アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

75 / 90
前書き:今回は、今までで一番大人な表現(R15内)を含みます。
更新が8時ということで、朝からすみません。
大丈夫な方のみ、お進みください。



最愛

レースのカーテン越しに、青白い夜の光が支配する。

月明かりは直接ではなく、細い糸のように室内へほどけて流れている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵は窓辺に立ち、カーテンの隙間から星を眺めていた。

星は多くない。

それでも、点々と瞬く光を追うその横顔は、現実と夢の境目にいるかのごとく。

植物のような静かな呼吸。

結びを解いた髪が夜気にかすかに揺れている。

 

灯りが消えた部屋の中、その立ち姿が、美しく彼を誘う。

蔵馬は少し離れた場所で、その背中を見ていた。

 

花に吸い寄せられ、彼が踏み出す。

足取りは音を立てず、ただ影が重なるように距離を詰める。

背後に立った瞬間、彼女の体温が、夜の冷気に混じって伝わってきた。

 

腕を回す。

抱き寄せる力は控えめで、逃げ道を残したまま。

葵は驚いた様子もなく、彼の腕の中で静かに息を吸った。

 

ゆっくりと振り向き、深い視線が絡む。

 

「……蔵馬」

 

潤いのある声が、彼の深い琴線に触れる。澄んだ瞳の奥に、静かに魔の熱情の色がさす。

蔵馬はわずかに目を細め、顔を傾けた。

距離を詰めるたび、互いの呼吸が重なり、視界には相手しか映らなくなる。

 

葵が目を閉じる。

その合図を待っていたかのように、蔵馬の口唇が触れた。

深くはない。

けれど、確かめるような接触。

時折、彼女の口唇を引き寄せる動きが混じり、そのわずかな性急さが、いつもの彼とは違うことを物語っていた。

 

口唇が簡単に触れる距離で、蔵馬は彼女の顎にそっと手を添える。

指先が、熱く静止する。

 

「……舌、出して」

 

ほんのわずかに息を含ませながら柔らかく落ちる声。

命令や懇願というよりも、確かめるような響きだった。

 

葵は一瞬だけ間を置いた。

胸の奥で何かを探すように。そして覚悟を決めた。

言われたように、葵は口を少し開いて、舌を差し出す。

 

すぐ目の前で、彼の舌がそれをなぞり、舐め上げた。

 

「……っ」

 

ぞわり、と背中を走る感覚。

鈍いはずの彼女の感覚が、急に輪郭を持ち、小さく声が漏れる。

反射的に身を引きかけたその腰を、蔵馬の手が支えた。

 

「逃がさないよ」

 

囁きと同時に、口づけが深まる。

彼の舌が、ためらいなく口内へ入り込み、吐息と熱が混ざり合う。

彼女の声を塞ぐように、口唇が、舌が、間を埋める。

 

葵が着ているのは、彼のシャツ。

その裾から、蔵馬の指が滑り込み、腰のラインをなぞる。

ゆっくりと、確かめるように。

 

戸惑うけど、嫌ではなくて。切なくて甘美な刺激が胸の奥に溜まり、意識が揺れる。

 

「今日のあなたは………妖艶ね」

 

「……君が、扇情的なんだ」

 

「そんなところも……お互い様なのね」

 

口唇が離れて、見つめあう。

葵の視界には、今の蔵馬の姿に、妖狐の姿がうっすらと重なって見える。

声も、南野秀一と妖狐の蔵馬の二重に聞こえる。

理知的で繊細な音に、怪しく荘厳で、圧倒的な存在感を放つ音が、葵に向けられる。

完全な蔵馬として統合されつつある状態で、彼は葵への愛と向き合っていた。

 

「嫌だったら……抵抗したらいい」

 

お互いの口唇が再会する。

蔵馬からは、いつもの彼の匂いに、ビターで神秘的な香りが重なっていた。

妖狐の彼のものだった。

 

「嫌じゃ……ないわ」

 

口づけの合間に、葵は息混じりに告げる。

 

「これも……あなただから」

 

その言葉に、蔵馬の指先の力がわずかに強まる。

口唇を離さないまま、低く声が落ちる。お互いの吐息がかかる。

 

「その言葉も……そそられる」

 

葵の全てが、蔵馬の心を捉えてやまない。

一線を超えるか超えないかの瀬戸際にある二人。

蔵馬は彼女の口唇に、静かに問う。

 

 

「オレは……いつか、葵を……」

 

発音のたびに柔らかな口唇が擦れ、呼吸が絡む。

その刺激が、言葉以上に熱と意味を帯びて伝わる。

 

「おかしくするかもしれない……」

 

息が混ざり、彼女のぬくもりを感じながら、言葉を触れさせるという刺激は、心も魂も震えるものだった。

 

感じる言葉、感じさせる言葉の愛の表現。

彼女の表情、温度、呼吸の変化を肌で受け取り、今この瞬間を鮮明に体に刻み込む。

言葉すら愛撫したまま、心からの誓いのように、目の前の人に届けたい。

この行為は、蔵馬の本音だった。

 

口唇は、肉体の中でも特に繊細な感覚をもつ場所。

蔵馬が言葉を発するたびに、合わさる口唇から振動が伝わり、葵は甘美に痺れたように震える。そして、吐息混じりの低い声が、息吹が、種火のように自分の中へ沈んでいく。

繊細で濃密な刺激に、胸が高鳴る。

 

夜気すら熱を帯びる中、彼の言葉は、確かに彼女に届いた。

 

「それもまた……この上ない、喜びになるわ」

 

葵はそっと目を閉じ、口唇を重ねたまま静かに答えた。

影すらも肯定する言葉だった。

 

――承諾を得たということは、この一線を越えていいということ。

 

 

夜は深く、静かだった。ここが人間界だと忘れるほどに。

青白い月明かりの中で、二人の影は重なり、ほどけ、また寄り添う。

 

今宵は、蔵馬の内に流れる妖怪としての血潮がたぎる。

男であり、妖怪である存在が、恋い焦がれる花を前にして、衝動を駆られずにいられるはずがない。

自由に咲き、誰のものにもならない花を、この腕に抱き、護り、そして愛でたい。

 

口唇が離れると、彼の舌はゆっくりと葵の首筋を辿った。

耳元から鎖骨へ、確かめるように。

彼女の体が、微かに息を吸うたび、その熱が肌という境界線を通して伝わる。

 

 

蔵馬は口で器用にブラウスの上のボタンを二つ外す。

襟元を広げ、口づけが落ちる。

木目の細かい肌が、月明かりを受けて青白く光る。

 

「……きれいだ」

 

低く、思わず零れたような声。

それでも抵抗はなく、彼女は花色の吐息をこぼしながら軽く身をよじるだけだった。

その反応もいじらしく、彼の視線をさらに深く引き寄せる。

葵はこの先に何が待っているのか、分かっている様子だった。

 

 

蔵馬は彼女を横抱きにすると、ベッドへと身を沈めた。

シーツが擦れる小さな音が、夜の静けさに混ざる。

その甘美な口唇に誘われて、深い口づけが再開する。

 

舌が絡み、呼吸が混ざり合う。

口内に広がる湿った熱と、互いの温度。

葵のくぐもった声が、時折、彼の喉元を震わせた。

 

蔵馬は、なおも余裕を失わず、彼女の舌を捕らえ続ける。

その長い指は際どい境界線をなぞるように、頬から首、胸元、腹へと素肌を滑らせる。

触れるたびに、葵の腰が小さく動く。

 

自分を、男として意識している。

その事実が、彼の動きをより慎重に、より深いものへと変えていた。

 

口唇が離れる。

闇の中で、彼女の濡れた瞳と、赤く潤んだ口唇がほのかに光る。

蔵馬はブラウスの裾を少したくし上げると、腹部、腰に口づけを贈る。

その瞬間、彼女の体がぴくりと跳ねる。

彼はそれを見逃さず、すぐに動きを止めた。

 

「大丈夫だ」

 

彼女の体を覆うようにしながら、静かに告げる。

 

「これ以上は……しない」

 

葵は、彼の顔を見つめたまま、ためらいなく想いを伝えた。

 

「私は……あなたにゆだねるわ」

 

 

その言葉に、蔵馬の胸がふるえた。

視線が揺れ、喉がわずかに上下する。

舌で撫でながら見上げると、彼女は柔らかく微笑んでいた。

確かな覚悟と、信頼が宿った双眸。

 

ゆっくりと体を起こし、彼は横たわる彼女を胸に抱き寄せた。

シーツのこすれる音と、ベッドのきしむ音が夜の空気に小さく響く。

時がゆっくりと引き伸ばされる。

 

熱くなった体を合わせる、ただそれだけで心地よい。

彼は顔を上げ、ほんの数センチの距離で彼女を見つめた。

 

すると、葵が彼の背中にそっと腕を回した。

見つめ合いながら、重なる胸からする調べ。

二人の鼓動が、音楽を奏でているように聞こえる。

 

星を宿したような瞳が、青白い光の中で煌めく。

どんな貴い宝石よりもきれいで、その目を見ていると、彼の心は、魂は、細かく震える。

 

たまらなく、愛おしかった。

――彼女にずっと言ってなかったことがある。

 

蔵馬はその想いを、ようやく口にする。

深い眼差しは、誠実で、揺るがない。

 

 

「葵……」

 

呼びかける声は柔らかく、葵の深いところに届く。

 

「オレにとっては……どんな至宝のものや美しいものよりも、君が……最愛のものだ」

 

ほんのわずかに息を含ませた、柔らかく繊細な声が、たった一人に向けられる。

葵の心と魂は、静かに震えた。

誰よりも優しく、誰よりも強く、そして誰よりも静かな情熱を持ったこの人が。

葵という花を、「美しいから」ではなく、「最愛だから」と抱きしめている。

 

胸の奥がじんわりと熱くなる。

葵は目を潤ませながら、微笑んで答えた。

 

「……蔵馬。……ありがとう」

 

(私も、あなたを最愛と想っているわ……)

 

時は引き伸ばされたまま、夜はまだ続いていった。

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

2月初旬。教室の窓から差し込む光は弱く、冬雲独特の灰色をしていた。

午後の物理の授業。黒板には式が並び、チョークの粉が細かく舞っている。

南野秀一、蔵馬は教科書の行間を目で追いながら、別の層に意識を沈めていた。

ページをめくる指は正確で、姿勢も崩れていない。

だがその奥で、もう一つの世界が、静かに息づいている。

 

 

月明かりに照らされた肌。囁きのような吐息。

指先に伝わった、柔らかなぬくもり。

 

「私は……あなたにゆだねるわ」

 

その声が、胸の奥で微かに反響する。

ふと、手元のシャープペンが止まった。

ノートに描かれていた物理の図形が、意味を失い、彼の意識の底へ滑り落ちた。

 

あの夜の葵の瞳。迷いなく、澄んだ眼差し。

妖怪としての自分、人間としての自分にも怯えることなく、彼女はただ静かに受け入れていた。

 

「これ以上は……しない」

 

そう告げたときの、自分の声。

響きの奥にあったものが、何だったのか。

彼女を護るための決意か、それとも試すような脆さだったのか。

今も、明確な輪郭は掴めない。

 

けれど確かなのは、あの瞬間、彼女の意志に触れ、救われたという事実だった。

葵の「ゆだねる」という覚悟と信頼が、蔵馬の心を溶かし、最も深い愛を引き出すこととなった。

 

 

意識の深淵でそっと名前を呼ぶ。

ほんの一瞬、教室の空気が変わるような気がした。

 

冬の静けさに満ちた午後。

黒板を滑るチョークの音、生徒たちの筆記音。

規則正しく流れる時間の中で、彼だけが、わずかに外側に立っている。

 

「では、次のページを開いて」

 

教師の声が聞こえる。

蔵馬は表情を変えず、教科書をめくった。

いつも通りの「南野秀一」としての側面。

その振る舞いは自然で、誰の目にも疑いは映らない。

 

それでも、胸の奥には、昨夜の熱が、静かにくすぶっている。

葵が身を預けた腕の重み。

触れ合った口唇の感触。

吐息がかすかに震えた瞬間。

そして何より、彼女の中に確かに芽吹いていた覚悟と信頼。

 

「オレは、いつか葵を……おかしくするかもしれない」

 

その言葉は、自身の中に潜む獣性を隠さず差し出したつもりだった。

妖怪としての衝動。

制御と本能の境界。

 

だが、彼女は退かなかった。

その影さえも、抱きとめるように、静かに受け入れた。

 

そのことが、彼の内側に、ゆっくりと変化をもたらしていく。

何かが削がれるのではなく、何かが増えていくような感覚。

音もなく、色づくように。

 

 

恋とは、こんなふうに心の奥から人を染めていくものなのか。

自分を偽らず、誰かを想い、その想いを返されることが、これほどまでに深く静かな喜びとなるとは、知らなかった。

 

 

ふと、視線を窓の外に向ける。

枯れ枝ばかりの梅の木が、風に揺れていた。

花は、まだない。

けれど、枝の先には、確かに春の兆しが宿っている。

 

ペンを走らせながら、蔵馬はわずかに息を整えた。

 

(……昨夜から、また何かが変わりはじめた)

 

その変化は、悪くない。

むしろ、自然で、抗いがたいものだった。

 

教室に戻した意識のその裏側で。

彼の心は、静かに、まっすぐに、想い人のほうへと微笑んでいた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。