アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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第80話

商談を終えた赤星は、蔵馬と葵を交互に見た。

 

「そういや、兄さん。今日は何かの偵察かい?」

 

赤星の問いに、蔵馬は一度彼女に視線を向けた。

 

「……いや、帰るところなんだ」

 

その言葉に、葵は目を丸くした。

黄泉と躯の国家解散と魔界統一トーナメントの話は聞いていたが、こんなに早く彼の仕事が落ち着くとは思っていなかった。

 

 

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「よし、葵!今日は店じまいだ!帰った帰った!」

 

赤星は急に声を張り上げる。

 

「あの、先月の場所代がまだ……」

 

「そんなもん、今度でいい!兄さんと帰んな!」

 

無邪気に笑って、赤星は葵と蔵馬の背中をずいっと押した。

二人は半ば強引に、店の外へ出る形となった。

途端に市場の賑やかな音がする。

 

振り返ると、赤星は満足そうに手を振っている。

顔を見合わせ、自然と微笑みがこぼれた。

そして肩を並べて歩き出す。

 

雑踏を抜けると、空が頭上に広がっていた。

蔵馬は歩調を少しだけ落とし、そっと彼女を見る。

ほんのわずかに、表情が緩む。

 

「一度……君が働いているところを、見てみたかったんだ」

 

(ありがとう……)

 

葵は胸の奥がぽっと温かくなった。

彼が自分の日常に目を向けてくれたことが、嬉しかった。

 

魔界の空は、どこまでも(くら)く、静かだ。

人間界の空のように色鮮やかでもなく、霊界のようにどこまでも高くもない。

 

それでも――。

葵はこの空を後ろ向きに思ったことは一度もなかった。

今、同じ空の下で隣を歩いていることに、彼女は花笑む顔を彼に贈る。

 

 

 

歩く歩幅をわずかに揃えながら、蔵馬はゆっくりと口を開いた。

足元の岩肌を踏む音は控えめで、この地域特有の乾いた大地の感触が靴底を通して伝わってくる。

彼の声は余分な感情を削ぎ落とした静けさがあったが、冷たくはなかった。

 

「……国家が解散するまでの流れは、君も聞いたと思うけど……。要因の大半は、幽助の行動にある」

 

前方を見据えたまま、彼は言葉を選ぶように続ける。

 

「黄泉との対談で、魔界統一トーナメントを提案した。あれが、すべての引き金になった」

 

友人の幽助と黄泉との対談に居合わせた蔵馬は、それらを誇張せず、ただ「見てきた事実」として運んでくる。

内容は整理されていて、経緯と今後の展望が想像しやすかった。

 

「このトーナメントは、魔界のすべてを巻き込むだろう。 霊界も、人間界も、静観できる状況じゃない。勝者によって、魔界の統治形態が大きく変わる」

 

葵は歩みを緩めることなく、静かに頷いた。岩陰を抜ける風が、彼女の髪を揺らしている。

 

「でも……あなたはどこか、楽しそうね」

 

唐突なのはいつものこと。そして不思議と的を外さない言葉だった。

 

「……そう見える?」

 

蔵馬は一瞬だけ、横目で彼女を見た。

 

「ええ」

 

短い肯定。

蔵馬の口唇が、ほんのわずかに緩んだ。

それは自嘲でも皮肉でもなく、世界の歪みすら観察対象として受け入れている者の、静かな好奇心だった。

 

「国家が解散されたことで、あなたは自由になったのよね?」

 

葵にとっては、ごく自然な質問。

しかし蔵馬にとっては、心の奥底を撫でられるような言葉だった。

 

「……ああ」

 

彼はさらに歩調を落とす。

黄泉の国の軍事参謀長という肩書きも、過去の義務もすでに手放した。

今はただの蔵馬だ。

彼の手に残っているのは――自分がどうありたいか、という問いだけだった。

 

葵はふと、隣を見上げた。

彼は前を向いたままだったが、その横顔はどこか穏やかで、計算高い気配が薄れている。

 

「あなたは、あなたの好きな所で……大切な人と生きたらいい。そう思ってた」

 

静かで柔らかな声。

澄んだ水が、石の隙間にゆっくりと染み込むように、その言葉は蔵馬の内側に届いた。

 

彼は何も言わなかった。

ただ、呼吸が一つ、深くなる。

――この人は、言葉にしない部分まで見ている。

 

「だから、それを聞いて……私は嬉しいわ」

 

葵の言葉に、蔵馬の瞳がわずかに動いた。確かに受け取った、という小さな反応。

その『大切な人』には、人間界の家族も含まれているが――。

 

「……葵」

 

名前を呼んで、蔵馬は歩みを止めた。

魔界の乾いた風が吹き抜けて、二人の髪と服を揺らしている。

 

「オレは、魔界統一トーナメントに出るつもりだ」

 

彼女から視線を逸らさず、静かに告げる。

 

「今のオレで、どこまでできるか……試してみたい。そして、区切りのような意味もある」

 

ゆっくりと言葉を締めくくる語尾は柔らかく、その声は繊細でいて芯の強さを持っていた。

星を宿したような葵の瞳が、その決意をまっすぐ受け止め、ほのかに煌めいた。

彼女の持つ、安息のような香りが、風と共に届く。

 

「もう少し……オレのわがままに、付き合ってくれる?」

 

蔵馬は、葵にそっと近づいた。

まっすぐ見つめる彼の眼差しに、かすかな弱さと、隠さない意志を携えて。

葵は、その言葉を胸の奥にそっとしまい込む。

そして、ふわっと花がほどけるように微笑んだ。

 

「あなたのわがままは、わがままとは思わないわ。……もちろんよ」

 

蔵馬は、静かに目を細めた。

迷いなく一歩踏み出し、万感の想いを込めて、葵を抱きしめた。

 

「……ありがとう」

 

その声には、ほんのわずかな揺らぎが混ざっていた。

感謝なのか、安堵なのか、それとも――

蔵馬自身も、正確な名を与えていない感情だった。

 

 

 

やがて、二人は別れの気配を察し合い、自然に距離を取った。

葵は亜空間移動で。

蔵馬は、魔界から人間界への一方通行の転移装置の場所へと向かう。

振り返ることなく、それぞれ人間界に戻ってきた。

 

 

夕暮れの風が、街路樹の葉を静かに鳴らしている。

魔界とは違い、人間界の空はどこまでも澄んで穏やかだった。

茜色に染まりかけた雲が、ゆっくりと流れていく。

 

歩みを進める途中、蔵馬はふと感じた馴染みのある香りに、思わず足を止めた。

柔らかく、透明で、ほんのりと甘く、そしてどこか懐かしい。

胸の奥が、自然とほどけていく。

 

(……葵)

 

考えるより先に、確信が芽吹く。

彼は無意識のうちに歩調を速め、家路を急いだ。

 

玄関に入るより先に、視界の端に白い気配が映る。

蔵馬は静かに立ち止まった。

庭先の木。

その枝に、見慣れた姿があった。

夕映えを受けて、象牙色の髪が淡く光り、ふわりと風に揺れている。

 

 

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葵は枝に腰かけるようにして、静かにそこにいた。

まるで、最初からそこにいるのが当たり前だったかのように。

 

「……おかえりなさい、蔵馬」

 

その声は、人間界の風の音に柔らかく溶けながら、彼の耳に届いた。

蔵馬は目を細め、小さく息をついた。

 

「ただいま」

 

言葉はたったそれだけだったのに、胸の奥は反応する。

魔界と人間界――。

異なる世界を行き来する中で、ここに戻り、彼女がいる。

それが全てだった。

 

(……この人は、オレと同じ世界で生きている)

 

 

葵は枝から軽やかに降りてきて、彼の前に立った。

言葉はいらなかった。

季節の風と、彼女の香りと、二人の沈黙が、時空をつないでいた。

 

蔵馬は、穏やかに微笑みながら、葵を見つめる。

愛しさが静かに胸を満たし、そっと手を伸ばした。

指先が触れ、絡み合う。

彼女の温度がここにある。

 

彼は視線を逸らさず、ほんの一瞬だけ指に力を込めた。

 

――オレは……この人に、手が届く自分でありたい。

 

 

 

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 

 

おまけ♢

 

 

魔界統一トーナメントを、1か月後に控えた頃。

魔界D地区の市場は、いつにも増して熱を帯びていた。

通りの一角にあるよろず屋の前だけ、妙に人だかりが絶えない。

賑やかな呼び声、ざわめく妖気、行き交う視線。

その中心に掲げられた木札には、筆太でこう記されている。

 

《入荷待ち御免! 惚れ薬・瑠璃睡蓮(るりすいれん)

ほんの一滴で、世界が甘く色づく !鎮静・多幸感・限定微幻作用つき(※自己責任で)≫

 

棚に並ぶ瓶は、青紫の蓮をそのまま封じ込めたような造形で、光を受けるたび、ゆらりと色を変えた。

蓋を開けた瞬間、ふわりと立ち上る香りは、柔らかく、どこか妖艶だ。

鼻先をかすめるだけで、胸の奥に溜まっていたものが、すっとほどけていくような錯覚を覚える。

 

「……確かに、これは危険だな」

「一滴で、ここまでくるとはな……」

 

噂は瞬く間に広がった。

服用した妖怪たちは、強烈な陶酔感を口々に語る。

 

――目に映るものすべてが、愛おしくなった。

――気づいたら、ずっと同じ相手を見つめていた。

――訳もなく、膝をついてしまった。

 

中には、より奇妙な体験を口にする者もいる。

 

「青い睡蓮が、視界いっぱいに咲いた」

「昔の恋人が、名前を呼んだ気がした」

「声だけが、耳元に残った」

 

効能には個体差があり、誰にどんな作用が出るのかはわからない。

それがまた、恐れと好奇心を煽り、《瑠璃睡蓮》はいつしか伝説として語られ始めていた。

 

 

「葵の亭主が作ったって?……どんな魔術師だよ」

「オレ、一生分の金使ってもいいから手に入れたい」

 

噂は噂を呼び、よろず屋といえば《瑠璃睡蓮》、と言われるほどになっていた。

表舞台の立役者である店主・赤星は、今日も豪快に笑っていた。

 

「いやぁ、仕入れのたびに即完売だよ!あれがまた、毒薬扱いで販売できるギリギリのラインを攻めててさ。クセになる連中があとを絶たねぇ!蔵馬の旦那は、いい性格してるぜ!」

 

棚の前では、葵が淡々と商品を整えていた。

瓶の向きを揃え、欠けや汚れがないかを確かめながら、淡々と手を動かす。

 

「葵、お前はすげえ亭主に見染められたもんだな!将来安泰だな!」

 

冗談めかした声に、葵は手を止めて振り返る。

顔が、ほんの少しだけ苦笑している。

 

「……そうね」

 

需要があるから売れるわけで。商売としては、確かに成り立っている。

けれど胸の奥には、言葉にならない違和感が、小さく残っていた。

 

占断師としては、心を惑わすものが果たしていいのかと思う反面、心が迷うからこそどうにかしたいという気持ちも理解できる。

(人間も妖怪も……心は、永遠のテーマなのね)

 

ふと、記憶に浮かぶのは、調合台に向かう蔵馬の横顔だった。

 

「危険だから……推奨はしない」

 

冷静に言いながら、正確に薬液を混ぜていく蔵馬は―――。

真顔で、けれどどこか楽しそうで。

 

(それにしても、蔵馬は本当に器用で多才ね)

 

妖怪として生まれて、まだ数年の自分。

対して、数千年を生きてきた蔵馬は、自分の知らない世界をあまりにも多く知っている。

 

葵は瓶を全て棚におさめ、静かに息をついた。

市場の喧騒の中で、《瑠璃睡蓮》の淡い不可思議な香りが、漂っていた。

 




瑠璃睡蓮の話は、書いててけっこうおもしろかったです。
蔵馬ならきっとどんな薬も作れてしまいそうです。

人間界で需要がありそうなのは、やせ薬、筋肉増強剤、育毛剤、睡眠薬などでしょうか。
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