アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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11章は流血、暴力シーンが一部あります。大丈夫な方はお進みください。


蔵馬の怒り

 

その日、葵は南野家の木の上に腰かけ、そっと秋風に身をゆだねていた。

風に揺れる葉の音を耳にしながら、練薬を指にとって内服しているときだった。

 

背後から声がした。

普段なら、彼女の気配さえ感じさせない相手。帰宅した蔵馬の新しい弟だった。

 

「やぁ、葵さん。秀一兄さんなら、もう少しで帰ってくるよ」

 

「秀一君」

 

思いがけぬ呼びかけに、葵は柔らかく枝の上から視線を落とした。

 

 

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「中に入って待ってなよ。オレ、話したいことがあったんだ」

 

いつもと口調が違い、醸し出す雰囲気も挑発的だった。

彼の体からは、かすかに妖気が漂い、何者かが潜んでいるような気がした。

 

『誘いに乗るのは危険』

 

そう直感が伝えていた。

しかし、もし断れば中の者の虫の居所が悪くなって、何をしでかすかわからない。

彼の弟に危害が及ぶことを望まない葵は、頷いて木から降りた。

 

「お邪魔します」

 

 

南野家はしんと静まり返って、彼以外誰もいなかった。

葵は玄関から入り、手招きされるまま奥へと進んだ。

 

廊下を歩いていると、突然腕をつかまれ、近くにある部屋に押し込まれた。

弟秀一の後ろ手に閉じられた戸が、重く響く。

壁際に追い込まれ、葵は服の襟首を乱暴につかまれる。

 

 

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相手の目つきが変わった。

秀一の耳から、中にいる妖怪の体の一部がするすると伸びて、葵の腰へ絡みつく。

冷たく湿った感触が、蛇のように締め上げてきた。

 

彼の弟に取りついている妖怪は、(から)という。

蔵馬の弟を人質とするために、黄泉の国の副将、鯱が手配したものだった。

 

「へへっ。あんた、蔵馬といい仲なんだってなぁ。オレにもサービスしてくれよ。暇を持て余してるんだ」

 

弟の声でしゃべっているが、口調は妖怪のものだった。

空は弟の体内に取りついて、その体を自由に操ることができる。

 

「やめた方がいいわ。あなたの命に関わるわよ」

 

葵は一歩も退かず、淡々と告げた。

 

「澄ました顔が気に入らねーな。はったりだと思ってんのか?この体で、できないことはねーんだぜ」

 

空が弟の体で彼女の腕を掴んで、ギリギリとその細い骨が軋むほどに力を込める。

それでも、葵は眉ひとつ動かさない。

静かな瞳で、ただ相手を見据える。

 

「秀一君の体を、いたずらに使うなら、その中から出てきて」

 

透き通る声が、室内の空気を張りつめさせた。

中の妖怪の機嫌が悪くなっていく。

 

「……じゃあ、いたずらかどうか、試してやるよ」

 

弟秀一の顔が大きく歪んだ。苛立ちと侮蔑を交えたわらいが、喉の奥で弾ける。

腕を掴んでいた手が、彼女の首へと移動し、締めつけが始まる。

顔を近づけ、生温い息がかかる。

葵はなおも表情を変えずに、まっすぐ相手の奥を見据えていた。

 

 

「…っなんだ!?この妖気はっ!?」

 

ぞくりとするほどの鋭利な妖気が、部屋に立ち込める。

背筋を焼くような冷たさに、空は本能的な恐怖をおぼえ震えた

 

 

ギィ…ッと、静かに開くドアの音。

 

そこに立っていたのは、長身で長い髪のひとりの男。

蔵馬だった。

その姿は、いつもの温厚さを一切欠いていた。

 

「……何してる」

 

 

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静かに怒気を含む、抑揚のない低い声が部屋に響き渡る。

その眼差しは鋭く、感情を削ぎ落とした氷の刃のような光を放っていた。

 

葵の初めて見る蔵馬だった。

その奥深い怒りの中に、妖狐の彼を垣間見た。

 

空は冷や汗をかきながら、慌てて叫ぶ。

蔵馬がこれほどの妖気を持っているとは知らなかった。

 

「す、すまねぇ!ちょっと出来心で遊んでみただけだっ」

 

「……御託はいい。その手を離せ」

 

たった一言。

強い圧を受けたように、空は反射的に動いた。

彼女の首から、腰から、絡みついていたものがするりと解かれる。

 

しかし、まっすぐ刺すような蔵馬の冷たい視線はなおも変わらない。

その意図に気づき、空は葵から距離を取った。

 

 

「……葵。こちらへ」

 

低く抑えた声が、室内の空気を震わせた。

彼女が一歩踏み出すと、蔵馬はすっと腕を伸ばし、彼女の細い手を掴んだ。

その手は、熱を帯びながらも揺るぎなく、葵の肩をぐっと抱き寄せる。

 

長身の体をわずかに傾け、彼女を背に庇うように立った瞬間、葵は胸の奥に小さな爆発が起きたように、呼吸を詰まらせた。

 

手のひらから伝わる熱。

耳朶に落ちるのは、激情を秘め、研ぎ澄まされた声の余韻。

背を覆う気配は、鉄壁の誓いのように冷たく、同時に炎のように熱をまとっていた。

 

 

(この人は……こんなにも静かに、こんなにも激しく、私を守ろうとしてくれている)

 

葵は、喉にせり上がる想いを言葉に変えられず、ただ目を瞬かせた。

冷静で無情な蔵馬の振る舞いは、彼女を守るためのもの。

その背中の奥から漂う怒りは、冷徹な妖狐の気配が沁みだしている。

 

 

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「君は……向こうに」

 

短く放たれた言葉は、刃のように切り込む一方で、彼女の行動を迷わせない力を持っていた。

葵は、その背中に数秒視線を送る。

広く、硬質で、どこか儚さを伴った影を感じながらも、物分かりの良い彼女は、今取るべき行動を直感的に理解していた。

 

「……わかったわ」

 

頷くと、慎重に、ためらいなく、部屋を後にした。

手が離れた瞬間、蔵馬の体温が消えて、胸の奥がざわめいた。

 

 

ドアが閉まったその瞬間。

空間そのものが変質したかのように妖気が弾けた。

電流のような妖気のスパークが空気を切り裂き、彼の弟ではなく、別の悲鳴が室内から響いた

 

その場に留まる理由は、もうなかった。

葵はその空気を敏感に察知すると、躊躇なく南野家を後にした。

 

外に出てしばらくしても、胸の鼓動は収まらなかった。

 

 

 

蔵馬はこの日、バイオリズムの影響で妖狐に戻りつつあった。

暗黒武術会以降、1か月ペースで南野秀一でありながら、妖狐に戻っている感覚になっていた。夏休みから魔界を行き来するようになり、黄泉に会ってその症状が進んだ。

キレるとすぐに、妖狐に戻ってしまうことさえあった。

 

危うい自分を感じ取っていた彼は、今日帰宅を遅らせていた。

しかし、このタイミングで葵が自宅に来たのを感知した。

 

最近の空の言動から、直感的に嫌な予感がして家路に向かうと、とうてい許しがたい状況になっていた。

 

一瞬にして視界に入ったのは、葵に迫る操り人形のような弟と、対峙している彼女。

弟の手と、空が伸ばした体の一部が伸びて、彼女の首と腰を掴んでいた。

強引に引っ張ったようにはだけた襟元から、何をしようとしていたのか容易に想像がつく。

感情的にキレるのには、十分すぎるほどの要素がそろっていた。

 

ドアが背後で音を立てて閉まった瞬間、蔵馬の中で、張り詰めたものが弾けた。

「オレに何かしたら、ガキがどうなるかわからねえぞ!」

 

弟の体から、そのひも状の肉体をのぞかせて、空は叫ぶ。

ぎょろっとした白目がちの目が、恐怖に震えている。

 

「オレをあまり怒らせるなよ……。どうでもよくなることだって、たまにはあるんだぜ」

蔵馬の視界が、真っ白に染まった。

理性が警鐘を鳴らすよりも早く、怒りに火がついた本能が体を支配する。

 

(ダメだ、落ち着け……)

 

心のどこかで声がしたが、拳にこもった力は止まらなかった。

この瞬間、彼の影は妖狐の輪郭を帯びていた。

 

(二度と……出来心という言葉が出ないようにしてやろう)

 

絶対零度の怒りと、葵を守り抜く溶岩のような誓いのもとの非情。

 

空の軽薄な言葉も、哀れな命乞いも、蔵馬の怒りの前では無意味だった。

その日を境に、空は完全に蔵馬の支配下に置かれることとなった。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

それは休日の朝のこと。

ここ数日、胸の奥で蠢く何かが、いつもより近くまで迫っている感触があったからだ。

息をするたびに喉元までせり上がってくる妖狐の名残。

 

あとほんの少しで、堰を切るように境界を越えるだろう。

そんな不安定な状態だった。

 

だから、蔵馬は葵と会うつもりはなかった。

 

それなのに。

 

 

窓の向こうから馴染み深い気配がふわりと香った瞬間、体の奥に疼く何かがすっと鎮まった。

葵だった。言葉はなく、ただ静かにそこにいる。いつものように。

 

1週間前、弟に取りついた空が彼女に絡んでいた時以来の再会だった。

躊躇する指先が一瞬微細に震えたが、彼は窓を開けた。

 

「蔵馬、おはよう」

 

いつものように挨拶をして、爽やかな秋の朝の空気と共に彼女が部屋に入ってくる。

その時、予想外のことが起こった。

蔵馬ほどの経験と知略知慮があって、二手三手先を深読みしても、いつだってこの人にはかなわない。

 

カシャンという小さな音。

長い髪の先が、カーテンのフックに絡まっていた。

後ろを向く彼女。

 

「……あ」

 

淡々とした声で呟き、小さな手は絡みを外そうともがく。

しかし面白いように、ますますもつれていく。

焦ってはいないが、少し必死に外そうとする仕草が、何とも言えない。

 

今まで何度もこの部屋を出入りしているはずなのに、どうしてこういうタイミングでそうなるのか。

 

 

「……ふ」

 

あまりにも彼女らしくて、蔵馬は思わず眉を緩め、笑みを零した。

その瞬間、彼の妖気から漏れ出す、鋭く不安定なゆらめきが空間に溶けていく。

そして、いつもの慣れ親しんだ蔵馬の妖気に戻っていった。

 

葵はその微かな変化を、肌感覚で感じていた。

彼の柔らかい表情につられるように、ふわっと花笑む。

 

「君は、本当に……こういうところが器用に不器用だね」

 

繊細で艶のある声は、やんわりと微笑んでいた。

穏やかに歩み寄りながら、彼は絡まった髪に指を添えるように手を伸ばす。

指先が触れると、髪は絹のようにしっとりと滑り、手の平に微かな温もりが残った。

 

「動かないでね」

 

背後から髪に触れるふりをしながら、彼は彼女の頭を包み込む。

蔵馬は白いレースのカーテンごと、ゆっくりと葵の体を抱き寄せた。

 

途端に高まる、静かで深い想い。

彼女の酔芙蓉の安息の香りが、彼の嗅覚を通じて脳に大きな刺激を届ける。

白い布が二人を柔らかく隔てて、お互いの熱が混ざり合う。

 

腕に収まる小さな体は、思ったより軽いが鮮烈な鼓動を伝えてくる。

薄いトレーナー越しの胸板に触れるその振動は、彼女の生きる熱。

 

その抱擁の重みに、葵は小さく息を呑む。

 

「……蔵馬?」

 

 

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「うん……。今は、このままで」

 

細く柔らかな髪が、彼の頬にかかる。

極上の絹に似た、しっとりとなめらかな感触も、この予期せぬ行動も、胸の奥を揺さぶって仕方がなかった。

心地よさに、蔵馬は目を閉じた。

 

この数日、抑えても消えなかった衝動。

怒りとも飢えとも違う、混濁した感情の渦を、葵は何でもないようにすっとなだめてくれた。もちろん、彼女にはその意図は無いのに。

 

「朝から騒々しかったかしら?」

 

「……いや…。オレは、君のこういうところに、助けられてばかりだ」

 

「え?」

 

「……なんでもない」

 

言葉を切り、蔵馬はぎゅっと腕に力を込めた。

そして彼女の頭に、少し長く口唇を落とす。

口唇越しに立ちのぼる花の香りを深く吸い込み、ゆっくりと呼吸する。

 

(君が、君らしくいてくれるから、オレは、今の蔵馬(オレ)でいられる……)

 

「もう少し、このまま……いい?」

 

「……ええ」

 

彼女の声が、胸の奥に優しく沁みていく。

合わさる葵の背中と自分の胸。そこにあるのは、二つの鼓動と呼吸。

優しく温かい振動だった。

蔵馬の心と魂は、歓喜に震えていた。

 

 

(あなたが嬉しいと、私も嬉しいわ)

 

葵は心の中で小さくそう呟いた。

先日の彼の怒りの奔流は、自分に向けられたものではない。

けれど、その原因に自分が関わっていたことを思うと、胸の奥が揺れていた。

 

(今日、ここに来て良かったわ……)

 




原作でも空は、なかなか印象的なキャラクターだったので、今回登場していただきました。

長い11章も次回で終了です。
12章からは週1ペースの更新頻度となります。

蔵馬と葵共々、今後とも応援していただければ嬉しいで。
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