「ぶっさんおはよう!」
「おはようございます桐谷君」
「なんやそれはなぶー。そんなお嬢様口調じゃないやろ、今更ぶらんくてもええて」
「はぁ?!まだ間に合うだろ」
「いやもう無理かもぶっさん、ていうかその気持ち悪い?口調初めて聞いたし」
「おい!気持ち悪いとか言うなよ」
「はなぶー言われてんぞ〜」
あの日を境に桐谷は少しずつ変わっていった。まず周りを取り囲む人間が単純に増えたこと。親密な関係から1歩距離を置くようにしていた桐谷だったが今は少しずつ化けの皮が剥がれてきているようだった。
「む〜」
「どうしたのさセナ、そんな顔しちゃって」
そんな光景を窓際で眺めている空澄は内心穏やかではなかった。私たちは決して恋仲ではないということはわかっているのだ。しかし心のどこかで何かが刺さっているようだった。そんな悩み事は橘にはお見通しだった。
「ふ〜ん、視線は嘘をつかないね」
「なっ!」
「どうせまた桐谷君でしょ。最近ずっと桐谷の方見てどうしたの、学祭マジックにでも見舞われたの?」
「そういうわけじゃないけど。だいたい好きじゃないし。なんか変わったなって思ってさ」
「まあ確かにね、特に、女子と話す頻度が多くなったかも。めっさんとからむちとも最近仲良くなってるみたいだし、男との交友関係はそこそこ広かったみたいだし要領良くやってんじゃない?」
「私はいいんだけどさ」
「ほんとにいいの?」
「ほんとだって」
橘の目には明らかに空澄が強がってるようにしか見えていなかった。それもそのはずだ。いつも柔和な顔立ちをしている彼女は最近眉間に皺を寄せて険しい表情をすることが多くなっていたからだ
「なんか薬の量増えた?」
「え、ああ。実は一つだけ増えたんだ」
「...そう」
桐谷の友好関係が広がっても屋上での語らいの時間は毎日続いていた。二人きりで落ち着いて話せる唯一の時間だった。
「あとさ、言わなきゃいけないことがあって」
「え、いきなりなに」
「そろそろ検査入院で2週間くらい学校休むんだ」
「検査...入院」
「何深刻そうな表情してんだよ。何回もしてきてるから大丈夫、しかも検査だしまだ死なないよ」
「お見舞いは行っていいの」
「へ、なんて言った」
「だから、お見舞いには行っていいのかって」
「え、ああもちろん。いやなんか空澄が来てくれるんだって思って。ちょっと感慨深いわ」
「私そんな薄情なやつって思われてたわけ?」
「でも一つだけ条件がある。まあだいたい予想つくと思うんだけど、1人でくるか、もしくはのあちゃんと来るかにしてくれ。寂しいだろうからってかみととかヘンディーとかギルくんとか連れてくるなよ?」
「わかってる」
「それならよし、ていうかなんでそんな機嫌悪そうなの?」
「あんたのせい」
「え?!俺のせい?!悪かったって、何したか教えてくれよ〜」
「ここは?」
「俺の家。俺の家喫茶店やってんだ。普段友達連れてくることないけど特別だぞ」
放課後桐谷は空澄の機嫌を取るために色々画策した結果、何か甘いものを食べてもらえばいいのではという考えに至った。
「すっご...。なんか風情あるね」
「でしょ。俺自身も家じゃなくてカウンターの席借りて勉強したり読書することが多いんだ。落ち着くし」
全体的にレトロで学生受けこそ無さそうだが店内を見渡す限り客はしっかりいる。周りに飾られているものや家具はアンティークもの、店内に入るとまず1番先に目に入る大きな壁時計、LEDとはまた違った暖かみのある照明が空澄を出迎えてくれた。橘や英といった仲良しと行くような洒落た喫茶店とはまた違った雰囲気で新鮮さを感じていた。
「お父さん、この子が空澄セナ」
「は、初めまして。空澄セナです」
「おー君が空澄ちゃんか!初めまして、いつも歩夢がお世話になってます」
カウンターから出てきたのは桐谷の父親。昭和レトロのシックな雰囲気とは打って変わった爽やかな笑顔が特徴的な人だ。空澄はどうしてこのような内装にしたかをアイスブレイクがてら聞いたところ完全な趣味であると言っていた。幼少期に両親のカフェ巡りに付き合わされていた経緯もあり、自分の中で一番印象に残っている喫茶を参考にしたとのことだ。
「お父さん、注文なんだけど。俺は...どうしよ、とりあえずアイスコーヒーで、空澄にはいちごパフェで」
「えっ」
「えってなんだよ。空澄いちご好きなんだろ?」
「わかったよ。ちなみに空澄ちゃん、歩夢は普段アイスコーヒーなんて頼まない」
「おい!それを言うなよ!」
「あはは!何背伸びしてんのさ」
「ただ恥ずかしいだけじゃんかよ」
「恥ずかしいなら1度熱を冷ますために空澄ちゃんにパフェ作ってきてあげたらどうだ」
「え〜俺がかよ。下手くそでもいい?空澄」
「いいよ、桐谷が作ったの気になるし」
「わかったよ、その代わり自分で作るから代金はなしな、お父さん」
「仕方ない、それくらいは勘弁してやるよ」
足早に桐谷は去っていった。空澄はやはり親子なんだなと思っていた。どちらも茶目っ気に溢れていて笑っている様は親子であることを何よりも決定づけていた。
「歩夢は学校で元気にやれてる?」
「はい、最近は色んな子とも話してて元気にやってますよ」
「それなら良かった。あいつはさ、ずっと我慢してるんだ。我慢っていうか自分の気持ちを素直に出せないって言うか、多分俺に似ちまったんだな。本当は甘えん坊なんだ。だけど年が経つにつれて少し俺の前でもああやって見栄を張るようになったんだ。俺たちのことを安心させたいんだろうな」
さっきまで中学生のようなやりとりをしていた姿ではなく我が子を思いやる1人の立派な父親として息子を心配している目をしていた。
「歩夢は本当に俺から産まれたのかってくらいできの良い子だと思ってる。そんな子があと1年足らずで空に旅立つって思うとやるせないな」
「まだ1年って決まったわけじゃないです、まだわかりません」
「俺もそうは思ってるんだ。思ってるんだけど...いや弱気じゃダメだな、あいつを信じないでどうするんだって話だな。ありがとう空澄ちゃん」
「私も桐谷君のことは信じてますから...ちょっと信用ないけど」
「はい、空澄。パフェ。お父さんになんか言われなかったか?」
「いーや俺は何も言ってないね。強いて言うなら今空澄ちゃんがお前のこと信用してないって言ってたけど」
「はぁ?どこが信用ないって」
「最近妙に女たらしだと思うんですけど?」
「おぉ、ついに歩夢にも春がきたか!」
「いやたらしてねーし!ただ仲良くなりたいだけな!」
その後、桐谷の父は持ち場へと戻り2人は各々注文したものを食べてこの日は解散となった。空澄はベットで横になりながら桐谷のことについて考えてみた。彼女にとって知り合ってからの日々は楽しいものだった。今までの生活に不満があった訳では無い、その日々に様々な彩りが加わっていったのだ。
(私と桐谷ってどう思われてるんだろう)
率直な疑問だった。橘とかみとはクラス内でもはや夫婦という扱いになっていた。一方ギルくんと白波は程よい距離を保っていて見る者が口を揃えて微笑ましいと語っている。
(ただの仲良い異性、そう。ただそれだけ、他の人より秘密を知っちゃっているだけだから)
心の底では好意を抱いているかもしれない、しかしその気持ちに真剣に向き合う気にはなれなかった。
「3日も休んでるじゃん」
「またいつものやつじゃないの、1年の時からこうなんだからなんとなくわかる」
「さっすがセナ」
桐谷の検査入院が始まって今日で三日が経った。空澄は既に上の空だった。授業中に当てられても話なんて聞いている訳もなくトンチンカンな解答をし、体育では何も無いところで躓き、しまいには小テストも忘れる始末だった。何事もそつなくこなす空澄はらしくないミスを何回もし、クラスメイトから度々心配されていた。
「よお空澄」
「ん、これお土産」
「おおありがとう、こんなに沢山のフルーツもらえるなんて初めてだわ。小説みたい」
「私もあげる立場になるなんて思ってなかった。それで、体調の方はいいの?」
「もちろん、このとおり」
そういうと桐谷は以下にも元気がありあまっているかのように体を過剰に動かし始めた。万が一を考え空澄はすぐにその行動を静止させ、傍にあった来客用の椅子に腰を下ろした。前訪れた時と打って変わって今回は完全個室で今この空間には空澄と桐谷ただ二人きりだった。
「みんな俺が休んでるのなんか言ってた?」
「う〜ん、また休み始めたな〜ってみんな言ってる」
「そうだよな〜よくみんな何も言ってこないよな。俺そんな人望ないか?」
「ただのサボりって言ってる方が悪いんじゃないの」
「それもそっか、俺が悪いわ。ところで空澄、かみとからこんな話を聞いたんだ」
「なに」
「空澄が桐谷いなくなってからすっごいドジするようになって心配だわ〜って」
「は?!そんなことないんですけど!!」
「うるさい、ここ一応病室だから静かにしてろ」
「それはごめん、でも桐谷がいなくなったとかそんなんじゃないし。夜遅くまでゲームしたりただぼーっとしてるだけだし」
「はいはい、そういうことにしておきますよ。ところで今日の学校はどんな感じだった」
空澄は全く腑に落ちていなかったが今日学校で起きたことを話して言った。最近は席替えをして前の方になってしまったこと、小テストが思ったよりも難しかったこと、体育祭で徒競走の代表に選ばれてしまったことなど。空澄自分の高校生活はそこそこ彩られていることを桐谷に話していて実感していた。桐谷にとっての一日は、病室にいるだけの空白の1ページに過ぎない。しかし空澄とっては1つの絵画であったのだ。
「へ〜空澄徒競走の代表か、なんか意外。陸上部だっけ?」
「いや今は違うよ、小学校の時やってただけ。中学は吹奏楽部だし、まあブランクは結構あるって感じ」
「あ〜1年の時は陸上部の子で代表埋まってたからな。なんか空澄が走ってるとこ見んの楽しみかも」
あどけない表情で笑う桐谷は切実に空澄の走りを楽しみにしているようだった。
「そんな期待しないでくれる?ところで桐谷は体育祭って来れるわけ?そもそも来ないと私の走りなんて見れないけど」
「そりゃ行くさ。でも、参加できるかは...怪しいな」
桐谷の周りを囲む機器たちがその言葉を助長していた。空澄にとってはドラマや映画でしか見たことの無いような名前も知らぬ機械が桐谷と繋がっていた。見てるだけで痛々しかった。
「一応借り物競争に入ってた、それだけは教えておく」
「まじか〜。まあ肉弾戦とかじゃないしいいか、それくらいだったらできそう」
「あ、借り物っていうか。今年は人を借りるらしい」
「なんだそれ、好きな人とか当たったらどうしよっかな」
「鼻の下を伸ばすな、気持ち悪い」
「少しくらい想像したっていいだろ、万が一のシュミレーションだぞ。それと病人は丁重に扱え」
「心配させたくないって最初に言ってたのはどこの誰?」
「それ言われたらお終いだわ」
2人の声が病室内に木霊する。笑うタイミングが少しづつ似てきているような気がした。
「じゃあ、私はこれで帰るから」
「おう」
「...なに、なんか私についてる?」
「いや、なんていうか。その、また来てくれたら嬉しい」
「あ、うん。わかった、お大事にね」
「顔、赤いぞ」
「うるさい、夕日が綺麗なだけだから」
空澄は勢いよく扉を閉め病室を後にした。最後の最後に2人はぎこちなかった。空澄は今日くらい走って帰路についてもいいと、そう思った。