アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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感染の末路

 

葵の症状が出て半日が経った。

熱に浮かされながらも、葵はゆっくりと上半身を起こした。

ベッドボードにクッションを置きもたれると、小さく息を吐いた。

体を動かさなくても、関節が軋むように痛む。

 

蔵馬が差し出した碗を両手で受け取ると、ふわっと薬湯の蒸気が鼻先をくすぐった。

乾いた草と甘苦い植物の根の香りが入り混じり、火照った意識に淡い霞をかけていく。

 

口唇を碗に触れさせた瞬間、腫れた喉が拒むように強張った。

飲み込むたび、灼けるような痛みと圧迫感が走り、細い肩が震える。

 

「……っ」

 

たまらず小さく顔をしかめた葵の吐息を受け止めるように、蔵馬の声が柔らかく落ちた。

 

「無理はしなくていい。少しずつで構わない」

 

彼の視線に守られるようにして、葵は一口ずつゆっくりと薬湯を喉へ送った。

ときおり咳き込み、碗の中のウグイス色の液が小さく揺れる。

それでも懸命に飲み干し、器を差し出すと、彼は静かに受け取った。

 

 

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そのとき、葵の指先が彼の手に触れた。

はっとして、視線がその手に吸い寄せられる。

蔵馬の手は、自分と同じように熱を発していた。

途端に耳の奥で脈打つ音が、ドクンと強くなる。

 

「蔵馬っ……あなたも……?」

 

熱に浮かされた双眸が、不安の色に染まり彼を見上げた。

震える声は、風が吹いたら消えてしまいそうなほど弱々しい。

 

「……どうやら、そうみたいだ」

 

彼はふっと微笑んだ。

少し潤んだ目は熱がある証拠。それでも、静かな強さはいつもと変わらない。

 

「…ごめんなさいっ……私」

 

謝罪の言葉を絞り出した瞬間、蔵馬の声が深く届いた。

 

「葵」

 

いつもの穏やかで繊細な声は、その先の言葉を止めた。

彼は床に膝をつき、彼女の傍へ腰を落とすと、その手をそっと包み込んだ。

指先に触れる葵の手は、小さく震えている。

 

「オレは、君より免疫がある。そして症状に対して、すぐに自分で治療もできるんだ。今もすでに薬草で対応しているし、症状も君に比べてだいぶ軽い」

 

近くで見る蔵馬の顔には、ほんのかすかな苦悶の色が滲んでいた。

首元に浮かぶ汗、喉奥でわずかにかすれる声、そして呼吸に混じる熱。

 

それでも、彼女を見据える彼の瞳は、優しく、ゆるぎなく、そして誠実だった。

その言葉と眼差しは、葵を落ち着かせた。

 

「でも……葵の体は違う。君の体内で起きている変化は、オレにはすぐわからない。そして君は、感染に対して免疫が弱い可能性がある。だから、心配なんだ」

 

葵は黙ってその言葉を聴いていた。

発熱で聞き取りにくい中でも、蔵馬の声は、まっすぐ心に響いた。

二人を包む空気が柔らかくなる。

 

(この人の、言葉を信じよう……)

 

沈黙の間に、彼女の指を包む手から、妖気がじんわりと伝わった。

冷たさでも熱でもなく、蔵馬に全身を包まれているような感覚だった。

 

 

「オレを信じて。君は、自分を守ることに専念してほしい」

 

言葉のない返答のように、握られた手の奥から彼女の温もりが広がる。

葵のまぶたは重く、意識は霞の中に沈もうとしていた。

それでも彼女は、花がそっと朝を迎えるように微笑んだ。

 

 

 

蔵馬が発症して1日が過ぎた。

夜はすでに深く、窓の外では風が紅葉した葉を撫でるように音を立てている。

 

高熱で浅い眠りを繰り返す葵の耳に、微かな呻き声が聞こえた。

朝が来る前の薄闇の中、まぶたをゆっくりと持ち上げると、静かに膝をつく蔵馬の姿が見えた。

彼は上半身をやや前に傾け、片手を胸に、もう一方の手で自身の体に妖気を流し込んでいる。

青白い光が彼の手のひらから滲み出て、皮膚の奥を透かしては消えていく。

 

「……蔵馬っ」

 

掠れた声が、乾いた喉から漏れた。

体の節々が悲鳴を上げる。

それでも葵は、ベッドの縁に手をついて、痛みに顔をしかめながら身を起こす。

布が擦れる音が、夜気の中に微かに響いた。

 

 

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蔵馬は振り返り、薄く微笑んで首を横に振った。

 

「……心配ない。これも想定内だ。一時的な症状だから……すぐ治まる」

 

額にかかる髪が汗で張りつき、わずかに表情が歪む。

肩で息をしながらも、眼差しはいつもと同じ。

冷静さを失わないその姿に、葵は胸の奥にさざ波が立った。

 

息の合間にほんの短い沈黙が落ちる。

葵はその時間を、なぜか引き延ばされたように長く感じた。

 

 

彼女が手を伸ばそうとしたその瞬間。

蔵馬の首筋、手首などの服の隙間から青色の花が咲き始めた。

ひとひら、ふたひらと、夜の空気に溶けるように開いていく。

暗がりでもわかるほど、その色は鮮やかだった。

花の中心部が丸い玉のように盛り上がり、その周りに細い花びらが放射状に広がっている。

 

 

「……花が。もしかして…あなたの体に?」

 

葵の声は驚きと息苦しさの間で震えた。

蔵馬は小さく頷き、静かに答える。

 

「そうだ。オレの体にエキナセアを寄生させてから、ウイルス抗原を取り込んだんだ」

 

ウイルス抗原は、黄泉の国から政策のために届いたものだった。

 

まるで何でもないことを告げるように、淡々とした声だった。

彼の手のひらからは今も妖気が走り、花弁が揺れている。

葵は息を呑み、目をかすかに見開いた。

 

蔵馬はふう、と浅く息を吐き、立ち上がった。

卓上ライトを付けると、淡い灯りが彼の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。

机の上に置かれた小さなボウルの水面が、オレンジの光を反射し、ほんの一時、少し気だるいような彼の表情を妖美に映す。

 

青色の花を数輪摘み取ると、水に入ったボウルで花を洗った。

 

 

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「エキナセアは、抗体を作ると花の色が紫から青色になる。これを煎じて飲めば、症状も落ち着くはずだよ」

 

静かに注がれる湯の音。

立ちのぼる湯気の中に、甘い花の香りが満ちていく。

葵はその光景をただ見つめていた。

 

(この人は……本当に、底が知れないのね)

 

彼の落ち着いた声と、経験と深い知識に裏付けされた言葉に、早鐘を打っていた葵の胸の音が、徐々に落ち着いていく。

 

エキナセアの成分を抽出している間、蔵馬は自らの体に生えた花に妖気を送り込む。

すると、たちまち花は成長し、花弁の奥から、さらさらと音を立てて種が零れ落ちた。

この種は、ウイルスの抗体をもったエキナセアが生える。

これを育成し、治療薬・予防薬の開発に使うことができる。

 

蔵馬の能力を使えば、土に植えて時間を待たなくても、この花を栽培することができる。

どこまでも有能で、知略知慮に富む男だった。

 

 

寄生した植物を完全に取り除くと、彼は淡い青色の抽出液の入った椀を差し出した。

それは人間界でいうところのハーブティーのようなものだった。

 

「飲めそう?」

 

葵は震える指で受け取ると、湯気の向こうに彼の深い視線と出会う。

ほんのりと甘い香りが体の緊張を解いていく。

彼女は、口唇を寄せ、淡い青色の液体をそっと口に含む。

 

「………渋いわ」

 

そう呟きながらも、彼女はもう一口、また一口と、時間をかけて飲み干した。

その後も器を両手で包んでいる姿に、蔵馬は目を細める。

 

「症状が落ち着くまで、少し時間がかかるだろう。でも、もう大丈夫だ。安心してゆっくり休むといい」

 

葵は小さく瞬きをして、ためらいがちに問いかける。

 

「……蔵馬は、飲まなくても大丈夫なの?」

 

一瞬、沈黙が落ちた。

蔵馬は内側に生まれた感情を静かにかみしめた。

わずかに微笑みを浮かべ、長い睫毛の影を落としたまま答えた。

 

「オレの体は、寄生したエキナセアが抗体を作ったおかげで、途中から感染症状が軽減していたんだ」

 

エキナセアの抗体を取り込めば、終生免疫を獲得できる。

これでお互いが、カラツキに再度感染することはなくなった。

 

「そう……。良かったわ」

 

葵は空になった椀を差し出された手に置くと、ふわりと微笑んだ。

この人を信じてよかった。

心に、熱とは違う温かさが広がった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

抽出液を摂取して半日ほど経った頃、葵の体調は目に見えて回復していた。

ベッドから上体を起こして、久しぶりに窓から差し込むやわらかな日差しを浴びる。

外の景色を眺めていると、蔵馬が部屋に入ってきた。

 

ゆっくりと彼女のそばに来て腰を下ろすと、一連の経緯を説明し始めた。

 

「ネンジュモという藻の一種を使ったんだ。妖気を流し込むことで、自分の細胞の一部を植物の構造に変えることができる」

 

蔵馬の体はすでに完治し、いつもの艶のある繊細な声で語りかける。

その中性的な声が耳に心地よく、彼女の全身に浸透していくようだった。

 

「そうすると、エキナセアがオレの体を植物と錯覚する。エキナセアを寄生させた後、オレと共に発病させて、抗体を作らせたんだ」

 

葵は澄んだ眼差しで彼を見上げた。

 

「……危ない橋を、渡るような方法に聞こえるわ」

 

「そうでもない。事前にネンジュモを使って、エキナセアが寄生できるかどうか試していたからね。リスクは最小限に抑えてある」

 

やはりこの男は、用意周到で抜け目がない。

彼はあらゆるリスクを、起きる前から潰しておく方法をとっていた。

 

「ネンジュモがオレの体に留まるのは3日間。ウイルスの潜伏期間を逆算して、ネンジュモを取り込む2日前から、ウイルス抗原を体内に入れておいた」

 

「もし、感染症状が悪化したら、どうするつもりだったの?」

 

葵の言葉に、蔵馬はふっと微笑んで、視線を窓の外に流した。

昼の光が頬を照らし、彼の長い髪に金の縁を描く。

 

「感染力が高いということは、致死率はさほど高くない。加えてオレの肉体は人間でもある。重症化しにくいと踏んでいた。それに、治療薬がなくても、オレなら薬草で対応できるしね」

 

彼は、なんでもないことのように話す。全て計画通りで順調だと言うように。

葵は改めて、この男の特化した支配階級(クエストクラス)の能力と、知的手腕の高さに尊敬の念を抱いた。

 

ありがとうと口を開いたとき、蔵馬が体をわずかに近づけた。

彼の深い眼差しが色濃くなる。

 

「ついでに言うと」

 

声の調子が少しだけ落とされる。

 

「植物は、基本的に抗体を作らないんだ。花の妖怪である君は、おそらく免疫機能が弱い。もし感染すれば、重篤になる可能性が高いとわかっていた。だから、はなから君に感染させる気は毛頭なかったよ」

 

「……え?」

 

葵は思わず目を見開き、対面に座る彼をまじまじと見つめた。

一国の軍事参謀長でありながら、どうやら黄泉にも葵にも一芝居を打ったらしい。

 

「……では、はじめから、自分に寄生させて抗体を作るつもりだったのね」

 

「ああ。黄泉から、黄泉の部下から君を守るために、奴の要望を利用した」

 

声は穏やかでありながら、言葉は鋭利な刃のように研ぎ澄まされていた。

一つの無駄も無いように。

 

「君が感染したのは想定外だったけどね」と軽く笑う彼に、全てがこの男の手のひらの上で動いていたと理解した。

葵は驚嘆して、しばらく言葉が出てこなかった。

少し力の戻った瞳が、しばらく無言で彼を見つめる。

 




今回は蔵馬らしい策略的な対応で葵を護る様子となりました。
秘密裏に動く彼は、犠牲的に見えず、きちんと勝算があるところが強さだと思っています。

次回で12章最後です。
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