「私たちが二年生だったときの二学期。夏休み明け早々、臨時の委員会改選が行われた。保健委員の欠員補充のためだった。特に強く要請があったのが、当時の一年生と、二年い組・ろ組だ。保健委員が亡くなってから、後任はどこの組もいなかった。
二年ろ組、一年のいろはは各九人。私たち二年い組は十人いた。
委員会の数は八つだ。人繰りは工夫できる。二名いる用具・または委員会への所属を一名にしたら、保健委員へ人をやれる。各顧問の先生からも許可はもらっていた。
が、重複している委員は異動を拒否した。いわくつきの委員会になんて誰もなりたがらない。『入ったらそのうち死ぬのではないか』という恐れがあった。
――誰でもいいから保健委員会に入れ、と先生方が言うまで時間はかからなかった。
だがそれは、死ねと同義ではないか?疑問に思った者も多いだろう。
先生方は、自分たちで決めるようにと指示をした。
私たちは放課後に集まり、やはり保健委員会には入りたくないという結論を出した。だがそれでは先生方の指示に背くことになる。該当クラスの学級委員五名で集まり、学園長先生に直訴した。
『保健委員を選出することはできない。一学期に行っていたように、現行の委員会に所属しながら保健委員会に出向するような形をとってほしい。であるならば持ち回りで短期間ずつ保健委員の仕事を担う。そのための説得は各学級委員が責任をもって行う』と。これが私たちにできる精いっぱいの譲歩だった」
誰かに押し付けることは、やろうと思えばできたはずだ。
それを学級委員長の誰もがしなかったのは、クラスを壊したくなかったからだ。
ひと時の安寧は得ても、一度入ったひびは戻らない。
保健委員に選ばれた誰かが死んでしまったら、その責任を背負って生きていくことになる。
そんなことは、重すぎる。
選択の責任をとりたくなかったから、教師陣だって新しい保健委員を指名しなかったのだ。
「学園長先生はしばらく考えたあと、我々の主張に一定の理解を示してくださった。
ただし、一学期の運用方法は、保健委員経験者だからできた例外的な措置で、保健委員会の未経験者が短期で入れ代わり立ち代わり活動することは、むしろ保健委員会の活動に支障が出ると消極的だった。問題の先送りでしかないことは、学園長先生も我々も理解していた。それゆえだろう。学園長先生は、各学級委員長に、二学期中は保健委員の体験活動をするように命じた。直訴した学級委員長五名だけではなく、学級委員全員にだ」
仙蔵が湯呑を口元に運ぶ。
喜八郎も同じようにすると、濃い茶の味が口内に広がった。
眠れなくなりそうだが、今はそれがちょうどいい。
「我々の所属は学級委員のままだ。その身をもって、保健委員会のネガティブな噂を払しょくせよ、とのことだった。表向きは、保健委員会の技術継承に関わるため、二学期中は学級委員が代表して学ぶことに決まったことにした。……ほとんどは、ほっとしていたよ。自分が保健委員に当たらなくてよかったと」
「立花先輩は」
そこまで言って、喜八郎は口を閉じた。
『保健委員にはなりたくなかったんですか』
疑問に思って言葉にしかけた自分を恥じる。
完璧を求める作法委員会委員長だ。
自分に厳しい人が、自分のクラスを守るため、学級委員長のあるべき姿として、担い手のいない保健委員会に立候補する。
目に浮かぶ光景だ。まったく不自然ではない行動だ。
理想の立花仙蔵ならそうする。
それをしなかった理由なんて、少し考えれば分かる。
「……私は弱かったのだ」
喜八郎は顔を歪ませた。
「伊作のことは大事な仲間だと思っている。今も、昔もそうだ。ただ、保健委員会に入ることは、当時の私にとって、怖かった。組も委員会も違うなら友人として接することができても、いざ同じ枠組みに入ると不運が降りかかるのではないか、と考えてしまった。だから当時、学級委員長としての最善をつくすことができなかった」
いてもたってもいられず、喜八郎は仙蔵に抱き着いた。
「先輩は、ご自身を責める必要はありません」
大好きな先輩に、こんなことを言わせてしまった。
「私はどうやっても、食満留三郎のようにはなれない」
「ならなくたって、いいんです。先輩は、先輩のままでいいんです」
嗚咽が漏れる。
子供をあやすように、仙蔵は喜八郎の背中をとんとんと優しくたたいた。
ありがとうと、喜八郎の耳元で声が聞こえた。