アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第64話

窓辺の淡い光に包まれて、蔵馬はゆっくりと目を開けた。

そこに見えたのは、白いレースをまとった彼女の後ろ姿だった。

風に揺られる薄布が、彼女の髪を包み込んでいる。

 

ほどきたくないほど美しい光景。

しかし、葵の髪はまだカーテンのフックに捕らわれている。

そのままにしておくのは、忍びない。

理性と感情がせめぎ合う中、彼はふっと息を吐いた。

 

「挟まっているところを取るから、じっとしててね」

 

彼女の後ろから耳元で囁くように告げる。

蔵馬は指先を伸ばし、フックに絡まった細い髪をひと房ひと房解いていった。

すぐそばに漂う香りが、安息を思わせる柔らかさを帯びて鼻腔を満たす。

 

「ありがとう」

 

 

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ふと振り向いた葵の微笑みは、朝の光を受けて花びらのように開いた。

その笑顔に、不意を突かれたように胸の奥にさざ波が広がる。

何かが甘く揺れたのと、葵がレースを抜け出そうとしたのはほぼ同時だった。

 

どういうわけか、葵が足元を滑らせた。

 

「…っえ?」

 

小さく声を上げながら、彼女はバランスを崩して重力の方向に流れていく。

咄嗟に葵の腰を支えて、蔵馬はそのまま引き寄せるように抱き止める。

そして、ふたりの体は、重なり合うように床へ倒れこんだ。

 

ドサ、と静かな衝撃。

葵の体が、蔵馬の胸の上にすっぽりと収まった。

彼女にとっては、全てが予想外のこと。

 

「ごめんなさいっ…。蔵馬」

 

 

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慌てて起き上がろうとする彼女の肩を、そっと押さえる。

 

「いいよ……。しばらく、このままでいたい」

 

吐息混じりの声。

ほんのわずか数センチ先に、葵の顔があった。

頬も、口唇も、先ほどよりも近くて。

瞬きひとつすら惜しいほど、ずっと見ていたいという想いが押し寄せる。

視線が絡んだ瞬間、時間がふっと遅くなる。

 

二つの深い瞳が互いを映し合う。

吸い込まれそうな魔の瞳と、星を宿したような瞳。

彼にとって、その目は、どんな宝石にも及ばない、至高の輝きだった。

 

重なる胸の音と息遣いが、朝の空気にそっと流れては溶けて、それが循環する。

 

葵は伏し目がちに彼を見つめると、少し躊躇うように瞬きをした。

その頬に蔵馬の指がそっと触れ、彼女を引き留める。

熱い眼差しは、切なく彼女を抱きしめるようだった。

 

 

「今は……オレの目を見ていて」

 

その言葉がどこから出たのか、彼自身にも分らなかった。

ただ今この瞬間の自分を、その輝きに映してほしいと思ったのかもしれない。

 

葵はわずかに戸惑いながらも、素直に頷く。

その澄んだ眼差しに受け止められ、蔵馬は静かに顔を近づけていった。

彼女の反応を一つ一つ確かめながら、口唇の間の息遣いが重なる距離まで。

 

 

花色のまつ毛が、細かく震えている。

 

「……葵」

 

名前を囁くだけで、胸が焦がれて軋む。

もうこの想いは、とっくに隠しようもなく外に出ている。

ほんのあと数ミリの距離で、時が止まる。

そのまま触れたら壊れてしまうほど、繊細で柔らかい空気が二人を包んでいた。

 

 

 

(これ以上、求めてもいいだろうか……?)

 

今までもたくさんの愛情表現をしてきたにもかかわらず、その時、蔵馬はそう思った。

 

永遠のような時の流れの中で、深い瞳が抱きしめ合う。

彼の息が葵の頬にふっと触れた時、葵はゆっくりと瞳を閉じた。

 

それは受け入れられた証のようだった。

彼女の頭を引き寄せると、優しくひとつ口唇を重ねた。

 

全身が喜んでいた。

愛おしさが募ると共に、それだけでは足りないと心の奥が叫ぶ。

 

「……葵」

 

発した声に、甘い痺れがにじんでいるのを自分が一番よくわかっていた。

再び口唇を重ねる。今度はもう少し、長く、確かめるように。

 

 

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葵の花唇はやわらかくて、温かくて、触れるたびに胸が甘く痺れていく。

もっと欲しくなる。

 

 

 

柔らかな口唇が離れた瞬間、葵は小さく息を吸った。

胸の奥で打ち鳴らされる鼓動が、彼女自身を驚かせているようだった。

けれど、視線は反らさず、まっすぐに彼を見ていた。

 

「……蔵馬」

 

名を呼ぶ声は小さく震えているのに、その響きは優しい音色。

蔵馬は、彼女の頬を撫でる手にそっと力を込める。

その指先から伝わる熱が、理性を削っていく。

 

 

もっと近くに。

そう願うのは、もはや止めようのない衝動だった。

彼は彼女の肩口へと滑らせた手を、静かに背中へ回す。

小さな体を引き寄せれば、葵の体温が胸いっぱいに広がる。

 

 

 

「……もっと、してもいい?」

 

 

問いかけは、無意識の心の隙間の漏れ。

葵は一瞬だけまばたきをして、口を開いた。

 

 

「……あなたに、ゆだねるわ」

 

その返答に、蔵馬の瞳がわずかに揺らいだ。

理性が必死に引き止める声を上げても、彼女の一言で、すべての壁が崩れていく。

 

口唇を重ねる。

今度は、迷いのない深さで。

呼吸とともに吐き出される甘い吐息が絡み合い、互いの胸を震わせた。

 

葵の指が、ゆっくりと彼の服を掴む。

何気ない仕草なのに、それは彼女なりの「応え」だった。

その小さな意志表示に、蔵馬の心臓が強く打つ。

 

(これ以上を、求めてしまう……)

 

わずかな戸惑いが横切る。

 

「葵……」

 

 

熱を帯びた囁きとともに、蔵馬は彼女を抱き締める腕にさらに力を込めた。

妖狐としての本能が、静かに顔を覗かせていた。

 

 

口唇だけでは満足できない。

浅く、深く、互いの吐息をすくい取るように。

蔵馬は幾度も葵に口づけを重ねた。

 

「……っ」

 

肩が小さく震えた。

拒むためではなく、甘やかな衝撃を受け止めるための震え。

葵の細い喉がふるえ、そこから漏れる息が彼の頬をかすめていく。

 

「葵……どうして君は、こんなに…」

 

囁かれた名に応じて、彼女は反射的に目を開ける。

潤んだ瞳が光を宿して揺れ、その眼差しが彼を煽った。

狂おしいほど想いが胸を突き上げる。

 

蔵馬は頬へ手を添え、角度を変えながらさらに深く口づける。

舌がかすかに触れては離れ、また求める。

時間をかけた口づけは、言葉より雄弁に想いを伝えていた。

 

ひとたび離れても、名残を惜しむように再び口唇で抱きしめたくなる。

呼吸の合間に、名前を呼んでは、もう一度抱きしめて確かめる。

 

(……ダメだ。もっとこの人が、欲しくなる)

 

お互いの胸の強い振動がする。互いを感じる体は、素直だった。

甘く、苦く、それでいて切ない。

葵の存在が、蔵馬の中の何かをほどいていく。

 

止まらない口唇と舌の動き。

放したくない、逃がしたくない。

この口づけで、自分の想いの全てが伝わればいい。

 

 

 

 

 

やがて抱きしめ合っていた口唇が離れた。

彼女の口唇は、まだほんの少し開いたまま、名残を惜しむように彼を見つめていた。

 

熱のこもった視線が絡む。

葵の呼吸は、乱れていた。

肩が上下するたびに、頬に添えた蔵馬の手のひらが小さく揺れる。

 

静かな室内に、互いの鼓動と吐息だけが響いていた。

彼女の頬には、口づけの余熱が淡く残っている。

 

(……きれいだな)

 

蔵馬は目を細めて、息を吐いた。

 

「……ごめん。少し、やりすぎたかもしれない」

 

指先で彼女の髪を耳にかけながら、低く抑えた声がこぼれた。

それは謝罪というよりも、理性を取り戻すための言葉だった。

 

葵は静かに2回3回とまばたきをして、彼を真っすぐに見つめた。

 

「……少し驚いたけど、大丈夫よ」

 

その一言が、胸の奥にすっと落ちていく。

 

蔵馬は肩に置かれた彼女の手を取り、指を軽く握った。

すると、柔らかな指が、彼の指にそっと絡んでくる。

受け入れられているという実感に、体の中心が熱くなる。

 

気を緩めれば、また口唇を重ねてしまう。何度でも、貪るように。

でも、彼はそこで理性を繋ぎとめた。

 

(……もう少し、落ち着いてからにしよう)

 

蔵馬はふっと微笑んだ。

 

彼女を抱きたい欲を、理性で包み込んだ熱が、体の内側にくすぶっている。

代わりに、葵の額へ口唇で触れた。

名残をたくすように。

 

葵は目を閉じて、そのまま蔵馬の胸に顔を寄せてくる。

言葉よりも、ずっと静かで、ずっと深い応答だった。

 

「オレは……こうして君をかまうのが、好きなんだ…」

 

葵は少し考えるように息を整え、赤く色づいた口唇を開いた。

 

「……私は、あなたにこうしてかまわれると」

 

言葉を紡いでいる途中で、止まった。

彼女は、自分の感じていることを純粋に伝えようとしていた。

 

蔵馬はただ黙って待つ。彼女の心から零れ落ちる言葉を受け取るために。

 

「……そうね。これがきっと、ドキドキするってことなのね」

 

 

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囁くような声が、彼の胸にゆっくりと浸透する。

その響きに、彼の心臓がひときわ強く鳴った。

 

「……そうだね」

 

葵の心が育っているのを確かに感じる。嬉しくて切なくて。

どうしたらいいかわからなくなるほど、この人を深く想う。

 

 

 

浅く、深く、吐息を重ねるような口づけの名残が、まだ互いの口唇に漂っていた。

熱は少しずつ和らいでいくのに、心臓の鼓動だけは、すぐには落ち着いてくれない。

 

葵の肩越しに、静かな部屋の輪郭が戻ってくる。

窓越しに差し込む日差しが、彼女の髪の一筋を白く照らしていた。

 

「……。」

 

蔵馬は小さく息を吐き、彼女の頬に添えていた手をゆっくりと下ろした。

その手を追うように、葵のまぶたが一度閉じられ、またゆっくりと開かれる。

この瞬間を見るのが彼は好きだった。

 

言葉はなかった。

ただ、触れ合っていた余韻が、まだ互いの間に残っている。

沈黙の中で、二つの呼吸が少しずつ整っていく。

 

蔵馬は指先で彼女の髪を耳にかけ、そっと頭へ口づけた。

それは欲の名残ではなく、静かな確かめのしるしだった。

葵は目を閉じ、静かにその仕草を受け入れる。

胸に寄り添った彼女の頬が、ほんのりと温かい。

 

「……。」

 

言葉にしなくても伝わるものが、確かにそこにあった。

互いの鼓動が、やがては落ち着きに変わっていく。

 

蔵馬は目を細めた。

余熱を胸の奥に抱えたまま、ただ葵の髪を撫でる。

やがて、時間はゆるやかに元の静けさを取り戻していった。

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

おまけ♢

 

蔵馬は、修行にはげむ妖怪六人の様子を確かめるため、幻海のもとを訪れていた。

彼らの気合いの声が風に混じり、空気を震わせていた。

 

「ずいぶん熱が入ってきたみたいだ」

 

幻海の言葉に、蔵馬は横に立ち、静かに頷いた。

風に揺れる髪の端が、彼の横顔を一瞬隠す。

 

しばし、二人は無言のまま彼らの動きを眺めていた。

やがて幻海がふっと口を開く。

 

「……葵は元気にしてるかい?」

 

唐突に差し込まれた名に、蔵馬はわずかに瞬きをした。

けれどすぐに表情を整え、穏やかに答える。

 

「おかげさまで」

 

「前にうちに滞在していたとき、手帳を見せてくれてね。写真を入れてたんだよ」

 

蔵馬の表情が一瞬柔らかくなったのを、幻海の老練な目は見逃さなかった。

 

「二人とも、いい顔していたね。あんたら、お似合いだよ」

 

すぐに、それが母の結婚式の写真のことだとわかった。

 

 

庭を渡る風が、草花の匂いを運んでくる。

蔵馬はその香りを感じながら、ふと遠い記憶に触れたように、目を細めた。

 

胸の奥に浮かんだのは、母の結婚式の光景。

写真の中で、柔らかく微笑む葵の横顔。

隣に並ぶ自分の表情が、あれほど穏やかで自然だったことに、今も少し驚きを覚える。

 

 

「……そうですか」

 

蔵馬は低く答える。声の調子は変わらず淡々としているのに、そのわずかな抑揚に、胸の奥の温度がにじんでいた。

 

彼も幻海も、それ以上言葉を紡がなかった。

蔵馬は視線を遠くに伸ばし、何事もなかったかのように静かに立ち続けた。

 




長い11章の終了です。
次回は、物語の流れを少し戻し、6.5章のお話しを本編でアップします。
毎週水曜日更新となります。

蔵馬の髪や目の色は、あえて描写していません。原作とアニメと、皆さんの中のイメージカラーがあると思うので、脳内で自由に妄想してお楽しみください。


コメントや応援など励みになります。
いつもありがとうございます。

以下におまけの画像を追加しました。


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