アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第72話

 

魔界の喧騒とは異なる、人間界の静かな室内。

何年も同じ風景を見て過ごしてきたのに、彼女がいると空気が変わる。

その柔らかいゆらぎが、気持ちを一段と深く沈めていく。

 

 

「RPGをしていて思うんだけど」

 

葵が、ぽつりと息を漏らすように話を切り出した。

どうやら彼女は、師範の所で格闘ゲームだけでなくRPGも覚えてきたようだ。

好奇心でふわりと開く目に、蔵馬は自然と視線を向ける。

 

(……始まるな)

 

今度はどんな感性と言葉で、自分を揺らしてくるのか。

期待と知的欲求が彼の中に静かに広がる。

 

「一般的に、僧侶や魔法使いのような頭脳派は、武器や素手による攻撃力は低めに設定されてるのよね。でも蔵馬は、知的能力が高くて、戦っても強くて、特殊能力も秀でてる。RPGの原則からしたら、チート級の反則キャラだわ」

 

何を言い出すかと思えば、ゲームを例えに自分のことを言ってくるとは。

蔵馬はやれやれと小さく息を洩らした。

笑うというより、肩の力が抜けていくような、微妙な温度を含んだ仕草。

コントローラーを指先で弄びながら、心の奥に浮かぶ熱を静かに噛みしめる。

 

「そう言われてもなぁ。人間界のゲームは、人間を基準に作っているからね。妖怪のオレと比較するのは、どうなんだろうね」

 

「まぁ、そうよね」

 

「でも」

 

蔵馬はほんの一呼吸おいて、言葉を継いだ。

 

「葵は、そう思ってくれているんだね」

 

「?」

 

彼女が小首を傾げると、結わえた象牙色の髪に桃色の光が淡く滲んだ。

 

当たり前のように言われてきたことも、彼女の口から語られると、妙に新鮮に胸を打った。

惚れた腫れたとは、きっとこういう瞬間を言うのだろう。

 

(まったく……どうしてこう、簡単に心の中心に触れてくるんだろう)

 

けれど、悪くない。いや、それどころではない。

そんな自分もいることが面白い。

 

柔らかく無音の微笑みで自分を見つめる蔵馬に、葵は不思議そうにのぞき込む。

 

「どうしたの?」

 

体が触れそうで触れない、そのわずかな距離。

その絶妙な隙間が、かえって胸の奥を疼かせた。

 

「……なんでもないよ」

 

視線をそらし、心のうちで彼女への愛しさを飲み込んだ。

室内の暖房がレースのカーテンを小さく揺らした。

 

 

「君こそ、生まれた時から肉体は成熟しているから、ある意味レベルMax級のチートキャラなんじゃないか?」

 

「Maxかしら?」

 

「うん。戦いながら特技を覚えるタイプということで」

 

「まぁ……そういう考え方もあるわよね」

 

葵は苦笑しながら頷いたが、その表情はどこかすっきりしない。

こういう反応をするのも貴重で、なかなか見ごたえがある。

この男がそれを見過ごすはずがない。

 

「あ。あんまり納得してない顔してる」

 

「なんというか……蔵馬がMaxレベル99だとしたら、きっと私は……よくて33になるわ。実際にRPGで使うなら、蔵馬のキャラのほうが絶対強いもの」

 

客観的かつ率直に自分と蔵馬の妖力を比較して語る葵の言葉は、彼の琴線に触れた。

目元と口元が緩む。

 

「はは。その例え、面白いな」

 

彼女の珍しく少し拗ねたような何とも言えない気配。

それを微笑ましく思いながらも、彼の心の中では別の言葉が湧き上がっていた。

 

(オレに、勝とうとしなくてもいい。もうとっくに、君は何度だって、オレを降参させているんだ……)

 

 

葵が座る場所から、ほんのりと漂う酔芙蓉の甘い香り。

その香りは、参謀として滞在した魔界での時間を和ませる。

その声は潤いを帯びていて、耳に触れるたびに神経がひとつひとつほどけていくようだ。

 

なんだろう、突然夢を見ているような感覚になった。

ふと、そんな錯覚に陥るほどに体は緩み、意識がわずかに揺らいだ。

 

気づけば、蔵馬の体は自然と動いていた。

前触れなく、彼は隣の彼女の肩口にそっと顔をうずめた。

瞼が自然と降りていく。

 

「……っ。蔵馬?」

 

葵は無意識に、彼の頭に手を伸ばした。

寄りかかる適度な重みと、静かに心をくすぐる涼やかな香りが濃くなる。

 

彼女の指先がそっと自分の髪に触れた瞬間、更に夢見心地にさせられる。

 

(まったく、どれだけ癒してくれるつもりなんだろう……)

 

言葉にならない苦笑とともに、蔵馬は小さく呟いた。

 

「正直に話すと……今、かなり眠いんだ」

 

「……言ってくれたら良かったのに」

 

「突然、来たんだ……」

 

囁くように答える蔵馬の声は、すでに夢とうつつの間を漂っているように繊細だった。

 

彼女と何気ない話をしていると、帰ってきたという実感が胸に湧く。

無意識下で、張り詰めていた何かが剥がれ落ちていく。

葵の存在そのものを感じていると、安息感が、どうしようもない眠気に変わっていった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「少し寝る?」

 

「……うん」

 

短く応えると、蔵馬は重たい瞼を上げた。

その目は、ふわりととろけたような色をしていた。

 

いつもは理知的で隙のない彼に、こんな無防備な表情が宿るのか。

初めてみる蔵馬の様子に、疲れているのかと本気で彼女が案じていると。

 

 

 

「……え?」

 

声が形になるより先に、視界がふっと浮いた。

蔵馬は軽やかに、一片のためらいもなく、彼女をひょいと抱き上げた。

そのまま当然のように、ベッドに葵を下ろす。

スプリングの軋む音に、葵は状況を理解した。

 

「君も一緒」

 

ぽそりと、命じるでもなく、甘えるでもない。

ただ当たり前のように発せられた一言。

葵が何か返す前に、彼の腕は自然に彼女を囲い込んでいた。

力は強くない。けれども、離す気など微塵も感じさせない抱き方だった。

 

蔵馬は小さく目を細め、ふっと笑う。

そのまま瞼を閉じると、長い睫毛が静かに影を落とした。

彼にとって、何よりの至福のひとときだった。

呼吸がゆっくりと揃い、室内の気配までが落ち着いていく。

 

(これほど、疲れていたのかしら)

 

微かな寝息を立て始める蔵馬を見つめながら、葵はそっと彼を抱きしめ返す。

指先が触れた背中は、まだ少し何かを背負っているように感じた。

彼女は意識を静め、妖気を細く、やさしく流し始めた。

 

蔵馬の穏やかな横顔に、胸が温かくなる。

いつの間にか、葵もつられるように、そっと目を閉じた。

彼の心音を数えるように、寄り添ったまま、同じ眠りへと沈んでいった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

午後3時。

冬のやわらかな陽光が、カーテンの隙間から細く差し込み、部屋の中を温かく照らしていた。

 

蔵馬はまどろみの中で瞼を持ち上げ、目元に手をかざして光を遮る。

 

隣にぴったりと寄り添う彼女のセーター越しに伝わる体温と、密着している肌の距離が心地よい。

伝わる妖気が、真綿で包まれるように柔らかくて、意識はまだ夢の縁にあるようだった。

 

左腕を少し動かし、眠る葵を引き寄せる。

その軽さと、しなやかな感触に、呼吸がわずかに深くなった。

 

体の細胞が活性して、妖気も安定していることから、彼女が気を送っていたのがわかる。

横に視線を向けると、すぐそこに、安らかな寝顔があった。

彼にすべてを預けきった表情。

 

(オレも熟睡できたけど、それ以上に寝てるとはね……)

 

蔵馬は、ごく小さく息を吐く。

そしてそのまま、頬にそっと口づけた。

触れるか触れないかの、羽毛のような一瞬。

 

かすかな声で名前を呼んでみる。

けれど、葵は微動だにしない。

信頼ゆえの無防備。嬉しくて切ない。

胸の奥に疼きを残す。

 

おそらく、これ以上の領域に踏み込んでも、彼女は受け入れるだろう。

でも今の蔵馬はそれを選ばない。大切なものほど、急がない。

慈しむ時間を惜しまない。その選択を、迷いなく取る。

 

 

少し口を開いて眠る葵に、彼は静かに笑った。

愛してやまない、可愛くてしょうがない。

そんな言葉を超えた想いがあって、月並みな表現ではきっと伝えきれない。

 

好きな所はたくさんあるのに、どうしてこの人なのか、理由は見つからない。

恋い焦がれるのに、理由はないから。理屈じゃないから。

蔵馬は言葉ではなく、行動で伝える。

 

彼は葵に顔を近づけた。

二人の口唇が重なる。そしてその口唇に囁くように、音にならないほど低く言った。

 

 

『葵……愛してる』

 

 

声にしなかった深い告白だった。

 

名残惜しく、花のような口唇から離れると、今度はそっと首元へと顔を寄せる。

彼女の皮膚は柔肌で、傷つきやすい。

花びらに触れるように、慎重に、愛おしむように首筋に沿って温度を残す。

 

無防備な葵に、いたずらを仕掛けたくなるのは彼の悪い癖。

体の感覚が鈍い彼女は、蔵馬がそれなりのちょっかいを出しても反応が薄い。

だからといって、彼のいたずら心がエスカレートしていいという理由にはならないのだが。

 

この男は、その境界線ぎりぎりを見極めて、半ば挑戦的に楽しみながら攻める。

本当に例えようのない性格をしている。

蔵馬に惚れられるということは、こういうことのようだ。

 

少しだけ、くすぐるように、揺さぶるように。葵の感覚をそっと呼び起こす。

やがて彼女が小さく身じろぎした。

際どいラインを行ったり来たりする彼は、やはりクールな反面好戦的だった。

そして好戦的な本能を理性で飼い慣らす、その間合いこそ、まさに蔵馬だった。

 

 

 

「……起きた?」

 

低く甘く、艶のある声が耳元近くで出迎える。

葵はゆっくりと瞬きをし、焦点の合わないまま天井を見る。

見慣れた蔵馬の部屋だった。

 

「……いつの間にか、寝ていたのね」

 

掠れた声。

眠りの縁から引き上げられたばかりの、曖昧な調子だった。

そのまま軽く伸びをして、無意識に布団を探すように指を動かす。

 

蔵馬はそれを見て、ほんのわずか口角を上げた。

起こされていると知らずに、穏やかに答える彼女がなんともいえない。

 

「うん」

 

短い返事。

それ以上でもそれ以下でもない、穏やかな肯定。

 

「なんだか………不思議な夢を見たわ」

 

葵は夢うつつの状態で、彼の胸元のあたりに視線を落とす。

その距離の近さに、今さら気づいたように軽く首を傾げた。

 

「どんな夢?」

 

「……眠たいのに、何かが布団をはぎ取ったり、髪を引っ張ったりと邪魔をして、寝させてくれないの」

 

ぼんやりとした目で彼を見上げながら微笑む彼女に、蔵馬は一瞬だけ視線を逸らし、肩を揺らして小さく息を漏らした。

まるで悪戯を見破られた子どものように。

 

「ははっ……それは大変だったね」

 

この男らしく、それ以上は語らない。

ただ、彼女の髪に触れた指先を、そっと引っ込めるだけだ。

そして心の奥で、彼女の純真無垢さを噛みしめる。

 

 

一方で、何も知らない葵は、無邪気に笑う蔵馬を見上げて、静かに嬉しくなった。

この人がたまに見せる、少年のような顔を見るのが、好きだった。

 

(こんなにも、心を預けられる人がいるなんて……)

 

彼女の胸の奥に、温かい波紋が広がっていく。

改めて、蔵馬の一途な想いを受け入れている自分に気づき、静かにその胸は高鳴った。

 




このRPGの会話、けっこう好きです。私も二人の会話に加わりたい。
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