アカシヤー蔵馬に咲いた花ー   作:hazeleye

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このシーンは、書いていてとても楽しかったです。蔵馬の同級生との会話って原作では海藤とのやりとりが印象的で、そのイメージで描いてみました。


第94話

二人はそのまま前を向き、歩みを続ける。

夕暮れの道に、二つの影が並ぶ。長く伸びた影は、ときおり重なり、また離れた。

しばらくして、言葉は自然に口をついた。

 

「あ、そうだ。今夜、家族は出かけているんだ。飯、食ってく?」

 

「食ってく」

 

間を置かずに返す。しかも、同じ言い回しで。

蔵馬の口元が、わずかに緩んだ。

行き先を考えながら歩いていると、ふと、別の記憶が浮かぶ。

 

「君の行きつけの場所、行ってみてもいい?」

 

そこは以前から聞いていた、彼女が人間界で見つけた場所。

葵は歩幅を変えず、頷いた。

 

「もちろん」

 

 

道は川沿いへと続いていた。

水面に映る夕日が揺れ、細かな光の粒が流れていく。

背後から、自転車のタイヤが舗道をなぞる音が近づいた。

風を切る気配が二人の横を抜け、少し先で止まる。

 

「……南野?」

 

振り返ったのは、見覚えのある顔。

生物部の同級生がハンドルに手をかけたまま、蔵馬と葵を交互に見比べている。

顔が少し驚いている。

 

「どうも」

 

蔵馬は軽く応じた。

 

「……隣の子が、噂の彼女か?」

 

「噂って、何のことだったかな」

 

「お前なぁ……」

 

呆れたような息がこぼれる。

そのやり取りを、葵は少し後ろで聞いていた。

蔵馬が同級生と話す姿――会話の調子、声の高さ、間の取り方は、どこか新鮮で、微笑ましく、彼女の知らない時間がそこにあった。

 

やがて同級生が身を寄せ、蔵馬の耳元へ声を落とす。

低い囁きは風に紛れるように流れたが、内容は妖怪である葵の耳にも静かに届いていた。

 

(お前、どこでこんな品の良い子と知り合ったんだよ? うちの生徒じゃないよな)

 

(それは、教えられないな)

 

(どこの高校? オレにも紹介しろよ)

 

(えー。どうしようかな……)

 

短く返した声は淡々としている。

同級生はなおも食い下がるが、蔵馬は曖昧に笑って受け流した。

その間に、葵の気配がふっと遠のく。

 

しばらくして、それに気づいた同級生が顔を上げて周囲を見回す。

 

「……オレ、気を悪くさせたか?」

 

蔵馬は視線を横へ滑らせる。

 

「大丈夫だ。向こうにいる」

 

示した先――土手の少し外れた場所。

かつて二人が初めて出会った頃に低木を植え替えた場所。

そこには、想像以上に大きく育った木が立っている。

葵はその幹に指先を添え、静かに立っている。見上げた先で、枝の影がゆるやかに揺れる。

――応えるように。

 

深い眼差しで、蔵馬は静かにその様子を見ていた。

 

やがて葵は手を離し、ゆっくりと土手を上がってくる。

足元の草が擦れ、小さな音を立てた。

二人の前に戻ると、蔵馬は自然な調子で口を開く。

 

「彼女は葵。……こちらは、生物部の同級生だ」

 

葵は自然に一礼する。

 

「はじめまして。秀一がお世話になっています」

 

 

【挿絵表示】

 

 

その一言に、同級生の表情が崩れる。

 

「……しゅ、秀一って」

 

「お前、顔に出てるぞ」

 

指摘を受けて、同級生は慌てて視線を逸らし、自転車へと戻る。

一言蔵馬に伝えると、ペダルを踏む音が遠ざかり、やがて風に溶けた。

 

再び、川沿いに静けさが降りる。

 

「私、何か変なことを言ったかしら? 人間界の挨拶をしたつもりだったけど」

 

葵は首を傾げる。

その様子に、蔵馬の口元がわずかに動いた。

 

「大丈夫だよ。彼が勝手に反応しただけだ」

 

それ以上は続けない。

葵も深く追わず、ただ小さく頷いた。

彼は一瞬だけ木へ視線を向ける。健やかな枝葉が夕風に揺れていた

 

夕日が沈み、空の色が少しずつ深くなる。

二人は並んで、また歩き出した。

 

 

川沿いの道を離れ、住宅街へ入ると空気が変わる。

夕飯時の匂いが、路地の奥から流れてくる。醤油と魚を焼く匂い、炊きたての米の甘さ。

家庭的な雰囲気を通り過ぎて、葵がある民家の前で足を止めた。

暖簾のかかる小さな食堂の前。布が風に揺れて、小さく音を立てる。

 

「こちらよ」

 

控えめな外観に比べ、店の中からは人の声と食器の触れ合う音がする。

蔵馬は看板を見上げ、一瞬だけ目を細めた。

 

(……ここか)

 

――雪村食堂

引き戸をカラカラと開けた瞬間、湯気とともに温かな空気が出迎える。

鉄板の上で肉が焼ける音、味噌の香り、鍋の蓋が開く軽い音。

鼻先に触れる熱と匂いが、体の奥へゆっくりと沈んでいく。

 

「いらっしゃい」

 

奥から声がかかる。

顔を上げた女性を見て、蔵馬の視線が一瞬だけ止まる。

幽助の幼馴染、雪村螢子(けいこ)の母親だ。

もちろん、葵はそのことを知らない。

 

(世の中、狭いな)

 

表情には出さず、彼は葵の後ろをついていく。

二人は空いているテーブル席に腰を下ろした。

椅子がきしりと鳴り、テーブルの木目に年季の入った傷が走っている。

 

「決まってる?」

 

「ええ。いつものにするわ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

葵は迷いなく豚汁定食を選ぶ。

蔵馬はメニュー表を一度だけ眺め、視線を上げる。

そしてカウンターの奥に声をかけた。

 

「おすすめ、ありますか?」

 

 

ほどなくして、湯気を立てた盆が運ばれてくる。

厚切りの豚肉に照りのあるタレ、千切りキャベツという店人気の生姜焼き定食は、彼が選んだもの。

葵の前には、大きな椀の豚汁と白い湯気を立てる多めに盛られたご飯。

 

「……いい匂い」

 

葵は顔を寄せ、立ちのぼる湯気をそっと吸い込んだ。

白い蒸気が頬をかすめ、目元がわずかにほどける。

 

「一口、交換する?」

 

彼女が箸を伸ばすより早く、蔵馬は自分の皿を差し出す。

木の卓に触れる小さな音。

葵も応じるように椀を差し出す。湯気の向こうで、視線が重なった。

 

「じゃあ、こちらを」

 

「ありがとう」

 

豚汁の具材は大きく、味噌のやさしい香りが広がる。

生姜焼きの濃いタレは舌に残り、すぐに白米を欲する味だ。

葵は小さく息をついた。

 

「……おいしい」

 

その声は、ほとんど独り言に近い。

向かいで蔵馬は、静かに咀嚼を続ける。

動きに無駄はないが、箸の運びがわずかに緩やかになった。

 

その様子を、カウンター越しに見ていた雪村夫妻が声をかけてくる。

 

「若いっていいねぇ!」

 

「ねえ、お嬢ちゃん。こんなきれいな男前、どこで知り合ったんだい?」

 

突然の言葉に、葵は瞬きを繰り返した。

 

(きれいな男前、ね )

 

思わず心の中で言葉を反芻する。言葉の形が、そのまま彼をなぞるようだった。

当の本人は、涼しい顔で味噌汁を口に運んでいた。

葵はふっと微笑むと、真っ直ぐな眼差しで言った。

 

「同級生なんです」

 

「……。」

箸を持つ蔵馬の手は止まらない。ただ、ごくわずかに肩の力が抜ける。

少し前の記憶が、一瞬だけ脳裏をよぎった

 

――まるで本当の同級生みたいね。

以前に彼女が言っていた、距離感のある言葉。それが今は。

その変化を、彼は静かに受け止めた。

 

 

食事が終わり、葵は螢子の母親と何気ない話を始める。常連の彼女は、すっかりと打ち解けているようだった。

蔵馬は椅子を引き、音を立てずに立ち上がった。そして流れるように勘定を済ませる。

席に戻る前に、店の主人に向けて一礼する。

 

「飯、うまかったです。また来ます」

 

「あいよ!兄ちゃん、男気あるねー」

 

店の主人は、笑いながら声を張る。

 

「あんたら、お似合いだからおまけしといたよ。また来な!」

 

「ありがとうございます」

 

振り返ると、葵がこちらを見ている。

 

「払ってくれたの?」

 

「うん」

 

それだけ答える。

 

 

挨拶をして店を出ると、外はすっかり夜の気配だ。

暖簾が背後で揺れ、灯りが道に細く伸びている。

蔵馬は一度だけ振り返り、店を見上げた。

 

「いい場所だね。君が馴染みになるのもわかる」

 

「ええ。今日、あなたと来れて良かったわ」

 

短い会話の間に、夜風が通り抜ける。満ちた温度を、少しずつ冷ましていくように。

並んで歩き出すと、足音が静かに重なった。

昼の熱を残した舗道はまだほのかに温かく、川のほうから湿り気を含んだ風が流れてくる。

街灯が等間隔に灯り、二人の影は足元で伸びたり、重なったりしながら揺れていた。

 

しばらくは、食後の静けさに任せて歩く。

その沈黙を破ったのは、葵だった。

 

「蔵馬は……高校を卒業したら、どうするの?」

 

葵の声が、風の中にやわらかく置かれる。揺れた毛先を、指先で押さえながらの問い。

彼女には探りを入れる様子はなく、純粋な眼差しが向けられた。

 

蔵馬は歩みを止めないまま、わずかに空を仰いだ。

雲の切れ間に、最初の星がひとつだけ瞬いている。

 

「……そういえば、ちゃんと話してなかったね」

 

小さく息を整え、視線を前へ戻す。

 

「オレは、親父の会社に就職するよ。中小企業の社長をしてるんだ」

 

足音が一定のリズムを刻む。

葵はすぐには頷かず、少しだけ首を傾げた。

 

「中小企業……って、どういう意味かしら?」

 

彼女にとって、人間界の制度や区分は、まだ輪郭の薄いもの。

言葉の意味がわからない中でも、想像しようと顎に手を置いていた。

 

「簡単に言えば、地道に続いている小さな会社だ。地域の中で、必要とされている」

 

葵の瞳に、街灯の光がやわらかく映る。

言葉の意味を理解したと同時に、彼の真意に触れて、ふっと微笑んだ。

歩みは止めず、上空を見上げる。

 

「……あなたは、人間界で、家族を大切にして生きていくのね」

 

澄んだ声は断定ではなく、受け止めるような響きだった。

蔵馬は答えず、しばらく間を置く。

そのまま歩幅を揃え、言葉を継いだ。

 

「卒業したら、家を出る。住む場所も決めてある」

 

言葉のあとに続く沈黙を、夜風がさらっていく。

彼は前を向いたまま歩いていた。

風が強まり、葵のスカートの裾が揺れた。

 

「……お母さん、寂しがるんじゃないかしら」

 

その問いに、蔵馬は息を落とす。 一瞬、息子としての顔が現れる。

 

「……あの人には、これからの時間がある」

 

短く区切り、言い切る。

 

「父さんと過ごす時間を、大切にしてほしいんだ」

 

 

一度だけ視線が伏せられる。声は低く、揺れない。

葵はその横顔を見つめ、感じたままに呟いた。

 

「あなたって……家族思いね」

 

「……そうでもないよ」

 

短く返す声には、ほんのわずかな感情の色が混じる。

街灯の光がその表情を一瞬だけ照らし、すぐに影へと戻した。

少し歩いてから、葵がまた口を開く。

 

「少し前にね。あなたのお母さんに、私の進路を聞かれたの」

 

「……ああ」

 

「就職する予定ですって答えたわ。実際には、もう働いてるけど」

 

蔵馬は歩調を緩め、横目で彼女を見る。そのまま、口元だけがわずかに緩んだ。

 

「……口裏、合わせたほうがいいね」

 

冗談めいた調子で言いながら、視線を前に戻す。

夜の街は、穏やかだった。

1年前なら、こんな話はしなかっただろう。

 

「葵は……人間界でやりたいことはある?」

 

問いは穏やかだが、間を置いて投げられた。

葵は足を止める。

茜色を失いかけた雲が、夜へ溶けていくのを、ぼんやりと目で追う。

 

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