、南野秀一がすっかり板についているわ」

 

自分を見上げる葵に、蔵馬は目を細めた。

 

「……葵なら、そう言うと思ったよ」

 

少し前までは、『南野秀一』を演じていたこともあった。

でもあのときを境に、もう演じる必要はなくなった。もう南野秀一になっていた。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

♢おまけ

 

「コエンマ様、ちょっといいですか?」

 

「なんじゃ?ワシは今忙しいのだ」

 

霊界にて、ぼたんは仕事の合間にコエンマの執務室に寄っていた。

ぼたんの上司は、書類の山と格闘中だった。

 

「蔵馬と葵のことなんですけど……あれって、やっぱり付き合ってるですかね?」

 

「……外野が、余計な詮索をするものではない」

 

「えー。でも気にならないですか!?ただの妖怪仲間以上の関係に見えますよ。蔵馬の人間界のお母さんの結婚式に、葵が呼ばれてたんですよ?さすがに、桑ちゃんのように友人という関係には無理があると思いませんか?」

 

蔵馬の葵に対する様子は、昔からの知人や世話人としての距離感を超えている。

そして何よりお似合いの関係に見えるのだ。

 

ぼたんの目は好奇心で輝いている。

コエンマは、渋々ながら答えを返した。

 

「蔵馬は、年齢不詳で経験豊富だ。それに対して、葵は生まれたてと言ってもいいほど、経験が浅い。蔵馬には蔵馬の考えとやり方があって、葵に合わせているんだろう。ただならぬ仲なのは、明白じゃ」

 

「それってもしかして、源氏物語の光源氏が紫の上を育てているようですね!葵が大人になるまで待つなんて、男心ってそういうもんなんですかね!?」

 

勢い余ったぼたんのテンションが最高潮に達した。

 

「ワシは知らん!お前は仕事さぼってないで、働いてこい!」

 

コエンマは咥えているおしゃぶりが飛びそうな勢いで、声を上げた。

 




この後、10.5章を挟んだ後、11章です。
11.12章と比較的シリアスな展開が多いので、合間に短編を挟んでいく予定です。
短編は少し前の二人の様子を描くものが多く、「あのとき、こうだったんだ」と二人の内面を掘り下げたものが多くなっています。そちらもぜひお楽しみいただければ嬉しいです。

今後の更新は水曜、土曜となります。これからもマイペースに続けていきますので、応援していただけると嬉しいです。
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