アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第70話

 

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「……私には、話しても良かったんじゃないかしら?」

 

「敵を欺くには、まず味方からって言うだろう?」

 

蔵馬の声は少しいたずらっぽく、含みのあるものだった。

けれど、瞳の奥に映る静かな光が、それを冗談と呼ぶにはあまりに深く輝いていた。

 

(あなたの頭の中がどうなっているのか、一度覗いてみたいわ)

 

葵はふうっと息を吐き、細い指先で髪を耳にかける。

そして再び彼の目をのぞきこんだ。

深く、澄んだ瞳。その奥の奥に隠された無償の想いが、そこはかとなく伝わってきた。

 

「ありがとう」

 

心を込めて、彼にふわっと笑いかけた。

蔵馬は一瞬だけ言葉を探し、やがて穏やかに口唇を緩めた。

 

「惚れ直したかい?」

 

「ええ」

 

尊敬と感謝の眼差しを受け、彼はその深い瞳で彼女を抱きしめた。

 

「あなたは私を守るために、国王を欺き、国の状況を利用した。そして見事に成果を出した。黄泉の国にとっては大きな利益になるし、蔵馬の評価も上がる。更に、私の身の安全にもつながった。こんな策を同時に成功させる人は、他にいないと思うわ」

 

「……どうだろうね」

 

「私は、あなたにとても大切にされて、果報者ね」

 

「……。」

 

その一言が、胸の奥の何かを静かに震わせた。

ほんの一瞬、指先が目の前にある滑らかな頬に向かおうとしたのを、鎮めた。

蔵馬は静かに目を閉じ、息を吸い込む。

 

「それは……この上ない光栄だな」

 

午後の陽だまりの中、二人はまた一つ何かを超えて、心は深く寄り添っていた。

 

 

 

黄泉の国に対する蔵馬の思いは、もはや義務でも忠誠でもなかった。

この度の彼の行動には、国のための意図などほとんど含まれていない。

その気になれば、感染による国の崩壊を見届けることもできる。

 

しかし、彼はそうはしなかった。

 

先日、黄泉の配下の鯱が部下に葵を襲わせて、瀕死の状態で癌陀羅に戻った。

そのことにより、黄泉はますます彼女の存在を利用価値として再評価していた。

 

蔵馬は、その流れを読み切っていた。

だからこそ、この感染症は彼にとって「渡りに船」だった。

黄泉の国に利益をもたらしながら、葵を彼らの手の届かぬ場所へ退かせる。

それが唯一の答えだった。

 

 

かつて野心をもって、国を興そうと躍起になっていたときと比べると、今の蔵馬のほうが昔よりも円滑に国を治めることができるだろう。

個の欲を手放した今だからこそ、その知恵は冴え、誰も追いつけない静かな統治ができる。

彼は新たな強さを手に入れたと言える。

力による統治ではなく、理で国を統治する。

 

もちろん、この男がそれを望むかどうかだが。

 

 

 

優しい沈黙の会話の後、蔵馬は伏し目がちに、なんともいえない表情で彼女に向き直った。

 

「君の純粋な顔をみていると……黙っていたことを、後悔しそうだ」

 

いつもより低く響いた声は、どこか遠い場所に沈んでいくようだった。

 

「あら……?反省しているの?」

 

葵は小首を傾げ、くすりと笑った。

花のつぼみが光にほどけるような笑顔に、彼の心の奥が複数の理由で小さく音を立てた。

しばらく二の句が継げぬ状態になった。

 

「……少しね…」

 

彼は、息を含ませながら呟く。

ちらりと葵を見ると、いつもと変わらない微笑みで彼を待っていた。

その瞳には、問いも責めもない。

 

顔を見合わせた瞬間、二人からふっと柔らかな笑みが生まれた。

その笑いは音にならず、部屋の空気をやわらかく撫でていく。

 

 

 

「葵」

 

蔵馬は、静かに名前を読んだ。

その声からは、決意と覚悟のようなものを感じた。

葵は星の宿るような瞳を輝かせて、彼をまっすぐ見上げた。

 

「今後も、オレは黄泉の国の参謀として動くことになる。中には……君に話せないこともあるだろう。でも……」

 

「命にかかわることは必ず伝える、でしょう?」

 

葵は、間を待たずにそっと言葉を滑りこませた。

彼女の声音は柔らかいのに、不思議と芯がある。

その響きが、蔵馬の胸をひとつ震わせた。

 

(君には、本当にかなわないな……)

 

言葉には出さず、ただ微笑みで応えた。

彼女がいるだけで、理性の隙間に光が差す。

自分を理解し、その存在だけで静かに支えてくれている。

 

かけがえのないとは、こういうものだ。

 

 

 

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「私は、そんなあなたを信じて、賛同するわ」

 

いつだって、葵の言葉は蔵馬の心を、行動を揺らす。

彼は一歩近づき、そっと彼女を抱きしめた。

もう体に、焼けつくような熱はない。

 

この人が、生きてここにいるだけでいい。

 

その髪から、ほのかに花の香りが立ちのぼる。

肩越しに感じる体温が、静かに彼の胸に沁みていった。

 

「……ありがとう。オレは、君を誇りに思う」

 

それだけを告げ、彼はそっと目を閉じた。

揺るぎない意志が、彼の心の底にしっかりと根を張る音がした。

 

 

(黄泉が言うように、確かにオレは目的のためなら手段を選ばない。ただ、その目的は大きく変わったんだ)

 

人は誰かのためを想い、自分を超える力を引き出す。

それは、蔵馬が人間として生きた年月から実感したことだった。

 

(護るものができたことを、お前は弱さだと判断したようだが、人間はそれを強さに変えることができる)

 

彼は大切なものを得て、昔よりも非情になる理由が増えた。

そして前以上に非情にもなる。

それが今の蔵馬の揺るぎない強さだった。

 

 

 

その後、蔵馬は予防・治療薬の開発に一役買って、黄泉の国に莫大な利益をもたらした。

彼の名は国中に響き、冷静な頭脳と静かな手腕が「妖術」と称えられた。

 

その一方で、黄泉の国の№2の鯱が、ひどく悔しがっていた。

さらに鯱は、このとき有能だった側近を失い、不運続きの状態だった。

その矛先を向ける相手は、変わらずあの男のままで。

 

 

やがて謎多きカラツキ感染症は、何事もなかったかのように鎮静化した。

結局発生原因は何だったのか、誰にもわからずじまいだった。

 

ただ、風が通り過ぎたように、すべては静かに幕を閉じた。

 

そしてその沈黙の中で、誰も知らないひとつの真実だけが、蔵馬の胸の奥に眠っていた。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

♢おまけ

 

舗道の並木が風に揺れ、銀杏の葉がひらひらと足もとに落ちていく。

蔵馬は鞄を片手に持ち、いつもの帰路をゆっくり歩いていた。

 

角を曲がったとき、ふと、空気の中にやわらかな甘い香りが混じった。

焼き菓子の香ばしい匂い。それに、どこか微かな花の香りが重なっていた。

ほんのわずかに、彼の足が止まる。

 

(……まさか)

 

胸の奥に浮かんだ名を、彼は口唇の裏で押しとどめた。

確信するには早い。

ただ、香りの中に潜むその温度に、心はゆるく反応しているのを感じていた。

 

玄関を開けると、いつもより温かな空気が頬を包む。

懐かしい焼き菓子の香りに、ほのかに混ざる安息の芳しさ。

 

「……いい匂いがするね」

 

リビングに入ると、母がエプロン姿でキッチンに立っていた。

 

「おかえりなさい。久しぶりにバナナのパウンドケーキを作ったの。明日のほうが、味がなじんで美味しいけど……今、味見する?」

 

「うん。腹減ってるんだ」

 

差し出された皿の上には、ほんのり湯気を立てる一切れ。

フォークを入れると、しっとりとした感触が手に伝わる。

口に含むと、やわらかい甘みが舌の上でほぐれ、熟れたバナナの香りがふわりと鼻へ抜けた。

 

懐かしい。

けれど、どこか違う。

食べ進めるうちに、蔵馬の鋭い感覚が小さな違和感を捉えた。

 

「……母さん。今日のもすごく美味しいけど、何か隠し味を入れたり、作り方変えたの?」

 

問いかけると、母はふふっと声を弾ませて笑った。

 

「あら。違いに気づくなんて、さすがね。隠し味というよりも、作り手が違うのよ」

 

蔵馬はフォークを持つ手を止めた。

その瞬間、 胸の奥にふわりと温かい波がたつ。

 

(やっぱりそうか……)

 

心のどこかで予感していた答え。それを確信に変える母の一言。

彼はゆるく目を伏せ、笑みを浮かべる。

 

「……いつの間にか、オレのいないところで母さんと葵が仲よくしてるんだね。嬉しいよ」

 

その言葉を受けて、母はいたずらっぽく目を細めて笑った。

 

「あんまり葵ちゃんを取っちゃうと、秀一が妬いちゃうから気を付けるわ」

 

「それは心配しなくて大丈夫だよ」

 

そう答えながら、蔵馬は胸の奥に芽生えたくすぐったい想いをそっと抱きしめた。

誰かが自分の大切な人を優しく包んでくれている。

それだけで、世界が柔らかくなっていく。

 

 

 

数日後、葵と再会したのは、街中の小ぢんまりとしたカフェだった。

窓から差し込む午後の光は、店内のテーブルの上に淡く模様を描いていた。

葵はすでに席について、外を眺めていた。

その姿を見つけた瞬間、蔵馬の心は、また静かに弾んだ。

 

彼が席につくと、葵は不思議そうに首を傾げた。

 

 

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「何か良いことがあったの?」

 

「ん?そうだな……あったよ」

 

短く答え、彼は視線を窓の外へ流す。

ガラス越しの風景の中で、先日のことを思い出す。

それを言葉にするのは、なんとなく照れくさくて。

彼はふっと口の端を上げた。

ただ、こうして彼女と過ごす時間そのものが、今の自分にとっては最上のものだから。

 

「あなたが嬉しそうなのを見ると、私も嬉しくなるわ」

 

「……。」

 

その一言に、蔵馬の胸は甘く満たされる。

完全に思考が停止した。

静かな店内に、コーヒーカップが触れる小さな音が響く。

 

彼はゆるやかに席を立つ。

身を少し傾け、木のテーブルを挟んで向かい側にいる彼女を手招きした。

当然のように、素直なこの人は顔を寄せてくれる。

 

蔵馬は、彼女の右の耳元に顔を寄せた。

妖怪同士、このように近い距離で話さなくても十分小声で会話は可能だ。

しかし、彼はあえてこの距離で小さく囁いた。右手で葵の顔を隠すようにして。

 

 

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「……ごちそうさま」

 

彼女のなめらかな頬に、柔らかな熱が触れた。

口唇が離れた瞬間、茶目っ気たっぷりの少年のような笑顔を送る。そして飄々と席に戻った。

葵は何を言われたのか分からずに、瞬きを繰り返していた。

そして、遅れて自分の左頬に残る温もりにそっと手を当てた。

 

そんな彼女の無防備な仕草すら、蔵馬にはたまらない。

心の奥が、じんわりと甘く、温かく染まっていく。

このぬくもりを大切にしていきたい。そんな想いを、彼はひとり胸の奥に沈めた。

 




これで12章終わりです。この後、短編を挟んでから、本編13章へ入ります。

13章では魔界編の終盤当たりまで進みます。
いろんな展開が入り混じった長い章となりますので、お楽しみいただければ嬉しいです。

短編はこちらにアップ予定➡
「アカシヤー蔵馬に咲いた花ー 短編」
https://syosetu.org/novel/378019/
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