その一つが今、70番目の扉を叩こうとしていた。
【Lasbelly Lv79】
何度も何度も、繰り返し同じ景色を見る。
一週間ほど前から唐突に始まった、強烈に記憶に残る不思議な夢を。
その衝撃的な情景の数々は、俺の脳裏から焼きついて離れない。
しかし今回だけは、その内容は大きく異なっていた。
と言うよりも、まったく別物だと言い切ってしまって良いだろう。
ようやく例の世界から解放されたのだろうか、という疑問が浮かび上がるよりも早く、深い緑が俺の視界を埋め尽くす。
時は二千二十四年の八月十五日、午前。
この日、ある一つの運命が大きく動き出そうとしていた。
‘彼ら’の生きる世界は、剣と戦闘がすべてを決める。
それは都市や街、森や湖に洞窟と言った、あらゆるロケーションを内包している。
季節感も生態系もまったく異なるそれらを繋ぐのは、たった一つずつの階段のみ。
それぞれ独立した環境がフロアとなって分かれ、全部で百の階層が積み重なっている。
各地には環境に適合した魔物たちが徘徊し、冒険者たちを阻む。
その強さは上に行くにつれて脅威的なものとなっていき、否が応でも己と装備品の強化をしなければ進めないようになっている。
強力なモンスターや困難なダンジョンを乗り越え、各層を繋ぐ階段へと繋がる迷宮区を攻略し、その番人を倒すことで、上のフロアへの扉がすべての戦士プレイヤーたちに開かれる。
そのようにして、今の最前線は第70層。
目に見えるすべてが緑で染まるほど広大な森の中、淡い色の輝きが華麗に舞っていた。
「おらぁっ!」
光の主は、一人の剣士。
赤みを帯びた黒髪を揺らし、暗い色の袖から伸びる右腕で、独特な形状の得物を振るっていた。
「終いだ、リニアー!」
たった今叫ばれたのは、この世界の戦士たちの扱う技【ソードスキル】の一つ。
無数に存在する武器のうち細剣を選択し装備した者のみ、それを放つことが許される。
超高速ながらも正確無比な刺突。
その一閃が、武装した竜人の胸を刺し貫いた。
魔物の頭上に浮かぶ無機質な横線が少しずつ中身を無くし、本体と同時に青い微細なガラス片となって消滅していく。
「……」
瞬時かつ簡潔、痕跡の一つさえ完璧に残さない【死の形】。
それを眼前にしても、
血色の髪に潜む灰色の瞳は、一切の濁りすらなく前だけを見つめていた。
そのような状態でも、目が後ろにも付いていると言わんばかりに気配を読み取る。
視線を動かす寸前まで、その色は深緑に染まっていた。
「これ以上相手するのは、さすがにあとで堪えるな。
なら!」
元の色に戻った瞳を閉じ、男はコートを揺らして地面を蹴る。
魑魅魍魎たちがその場に現れた時には、その姿は消えていた。
彼は走ったのではない。
ましてワープや透明になるなどと言った、魔法を用いたわけでもない。
もっとシンプルな、しかし現実では困難な選択肢だ。
その身は木々の上にあった。
男は自らの跳躍力のみを用い、先ほどの場所から飛んでみせたのだ。
しかし、足が着いているのは、人を乗せるにはあまりに脆い枝の上。
だから彼は、力が加わるよりも早く空へと躍り出て、次々にそれを繰り返すことで森の上を移動する。
木の枝を伝い、時に魔物を斬り伏せ、いつの間にか男はある場所の入り口に立っていた。
【迷宮区】。
すべての戦士たちが目指す、この世界を拓くための関門だ。
乾いた風とともに、その足は中へと誘われる。
仄暗く無機質な魔物たちの巣窟である以上、迷宮区に入るのは、この世界の中でも手練の人物に限られる。
特にここは最前線、上位層の戦士たち【攻略組】が多く雪崩込むことになるだろう。
しかし、それはあくまで‘これからの話’だ。
何故なら70層が解放されたのは、ほんの数日前。
この場所が発見されたという報告は、まだ上がっていない。
つまり、この細剣使いが最初の到達者となる。
「よぅ、お前も来たのか」
広い空洞の中響く、よく通る少年の声。
特に驚く様子もなく、男性は振り返り様に口を開く。
「そっちこそ、相変わらず早ぇな。
ほとんど僅差とは言え、一番乗りはもらったぜ」
後ろ髪を掻き毟りつつ、赤黒髪の男がそう言う。
敵の気配が無いことを横目で確認したと同時に得物を納め、笑って声の主を出迎えた。
髪や目、服装や背中の剣まで含めてすべて黒。
地に着く寸前まで伸びた丈のコートを身にまとうその出で立ちは、まさに【黒の剣士】。
だが凛々しい異名とは裏腹に、その顔立ちは十代の少年そのものだった。
「ハハ、別にいいよそれぐらい。
ここに来たってことは、情報が出てたのか?」
「だと良かったんだが、これがなんと偶然さ。
頼まれて素材収集をしてる時に見つけてよ。
ま、思い立ったが吉日ってヤツだ」
「判るよその気持ち。
せっかく自分で見つけたダンジョンなら、真っ先に探索してみたいよな。
……そうだ。
探索がてら、どっちが先にボス部屋を見つけるか競争でもするか?」
いたずらっぽく笑うその表情を、長身の細剣使いはよく知っている。
尤も実際に目にするのは、片手の指で足りるほどなのだが。
少年の提案は正直、無謀と言う他ないものだ。
迷宮区に潜む魔物たちは、いずれも外と比べて強豪揃い。
そんな悪魔たちの群れに競争感覚で一人ずつ突っ込むなど、命を投げ捨てに行くようなものだ。
だが赤黒髪の男は、彼の実力をよく知っている。
このまま放っておいたとしても、この未開拓の暗所など容易に突破してしまうだろう。
そんな根拠のない安心感を覚えるほどだ。
この申し出を受ける意味はないが、断る理由も特にない。
競争するのなら、他に誰もいない今しかないだろう。
「オーケー。
なら俺は右から行かせてもらうぜ」
「なら俺は左側かな。
あ、なんならモンスターを倒した数も競うか?」
「それは止めとくぜ。
お前は攻略組の上位プレイヤーで、俺は
話になんねぇだろうからな」
《まぁ、ここに来る前に最低でも十体近くは倒してるけどな》
滑り落ちそうな言葉に封をして、今度はこちらが自嘲混じりの笑みを浮かべる。
黒髪の少年は、目の前の男の実力を知った上で提案を重ねてみたのだが、半ば予想通りの反応に肩を落とした。
本題はすでに受理されていたので、そこまで残念がってはいないが。
「判った。
万が一にもないだろうけど、死ぬなよ」
「どうかな、案外ポックリ行くかもしれねぇぜ。
でもまぁ、今日ばっかは逝きたくねぇかな」
「へぇ、珍しいな。
お前がそんな顔するなんて」
「理由はたった一つ!
女の子のためなら、お兄さんは頑張れる!」
聞いたこっちがバカだった。
黒髪の少年が浮かべる表情は、そう語っていた。
だが今の発言は、赤黒髪の男に依頼した人物が誰かを理解させるに充分なもの。
どこか安堵したように息を漏らす。
何気ない会話もこの辺りに、二人はお互いに背を向けた。
直後冷たい風の通う虚空に、右の手を軽く振るう。
それを合図に現れた光の中で数秒指を動かした後、彼らはお互いの武器を抜いた。
黒髪の少年が握るそれは、『貫く力』を特に有する細剣とは違い、『斬り裂く力』を持つ片手直剣。
ともに黒い刀身を持つ二つの刃が頭上で打ち合い、静寂を強く叩く。
「さぁて、そろそろ始めるとしようぜ!
負けた方が今日のメシを奢るってのはどうだ?」
「はは、良いなそれ。
じゃあ準備は出来てるか?
……ゲーム、スタートだ!」
少年の掛け声とともに、二人はそれぞれの向く道へと勢いよく駆け出した。
頭一つほど身長の高い自分か、それとも小柄ゆえに身軽な彼が先を越すか。
実力面では劣っていても、これは先にゴールを見つけ出すための競争。
勝利の女神が微笑むのは誰か、見抜ける者はいない。
少年の足音が聞こえなくなってきた頃、青白い星が広間に出た男を出迎える。
三つ同時に出現したそれは、甲冑を身にまとう獣を生み出す。
紅く光る瞳が向かう先は、すべて侵入者である剣士だ。
「さっきから出て来ねぇと思ったら、
待ち伏せかよ。
だがまぁ、上等だ。
突破させてもらうぜ!」
男の視界に映る魔物たちのちょうど真上に浮かんでいる英語表記の文字列は、彼らの名前を示している。
その隣に見える数字は77。
対して、細剣使いのものは79。
多少上回っている程度でしかないが、襲い来る獣たちの動きは揃って単調なもの。
まるでダンスでも踊っているかのように繊細な動きを続け、時には中を華麗に舞うことですべての攻撃を完璧に避けきる。
再び飛び上がったところ再び光を放ち、小さな瓶を召喚した。
彼はそれを、着地の寸前で飲み干して見せる。
「終わりだ、カドラプル・ペイン!!」
瞬間、獣たちが一瞬で切り裂かれた。
放たれたのは連続攻撃。
そのはずだが、刹那の間に立ちふさがる敵を空へと還してみせた。
まるで黒い流星。
直前に翻弄されていたとはいえ魔物たちが一切視認しきれない速度の刃を、この男は余裕の表情で振るったのである。
彼は周囲に気配がないことを確認すると、再び足を進め始めた。
「焦る必要はないとはいえ、時間をかけすぎたかね。
……しかし」
ふと、背後に見た。
自分がここまで歩いてきた、あまりに無機質で寂しい空洞。
そしてこれから、多くの人々が通ることになるであろう試練の路。
先ほども確認したが、魔物の気配などは一切ない。
しかし、この男はあとに続く者の存在を気にしている。
「もう少しってとこだな」
向こう側から微かに聞こえる風の音から、少しずつではあるがゴールが近づいて来ていることを理解する。
それは同時に、彼の言う『もう少し』が達せられる何かにも、迫りつつあることを意味していた。
確信を得て走り出した彼がたどり着いたのは、先に獣たちと戦いを繰り広げた場所よりも広々とした空間。
円を作るようにして配置された松明が、この迷宮の雰囲気を冷たく不気味に彩るようだった。
「いかにもってところに出たが……
大抵こういう場合だと」
最大限に警戒心を高め、視線を頭上へと移す。
吸い込まれそうなほどの暗闇。
その奥から巨大なものが轟音を立てて落下し、ダンジョン全体を震わせる。
男が臨戦態勢になるのと同時に姿を現したそれは、青い炎に燃える顔を持った岩の人形。
魔導のゴーレムといった風貌だった。
「やっぱ中ボスか。
にしても、魔法ねぇんじゃなかったか?」
呆れ気味に小言を言いつつも、男はすぐに笑みを戻す。
「んまいいや、こっちは人を待たせてんだ。
容赦しねぇぜ」
宣言とともに駆け出した剣士を出迎えたのは、容赦のない拳。
地面を蹴って飛び上がることでそれを回避し、そのまま腕を伝い燃える顔面へと迫る。
ゴーレムが彼を近づかせまいと身体を揺らし、その灼熱の頭部から無数の炎を発射した。
細身な得物ではこれを弾き返すことは困難。
だからこそ彼は、ギリギリのところでそれを避けてみせた。
不安定な足場の上で側転を繰り返し、時には紙一重で弾丸の行く末を見届ける。
それを繰り返し、ゴーレムの肩にまで到着した男は迷いなく飛び降りる。
丁度お互いの視線が重なろうというところで、刃にエネルギーをまとわせた。
「リニアー!」
弾丸のような鋭く重い一閃が、岩石で出来た胸を貫く。
さらにゴーレムの背後に足をついた直後、振り返り様に横薙ぎを一つ。
そして真っ直ぐに突きを加え、最初のものと同じ攻撃をもう一度繰り出した。
元の位置に着地し矛を収めるのとほぼ同時に、ゴーレムの胸にある蒼玉はひび割れて消滅。
やがて本体もバラバラに砕け散り天へと昇ることとなった。
これにより、男の持つ数値に変化が生じる。
直前までの値から繰り上がり、80となったのだ。
自身の成長を確認した男は小さくガッツポーズを取る。
「あと半分ってところだな。
……だが、今は」
また何かを操作するようにして右手を動かし、目の前に映し出された文字列を見て男は首を振る。
神妙な面持ちの彼には、もはや黒髪の少年との競争など、どうでも良かった。
何故なら、その時がやって来たのだから。
「……ここなら邪魔は入らねぇ。
そろそろ良いだろ?」
「えぇ」
少しだけ怒気を孕んだような、それ以上に悲しそうな女の子の声が静まり返った空間に響く。
直後にコツコツと聞こえてくる自分ではない足音。
男はその正体を、振り返らずとも認識していた。
何故なら彼は、その人物をここまで誘導していたのだ。
尤も、迷宮区を見つけられたことは嬉しい誤算だったが。
静寂が訪れたことを認識し、男はようやく目的の少女へと振り向く。
視界にあったのは、赤い差し色のよく似合う白い騎士服に身を包んだ少女。
栗色のロングストレートが真っ先に目に入る、優しげな雰囲気のある顔立ち。
だがその榛色の瞳は、明らかに怒りの感情を宿していた。
一方で男の暗い瞳は苦しさを孕んでおり、それを見抜かれないように必死に無を演じている。
そして今、二人の目が合った。
「……久しぶり、だな」
「ずっと、ずっと会いたかった。
どれだけメッセージを送っても反応してくれないし、会いに行ってもすぐ逃げられちゃうし。
……けど、やっと会えた」
語る内容そのものは嬉しそうな印象を受けるが、肝心の中身は全く真逆のもの。
どこまでも辛そうに、答えが見つからなくて苦しんでいるかのように。
震える身体を片腕で支える彼女の表情は、悲しみと怒りが混じった複雑なものに変わって行った。
肩から手を離し、少女は彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「でも、その前に」
彼女は躊躇いなく、腰に納められた得物に手をかける。
瞳を閉じ、精神を研ぎ澄ませたその表情は一切感情を読ませない。
「はぁっ!」
抜刀。男は一切動じることなく、その軌跡を見送る。
切り裂かれたのは目の前にいた彼ではなく、その背後に現れていた小型の蝙蝠たちだからだ。
寸前までターゲットにされていた灼髪の剣士が振り向くと同時に、光となった魔物たちが飛び散っていく。
直後、まったく同じ姿をしたモンスターたちが多数出現。
あっという間に取り囲まれた二人は、言葉なく互いの背中を合わせる。
「まずは、このモンスターたちをなんとかしましょう」
「あぁ、それが良さそうだ」
黒と青緑、二つの細剣が鋭く輝く。
次の瞬間、ステージに展開されたのはイルミネーション。
閃光のような速さで次々と繰り出されるソードスキルの数々が、感情のないこの空間を絶え間なく照らし続けているのだ。
当然その度に、モンスターたちは刺し貫かれていく。
赤いライトエフェクトを撒き散らし、ガラスの塊を割った時のような音を出しながら、無へと消える。
「あとはコイツだけだ。
……スラント!」
剣戟音の中、男が口にした名前に少女は驚愕する。
何故ならそれは本来、片手直剣用のソードスキル。
しかし先ほど彼が使っていたのは細剣のもの。
得物をそのままに別種の武器属性のスキルを使うなど、普通はありえない。
だが彼女は、‘この男ならば出来る可能性’を知っている。
これまでの二年近くにも及ぶ戦いの日々が経験となり、似た存在を思い起こさせたのだ。
赤黒髪の男の放った攻撃で敵が爆散し、再びこの空間は無に戻った。
邪魔するものなど何もない、完全な静寂。
そこにいるのは、二人の細剣使いのみ。
「その剣、噂に聞いていた」
「……ま、細かい詮索はなしにしようや。
今重要なのは、‘そこ’じゃあねぇだろ」
「それもそうね」
そう静かに言い放つと、少女は右の手に握る剣を向けた。
切っ先を眼前に突きつけ、燃えるような眼差しでその男を見つめる。
「今まで何をしていたのか……
全部話してもらうわよ、ラスベリー!」
少女は彼を、いや、俺のことをそう呼んだ。
どうして俺がこの時、この場所を訪れ、少女から刃を向けられているのか。
今までいったい何があったのか。
そもそも俺は、何者なのか。
それはこれから、俺自身が紐解いていく。
願わくば、この内容が正夢とならんことを。
END
Seventy
白亜の街によく似た、中世の都市の記憶
Fifty-six
半分を越えて、少し経った頃の記憶
Thirty-one
最強と呼ばれる騎士団が、その強さを確立させた瞬間の記憶
Two
初めて番人を乗り越え、希望を知らしめた記憶
伝説が今、その有り様を変える