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私が先生に特別な感情を抱いたのは、いつからだったのだろうか。
彼の微笑みはいつだってあたたかい。アリウス分校時代に嫌というほど目にしてきた、張り付けたようなうすら笑いとは違う確かな熱がそこにはあった。その熱に、私の心はいともたやすく絆されてしまっていた。
彼は平等に生徒を見ている。つまり、彼の思いやりからくる熱は万人に対して同様であり、そのなかに私も含まれている、というだけである。しかし、過去に幾度となく罪を犯しながらも卑しく生きながらえてきた落伍者である私を"生徒”にカテゴライズしてくれること自体が、私にとっては驚愕に値すべきことなのだ。
ある種の病理とすらいえるほどに徹底した平等主義。彼にとっては、優等生も犯罪者も皆等しく大切な生徒であり、守り、導くべき対象。だからこそ、そんな彼の優しさに甘えてしまっている私も、他の生徒と同様に彼に親愛の情を抱いてしまうのも無理もないことだろう。そんな資格など、私にあるはずもないのに。
「どうしたの? サオリ」
彼の一言で、まどろみからハッと目を覚ます。いけない、仮にも業務中であるというのに注意が散漫していた。
「すまない、大丈夫だ」
そう答えてから業務を再開する。先生から任される仕事は書類の整理がほとんどで、言ってしまえば大した苦労は要しない。にもかかわらず、彼はお礼と称して私に──正確には私たちスクワッドに──大量の支給品をくれる。それこそ、対価としては到底釣り合わないほどに。私が断ろうとしても、彼はそこだけは譲れないとの一点張りだった。呆れるほどの聖職者ぶりだ。昔の私なら、偽善者の戯言と切り捨てていたであろう。しかし、それが偽善ではないことを、今の私は知っている。
「先生、終わったぞ」
カテゴリ分けされた書類の束を先生に手渡す。彼は「ありがとう」と言ってふたたび微笑んだ。刹那、私の心臓がドクリと跳ねる。
──まただ。また、これだ。
最近の私はどこかがおかしい。彼からあたたかい言葉を投げかけられるたび、親愛のこもった笑みを向けられるたび、私の脈拍は加速度的に回数を増す。
いったい、これは──。
「サオリ?」
我に帰って、伏せていた眼をあげる。そこには心配そうに顔をしかめる先生がいた。
「いや、問題ない。本当になんでもないんだ」
慌てて取り繕おうとするも、不恰好だったからか彼の目尻は緩む様子を見せない。彼は顎に手を当てて数瞬悩むそぶりを見せたかと思えば、何かを思いついたように顔を上げてこう言った。
「私と、ドライブに行かないかい?」
時刻は午後の二時を回った頃だった。先生は近くのレンタカーショップにてオープンカーを借りたのち、慣れた手つきでアイドリングを始めた。
「サオリも乗りなよ」
彼は助手席をポンポンと叩いて私を案内する。それに釣られるように私は席に腰をかけ、シートベルトを締める。
「それじゃ、いくよ」
先生はアクセルを踏んで、人気もまばらな車道で最高法定速度のギリギリを攻めながら走り出した。私は慌てて帽子を押さえ、そっと他の荷物の横に置いた。
「どこへ行くんだ?」
「すぐにわかるよ」
そう言われても、一向にわからない──なんて思ったのも束の間、一瞬、頬にベタついた感覚が襲ってきたことに気がついた。いつの間にか、乾いた風は若干の粘性を含み、鼻で息を吸えば潮の香りが鼻腔を貫く。
「……これって」
「もうわかったかな?」
そろそろだよ。と彼が声をかけると同時にトンネルに入った。それは一分にも満たなかったかもしれないし、十分以上変わりのない景色を見せられていたかもしれない。いずれにせよ、私は眼を閉じていて、次に視界が開けたときには真横に大海が広がっていた。
私は息を呑む。海自体はかつてDJや屋台のアルバイトで訪れたことがあった。が、それらを遠巻きに、全体を一つの画角に収めるようにして視界に入れたのは初めてだったかもしれない。
「……海とは、ここまで綺麗なものだったのだな」
「そうだね」
先生は軽く返事を返したのちに「近くにいると、かえって気付けないものってあるよね」と笑った。
近くにいると、気付けないもの。
それは、まるで。
私が先生のそばにずっといたからこそ、気付けなかったものがあったみたいで──。
「サオリ?」
先生が心配そうな声で話しかける。よそ見でもしたのだろうか。顔、赤いよ? と心配の声までくれて。
「いや、問題ない。興奮していただけだ」
「めずらしいね、そこまで素直に言ってくれるなんて」
「私を天邪鬼か何かとでも?」
「い、いや。そういうことじゃなくて」
「ふふっ、冗談だ」
今の私は、熱にうなされている。
これは絶景を前にしたことによる興奮の熱なのか、それとも──。
私は左手の人差し指と親指で銃の形を作り、こめかみに当てて、バン。と小さく囁いた。
私の