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1.
──美しい夜であった。
ミクトランの夜である。
いつもと変わらず、天蓋に散りばめられた偽の星々が、所狭しと煌めいては下界を鳥瞰している。
ミクトランの恒星の光は、汎人類史のそれと比べても、格別であった。
恒星そのものを構築する要素が、いわゆる世間一般的な恒星とは違うのであるが、そもそも距離が近い。
汎人類史における太陽とは、地球からおよそ一億五〇〇〇万キロメートル以上離れた場所にあり、そこから届く高熱のエネルギーは宇宙を旅し、オゾン層などを経過するに従って減退を繰り返し、紫外線などに絞られていって、ようやくひとに無害な恵みとなって、地上に降り注ぐのだ。
それに比べるなら、ミクトランの恒星は、物理的な距離からして天を見上げたすぐ近くにある。
それゆえか、散りばめられた輝きの色が、黄金だけではない。
目を凝らせば、光の中に、うっすらと、翡翠色が混ざっているのがわかる。
だから、その光をたっぷり吸い込んで、反射することで世界に放たれる星々の輝きもまた、よく見ると翡翠の艶が混ざっているのであった。
海のように、大気に溶けたそれが、薄く波打っている。
光熱の反射は、極小の密度を保ったままミクトラン全域に散らばり、緩やかな川のように流れているのだ。
闇色の
そう、美しい光景であった。
汎人類史のそれと違い、ミクトランはその歴史の中で、産業革命的な余波による大気汚染とは無縁に近い。
穢れのない空気の感触は、肌に溶けうる微小の粒を考慮してなお、無色透明のそれである。
だから、この世界では昼の熱波も夜の涼しさも、どこまでもどこまでも吹き抜けていて、この瞬間においては刹那的であるはずの星の煌めきを、澱みなく、世界の隅々に運んでいるのだ。
異聞帯であるゆえに、世界を構成するものは物質というより概念的なフィルターを通してある。
とはいえ、ミクトランが地下世界である事実は、たった今に、確かに存在する。
世界の全てが収まったにも関わらず、限られた世界である。
それゆえか、光の届く幅──すなわち世界の幅に物理的限界がある。大地に接して遮光された光子は、そのまま反射して互いに混ざり合い、エネルギーが減退するまで空域に留まり続けるのだ。
だから、ミクトランの情報を多分に含んだあらゆる光の粒が、汎人類史のそれと比べると、それぞれがとことん純化がなされていて、一〇〇〇万分の一ミリの世界においては、鮮度の異なる輝きを映し出していた。
光子の行き届く
それが、星の中にひそむ美しさの秘密であった。
天蓋のすぐ下。
ミクトランの第一層である。
大森林の様相を示す大地の上に、岩肌の露出する開けた場所が、いくつかあった。
そのひとつに、大きな洞窟をリサイクルして作られた住居がある。
この世界の、原住民のそれだ。
そこに棲まうのは、テペウと名乗る
体高はゆうに三メートルはあるだろうか。
翼竜と草食竜の中間のような身姿に、がっしりと肉の詰まった胴体と、前方に突き出すように伸びる長い首が特徴的であった。
ディノスのカタチに合わせた、やや繋ぎの長いメガネを器用にかけている。
知性的で上品かつ、どこかお茶目さを感じさせる眼の色をしていた。
テペウは
彼は、昼に採集した星の粒を瓶に入れて棚に並べて保管し、眠りにつく前に、なんとなしに、星の観測のために外に出ていた。
双眼鏡や望遠鏡は持っていない。
テペウはメガネはかけているものの、これは視力を補うためのものではなかった。
これの本来の用途は別である。
テペウに限らず、恐るべき身体機能を有するディノスにとって、地上から星の粒を見分ける程度なら、肉眼で可能なのであった。
ディノスの身体能力は、ヒト型人類のそれを、はるかに凌ぐ。
それは何も、運動能力や身体的頑強さだけにとどまらず、視覚や聴覚、反射神経といった、五感や内臓、神経器官に当たる部分もそうであった。
にも関わらず、絶大なカロリーを消費するはずの彼らの生態系は、著しく『老い』というものに疎く、時間の絶対性を打破
このテペウにせよ、既に一〇〇〇年の時を過ごしたと言うのに、その若々しい好奇を映し見る心身は、未だ
テペウが星を見上げ、その経過を観察していると、不思議なことが起こった。
普段、夜のミクトランは静けさに包まれている。
植物も、虫も、動物も、ディノスも、オセロトルさえ眠りにつく時間であるからだ。
テペウは空を見上げた。
目の前で、今、その静寂を破る喧騒が立ち昇っていた。
翡翠色の光熱の柱が、ぐんぐんと天に向かって伸びている。
とてつもない熱波が、それに向かって吐き出されていた。
それは、咆哮を上げていた。
何十メートルもの大きさまで膨らんだそれは、エネルギーと圧力をヒトの輪郭に留めながら、振り上げた手を何度も何度も、宙空に向かって打ち下ろす。
何かを叩いている──
恐ろしい事実を、テペウは胸中に噛み締めた。
相対する何者かは、『
信じられぬ光景であった。
『彼女』が腕を上げ、それを振り下ろす。
その度に、ミクトランの大地が波打ち、世界がうねりを上げていた。
輝きと熱波と衝撃波、絶大なエネルギーが、何か──硬く、重く、
これはつまり、『彼女』の執拗な攻撃であった。
あまりにも巨大なエネルギーである。
余波で、およそ数キロは遠くにあるはずの、テペウの身体をも持ち上げるほどであった。
火花というには巨大すぎる、雷の弾ける光景も相俟って、巨人の攻撃はさながら、小さな星がいくつも爆発するかのようであった。
エネルギーの爆縮に従って、仮想の星々が激しく揺れ動く。
それは、突然止まった。
爆音が轟いた。
鋼鉄を、鋼鉄で、力の限り殴りつけたような重低音だった。
『彼女』が、大きくのけぞった。
そのまま、倒れていった。
光を収縮させながら、撃ち落とされた飛行物のように、大森林の向こう側へと落下していった。
その対になるように、光が落ちてきた。
空間を削りながら。
白い光の、二メートルほどの塊が、『彼女』を打ち倒した力の反作用に従って、テペウのすぐ近くに落ちてきた。
ぶわっ、と空気が膨れ上がる。
しかし、落下の衝撃がない。
音もなかった。
時間と、速度と、距離を計算するなら、とっくに地面に激突し、あれほどの質量物質がその速度で落ちたならば、ここら一帯の大森林を丸々吹き飛ばすほどのエネルギーが炸裂しているはずだった。
しかし、音もなく、衝撃もなく、ただ白い光が煙のように、天に向かって幾つかの筋道を立てて昇っていた。
ミクトランの空を溶かしながら──
テペウがそろりと近づいていった。
草木をかき分けて、危険だと十分承知しながら、彼の肉体は、己の中で疼く好奇心にこうべを垂れていた。
がさり、と草木がかき分けられた。
そこから出てきたのは、「まずいなあ、まずいなあ」とぶつぶつ呟き、翡翠の炎を身体にまとわせて、それをものともしていない、大きな人間であった。
2.
黒い服を着ていた。
上下ともに、黒い服である。
漆黒の闇の上から、さらなる暗黒を被せたような、底なしの黒。
その黒の上に、おそらくは『彼女』のエネルギーたる翡翠色の炎がまとわりついている。
相当の熱に当てられているはずで、事実、残滓に過ぎないその炎が、周囲の草木を問答無用と焦がしているのがわかる。
だが、その男はまるで平然としていた。
目線を下にやる。
靴も、黒かった。
髪の色も、瞳の色も黒く、まるで、その全身を持って、ミクトランの夜をその身に飲み込んでいるようである。
顔が頂点にあり、そこから順に下がって、首があり、胸があり、腰があり、股があり、足が伸びている。
手は、二本。
足も、二本。
目は、二つ。
耳も、二つ。
鼻は一つ。
頭の上に、白い布を巻いていた。
オセロトルと違う点は、彼は猿人より整った顔つきであり、彼らと違って背筋が伸びていることであり。
何より、その大きさと量感が桁違いであった。
身長、二メートルを大きく上回る。
反して、体重は一トン以上はあるのではないか──と、テペウには見えた。
腕が、足が、丸太を束にしたような太さである。
首が、顔より太い。
手の指も、オセロトルと比較してすら太く、長かった。
黒点の大きな眼が、顔の正面に綺麗に並んでいる。
右の頬肉と、左の頬から鼻を通して、右の頬まで皮膚がえぐれた傷が走っていて、生々しい肉の断面が剥き出しであった。
右の耳の上半分が千切れていて、左耳と非対称を描いている。
「まいったなあ……」
しきりに、そう、呟いていた。
「何が……まいったのですか?」
テペウは、思わず尋ねてしまっていた。
するりと、言葉が溢れた。
好奇心がたまらなかった。
胸が、不思議な高鳴りを覚えている。
男が顔を持ち上げた。
身長は──というより、顔の高さはテペウの方が高い位置にある。
しかし、まるで、見下ろされているような視座を、テペウは感じていた。
「ン……恐竜?」
男は、テペウの姿を瞳の中に捉えると、呆気に取られた声を出した。
カラッとしていて、力強さのある音であった。
おお、と男は手を広げた。
「
広げた手は、理解と喜びを現していた。
男の口角が持ち上がって、白い歯を見せて笑い出した。
テペウの優れたる頭脳は、数少ないやりとりと雰囲気から、もう、察していた。
この男は、違う世界から来たのだと。
すなわち──『
「あっ、ごめんなさいねえ」
男は一転して、軽く、頭を下げた。
眉が八の字に垂れ下がって、元から半目に見える垂れ目が、申し訳なさそうにカタチを変える。
何がですか、とテペウは聞いた。
答えがわかっている質問だった。
「いやァ……
見てたでしょう、あれ……。
男はおずおずと、情けなさそうに声を震わせて、言った。
あれ、というのは、さっきの恐ろしい光景のことだろう。
男は、頬を、指先で掻いた。
「でも、おれはちゃんと、最初、譲渡したんだよ。『侵略者じゃないよ』そう言って、『まず話し合うぜ』そう返したのに、
しぶしぶと言いながら、男は悪気たっぷりに頭を掻いた。
やはり、とテペウは確信に至った。
「いやあ、おれ、頭にきてねえ……『
男が、さりとて特別なことでもなく、つらつらと述べた。
やはり、とテペウは息を飲んだ。