アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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11章は流血、暴力シーンが一部あります。大丈夫な方はお進みください。


第60話

10月初旬の澄んだ秋の空気の中。

休日を過ごしていた蔵馬のところに、控えめな気配と共に葵が訪ねてきた。

 

窓を開けて招くと、涼やかで乾いた風が吹き込み、安息の優しい彼女の香りと交じり合って広がる。

あの満月の夜、妖狐に戻っていた自分と対峙して以来、ようやく訪れた再会だった。

 

彼女の態度は、何一つ変わらなかった。

あの夜の出来事さえも、優しく包み込んでいるかのようだった。

いつものように窓から入って彼に近づくと、その花唇は柔らかく「蔵馬」と呼ぶ。

ただそれだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 

「……葵」

 

その艶のある繊細な声と、深い眼差しで、蔵馬は彼女を抱きしめるように歓迎した。

 

ふと、葵の花色の髪に、小さな青い竹の葉が挟まっているのが目に留まった。

いつぞやの光景を思い出し、心の中でふっと思い出し笑いをする。

 

蔵馬は彼女の髪にゆっくりと手を伸ばす。

指ですくい、葉を摘み取る。しっとりとした髪の感触の中に、かさりと乾いた葉の質感が混じっていた。

 

「……もしかして、行ってきたのか?」

 

「ええ」

 

葵は迷いなく頷く。

 

「清々しい気分で、気を補充するのに良い場所なの」

 

どこと言わなくても伝わる。以前に彼女と戦闘訓練をした竹林だった。

葵を通して、1年前の出来事が脳裏のよみがえる。

あの頃と比べると、随分といろんなことが変わった。

彼自身も、そして彼女との関係も。

 

「あなたが案内してくれた竹林は、まだ生きているわ。花はもう咲いていないけど」

 

「……そうか」

 

短い言葉の奥に、深い余韻が漂った。

その思い出が、1年前の自分が、今の蔵馬の背中を押した。

彼は胸にずっと秘めていたことを打ち明けた。

 

「葵。少し話があるんだ」

 

呼吸を整え、彼はまっすぐに彼女を見つめる。

 

「オレが前から考えていることで、君の意見を聞きたい」

 

「なにかしら?」

 

「……もしもの時に備えて、君に護身用の植物の種を宿したいんだ」

 

その言葉は、秋の空気の冷徹さを一層際立たせるように響いた。

『もしもの時』、それは、葵が何者かに襲われ命の危険にさらされる未来のこと。

 

正聖神党に襲撃を受けた際に使った植物は、一時的に防御するものだった。

その発動は、あくまで蔵馬が行っていた。

しかし今回は、宿した植物が、自らの意志で相手に攻撃するものが最善だと彼は考えていた。

黄泉、あるいはその部下が、彼女に手を伸ばした時のために。

 

「君の性格を考えると、自分から発動を意識したり、攻撃を決断するのは難しいだろう」

 

蔵馬は一呼吸置き、慎重に言葉を選ぶ。

 

「だから、自動発動型にしたい。葵の体へのリスクはあるけれど、確実性も高い」

 

沈黙が落ちた。

彼は静かに彼女を見つめた。

葵は何も言わない。いつもと同じ柔らかい表情で、彼の話を受け止めていた。

 

 

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「……ここまで聞いて、君が感じたことを教えてくれ。もちろん断ってもいい」

 

一瞬だけ瞳を伏せた後、彼女はまっすぐ蔵馬を見つめ返した。

室内の明るさを集めて、その深い双眸が煌めく。

 

「蔵馬の見立てでは、私が襲われる可能性はどれくらいあるの?」

 

「……五分五分だ」

 

コインを投げた時に、表と裏が出る確率。

それは高いとも低いともとれる可能性だ。

 

「植物を宿さなかったとして、もし私が襲われた場合はどうなるのかしら?」

 

その問いは澄んでいて、揺るがなかった。

想像もしたくない未来を、彼女は恐れを伴わず見据えている。

 

蔵馬は瞼を伏せ、短く息を吐いた。

そして、冷静に、客観的に答えを告げる。

 

「……仮にそうだとしたら、君は五体満足では済まない。命ギリギリのところで生かされ、奴らの手の中で、洗脳や拷問などを受け……オレのために利用され続けることになるだろう」

 

昔よりもかなり慎重になった黄泉に、その可能性は低い。

しかしその部下の鯱が絡むとなると、蔵馬を追放するために、卑劣な手段で葵を利用する可能性が高い。

 

護身用の植物を宿したとしても、100%彼女を守り切れるという保証などない。

それでも、今の自分にできる最善を尽くしたい。

その想いを込め、彼は言葉を締めくくった。

 

 

「私の存在が、あなたの弱みになるのは望まないわ」

 

柔らかい口調と静かな声音の中に、恐怖や不安は含まれていなかった。

葵は、今感じたことを素直に言葉に表した。

 

「……そうか」

 

「いつから考えていたの?」

 

「5月に、正聖神党との一件があってからだ」

 

「……ずっと、胸の内で1人で考えてくれていたのね」

 

葵の口元が柔らかく綻ぶ。

 

「今日、あなたからそれを聞けて嬉しかったわ」

 

その微笑みに、蔵馬の瞳が、切なげに細まる。

 

(君は、本当にオレを受け止めてくれるんだな……)

 

自分のわがままを、言葉を変えて伝えているだけなのに。

次に彼女が告げる言葉は、容易に想像がつく。

 

「……あなたの考えに、賛同するわ」

 

その一言に、胸の痛みよりも冷徹な理性が立ち上がる。

護るために、やらなければならない。

 

 

 

今回、彼が準備したのは『ハナクグツ』。

キク科の一種で、鮮やかなオレンジ色の小花をたくさん咲かせる。

しかしその可憐な見た目とは裏腹に、花の中心から筋弛緩作用をもつ神経毒を宿した種を放つ。

防衛本能が極めて強い、魔界の植物だ。

 

宿主の命が危機的状況になった時、自らが攻撃されたと認識して、防衛本能を発揮して一気に開花し、相手を攻撃する。

それまでは、宿主の中で静かに眠っている。

 

ただ、ひとたび目覚めると宿主の肉体を乗っ取る。

そのため、発動したら3日以内に蔵馬のもとへ戻り、枯死させて排出する必要がある。

 

「ハナクグツを寄生させて、君の体内である程度成長させるんだが、その間、身体的ダメージがある」

 

「それに耐えればいいのね」

 

葵の声音は淡々としていた。

 

「……ああ。拒絶反応のような症状が出る。30分ほどで治まるが、痛みや侵食されていく不快感が伴う」

 

「わかったわ」

 

蔵馬は手のひらを開く。そこには、黒く細長い種が一つ。

光を吸い込んだような艶を帯び、冷たい気配を放っている。

葵は数秒それを見つめ、小さく頷いた。

その仕草が、開始の合図だった。

 

「ハナクグツは脊椎に巣食う。今から君の背中に種を蒔く」

 

葵は頷くと、静かに襟元に手をかけ緩める。

震えることもなく、上着を脱ごうとしていた彼女の手を、蔵馬は制した。

深い瞳同士が出逢い、しばらく言葉にならない会話が流れる。

 

 

次の瞬間、彼は葵を抱き寄せた。

 

細い体を腕に包み込みながら、服越しに背中を指先でなぞる。

その指先はわずかに冷たく、触れていると葵の温度に溶けていく。

 

緩んだ襟首から、背中に蔵馬の右手がそっと忍び込む。

葵は身じろぎ一つせず、彼に任せていた。

 

なめらかな背の曲線をたどり、傷跡に触れたとき、一瞬彼の指の動きが止まった。

無意識に息をのむ。

胸の奥に、例えようのない感情が浮上する。

 

(……本当に、これでいいのか…)

 

ほんの一瞬、迷いが彼の動きを鈍らせた。

だが、腕の中で無言で自身を明け渡す葵の静けさを見て、蔵馬は覚悟を決めた。

指先にそっと力を込め、脊椎に種を植えた。

その行為に、痛みや不快感はない。

 

 

服の中から手を抜きとると、今度は服越しに彼よりも小さな背中に触れた。

そして抑揚のない低い声で囁いた。

 

「……始めるよ」

 

細い首が小さく縦に動いた。

 

妖気が流し込まれた瞬間、葵の体がびくりと反応する。

瞬間的に急激な痛みが出現して、体の内側を何かが這いずりまわる。

 

「……っ」

 

 

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小さく声が漏れる。息苦しさに、彼女の顔が少しゆがむ。

何とも言えないぞわりとした不快感に、葵は足の力が抜けそうなのを必死にこらえた。

蔵馬はそれを察知して、腰を支えた。

 

全身が灼熱感を帯びる。葵は自分の胸元を強く掴む。

体内が沸騰しそうな息苦しさと、皮膚の下を何かが突き破るように、鋭い痛みが疼く。

それでも彼女はこらえていた。

 

 

自分の腕の中で、叫びを押し殺し、喉の奥で声を噛み砕いているのが伝わってくる。

その強さを誇りに思う一方で、彼女をこうさせている自分に、どうしようもない憤りを感じていた。

 

蔵馬は葵の苦痛を受け止めようと、腕に強く抱く。

耳元で、途切れ途切れの呼吸が荒く熱を帯びている。

細い肩が痙攣するたび、服越しに伝わる震えが指先まで伝わる。

 

南野秀一として人間界で生きた経験が、胸をよりきつく締め付ける。

この心の痛みは、彼女が霊界で瀕死の重傷を負ったときに感じたものを超える。

これほどにも、葵を苦しめてまで護ろうとする自分は、果たして正しいのか。

 

自問自答を繰り返していると、葵の口唇から小さな悲鳴が漏れた。

 

「…っ……立って、いられないっ」

 

「我慢しなくていいっ」

 

瞬間、葵の足から完全に力が抜けた。

蔵馬は咄嗟に片膝を床につき、崩れ落ちる体を腕の中で受け止める。

細い身体は、信じられないほど軽いのに、彼の胸にのしかかる重みは耐え難いほど深かった。

 

 

 

「…っぅ…っは……はぁ……」

 

どれくらいそうしていただろう。

葵は荒い呼吸の合間に、少しずつ体内の異物感が鎮まっていくのを感じ取った。

額に滲む汗が首筋を伝い落ち、冷たさと共に、どうにか峠を越えたことを知らせる。

 

蔵馬はその顔を覗き込む。

頬は蒼白に染まり、口唇は血の気を失っていた。

半ば閉じた瞳の奥にかすかな光が宿るが、それすら今にも途絶えそうで。

髪が冷や汗に張りつき、白い首筋に影を落としていた。

 

ハナクグツによる侵襲の大きさを物語っている。

 

「……葵。大丈夫か?」

 

低く抑えた声が空気を振るわせる。

 

「…ええ……。だいぶ……落ちつ、っ……」

 

声を発していた葵は、口元を抑えた。

突然血の気が引いたと思うと、次の瞬間、糸が切れたように意識を手放す。

 

「葵!」

 

真っ白な顔で気絶した彼女を、蔵馬はその場で横にした。

脈は浅く、血圧が急に落ちたのだと直感する。軽いショック状態だった。

 

(やはり、葵の体には負担が強かったか……)

 

すぐに彼女の腹部に手を置くと、蔵馬は自分の妖気を流し込んだ。

 

 

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