果報行者は顔色を変えなかった。
「君はさっきのようなことをやってみたいと思うかね?」
「はい!やりたいです!ぜひ教えてください!」
それはこの場にいる誰もが願っていることだった。
出前授業が行われているのなら、自分たちだって似たようなことができるようになるのかもしれない、と。
「残念ながら、ああいうことは限られた人間しかできない。そして練習したからできるものでもない。生まれ持っての才能が必要になる」
小平太は目をぱちくりさせていた。
私たちの希望はあっさりと打ち砕かれた。
「お言葉ですが!」
文次郎が手を挙げた。
「我々に教える気はないということですか?使えないというのであれば、なぜ披露されたのですか!」
弟子が気に障ったような顔をする。先生がたしなめるが、果報行者は鷹揚に制止した。
「よい。ではさきほどの質問に回答しよう。それは、本物があることを知るためじゃ」
果報行者は弟子の手を止める。
「師匠?」
「もう一度使うでの」
果報行者は赤い羽織を脱ぐと、簡単に折りたたんだ。
そして、まだ塞がっていなかった穴の部分に羽織を持った手を突っ込む。
穴の向こうからは手が見えていた。羽織はしわしわの手が受け取り、お互いに手が離れた。
穴から引き抜かれた果報行者の手には、赤い羽織はなかった。
「教室のほうを見てごらん」
全員が果報行者の指し示す方を見た。
窓辺に、赤い羽織を着た学園長先生が立っていた。
「わしは一年生の教室に通じる穴をあけて、そこを通ることで教室に行った。そのあと、また穴を通ってこの場に戻った。さきほどは学園長の赤い羽織をこの穴を通して、教室にいる学園長に返した。今起きたことを説明するとこうなる。が、どうやってこのような便利な穴を作ることができるのか。わしにも分からない。気づいたらできていた。こういったことができるようになれば、忍術学園で学ぶまでもない。潜入もなにもかも簡単なことだろう。しかし、こういった術を使える人間はそうそうおらん」
文次郎は何も言い返さなかった。
種も仕掛けもない。
この幻術使いは本当に一瞬で教室に移動をしたし、この場から動かずに離れた場所にいる学園長に羽織を手渡した。
そんな実感を誰もが持っていた。
「みんなは、先生方にある程度、幻術について教わったかもしれん。幻術と言われるようなものは忍術で説明できると。例えば、急に姿を消すように見えるのは、かたたがえ退きを使っていたり、木の葉隠れの術を使っていたり。急に眠くなったり幻覚が見えたりするのは、霞扇の術の効果……などとな。それは間違いではない。実際に幻術使いとうそぶいていても、そういった種やしかけがわかればなんてことはないものもある。多くは恐るるにたらん。しかし」
ぴりっという音がした。弟子が札をちぎった音だった。
なにもないところに札がべたべたとへばりついていた。穴が開いていたところは茶色い札をはってふさがれていた。無理にはがせばまた穴が現れたかもしれないが、もう幻術使い達は穴を使おうとしなかった。
「なかにはわしが使ったもののように、忍術では説明できず、対処できないものもある。万が一敵方に幻術使いがいれば、直接対決は避けること。直接対峙してしまったら、逃げること。それを、この授業では伝えたい」
文次郎は立ち上がった。
「さきほどは、失礼なことを言って申し訳ありませんでした!」
「よいよい。礼儀正しくてよいこじゃな。一流の忍びになりなさいよ」
果報行者はにこにこしていた。
そして私たちの顔を順番に見ていき、顔色を変えることなく授業の終了を告げた。
札はいつのまにか消えていて、穴があった場所は何事もなかったかのようにいつもの風景と同化していた。
そのときの私たちは知る由もなかったが。
授業が終わった後、伊作が一人だけ呼び出されていた。