喜八郎は鼻をすすりつつも落ち着いた。
すっかりぬるくなった茶を一口飲み、仙蔵が話を再開する。
「――一学期、保健委員会の助っ人で詰めていた者たちは、ワークシェアリング……仕事の分かち合いを行っていた。当番は週に一、二回ほどで、新野先生か伊作以外の保健委員と一緒に行動していた。どうも、伊作と関わる時間を意図的に少なくしているようだった。
結果、不運はほとんどといっていいほど降りかからなかった。よって学級委員長たちも同じような運用をすれば、影響はないと考えられたのだろう。当時は仮説として、『不運は伊作と長く時間を過ごす者に降りかかる』と考えられていた。生え抜きの保健委員や二年は組、放課後に関わりのある私や長次の接触時間を参考に、シフトが組まれていった。……保健委員の仕事の技術継承とは名ばかりだ。手当が必要なときは伊作を中心に、生え抜きの保健委員が行った。我々は、先生の付添つきで薬草摘みに行ったり、包帯を作ったりと、軽作業が中心だった。少なくとも、保健委員の仕事を行うようになってからも、各学級委員長は不運には見舞われなかった。学級委員長たちは、伊作には普通に接した。あいつは嬉しそうだった。……伊作は裏表がない。誰にでも優しい。学級委員長達が伊作の人柄を知ることで、『保健委員は悪いことが続いてしまっただけ』と素直に言えるようになった。当時の一年生たちがそう言うことで、噂も、夏休みを挟み、二学期に入って落ち着いていた。学級委員長委員会の仕事は果たせたかに見えた」
涙は乾いていた。
いいことがあれば悪いことがある。
もうここまで話を聞いて分かる。
善法寺伊作の不運は、一筋縄ではいかない。
「混合ダブルスサバイバルオリエンテーリング、またの名を『まぜこぜ二人一組生き残り野外指定地点発見通過走破時間争い競技』。それが開催された。組み分けは学園長先生のくじ引きだった。詳細は省くが、不運が多数発生した。監督した先生の目撃証言いわく、練度の高い生徒がありえないミスをしたり、敵対勢力に妨害されていることを疑うほど罠にかかったりしたそうだ。だが、第三者の介入はなかった。
怪我人も多かった。次年度から当分の間、開催見合わせを決定されるほどに。二年は組、生え抜きの保健委員の他、学級委員長達も不運に見舞われた。特に、一年生の学級委員達の不運の度合いがひどかった。学園は事態を重く見た。学級委員長の保健委員会への派遣は、二学期をもって終了することとなった」