仙蔵は開いていた本を閉じた。
部屋の外で人の気配がする。
同室の文次郎が委員会から帰ってきたにしては、一向に部屋に入る様子がない。まるでためらっているようだった。
教職員であればすぐに声をかけるだろう。同級生であれば声をかける前に扉を開けるような面子の方が多い。
こんな時間に訪ねてくる下級生は、一人しか思い浮かばなかった。
「……起きている。なにか用か?喜八郎」
「……四年の綾部喜八郎です。今よろしいですか」
「文次郎は委員会だ。遠慮せず入れ」
静かに扉が開かれた。
忍び装束は土に汚れていたが、いつもの踏隙のかわりに和綴じ本を持っていた。
「失礼します」
喜八郎はゆっくりと、六年の部屋に入り、静かに扉を閉める。
仙蔵にとって、喜八郎は最も付き合いの深い後輩だった。
喜八郎が入学して以来、ずっと委員会を同じくし、顔を合わせている。
「今まで穴を掘っていたのか?精が出るな」
仙蔵が笑いかけると、喜八郎はゆっくりと首を振った。
「調べ物を、してました」
「調べ物?」
喜八郎はずいっと和綴じの本を仙蔵に突き出す。
表紙には、『穴実録』と書かれている。
筆跡は喜八郎のものだ。……写本だろうか。
「喜八郎らしい読み物だ」
「これは、僕が今まで仕掛けた穴と、それに落ちた人と状況を書いたものです。立花先輩に読んで欲しいです」
仙蔵は黙って受け取った。
「……今、どうしてもか?」
「どうしてもです」
喜八郎は退く気配がない。
仙蔵は穴実録を開いた。
最初のほうは、日記形式で書かれている。
じっくり読む時間はない。
仙蔵は誰が落ちたかだけ、拾い読みをしていく。
伊作、伊作、留三郎。伊作、伊作、保健委員複数……。
突出して多かった名前は、伊作だった。
パラパラとめくるスピードが早くなる。
挟まっていた紙が、パラリと落ちた。
誰が何回穴に落ちたかのリストだった。
伊作の回数が1番多い。
一人だけ、桁が違う。
「驚きました。数値にしたらこんなことになっていて。自分からわざと落ちに行ってるのかと思ったくらいです。でも、きっとそうじゃないんですよね」
喜八郎の声は、無機質だった。仙蔵は紙を拾い、穴実録に挟み込み、本を閉じる。
「伊作先輩が、今日気になることを言っていたから。あの人、僕の作った穴に落ちることを不運だと思っていないのかなって」
「それはそうかもしれないな。傍から見ても、日頃からいろんな不運に見舞われている。穴に落ちる程度、ましという考えなんだろう」
仙蔵は喜八郎をまっすぐに見据える。
部屋の明かりとして使われている火が揺らめいていた。
「僕達が学級委員長委員会に入っていた時、噂を流しましたよね。『保健委員会には不運な人間が集まっている』って。……あれは、伊作先輩のことを目立たなくさせるためだったんじゃないんですか」
「さて、なんのことだったか。そんな昔のことは忘れてしまったな」
「立花先輩。僕は誤魔化されたくないです」
静かな夜だった。
「伊作先輩の不運って、なんなんですか」
その問いは、忍術学園の誰しもが持っているものだった。
補足
仙蔵と喜八郎の過去の所属委員会は自己解釈です