「――三学期、進級試験を兼ねて、武道大会が行われた。その年も、二年生・一年生が特に不運に見舞われ、多くが進級試験に落第した。合格した者も、行儀見習いで入っていた生徒は予定を切り上げて学園を去る者が出てきた」
行儀見習いを目的として在籍している生徒は、四年進級時に学園を去るのが常だった。
逆に言うと、三年間は忍者を目指さなくても学園にいることが許されている。
忍者の家系でなくても入学する子弟がいるのは、忍術学園が他に類をみない高等教育機関である故だ。
その恩恵を投げ捨ててまで学園を去るのは、相当な理由がいる。
……例えば不運に巻き込まれて死ぬのを回避するためであるとか。
「春休み中、伊作と幻術使いの面談が行われた。は組の合同授業を行った結果、伊作の不運は同窓から年下に伝染しやすい傾向があることがわかった。逆に言うと、年上には不運が伝染しにくい」
喜八郎は腑に落ちた。
今までの話を聞いても、善法寺伊作の先輩にあたる人たちは死んでいない。一番ひどい場合でも深手を負った程度だ。
また、現在にいたっても、保健委員会顧問の新野先生が不運に巻き込まれた話は聞いたことがない。
「となると、年を重ねるごとに、不運に巻き込まれる対象が増えていくことになるじゃないですか」
「そうだ」
仙蔵は肯定する。
「忍術学園に入学すると、就学内容上、ある程度の怪我はみな織り込み済みだ。ただ、低学年のうちでの死人を出しすぎた。……噂が学外にまで及び、喜八郎の時の代は、入学者が少なかった」
喜八郎は入学当時のことを思い返す。いろは各組は六人ずつだった。
「私たちが三年生のとき、い組は六人、ろ組は五人、は組は四人になった。当時二年の五年は、い組七人、ろ組七人、は組が四人」
「懐かしいですね。は組がまだいる」
言ってしまって、やってしまったと喜八郎は思った。
「……そうだな」
仙蔵は深くは追及しなかった。
「……ともかく、伊作に関する対策を強化しなければならなかった。そこで私たち、今残っている伊作以外の六年に、白羽の矢が立ったのだ」
「……それはどんな?」
「進級後新学期初日。学園長先生直々に呼ばれた。この五人は、所属委員会をばらけさせてほしいとのことだった。『伊作に対する情報統制を行いたいがそれには仲の良いお前たちの協力が必要じゃ。各委員会に散らばらせたい』と明かされた。学級委員長委員会だけではどうにもならない。よって、我々五人が選ばれた。……私たちは了承し、話し合って所属委員会を決めた。私は学級委員長委員会に残留、文次郎は会計委員会を続投、長次は経験のある図書委員会へ。小平太は引き続き体育委員会、留三郎は用具委員会に移り、伊作は当然のように保健委員会。無事にばらけた」