「おい、また桐谷のやつ休み始めたぞ」
「1か月前位前も1週間くらい?」
「いやあの時は2週間くらいや」
「定期的に休むのなんでなん?」
「俺聞いたことあるけどどうせ休んだって卒業はできるしただ休みたいだけって」
「なんだよその曖昧な理由、絶対何かあるだろ」
このクラスである委員長の桐谷歩夢は高校一年生の頃から定期的に登校をピタッと止める。担任からなんの声明もないため見逃されているという認識だった。
「あいつこれがなけりゃいいやつなんだけどな」
「ほんと、ノリいいし学級委員長だし」
そんな男子生徒の会話を裏に黙々と掃除に勤しむ空澄セナという少女もまた、彼、桐谷歩夢の動向が気になっていた。しかし空澄は物静か故、男子の会話に入っていくようなコミュ力を持ち合わせておらず、ただ外野からその話を盗み聞きするだけだった。
「空澄さん」
「え、なに?」
「桐谷のことなにか知ってたりする?1年の時同じクラスだったんだよね?」
「まあそうだけど...」
生憎その話のトークデッキを空澄は持ち合わせていなかった。去年も同じ感じだった、それ以外はよくわからないとだけ答えた。話しかけてきた男子生徒は物わかりがよく、これ以上空澄を詮索することはしなかった。
桐谷はどちらかというと空澄と同じような物静かなタイプだ。しかしどんな人ともコミュニケーションが取れ、場に合わせたタイプに変身するいわばカメレオンみたいな性格をしている。普段は委員長らしく真面目なこともあるが、授業中にふざけて先生の逆鱗に触れてしまうようなそんな一面を持ち合わせている。
「...ナ...セナ!」
「うわ、びっくりした」
「どうしたん、ぼーっとして」
「いやなんでもない。帰りましょう」
「そんな気使わんでええよ、たまには僕に相談してくれてもいいんやで?」
「いやのあ先輩は頼りないから」
「そんなこと言わへんでよ!」
「...じゃあクラスで定期的に休んでる子いたらどう思いますか?」
空澄は胡桃のあに率直に聞いてみた。隠してもよかったが男子にも聞かれたしこの際だからと他の人に意見を聞いてみたかったのだ。
「う〜ん...そりゃあ気になるよなぁ。なんで休んでるんやろ〜とかもしかしたら言えないくらい特別な事情がある?!とかさ」
「やっぱりそうですよね」
「身近にそういう子がいるの?」
「いるんですよね、そういう子が。定期的に1、2週間休む子が」
「それって歩夢君?」
空澄は渦中の人物の名前しかも親しげに下の名前で呼ぶのを聞いて思わずドキッとした。なんでのあ先輩が一個下の、ましてや全く接点がない桐谷のことを知っているのかを単純に疑問に思ったからだ。
「歩夢君はね...言えないな。でもまあきっとそのうちわかるよ」
引き金となったかのように突然風邪が吹き始めた。風に揺れる髪の隙間から見える胡桃の顔はどこか儚げだった。空澄はそんな胡桃の表情を今まで見たことがなかった。
「なんで病院なんて行くのさ」
「おばあちゃんが入院してるんだからしょうがないでしょ。セナも最近顔見せてないんだからたまには来なさい」
あの一件から1週間があった。空澄自身は二、三日ほど悶々としていたが、気づけばそんな悩みはゲームの弾丸と共にどこかへ旅立ってしまっていた。
(でもまあそのうちきっとわかるよ)
あの時は意味深に感じた言葉も今ではもう何も感じなくなってしまっていたのだ。
「おばあちゃん久しぶり」
空澄の祖母は個室ではない、いわば大部屋に入院している。そんなに大掛かりな検査ではないし色んな人と会話ができるからとの理由だった。空澄の視線の先には祖母と同じくらいの年齢の人、まだ小学校にも入院していないような小さな子など十人十色といった感じだった。しかしとある人物を見た瞬間、空澄の視線は釘付けになった。目線が合ってしまった彼は瞬きすら忘れてしまっているようだった。
「空澄さん?」
空澄の祖母の隣には彼、桐谷歩夢が患者衣を着てベットにいた。空澄は祖母と母親を置き去りにし桐谷の元へと一目散に駆け寄った。
「なんで、なんで桐谷君がここにいるの?サボりとかじゃないの?」
「...」
桐谷は神妙な面持ちだった。委員長の時の桐谷、ふざけている時の桐谷、どの桐谷でもなかった。空澄はそんな桐谷を見てただ事では済まないと肌感じていた。しかしここまで来てしまっては後には引けないと覚悟を決め口を開いた。
「もしかしてさ...桐谷君は病気なの?」
空澄は聞かなくても桐谷が病気なことくらいわかっていた。しかし桐谷に口を開くきっかけを作ってあげたのだ。相槌でもいい、なんならそのまま答えてくれたって構わなかった。空澄の手には祖母と手を握っていた温もりではなく色んな感情を含んだ手汗が巡っていた。
「...そうだよ。いやまさか、こんなシチュエーションでバレるなんて思ってなかったよ」
思いの外桐谷は元気そうに笑った。
「実は俺は...もうそろそろ死んじゃうんだ」
あまりにも淡々と告げられてしまうその事実に空澄は絶句した。ただ長期間治療が続いてるだけ、たまたまだよ、みたいな返事を求めていたのに心の奥底にあった考えられるであろう最悪な返答をもらってしまったからだ。あんぐり口を開いてしまった空澄を見て桐谷は話を続けた。
「空澄さんは一年生の時一緒だったから知ってるだろうけど、その時からこんな感じなんだ。その時っていうか、ずっと前からかな。のらりくらり理由をつけてみんなから逃げてきたけど実際はこうなんだ。学校側には言わないでくれってお願いしてる。もちろん担任の先生にも。だって気を使われるのってどっちにとっても酷じゃんか」
「それでも!...それでもさ...」
空澄の突然の大声に大部屋には1度沈黙が訪れることとなったがすぐに先程までの賑やかさが帰ってきた。空澄と桐谷の空間とは天と地の差があった。
その後の会話を空澄はほとんど覚えていなかった。あまりにも淡々と語られていく重い話にショックを受けたからだ。今まで一緒に過ごしてきた人がもうすぐ死んでしまうという事実を空澄は受け止めきれなかった。いや受け止めようとしていなかった。
「...それはほんとなの?ねえ!嘘って言ってよ!嘘ってさ!授業の時みたいにふざけてよ!そんな嘘誰も幸せにならないし、冗談だとしても度が過ぎてるよ!」
溢れ出る涙を止められずにいた空澄の目には嘘ひとつ孕んでないことを告げるような桐谷の姿があった。嘘にしてはあまりにもできすぎていて巧妙に作られたものだと空澄は理解していた。でも最後の希望さえ捨てたくなかった。ドッキリであってほしいという一縷の望みすら叶わなかった。
「...空澄さんは俺に涙してくれるんだ。こんな接点がない俺のことを」
桐谷は空澄の涙を拭った。拭っても拭ってもしばらくは止まることを知らなかった。背中をさすったり頭を撫でてやったりして持てる術を総動員して桐谷は空澄のことをあやした。
「なんで、なんで桐谷君はそんなに落ち着いていられるの?」
「もう決まりきったことだから。運命なんて変えられない。俺の死は絶対にやってくる、奇跡なんて起きやしないんだ。だからこそ今のこの瞬間をいつも通り楽しみたいんだ」
桐谷の目には覚悟と少しの絶望が混じっていた。
「だから隠しておいてほしいんだ。俺は最後までいつも通りでいたいんだ。お願いだ、空澄さん。どうかみんなには黙っていてほしい」
死を宣告されている人の要求を呑まないなんてそんな残酷な選択肢は空澄にはなかった。