アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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時系列的に6章あたり(蔵馬が葵に恋をしはじめてから、暗黒武術会に行くまでの間)のお話です。

こちらは、アカシヤ短編にある「葵とぼたんの霊界探訪記」や「境界の花ーある日の蔵馬と飛影ー」をお読み頂くと、より深みが増す内容となっています。

短編はこちら:https://syosetu.org/novel/378019/




6.5章 夜の書庫ー蔵馬と葵の霊界探訪記ー 前編

霊界にて。

 

「これでいいさね」

 

静けさの漂う書類室の片隅で、ぼたんは手元のペンを置き、ひと息ついた。

机の上には、細やかな字で埋められた報告書がきれいに積まれている。

整った書類の山を見つめながら、彼女の脳裏にふと浮かんだのは、先日葵と巡った霊界の観光地の風景だった。

 

「また別の所にも行きたいわ」

 

別れ際、葵が微笑みながらそう呟いた声が耳によみがえる。

何気ない一言は、ぼたんの心の奥に残っていた。

 

(葵の好きそうなところねぇ……)

 

ぼたんは霊界の観光名所リストを眺めながら、考えを巡らせる。

定番の神殿跡や霊樹の森も悪くはないが、どうも葵らしさとは少し違う。

彼女の知的好奇心を刺激し、心を安らげるような場所。

そんな両方を満たせる場所は…。

 

ページをめくる手が、ある項目の前で止まった。

 

「……夜の書庫?」

 

そこに記された場所の名に、ぼたんの目がきらめく。

古くから霊界の中でも特別視されている、知の保管庫。

夜の間だけひっそりと扉を開くその書庫には、魂の記憶や未整理の知識が収められているだけでなく、霊体の安息と学びの場でもあった。

 

「これだわ!」

 

小さく叫ぶように、ぼたんの肩がはねた。

夜の書庫に佇む葵の姿が鮮やかに浮かぶ。

好奇心に輝く瞳、そっと本の頁に触れようとする指先。

 

霊界案内人の規則で、ぼたんは内部には立ち入れないが、入り口までなら連れて行ける。

思い立ったらすぐ行動とばかりに、ぼたんは人間界へと(かい)を急がせて、葵の元を訪れた。

 

 

人間界は三月。

光あふれる林の小道。昼前の淡い青空が高く澄み、木々の間からこぼれる日差しが、地面にまだら模様を描いている。

微かに冷たい春の風が、葵の象牙と桃色の髪を静かに揺らしていた。

 

「葵ー!元気にしてたかい?」

 

突然現れたぼたんの明るい声に、振り返った葵がふわりと微笑む。

陽光に透けるその姿は、一輪の花のようだった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ええ、ぼたんも。こんな昼間に、珍しいわね。どうかしたの?」

 

「ふふふ。実は、葵のために良い話を持ってきたのさ!」

 

ぼたんは胸を張って歩み寄り、嬉しそうに切り出した。

 

「この前、言ってただろ?『またどこか行きたい』って。あれから考えたんだ。それでね……『夜の書庫』って場所、どうだい?」

 

「夜の書庫……?」

 

葵が小さく首をかしげる。

光の加減で様々な色に見える瞳が、興味深げにこまかく揺れた。

 

「そう!夜しか開かない、霊界でも知る人ぞ知る不思議な場所さ。古い歴史、魂の記録、発見されたばかりの未完成の知識。そういうものが山ほど眠ってるらしいんだ。私たち案内人は中には入れないけど、入口までは案内できるんだよ」

 

ぼたんの説明に、葵の瞳が輝きを増す。

その様子にぼたんは、「やっぱり当たりだったねぇ」と心の中で頷いた。

 

「とても……興味があるわ。ぜひ行ってみたい」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

ぼたんは手を打ち、明るい笑みがぱっと広がった。

そんなやりとりの最中だった。

 

 

「二人で楽しそうですね」

 

背後から静かな声が届いた。

水面に一滴落ちたような、波紋を広げる落ち着いた声音。

ぼたんは「ひゃっ!」と声を上げて、小さく跳ねる。

 

「な、何だよ!いきなり立ってるんじゃないよ!あんた、幽霊以上に気配ないんだから!」

 

ぼたんが振り返ると、長身長髪、学生服姿の蔵馬が、いつもの柔らかな微笑みを浮かべて立っていた。

 

「昔の癖なんだ。驚かせてしまったかな」

 

「蔵馬。今日は学校が早いのね」

 

「半日で終わったんだ。君たちの楽しそうな声が聞こえたんでね」

 

そう言って蔵馬は自然に、葵の隣へと歩み寄る。

木漏れ日が、彼の滑らかな髪に光を落とした。

 

「……それで、何の話をしていたの?」

 

彼の卓越した聴覚で、先ほどの二人の会話が聞こえていないはずがない。

しかし蔵馬はあえて一拍置き、穏やかに問いかけた。

 

「ぼたんが、夜の書庫という場所を教えてくれたの。霊界にある知識がいっぱい詰まった場所なんですって。夜しか開いてないそうだけど、とても面白そうで」

 

「……夜の書庫か」

 

蔵馬の眼差しが、ほんの一瞬だけ深く沈む。

柔らかな笑みはそのままに、瞳の奥に見えた影は、すぐに光へと溶けていった。

 

(まさかその場所の名が、ここで出るとはな……)

 

夜の書庫。

表向きは未完成の書物と知の管理、霊体の安息と学びの場。

しかし真の姿は、「霊界の秘密と禁忌を守る、厳重に管理された知の聖域」でもあった。

葵の「儚さ」にまつわる情報も、そこに眠っているかもしれない。

いずれ調査に行こうと思っていた矢先に、運命の流れが夜の書庫への招待を導いた。

 

彼は、心の奥で小さく息を吐く。

 

「なるほど。確かに、葵が好きそうな場所だね」

 

わずかに探るような声で、蔵馬は静かに言葉を継ぐ。

万が一、彼女が乗り気でなければ、別の機会を伺う必要もある。

冴えわたる頭脳が、あらゆる可能性を考慮して二手三手先の道を描いている。

 

「実際に足を運んでみる気は?」

 

「行ってみたいわ。発見されてまもない知識や、まだ整理されていない記録があるんでしょう? そういう途上のものに触れてみたいの」

 

「途上のもの……ね。君らしいな」

 

迷いのない、真っ直ぐな瞳。葵の直感は、ときに無邪気でありながら、核心をつく。

蔵馬はわずかに目を細める。

好機は訪れた。

 

「ほらね、やっぱり気に入ると思ったんだよ!」

 

ぼたんは腕を組み、満足げに頷いた。

 

「教えてくれてありがとう、ぼたん」

 

「いいってことさ!」

 

そんな二人を眺めながら、蔵馬はわずかに葵の方へ体を傾けた。

木漏れ日の影と光が重なり、彼の姿を縁取る。

 

「なら、オレも同行しよう」

 

葵の瞳が瞬き、ぼたんは驚いたように目を丸くする。

 

「あら。蔵馬も来てくれるの? 」

 

「霊界は、人間界と環境が違う。君の体力の消耗が大きい可能性もある。万が一のことがあるといけないからね。それに……オレも、そこに眠る知識には興味があるんだ」

 

淡々と告げる口調には冷静さと余裕がにじみ、その裏に隠された意図を悟らせない。

葵はほんの一瞬、彼を見上げ、それからふっと微笑む。

光の中で、その笑みがいっそう淡く、優しく咲く。

 

「それに君のことだから……。今日このまま行くつもりだろう?」

 

「あら、よくわかったわね」

 

「全く、あんたたち仲がいいんだねぇ」

 

ぼたんがあきれたように肩をすくめた。

 

林を渡る風が、三人の間をくぐり抜ける。

沈黙の合間に、蔵馬は何気ない仕草で視線を空へと向け、薄く瞬いた陽光を目に映す。

その端正な横顔に、わずかな影がよぎったことを、葵もぼたんも気づかなかった。

 

(葵が望むなら、その儚さを、共に超えていく……)

 

その誓いを胸の奥に隠したまま、蔵馬は柔らかな笑みを浮かべ続けた。

 

霊界の夜の書庫。

それは、蔵馬と葵にとって、運命の扉のひとつとなるのだろうか。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

夜の帳が静かに降りるころ、霊界の奥深く。

そこに「夜の書庫」と呼ばれる場所が、重厚なレンガ色の扉をきしませて開かれていった。

 

澄みきった空気の中、遠くで霊体たちのざわめきが、波のようにかすかに耳の奥へ届く。

一歩足を踏み入れると、整然と並ぶ書架が東西南北に広がり、まるで果てのない迷宮のようだった。

 

外観の荘厳さとは対照的に、内部は広々としていて、霊界図書館よりもはるかに開放的だ。

宙には淡い光を帯びた本たちが、ゆるやかな曲線を描いて漂っている。

その幻想的な光景に、葵は思わず目を輝かせた。

 

霊体の姿は、人間界でいう「幽霊」のようなもの。

だがここ霊界では、肉体を解放された彼らの自然な形であり、日常の光景となる。

 

「夜の書庫」には、生前を思い返しながら静かに学びを深めるもの、来世へつながる目的を思索するもの、ひそひそと声を交わしながら本を閲覧するもの、そして、奥の広間で座禅を組んで瞑想をしているものの姿もあった。

 

 

蔵馬は隣を歩く葵に視線を向けた。

 

「ここが『夜の書庫』。霊体の安息と学びの場、そして未完成の書物や、生まれたばかりの知識の記録が保管されている場所だ」

 

葵は星を宿したような双眸をさらに輝かせて、その言葉に頷いた。

彼女の知的好奇心は、すでにこの広大な知識の殿堂へと吸い込まれているかのようだ。

 

「すごいわ……。書庫全体が生きているみたい。霊界でも、常に新しい情報が生まれているのね」

 

「ああ。魂の成長と共に、新たな認識や真理が生まれる。それらがここに記録され、多層的に積み重なっていく」

 

蔵馬は穏やかに答えながらも、その視線は書庫の奥、特定の区画へと向けられていた。

飛影との会話以来、葵の「儚さ」に関する情報が、彼の脳裏から離れることはなかった。

この書庫の、公にされていない「禁忌の書」のエリアに、その答えが眠っているはずだった。

 

 

「蔵馬が同行してくれるなんて、ちょっと意外だったわ」

 

「以前のことがあったからね。君の肉体への負荷がないか、少し心配だったんだ。それに……知識は、時に力以上のものになる」

 

「ふふ、そうね。もしかして、一度来たことがある?」

 

「……まあね」

 

葵は軽やかに笑い、書架の方へと歩みを進める。

近くには「未完成の書物」と刻まれた区画があり、霊気を帯びた真新しい書がきれいに並べられていた。

彼女の指先が、小さく光を放つ背表紙のひとつにそっと触れる。

 

「ここに書かれていることは、まだ誰も読んでいないものなの?」

 

「正確に言えば、『これから定着する途上のもの』だな。魂や出来事が形を持ち始めた瞬間が、こうして文字となる。いわば記録と未来の狭間だ」

 

「未来の狭間……。とても不思議ね。未来から見れば、現在は、完成されていて未完成のものなのかもしれないわね」

 

葵は近くの書架の前で背を伸ばして、上段の書物を見上げる。

その仕草が子どものようで、蔵馬は小さく目を細めた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……君は好きなだけ見て回るといい。オレは少し、西()()()()()の配置を確かめてくる」

 

「ええ、わかったわ」

 

葵は無邪気な微笑みで頷き、すぐに近くの書架へと視線を戻す。

真新しい霊気の漂う書物たちに、釘付けになっているようだった。

 

蔵馬はしばしその姿を見守り、やがて静かに踵を返した。

 

妖気を限りなく抑え、周囲の霊体にも気づかれぬよう、書庫の奥深くへと足を踏み入れた。

彼の目的は、葵に知られてはならない。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

地下にある禁忌の書のエリアにて。

 

通常公開されている区画よりもさらに深く、古の霊気が漂う。

蔵馬が妖狐時代に忍び込んだ場所。

このエリアの構造や、貯蔵物の情報は記憶している。

 

経験と直感を頼りに、特定の書物を探し始めた。

 

 

「生命の根源」、「存在の定着」、「妖気と生命の結合」。

 

 

手がかりは僅かだが、この広大な書庫のどこかに、葵の命に繋がる何かが眠っていることを彼は確信していた。

 

(……オレが必ず見つける)

 

決意を胸に、蔵馬は足音を消し、闇のように深い書庫の奥へと消えていった。

 

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