目を覚ますと電車の中にいた。
目の前の席に対面する形で青い髪の女の子が座っている。
その子の軍服にも見える白い制服に幾らかの血が付着している。
よく見ると頭からも血が流れてるようだ。
「お嬢さん、大丈夫か?」
「…私のミスでした」
「…お嬢さん、聞こえてるか?」
青い髪の少女は俺の質問に一切答えず、どこか遠くを見ているような目で俺を見つめ返している。
「全ては私が選択を誤ったから…ですが先生、あなたなら…」
「先生…?」
俺は教職に就いた覚えはないし教員免許だって持ってない。
この子は誰か別の奴と勘違いしているのではないか。
「おい、しっかりしろ。救急車呼ぶか?」
「先生、後は頼みました」
視界がゆっくりと白い靄に包まれていく。
俺は少女に手を伸ばそうとして…
意識を手放した。
誰かが俺の体をゆすっている。
誰だ?
副官のドロシーか、そうでなくてもコンソーシアムの誰かだろう。
「先生、起きてください」
先生だって?
俺は急速に意識がはっきりと覚醒して飛び起きた。
「きゃっ⁉」
俺の顔を覗き込んでいた誰かと盛大に頭をぶつけた。
「あぁ、すまん…寝ぼけていたものだから」
「いえ…私こそすみません」
ふと違和感を覚えた。
聞いたことのない声だ。
誰だ?
瞼を開いて相手を見た。
知らない若い女性だった。
黒いロングヘアーに既視感のある白い制服を着ている。
髪の間から見える耳はひどく尖った特殊な形状をしていた。
「誰だ、君は?」
彼女は額を押さえていたが、数舜の後にきりっとした表情でこちらを向いた。
「失礼、申し遅れました。私は七神リン。現在は連邦生徒会の会長代理を務めさせて頂いています」
「生徒会だって?ハイスクールにしては立派な制服じゃないか」
「いえ、連邦生徒会は行政機関ですので」
「行政機関?学生が政治をやるのか?」
「おかしいでしょうか」
「社会学部でもそんなカリキュラムはないだろう」
「社会学部は社会学を専攻するのであって政治とは直接関係ありませんよ。どちらかと言えば法学部ですね」
「…そうか。じゃあ君は法学部に所属しているのか?」
「いいえ?」
「じゃあ何か?本当に政治をやっているのか?」
「えぇ、その辺はおいおいお話します。まずは下へ降りましょう」
「下?」
よく見ると窓から雲の流れが見えた。
覗き込んでみると地上より空の方が近いように感じられた。
ここはずいぶんと高いビルの上階のようだ。
「先生、こちらに」
リンがエレベーターのボタンを押しながら俺を呼んだ。
そう言えば“先生”という呼び方はどういう事なんだろうか。
「俺は教員免許なんて持ってないぞ」
「勉強を教える必要はありません。それと先生というのは便宜上の呼び方なのでお気になさらず」
ドアが開き俺たちはエレベーターの中に入った。
リンがボタンを押すと足元が振動しエレベーターは下降していった。
「待ってくれ、そもそも俺は何でここにいるんだ?職場に戻らないといけないんだが」
俺には吸血鬼をせん滅する使命がある。
「ここは先生がいた世界とは隔絶された世界です」
この子は何を言っているんだ?
「ですので、申し訳ないのですが元の世界に戻る手段は私にもわかりません」
俺はふとある可能性に気づき、腰の拳銃を抜いてリンに突き付けた。
「先生…?」
「簡単なことだったな、俺としたことが気づくのに時間がかかってしまったが。これは吸血鬼の幻覚だろう」
リンはじっと俺を見つめている。
「吸血鬼はお前か?それともお前も幻覚で本体は別の場所にいるのか」
「吸血鬼…例の噂と合致しますね」
何を言っている?
「先生、私は幻覚でも吸血鬼でもありません。ただの生徒です」
「それを信じろと」
「私の目をよく見てください」
「その手は食わない。催眠をかけるつもりだろう」
吸血鬼は目を合わせた相手を催眠状態にして言いなりにできる。
「そんなことしませんよ…」
彼女はあきれたように言った。
信じるべきか…
「分かった」
俺たちは見つめあった。
リンの背後のエレベーターの窓から高層ビルが建ち並ぶ景色が見えた。
空に巨大な円環が浮いている。
俺は銃を下ろした。
「…信じて下さったのですね」
「まぁな。正直まだ疑ってるが、吸血鬼が見せる幻覚にしてはファンタジックすぎる」
奴らが見せる幻覚はもっと人の尊厳を無視した醜悪なものばかりだった。
「先生、先程吸血鬼とおっしゃっていましたが」
「あぁ」
「先生は実在すると?」
「俺も昔は信じていなかった。そのせいで大切なものを失った」
気づいたら俺は血が滲む程強く手を握りしめていた。
「…そう言えばまだお名前を伺っていませんでしたね」
「俺か?俺はランドルフ・カーターだ」
ランドルフはエレベーターが一階に着くまでの間、リンにこの世界の事を教えてもらっていた。
キヴォトス…方舟の名を冠するこの地は彼が住んでいた場所とは何もかもが異なっていた。
どうやら一般市民はロボットや獣人が殆どで、国家の様なシステムを形成している様々な学園にはリンの様な耳が特殊な形状をしている者の他に獣耳や翼、角の生えた生徒達もいるらしい。
「生徒が吸血鬼になったらこれまで以上に探すのが困難になるな…」
「その吸血鬼ですが…」
『一階です。ドアが開きます』
リンの言葉はエレベーターのアナウンスに遮られた。
ドアが開くとその先にはやはりリンの言っていた様に普通の人間には見えない姿の学生達がいた。
特に黒い制服に身を包んだ翼の生えた生徒は、吸血鬼が中途半端に力を解放した姿の様に見えた。
ランドルフは反射的に銃を構えた。
「先生、彼女は普通の生徒です」
リンがランドルフを諌める様に言った。
「…すまん。吸血鬼にしか見えなかったんでな…本当に吸血鬼じゃないんだよな?」
ランドルフは未だに信じられないという様にリンに確認をとった。
「あの…その大人の方は?」
青い髪をツインテールにまとめた少女が聞いてきた。
「俺はランドルフ・カーター。昨日まで吸血鬼狩りをしていたんだが、今はどうも教師らしい」
ランドルフはおどけて言った。
「はぁ…」
少女のランドルフを見る目が胡散臭いものを見る目に変わった。
「皆さんの様な“ご大層な方々”が“こんなところ”まで“わざわざ”いらっしゃった理由は分かっています。」
リンが咳払いして注目を集めてから皮肉たっぷりに言った。
「今、学園都市に起きているこの混乱の責任を問うためにでしょう?」
「そこまで分かってるならなんとかしなさいよ!連邦生徒会なんでしょ!」
青髪の少女は食ってかかる様に言った。
「この前なんかうちの学校の原子力発電所の冷却棒が外れて危うくメルトダウン寸前だったんだから!」
とんでもない台詞が少女の口から紡がれたが、それは生徒会の責任じゃないだろうとランドルフは思った。
「連邦矯正局に収監中の生徒達の一部が脱走したとの情報が入っています」
ベージュ色の髪の救急箱を持った少女が言った。
「スケバンの様な生徒達が自治区内で他の生徒を襲撃する機会が多くなっています」
鳥の翼の様な癖毛のある銀髪の少女も問題を報告した。
「戦車やヘリコプターなど、出所のわからない兵器の不法流通も2000%以上増加しました。学園の正常な運営が困難になっています」
相変わらず吸血鬼の様に見えるやけにセクシーな格好の少女も畳み掛ける様に言った。
「…」
リンは何も言わず、ランドルフは傍観に徹していた。
「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの?どうして何週間も姿を見せないの?今すぐ会わせて!」
しびれを切らした様に如何にも理系らしい制服の少女は言った。
「…連邦生徒会長は今、席におりません。正確に言いますと行方不明になりました」
「えぇ!?」
その場にいた全員が大なり小なり衝撃を受けた様だった。
「結論から言うと『サンクトゥムタワー』の管理者が不在の為、今の連邦生徒会は行政権を喪失していました」
「認証を迂回する方法を模索していましたが…先程解消されました」
リンの一旦責任逃れの文句を置いてから解決法を提示するというやり方にランドルフは内心感心していた。
「ここにいらっしゃるランドルフ先生が、フィクサーとなってくれるはずです」
「…この人が?」
全員から胡散臭いものを見る目で見られたランドルフはお手上げと言わんばかりに両手を上げた。
「待ってくれ、俺はまだ右も左も分からないんだが」
「皆さん、こちらのランドルフ先生は連邦生徒会長が直々に指名した方であり、元々は連邦生徒会長が立ち上げた連邦捜査部『シャーレ』の担当顧問として招集した様です」
「なんだそれは」
「シャーレは一種の超法規的機関です。本来規定されているあらゆる学則を無視して戦闘や生徒の支援を行えます…シャーレはここから約30キロ離れた外郭地区にあります。そこの地下に連邦生徒会長の命令である物を運び込んでいます。では今から参りましょう」
そう言うとリンは徐に携帯端末を取り出してどこかへ連絡した。
「モモカ?先生をシャーレにお連れするからヘリを用意して欲しいのだけれど」
「シャーレ…?あぁ、外郭地区の?あそこ今戦場になってるよ?」
「…は?」
リンの携帯がベキっと悲鳴を上げた。
ランドルフにはヘイローが見えていません。