アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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11章は流血、暴力シーンが一部あります。大丈夫な方はお進みください。


魔界での危機

 

「……。」

 

光のない沈黙の中、時間がゆっくりと流れる。

やがて、閉じた彼女のまぶたが、わずかに震えた。

細く震える睫毛の隙間から、ゆっくりと意識が戻ってくる。

 

鉛のように重たい体を無理やり引き上げるようにして、葵が薄く目を開けた。

そこには深い瞳の蔵馬がいた。

不安と決意を併せ持つ色が、静かに揺れている。

 

(……ずっと、傍にいてくれたのね…)

 

左の手首に彼の手が触れているのを感じる。

冷えきった自分の体に、蔵馬の手の温もりが生きていることを伝えていた。

 

「……気が付いたか」

 

「……蔵馬」

 

かすれた声で名を呼ぶと、彼はわずかに表情を緩めた。

葵の顔に、少しずつ血色が戻ってきた。

 

「体の方はどうだ?」

 

「まだ……少し、胸が悪いわ…。他は…大丈夫」

 

声は儚く、空気に溶けて消えるようだった。

 

無理に起き上がれば、再び失神する可能性が高い。

蔵馬は葵をゆっくりと横抱きにすると、ベッドに運んだ。

腕の中の彼女は力のない人形のようで、意志のない手足が宙を漂っていた。

まだその体は、虚脱していた。

 

「もうしばらく、休んでいくといい」

 

いつもより低く、わずかに息を含ませながら発する声が、柔らかかった。

 

「………ありがとう」

 

布に深く沈むように、葵は瞼を閉じる。

意識が深く落ちたのを確認し、蔵馬は長く息を吐き出した。

 

葵が自分の考えを受け入れてくれたこと。

無事にハナクグツの寄生が終わった安堵感。

同意を得たとはいえ、この選択を進んだ自分への憤りなど、様々な想いが胸の内にあった。

 

蔵馬は彼女の頬にそっと手を添えた。

口唇の色がまだ薄く、首筋に指を添えれば、脈はまだ早かった。

 

(オレは、葵を護るためと言いながら、自分のためにやっている……。これはオレのわがままだ)

 

彼女もそれをわかって、何も言わずに委ねてくれている。

何事もなければこのようなことはしなかった。

しかし、癌陀羅での鯱の動きが怪しくなっている今、蔵馬は何もせずにはいられなかった。

 

この人を失いたくない。

己が理由で、誰かの刃に葵を傷つけさせることなど、なおさら。

 

「……葵」

 

 

蔵馬は、布団の上に投げ出されたその手を取った。

そして、その小さな手を口元に引き寄せた。いつも温かいその手は冷たい。

ひと息の温もりをそこに残しながら、低く囁いた。

 

「オレのそばに……いてくれ」

 

この声が葵に聞こえなくても、伝えずにはいられなかった。

震えを帯びた吐息が、静かな部屋にたゆたう。

そして消えていった。

 

 

 

 

淡い夢の底から、葵の意識はゆっくりと浮かび上がってきた。

耳の奥で、かすかな鼓動の音が響いている。

自分のものではないように遠いけれど、彼女を生へとつなぎとめていた。

 

まぶたを持ち上げると、視界の端に深い視線を感じる

ベッドの前に座り、静かにこちらを見つめている瞳。蔵馬だった。

 

「……蔵馬……」

 

 

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弱々しい声で名を呼ぶと、彼の指がすぐに頬に触れた。

冷たくなった肌を確かめるように、静かに撫でる。

その手の温かさに、葵は安堵の吐息をこぼした。

 

「まだ……体は重いか?」

 

「……ええ。でも先ほどよりは、楽になったわ」

 

微笑もうとしたが、口唇はわずかに震え、声は掠れて空気に溶けた。

それでも彼女の瞳は澄んでいて、弱さよりも芯の強さを物語っていた。

 

蔵馬の胸に、ひとしずく、何かが落ちた。

それは言葉にならない、透明な重み。

目の奥に、薄い光と影が交錯する。

ただ視線を逸らさずに、頬に添えていた手をゆっくりと彼女の右手に移動させて、包み込んだ。

 

静かに心をくすぐる涼やかな匂いが強くなる。

しばらくして、葵は伏せていた目をそっと開いた。

目の前の男の心の底をのぞき込むように、まっすぐに。

 

 

「……私が苦しいとき、あなたの目の方が苦しそうに見えたの 」

 

その声は儚くも、柔らかい響きだった。

蔵馬はわずかに瞼を伏せる。

彼女の音に反応するように、胸の奥のどこかが細かく震えた。

言い返そうとした言葉は喉の奥でほどけ、沈黙だけが流れる。

 

否定も肯定もせず、ただ握る手にわずかな力がこもる。

それだけで彼の胸の内を示していた。

葵は薄く笑った。

その直感は、言葉以上に鋭く、彼の心を深く射抜いていた。

 

蔵馬は静かに息をつき、額に触れながら葵の髪を撫でた。

その仕草に、言葉にならない想いがすべて込められている。

 

(……本当に、君は……)

 

胸の奥で呟きかけ、言葉を結ぶ前に沈黙が訪れる。

今声を出せば、胸の奥をさらに見抜かれるかもしれない。

どれほど、この人を失いたくないかを。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

そのころ、魔界の癌陀羅の奥深く。

黄泉の国の№2である鯱は、薄暗い部屋に一人の部下を呼び出していた。

鯱の命を受け、秘密裏に葵の身辺を調査し、D地区郊外の拠点を突き止めていた。

 

「わかっているな。なるべく隠密に行動し、殺さない程度に女をいたぶり、なぶってやれ」

 

命令を受けた忍びのA級妖怪は、ただ深々と一礼し、影のように姿を消した。

冷えた空気だけが残り、鯱は奥歯をぎりりと噛みしめる。

 

(蔵馬に目に物を見せるには、あの女が一番効果的だ。オレの前で、二度とでかいツラできないようにしてやる)

 

これは鯱の独断による行動だった。

黄泉が突然国に迎え入れた蔵馬。

その知略知慮に、どうにも鼻持ちならない男だと感じずにはいられない。

軍事会議での蔵馬が放った冷徹な発言を思い出して、鯱はぎろりと目を吊り上げた。

 

 

この様子を、黄泉は卓越した6つの耳で当然把握していた。

企みを知りつつも、彼は鯱を泳がせることにした。

 

(この程度で、揺らぐお前でもあるまい。ただ……お前がどう反応するのか、見せてもらおうか。蔵馬)

 

 

 

 

その日、葵はD地区郊外の市場にいた。

獣の肉を焼いた香ばしい匂いと、酸味を帯びた果実の香りが入り混じる通り。

商人たちの声は活気に満ちていた

 

蔵馬の忠告通り、魔界ではなるべく妖怪が多い道を移動し、それ以外は亜空間移動をするようにしていた。

魔界に戻ってから10日ほど。

ハナクグツを宿した体は、特に変化はなく普段通りの日常を過ごしていた。

 

しかしその日、市場を歩いているうちに、ふと違和感を覚えた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

背中に刺さるような視線。誰かに見られているような感覚が微かにする。

皮膚の内側に針を刺されたような、微細な痛みに近いものだった。

 

葵はすぐによろず屋に戻り、占断の席に『しばらく離席中』の札を立てた。

 

その時、遠く離れたところで大きな爆発音がした。

 

「っ……!」

 

 

風が熱を含んで流れ込み、妖怪のざわめきが広がる。

奥の通りで大きな火の手が上がり、周囲の者たちが消火に走り出した。

混乱の中、葵のいる場所から一気に妖怪たちの気配が消えていく。

 

心臓の鼓動が、耳の奥で早鐘を打った。

足音も気配もなく、しかし確かに、何者かが近くにいる。

 

「……っ!?」

 

背後から伸びた冷たい腕に、葵は息を呑む間もなく路地裏へと引きずり込まれた。

口を塞がれ、背を壁へ叩きつけられる。

石壁のざらつきが肩を擦り、じわりと痛みが走った。

 

目の前の男は、顔を覆う忍びの装束。目元だけが鋭く光っていた。

無言で突きつけられた短剣が、淡い光を跳ね返した。

 

「悪く思うな。……これも仕事だ」

 

感情の欠けた声。

刃が閃いた次の瞬間、衣服と肌を裂く音が走り、左肩に熱い痛みが弾けた。

さらに腹部に灼けるような衝撃。

 

「……っう」

 

 

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血の匂いが鼻を突き、呼吸が浅くなる。

それでも葵は反射的に妖力を高め、手のひらに衝撃波を生んで相手を弾き飛ばした。

 

(蔵馬の危惧していたことが、本当に起きた……)

 

直感的に、黄泉の国の刺客だと感じた。

相手と自分とでは、比べ物にならない程の妖力差。

冷や汗が背中を伝う。

震える指先で傷の深い腹を押さえ、必死に逃げ道を探す。

 

男が素早く向かってくる。彼女にはその動きを目でとらえることができない。

万事休すの状態の中、葵はもう一度妖力を高めて衝撃波を作ろうとした。

 

「声が出ないようにしてやろう」

 

男が一瞬で間合いを詰め、刃が喉元へ迫る。

 

その刹那。葵の背後から黒い影が跳ね、忍びの体を絡め取った。

 

「なに!?」

 

無数のオレンジ色の花が咲き乱れる。

花びらの中心から放たれた種が、男へと向かって一斉に飛んだ。

 

ハナクグツだった。

その種に触れた瞬間、男はまるで呼吸ができないかのように、首を押さえて、のたうちまわった。

血走った瞳、口を開けても声にならない苦悶の表情。

 

「……ハナクグツ……」

 

葵は目の前の光景に息をのむ。

背中から伸びた黒い茎と葉が、まるで彼女を守るように揺れていた。

 

「……っぅ」

 

冷静さを取り戻した瞬間、痛みを思い出した。

剣の風圧で切れた首からは新たに出血し、腹部からは再び血が滲み出す。

葵は息を荒くしながら傷口に妖力を集中させ、かろうじて立ち上がった。

 

忍びは動かなくなった。炎の遠鳴りだけが路地に響いていた。

 

 

「……ありがとう」

 

自分の背中から伸びる花に向かって、葵は小さい声でつぶやいた。

風が通り抜け、血と花の匂いをさらっていった。

やがてハナクグツは静かに彼女の中へと戻っていった。

 

(蔵馬……。あなたのおかげで……私はまた、命をつないだわ)

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

人間界にて。

蔵馬は自室の窓辺に佇んでいた。

 

深い夜。

降りしきる雨の音が世界を支配する。

 

(何事もなく、過ぎればよかったが……)

 

彼の予想は、杞憂に終わらなかった。

葵に宿したハナクグツが発動した感覚を体がとらえた。

 

おそらく無傷では済まない状況だろう。

それでもなお、自分のもとへ戻ってくることを願うばかりだった。

 

(あと三日……)

 

思考は静かに途切れ、ただ時の重さだけが刻まれていく。

無情にも時は過ぎていき、三日目の夜になった。

 

蔵馬は窓越しに沈黙の空を仰いだ。

月も星も雲に隠れて見えない夜。

暗雲に沈んだ空が、魔界を連想させる。

もどかしく、心のどこかがちくりと痛む。

彼の顔に表情はない。

 

その時。

 

「……っ」

 

張り詰めた空気の中に、馴染み深い気配が風のようにすっと入り込んできた。

蔵馬は一瞬でそれを感じ取る。

迷わず窓を開けると、夜気が冷たく流れ込み、やや間があって葵の姿が現れた。

 

白い足音が床を静かに踏む。

闇の中でもその瞳は深く澄み、真っ直ぐに彼を捉えていた。

 




次回更新は、短編のほうになります。
久しぶりに黒い影の方に登場していただきます。

アカシヤの短編はこちら➡https://syosetu.org/novel/378019/
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