藤崎詩織(中身オッサン)、平穏な独身ライフ所望します! ~伝説の樹の下で告白されても困るんですが!?~ 作:月影 流詩亜
あの忌まわしき体育祭から数週間。 俺の腰は、奇跡的に胴上げの衝撃に耐えきったものの、精神的な疲労は未だに抜けきらない。 校内を歩けば、
「リレーの藤崎さんだ!」
「あの伝説のアンカー!」
などとヒソヒソされ、俺の平穏な高校生活は風前の灯火どころか、もはや灰燼に帰したと言っても過言ではないだろう。
そんな俺の傷ついた心に追い打ちをかけるように、きらめき高校は文化祭シーズンとかいう、これまたリア充どもが浮かれ騒ぐイベントに突入しやがった。
「(文化祭ねぇ…どうせなら校庭の隅っこで、ひっそりと焼きそばの屋台でも出して小遣い稼ぎしたいもんだが…ソースの焦げる匂いって、なんだか郷愁を誘うんだよな…)」
そんなオッサン丸出しの願望を抱いたところで、現実は非情だ。
俺のクラス、1年A組の出し物は、多数決の結果、演劇に決定した。演目は『きらめき森の眠り姫 ~愛と勇気のファンタジア~』
……タイトルからして地雷臭がプンプンする、いかにも女子が好きそうなオリジナルストーリーだ。
そして、その演劇の役決めという、俺にとっては断頭台に送られるがごときイベントが、今日のホームルームで行われようとしていた。
「(頼む…… ! どうか俺には何の役も回ってきませんように…… !
いっそ照明係とか、幕間のアナウンスとか、そういう裏方に徹させてくれ… !)」
しかし、そんな俺の切実な祈りは、あっさりと打ち砕かれる。
「眠り姫役は、やっぱり藤崎詩織さんしかいないよねー !」
クラスのお調子者男子が、真っ先に俺の名前を挙げやがった。それに追随するように
「うんうん!」
「詩織ちゃんなら完璧!」
「イメージぴったり!」
などと、無責任な賛同の声がクラス中に広がる。
「(冗談じゃねええええ !
俺がキラキラしたドレス着て、白馬に乗った王子様(おそらく御門あたりが演じるんだろう)のキスで目覚める役とか、どんな罰ゲームだよ !
全身に鳥肌が立つわ!)」
俺は即座に、しかし外面はあくまで冷静沈着を装って、その提案を全力で拒否した。
「いえ、わたくしのような者に、そのような大役はとても務まりませんわ。
もっと相応しい方がいらっしゃるかと…」
「そんなことないですよ、藤崎さん! あなたなら最高の眠り姫になれます!」
演出を担当することになった演劇部のクラスメイト、確か名前は…小早川さんだったか。メガネをかけた、いかにも真面目そうな演劇マニアの女子だ。彼女が、目をキラキラさせながら俺に迫ってくる。
「(やめろ ! その純粋な期待の眼差しが、俺の心を抉るんだ !)」
追い詰められた俺は、ついに究極の奥の手(と自分では思っている)を繰り出した。
「そ、それでしたら…わたくしは、背景の木Aで結構です !」
「……はい ?」
俺の突拍子もない提案に、クラス中が一瞬静まり返る。
「木です ! 森の木 !
セリフなし、動きなし、ただそこに立っているだけの、存在感ゼロの木A !
それこそが、わたくしの求める役どころでございます !」
俺は半ばヤケクソで、木A役への熱い想い(という名の、目立ちたくないという切実な願い)を熱弁した。
これでドン引きされて、役決めの候補から外してくれるに違いない。
しかし、演出担当の小早川さんは、俺の予想とは全く異なる反応を見せた。
彼女は、カッと目を見開き、感動に打ち震えるように俺の手を握りしめてきたのだ。
「ふ、藤崎さん…! あなたという人は…なんてストイックなの…! なんて役に真摯なの…!」
「(は…はいぃ !? 何言ってんのこの子 !?
俺はただ楽したいだけなんだが !?)」
「普通の役者なら、誰もが主役やヒロインをやりたがる…… !
それなのにあなたは、あえてその他大勢の、名前すらない『背景の木』を希望するなんて… !
その、役に溶け込み、作品世界の一部となりたいという強烈なエゴの放棄 !
存在感を消し去ることで、逆に作品全体のリアリティを高めようという、その崇高なまでの役者魂…… ! 私、感動しました !」
「(いやいやいや ! 全然違うから !
役者魂とか微塵もねえから !
ただ単に、セリフ覚えるの面倒くさいし、舞台の上で動きたくないだけだから !)」
俺の心の叫びも虚しく、小早川さんの暴走は止まらない。彼女は、興奮で頬を紅潮させながら、高らかに宣言した。
「藤崎さん ! あなたのような真の役者にこそ、この劇の…いや、この世界の真理を体現する、最も重要な役を演じてほしい !」
「(え…… ? 何か、ものすごく嫌な予感がするんですけど… ?)」
そして、小早川さんが俺に提示してきた役は、「背景の木A」とは似ても似つかぬ、とんでもない代物だった。
「物語の鍵を握る、全てを見通す『森の賢者』…… !
それが、あなたに演じてほしい役です、藤崎詩織さん !」
「(もりのけんじゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ !?
話が違うだろおおおおお !
木はどうしたんだよ木はあああああ!
俺はただのオッサンだぞ !
賢者とか無理だから ! 絶対に無理だから !)」
俺の絶望をよそにクラスメイトたちは、
「おおー!」
「詩織さんの賢者、絶対カリスマ性あるよ!」
「伝説の舞台になりそう!」
などと、無責任に盛り上がっている。
御門武史までもが「詩織が賢者役か…なんだか、すごく似合いそうだな」なんて、的外れなことを言っている。
「(似合うわけねえだろ !
俺に似合うのは、場末のスナックのカウンターか、競馬場のオヤジ席だっつーの !)」
こうして、俺の「背景の木A」になるというささやかな夢は打ち砕かれ、なぜか物語の超重要人物(らしい)「森の賢者」役を押し付けられるという、悪夢のような展開になってしまったのだった。
ちなみに、賢者役はセリフこそ少ないものの、その一言一言が物語の核心を突き、主人公たちを導くという、とんでもなくプレッシャーのかかる役どころらしい。…もう、勘弁してくれ。
それからの日々は、まさに地獄だった。放課後になると、小早川さんの熱血演技指導(という名のダメ出しの嵐)が俺を襲う。
「藤崎さん ! もっとこう、森羅万象をその身に宿したような、深遠な佇まいを !」
「そのセリフには、もっと世界の真理と宇宙の法則を込めて !」
「あなたの瞳には、悠久の時の流れと、幾多の文明の興亡が映っていなければなりません !」
「(無茶言うなああああ! 俺の目に映ってるのは、せいぜい今日の晩酌のメニューと、明日の競馬の出馬表くらいだわ!)」
少ないセリフの一つ一つにも、小早川さんの異常なまでのこだわりが炸裂する。
例えば、「…若者よ、真実の愛とは…」という、いかにも賢者が言いそうなセリフ。
「(真実の愛ねぇ…俺に言わせりゃ、金曜夜の生ビールと、締めのラーメンこそが真実だがな…あるいは、万馬券を的中させた瞬間の脳汁ドバドバ感か…)」
そんなオッサン的解釈でセリフを口にすると、小早川さんは
「素晴らしい ! 藤崎さん ! その、愛というものの本質を見据え、しかし安易な答えを提示しない、その奥深い表現 !
まさに賢者の言葉です !」
と、なぜか絶賛する。…もう、こいつの感性は理解できん。
役作りのために鏡の前でポーズをとってみるものの、どう見ても「人生に疲れた中間管理職が、無理やり威厳を保とうとして空回りしている図」にしかならない。
このくたびれたオーラをどうにかしたいんだが、45年間染みついたものはそう簡単には消えてくれねえ。
しかし、その「疲れた感じ」や「達観した(というより、諦めきった)雰囲気」が、周囲のクラスメイトたちには「賢者が背負う苦悩や、世界の真理を知る者の深み」として、なぜか好意的に解釈されているらしい。
…もう、どうにでもなれってんだ。
文化祭本番が近づくにつれ、俺の胃痛は日に日に悪化していった。クラスの連中は、衣装作りだの大道具作りだのでワイワイ楽しそうにやっているが、俺だけは一人、鉛のようなプレッシャーと戦っている。
「(ああ…もういっそ、本番当日に盛大な腹痛でも起こして、バックレてやろうか…いや、そしたら小早川さんに何をされるか分からん…)」
そんな俺の苦悩を知ってか知らずか、御門や虹野、古式といった面々は、
「詩織(さん/様)の賢者役、すごく楽しみにしてるよ!」
「きっと素晴らしい舞台になるわね!」
などと、無邪気に声をかけてくる。
「(やめてくれ…お前らのその期待が、俺の胃に穴を開けるんだ… !)」
文化祭まで、あと一週間。
俺の平穏な日々は、もはや風前の灯火どころか、完全に消し炭と化していた。