初めてシオの目を見た時、綺麗だと思った。別に顔がどうこうじゃねぇ。ただ、その黒い瞳は、アタシが今まで見てきたどんな人間とも違って、どこまでも優しくて純粋で、真っ直ぐだった。アタシなんかが軽々しく言い表せるようなモンじゃない。
それでも、最初は正直、面倒なことになったな、なんて思ってた。いつものように、少ししたら追い出すか、勝手に消えればいい、と。アタシは高ランク冒険者として自分の家を持っていたが、誰かと一つ屋根の下で暮らすなんてごめんだったからな。
だけれど、この子は妙に働き者で、アタシが何も言わなくても家の掃除をしたり、どこからか食料を調達してきては拙いながらも料理を作ったりした(後で聞いたら、アセスタのシュテンの旦那に教わったらしい)。家は少し手狭になったが、居心地は決して悪くなかった。
翼竜の群れに皆殺しにされ、アタシ自身も瀕死の重傷を負ってダンジョンから這い出たあの日。ギルドに報告し、たった一人生き残ったパーティーの、大怪我をした正規の斥候にも会いに行った。何度も、何度も頭を下げて謝った。見捨てた卑怯者と罵られようが、謝り続けるしかなかった。もし、あの時シオがいなかったら、アタシはきっと罪悪感と後悔から逃げ続けていたかもしれねぇ。
その斥候も、自分なりに調べて、アタシがあの時満身創痍でダンジョンから出ていったということを知ったらしく、「もう二度と顔を見せるな」という条件で、どうにか許しを貰うことができた。
その日から、アタシの精神は酷く不安定になった。ヘソクリがあったから生活には困らなかったものの、夜中に、アタシが見捨てた彼らが次々と夢に出てくるようになったんだ。何度も、何度も、何度も。その度に飛び起きて、浅い息を繰り返し、眠れない夜が早く明けろと、ただひたすら願う。そんな日々が続いた。
だが、いつも部屋の隅の床で眠っていたシオを、アタシが自分の寝台の隣で寝るようにさせてからは、それがピタリと止んだ。
シオは小さくて、とても温《ぬく》い。薄い寝間着越しでも、じんわりとした熱が伝わってくる。アタシはなぜだか、それだけで泣きそうになった。気づいたら、朝になっている。悪夢に魘され、夜中に飛び起きることも無くなっていた。
朝、シオはアタシより早く起きて、買い出しから戻ってきては甲斐甲斐しく朝食の準備をしている。
「今日は野菜が安かったんだ」とか、「屋台のじいさんが卵を一個おまけしてくれた」とか。そんな、本当にありふれた日常を、あまりにも楽しそうに話す。アタシは、彼の柔らかくて少し癖のある髪に手を置きながら、その話を聞くのが好きだった。シオは、アタシが触りすぎると「やめて」って言うけど、それまでは一生触り続けてクシャクシャにしてやるんだ。
これが幸せなんだな、と勝手に感じた。今でも感じているがな。
家に帰ると、掃除を終えて机に突っ伏して眠っているシオの姿を見る度に、アタシは生まれて初めて心の底から生きたいと思った。生きなきゃ、と思った。
一緒に暮らし始めてから一月ほど経った頃だった。シオが急に、仕事を見つけた、と言い出して、アタシの度肝を抜いた。
「はぁ? え、今なんて言った?」
「だから、ラスラトファミリーの死にかけ幹部を見つけたから、そいつを使って診療所を開く許可を貰った」
「はアアアアアアァ!!」
多分、アタシは生まれて初めて本気で怒ったと思う。もし死んだらどうするんだ、と。どうして何も言わなかったのか、と。それはもう、自分でも泣きそうになるくらい、必死で怒鳴りつけた。
シオも、まさかそこまでアタシが怒るとは思っていなかったのか、黒い瞳を潤ませて震えながら謝りだした。
「ごめんシオ、そういうつもりじゃないんだ、ただ……本当に、心配で、心配で……」
「うん……僕も……何も言わずに、ごめん……」
|鏖虐⦅おうぎゃく⦆のラスラト。この辺りのスラムを取り仕切る暴力の王だ。心配しない訳がねぇ。マフィアとはいえ、ラスラトファミリーの連中は、直接住民に手を出すことは少なく、むしろ友好的ですらある。夜の店の経営や、教会から客を奪うための診療所運営、傭兵的な仕事も請け負い、最近は他のマフィアを吸収してデカくなりつつあると聞く。それでも、どうしたって心配が勝つ。
ただ、この子はよく分からないがちゃっかりしていて、どこからか手に入れたという本物の魔術契約書を持っていた。ヒーラーの類は、奴隷契約を結ぶと極端に治癒能力が下がると言われている。そのため、厳しい契約で縛ることが難しい奴らではあるが……それにしても、あのスラムマフィアに対し、どんな交渉をしたらこんな好条件(上納金の利率が少し高いと思った以外は、待遇は悪くなかった)を引き出せるのやら。
「んー、性病で死にかけてる幹部を使って、辺り一帯にこの病気をばら撒くって言ったらいけた。今ここで治癒士である僕を殺すか、それとも幹部を一人救って更に僕で儲けるか、選べって」
「はアアアアアァァ!!」
アタシはまた怒った。こいつの肝の据わり方は、時々本気で理解できねぇ。
「にしてもあの魔術契約書、結婚とかに使うやつだろ? どこで手に入れた?」
「僕が治したシャノってやつがさ、こいつめちゃくちゃ女遊び激しいの。それでもし上手くいった時のために持ってたんだって」
「はああ? キッショ! シオ、悪いこと言わないからそいつとつるんじゃダメだよ?」
「ごめん、なんか親友になっちゃった」
シオは、悪びれもせずにそう言って笑った。その笑顔を見ていると、アタシはもう、何も言えなくなるんだ。
この天使を拾ったあの日から、アタシの世界は確実に変わり始めていた。良い方に転ぶのか、悪い方に転ぶのか、それはまだ、誰にも分からないけれど。