藤崎詩織(中身オッサン)、平穏な独身ライフ所望します! ~伝説の樹の下で告白されても困るんですが!?~ 作:月影 流詩亜
二次創作は、二度目ですがハーメルンでは初めてです。
不定期になりますが、出来るだけ間を開けないようにしたいと思っています。
尚、私は藤崎詩織さんを攻略できませんでした(笑)
『ときめきメモリアル』の再販売を記念して書いているので、楽しんでもらえると嬉しいです。
ああ、またこの薄暗い蛍光灯の下か。
時刻は午後11時半を回ったところ。 俺、山田一郎、45歳独身、しがないサラリーマン。
目の前にはエベレストもかくやという高さに積み上げられた書類の山、山、山。こいつらを今夜中に片付けろってんだから、うちの部長は鬼か悪魔に違いねえ。
「山田君、これ、明日の朝イチでお願いね。 悪いけど、最重要案件だから」
そう言ってにこやかに(しかし目は笑っていない)部長が新たな書類の束を俺のデスクにドンと置いたのは、確か定時のチャイムが鳴り響いた午後6時のことだったか。
あれから5時間半、俺は栄養ドリンクとカフェイン錠剤をドーピングしながら、ひたすらパソコンと睨めっこだ。
肩はバキバキ、腰はギシギシ、目はショボショボ。もう若くねえんだよ、こっちは。
(ああ…今週末こそは…昼間っから競馬中継見ながら缶ビールあおって、そのまま畳の上で大の字になって寝てやる…)
そんなささやかな、しかし今の俺にとっては桃源郷のような夢想だけが、かろうじて俺の精神を繋ぎとめていた。
だが、その夢もついに限界を迎えたらしい。
強烈な眠気が津波のように押し寄せてきて、俺の意識はまるで深海に沈むように、ゆっくりと、しかし確実にブラックアウトしていった。
最後に脳裏をよぎったのは、万馬券を握りしめてガッツポーズする俺の姿だったような気がする…。
次に意識が浮上した時、まず感じたのは背中に当たる妙な柔らかさだった。
会社の硬い椅子じゃない。
それに、あの耳障りなパソコンのファンの音も聞こえない。
代わりに、小鳥のさえずりのようなものが聞こえる。
「…ん? …朝か?」
まだ完全に覚醒しきらない頭で、重い
目に飛び込んできたのは、見慣れた自室のシミだらけの天井ではなく、やけにファンシーな模様の入った、清潔そうな白い天井だった。
「…どこだ、ここ?」
状況がまるで飲み込めない。
俺は昨夜、会社で残業していたはずだ。
まさか、過労でぶっ倒れて病院にでも運ばれたのか ?
いや、それにしちゃあこの部屋は生活感がありすぎる。
ふかふかの羽毛布団に、レースのカーテン。
まるで…まるでどこぞのお嬢様の部屋じゃねえか。
混乱しながらも、とりあえず起き上がろうと布団に手をついた。その瞬間、俺は我が目を疑った。
「なっ…!?」
なんだこの手は!?
俺の、長年のデスクワークと安酒で鍛え上げられた(?)ゴツくて日焼けした手じゃない !
まるで雪のように白く、驚くほど細く、指なんて下手に力を入れたらポキリと折れてしまいそうなほど華奢な手だ。
マニキュアもしていないのに、爪が淡いピンク色に艶めいている。
「うそだろ…おい…」
慌てて自分の体を見下ろす。
そこにあったのは、俺の弛みきった中年太りの腹ではなく、信じられないほどくびれたウエスト。
パジャマの上からでもわかる、明らかに女性的な体のライン。
「な、な、な、なんだこりゃああああああああ !?」
俺は生まれてこの方出したことのないような、甲高い悲鳴を上げた。
いや、正確には「上げたはずだった」。
実際に俺の喉から飛び出したのは、鈴を転がすような、可憐で澄んだソプラノボイスだった。
「声まで…女になってるじゃねえか…!」
パニックに陥りながらも、部屋の中を必死に見回す。ドレッサーだ。鏡がある。
俺はふらつく足取りで(これもなんだか頼りない)、鏡の前に立った。
そして、そこに映った姿を見て、俺は完全に言葉を失った。
そこにいたのは、紛れもなく「女」だった。
それも、とんでもない美少女だ。
サラサラの長い髪、大きな瞳、通った鼻筋、桜色の唇。
どこかで見たことがあるような…いや、見覚えがありすぎる。これは…この顔は…まさか…。
鏡の横に立てかけてあった学生証が目に入る。
震える手でそれを掴み、そこに書かれた名前を確認する。
「ふ、藤崎…詩織…?」
その名前を見た瞬間、俺の脳裏に、遥か昔、青春時代に夢中になったあるゲームの記憶が鮮烈に蘇った。
そう、乙女ゲームの金字塔「ときめきメモリアル」。
そして、藤崎詩織といえば、そのゲームに登場するメインヒロイン。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、おまけに性格まで良いという、まさに完璧超人。
攻略難易度が異常に高く、当時のプレイヤーたちからは「ラスボス」と恐れられた、あの…。
「俺が…藤崎詩織に…? あのラスボスに転生したってのかよ !?」
冗談じゃねえ ! なんで俺が ! 45歳のしがないサラリーマンの俺が、こんなピチピチの(死語か?)女子高生に ! しかも、よりによってあの藤崎詩織 !? あんな面倒くさい女(ゲーム的な意味で)に !
頭を抱えてその場にうずくまる。これは悪夢だ。きっとまだ俺は会社で居眠りしていて、タチの悪い夢を見ているに違いない。そうであってくれ、頼むから!
しかし、頬をつねっても痛みはあるし、目の前の鏡に映る美少女は消えやしない。
絶望的な現実を突きつけられ、俺はしばし呆然としていた。
しばらくして、ふと冷静さを取り戻した(というか、諦めの境地に至った)俺は、一つの疑問にぶち当たった。
「…トイレ」
そう、生理現象だ。
男の俺が、この女の体で、どうやって用を足せばいいんだ ?
いや、それ以前に、この体は一体どういう構造になっているんだ ?
考えれば考えるほど、頭が痛くなると同時に、顔から血の気が引いていくのを感じた。
結論から言おう。 トイレでの体験は、俺の45年間の人生で最も衝撃的で、最もプライドがズタズタになる出来事だった。
具体的な描写は勘弁してほしい。
思い出したくもない。ただ一言、絶望した。心底。
トイレから這々の体で戻ってきた俺は、ベッドに突っ伏して本格的に泣いた。
もちろん、声は可愛らしいソプラノだが、魂は紛れもなく45歳オッサンの慟哭だった。
どれくらいそうしていただろうか。一頻り泣いて(少しだけスッキリした)、ようやく俺は顔を上げた。
窓の外はすっかり明るくなっている。
どうやら、今日は学校があるらしい。机の上には、見慣れない教科書やノートが置かれていた。
そして、ハンガーには「きらめき高校」の制服がかけられている。
「…行くしかねえのか、学校」
ため息と共にか細い声が漏れる。
行きたくねえ。めちゃくちゃ行きたくねえ。
だが、この状況で家に引きこもっていても埒が明かないだろう。
それに、この藤崎詩織という少女の生活を壊すわけにもいかない(もう既に俺の存在自体がバグみたいなもんだが)。
ふと、前世で叶わなかった俺のささやかな夢を思い出した。
(平穏な独身ライフ…)
そうだ。 俺は、誰にも邪魔されず、自分のペースで、穏やかに生きていきたかったんだ。
競馬新聞を隅から隅まで読みふけり、昼間からビールを飲み、贔屓の野球チームの勝敗に一喜一憂し、疲れたら昼寝する。
そんな、何の変哲もない、しかし俺にとっては至上の幸福である生活。
「…よし、決めた」
俺はこの世界で、藤崎詩織として、その「平穏な独身ライフ」を勝ち取ってやる。
そのためにはどうすればいい ?
簡単だ。誰ともフラグを立てなければいい。
誰からも好かれず、誰からも嫌われず、空気のように3年間を過ごし、無事に卒業する。
そして、その後は…まあ、その時に考えよう。とにかく、目標は「ぼっち」だ! ぼっち最高 !
しかし、問題はこの藤崎詩織という女のスペックだ。
成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。こんなハイスペックな存在が、どうやったら空気になれる ?
目立たないようにしようとすればするほど、逆に「ミステリアス」だとか「クール」だとか思われて、余計に注目を浴びるのがオチじゃねえか ?
「…クソッ、無理ゲーじゃねえか!」
頭を掻きむしる。だが、やるしかない。
スペックは維持しつつ、存在感を消す。
この矛盾したミッションに、俺は挑むしかないのだ。
俺の、俺だけの、平穏な独身ライフ(詩織の体でどう実現するのかはさておき)のために !
覚悟を決めて、ハンガーにかかった制服に手を伸ばす。セーラー服にスカート、そしてリボン。
「…スカート、か。スースーしそうだな…」
慣れない手つきで制服に着替え、髪を整え(これも一苦労だ)、カバンを持って部屋を出る。
階下からは、優しそうな女性の声で「詩織ちゃん、朝ごはんできたわよー」と聞こえてきた。おそらく、詩織の母親だろう。
「(とりあえず、外面だけは完璧な藤崎詩織を演じきらねえとな…内心はオッサン丸出しだが)」
リビングへ向かう足取りは、まるで戦場へ向かう兵士のように重かった。
そして、登校初日。
きらめき坂を上り、きらめき高校の校門をくぐる。 道中、すれ違う生徒たちが皆、俺(詩織)を見てはヒソヒソと何かを囁き、時折羨望の眼差しを向けてくるのが分かる。
「(やめてくれ、そんなキラキラした目で見ないでくれ! 俺はただの疲れ果てたオッサンなんだ! 見世物じゃねえぞ!)」
内心で悪態をつきながらも、顔には完璧な微笑みを貼り付ける。 我ながら健気だ。
自分のクラスである1年A組の教室に入ると、そこでもまた同様の視線に晒される。
自分の席は窓際の後ろから二番目。うん、悪くないポジションだ。ここなら比較的目立たずに過ごせるかもしれん。
担任の教師が来て、ホームルームが始まる。最初の挨拶。俺の番が来た。
「(やべえ、噛まずに優等生っぽく言えるか…?)」
緊張しつつも、練習通り(脳内で数回シミュレーションした)の完璧な挨拶を披露する。
「藤崎詩織です。これから三年間、どうぞよろしくお願いいたします」
ペコリと頭を下げると、クラス中から「おお…」という感嘆の声と拍手が起こった。
「(よし、第一関門は突破だ…)」
しかし、油断は禁物。この後も気を抜けば、いつオッサン臭が漏れ出すか分からない。
その不安は、残念ながら的中することになる。
ホームルームが終わり、一時間目の授業が始まる前。ちょっと鼻がムズムズしてきた。
「(やばい、くしゃみが出そうだ…)」
手で口を押さえようとした瞬間、盛大なくしゃみが飛び出した。
「ぶえっくしょい!!」
…しまった。
やってしまった。
いつものオッサン丸出しの、豪快すぎるくしゃみだ。
藤崎詩織の可憐なイメージとはかけ離れた、濁点付きの破壊力抜群のくしゃみ。
教室が一瞬、水を打ったように静まり返る。
クラス全員の視線が俺に集中しているのが痛いほど分かる。
顔から火が出るほど恥ずかしい。穴があったら入りたい。 いや、もういっそこのまま地中に埋まりたい。
終わった…俺のぼっち計画、開始数時間で早くも暗礁に乗り上げた…。
誰もが固唾を飲んで俺の次の言葉を待っている。何か言わなければ。藤崎詩織らしく、何か上品な言葉でこの場を収めなければ…!
しかし、焦れば焦るほど、ろくな言葉が出てこない。
「あ、いや、その…失礼仕りました…?」
なぜか時代劇風の謝罪になってしまった。もうダメだ。完全にパニックだ。
すると、隣の席の女子生徒が、恐る恐る俺に話しかけてきた。
「ふ、藤崎さん…今の、くしゃみ…?」
「(ああ、そうだよ、俺のくしゃみだよ! 文句あっかコラ!)」と内心で啖呵を切りつつ、顔は引きつった笑顔で「え、ええ…少し、埃っぽかったものですから…おほほ…」と取り繕う。我ながら苦しい言い訳だ。
しかし、その女子生徒は、なぜか顔を赤らめてこう言ったのだ。
「な、なんだか…藤崎さんって、意外と面白い方なんですね…?」
…は? 面白い? 今のどこに面白い要素があったんだ?
他の生徒たちも、最初は驚いていたものの、次第に「藤崎さんでもあんな大きなくしゃみするんだね」「ちょっと親近感湧いたかも」「むしろギャップ萌え?」などとヒソヒソ話し始め、なぜか微妙に好意的な雰囲気になっている。
「(…なんでだよ!?)」
俺の混乱をよそに、チャイムが鳴り、一時間目の授業が始まろうとしていた。
「こんなんで3年間もつのか…? 俺の平穏はどこだー!」
これから始まるであろう波乱万丈な学園生活を思い、俺は心の中で絶叫するしかなかった。
藤崎詩織(中身オッサン)の、平穏なぼっちライフを目指す戦いは、こうして最悪の(そしてどこかコミカルな)形で幕を開けたのだった。