機動戦士ガンダムSEED DESTINY - Agnes Route-   作:カイト__

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赤き瞳の少年と月白の才媛

第1話「赤き瞳の少年と月白の才媛」

 

C.E.70、プラント。コーディネイターが暮らすこの宇宙コロニー群は、未だ地球連合との緊張関係の中にあった。ザフト軍アカデミーでは、次代を担う若き戦士たちが日夜厳しい訓練に明け暮れていた。その中でも、ひときわ異彩を放つ二人の候補生がいた。

 

最終模擬戦演習場。けたたましいアラート音と爆炎が、無重力空間に疑似的な戦場を現出させる。赤い訓練用MSジンを駆るシン・アスカは、獣のような咆哮を上げてアグネス・ギーベンラートの駆る白銀のカスタムMSに食らいついていた。シンの操縦は荒削りで、被弾を恐れぬ無謀な突撃が目立つ。しかし、その反射神経と本能的な機体さばきは、教官たちをも唸らせる天性のものだった。彼の赤く染まった瞳には、焦燥と、それ以上に深い怒りの炎が揺らめいている。

 

対するアグネスは、冷静沈着そのものだった。精密な射撃でシンのジンを牽制し、優雅な機動で的確に回避する。名門ギーベンラート家の令嬢であり、アカデミー始まって以来の才媛と謳われる彼女の操縦には、一点の無駄もない。その美しい顔には常に自信に満ちた微笑が浮かんでいるが、シンの予測不能な動きには、時折、柳眉をひそめることもあった。

 

「見えているのよ、あなたのその単純な動き!」

アグネスの冷ややかな声が通信回線を通じてシンのコックピットに響く。彼女のカスタムMSから放たれたビームが、シンのジンの左腕を掠めた。

「くそっ…!」

シンは悪態をつき、機体を急反転させる。彼の脳裏には、オーブの戦火で家族を失ったあの日の光景が焼き付いていた。守れなかった無力感、そして理不尽な暴力への怒りが、彼を戦いへと駆り立てる。

 

観戦エリアでは、ルナマリア・ホークが「シン、無茶しないで!」と悲鳴に近い声を上げ、その隣でレイ・ザ・バレルが冷静にモニターのデータを分析していた。「アグネス・ギーベンラート…やはり、彼女の戦術眼は群を抜いているな。だが、シン・アスカの潜在能力も未知数だ」

 

攻防は数分に及んだが、ついにアグネス機がシンのジンの背後に回り込み、ビームサーベルを一閃させた。メインカメラを破壊され、視界を奪われたシンのジンは、力なく宇宙を漂う。「チェックメイトよ、シン・アスカ。才能だけでは、経験と知性に裏打ちされた私には勝てないわ」アグネスの勝利宣言が、静まり返った演習場に響いた。

「ちくしょう…!まだだ…まだ終わってない!」シンはコックピットで唇を噛み締め、操作スティックを強く握りしめた。その赤い瞳は、敗北の悔しさで一層燃え上がっていた。

 

模擬戦後の教室は、教官による講評で騒然としていた。アグネスの戦術的な勝利を称賛する声が上がる中、シンの無謀な戦い方には厳しい指摘が飛ぶ。

「…彼にしては、少しは楽しませてくれたわ」アグネスはシンを一瞥し、周囲の称賛を浴びながらも、どこか物足りなげに呟いた。その言葉がシンの怒りに火を点ける。「なんだと、てめぇ!」掴みかかろうとするシンを、レイが冷静に制止する。「シン、よせ。結果が全てだ」

「二人とも、模擬戦はもう終わったのよ!」ルナマリアが慌てて間に入った。

アグネスはフンと鼻を鳴らし、「感情のコントロールもできないなんて、パイロット失格ね。その赤い瞳は、怒りで何も見えていない証拠だわ」と、シンをさらに挑発した。

 

数日後の昼下がり、アカデミーの食堂は候補生たちで賑わっていた。窓の外は、プラントの人工的な空を洗い流すかのように、激しい雨が降り注いでいた。

シンがトレーを持って席を探していると、進路を塞ぐように立っていたアグネスとぶつかってしまった。彼女は数人の女子生徒に囲まれ、楽しげに談笑していたところだった。弾みでシンのトレーからジュースが飛び、アグネスの真新しい白い候補生用ジャケットの胸元を濡らした。

「きゃっ!ちょっと、何するのよ!」アグネスの甲高い悲鳴が響く。周囲の視線が一斉に集まった。

「わざとじゃねえ!お前が通路の真ん中で突っ立ってるからだろうが!」シンも売り言葉に買い言葉で応戦する。

「なんですって!?このジャケット、ギーベンラート家の特注品なのよ!あなたに弁償できるとでも思っているの!?」アグネスの美しい顔が怒りで歪む。

「ああ言えばこう言う女だな!」

一触即発の空気を察し、ルナマリアが慌てて駆け寄ってきた。「シン!アグネス!二人とも落ち着いて!」

シンは舌打ちし、着ていた赤いザフトのジャケットを乱暴に脱ぐと、アグネスに押し付けた。「…これでも羽織ってろ。風邪でもひかれたら、後で何を言われるか分かったもんじゃないからな」

「誰があなたのそんな安物のジャケットなんか…!」アグネスはプライドから撥ねつけようとした。しかし、雨に濡れた肩が冷え始めており、シンの有無を言わせぬ強い視線に気圧され、一瞬言葉に詰まる。

彼女が渋々ジャケットを受け取ろうとした、その瞬間だった。ジャケットの胸ポケットから、一枚の小さな写真の端が僅かに覗いた。それは、オーブの青い空と海を背景に、幼い妹と若々しい両親が、シンと共に満面の笑みを浮かべている家族写真だった。アグネスの瞳が、その写真の鮮やかな色彩と、そこに写るシンの幼い笑顔を捉えた。普段の彼女からは想像もつかないほど複雑な、僅かな動揺と、どこか遠い記憶を呼び覚まされたかのような悲しみを秘めた表情が一瞬だけ、本当に一瞬だけ、彼女の顔を過った。

だが、アグネスはすぐにいつもの仮面を被り直す。「…仕方ないから借りてあげるわ。でも、勘違いしないで。後でちゃんとクリーニング代と慰謝料を請求するから、覚えておきなさい!」そう強気に言い放つと、彼女はシンの赤いジャケットをどこかぎこちなく羽織り、取り巻きの女子生徒たちと共に足早に立ち去った。

シンはその背中を忌々しげに見送ったが、アグネスの一瞬の表情の変化には気づかなかった。「なんなんだよ、あの女…」彼は自分のジャケットを羽織ったアグネスの後ろ姿に、奇妙な違和感を覚えた。

 

その夜、シンは自室のベッドに腰掛け、亡き妹マユが大切にしていたピンクの携帯電話を静かに見つめていた。画面には、兄妹で撮った無邪気な笑顔の待ち受け画像。

「(マユ…父さん…母さん…俺は、強くならなきゃいけないんだ…二度と、あんな思いはしたくない…誰にもさせたくない…そのためなら、どんな力だって手に入れてやる…)」彼の赤い瞳の奥には、癒えることのない深い悲しみと、それを覆い隠すかのような激しい怒りの炎が燃え続けていた。

 

同時刻、アグネスは月面にある父親の執務室とビデオ通話をしていた。画面の向こうのギーベンラート評議員は、娘の優秀さを当然のこととしながらも、常にギーベンラート家の名誉と期待を彼女に押し付ける。

「アグネス、お前の成績は常にトップでなければならん。月艦隊への配属は、お前の将来にとって重要なステップとなるだろう。そこで実績を上げ、いずれは本国の要職に就くのだ。それがギーベンラート家の娘としてのお前の務めだ」

「…はい、お父様」アグネスは感情を押し殺した声で答える。

通話が切れた後、彼女は大きな溜息をつき、執務室の窓から見える巨大な「月」を見上げた。プラントから見上げる月とは違う、冷たく、どこまでも広がる無機質な大地。

「月…結局、私はこのプラントという鳥籠から、さらに遠い月という檻に閉じ込められるというわけね。私の才能は、こんなところで終わるはずがないのに…!」彼女の瞳には、満たされない野心と、それを阻む現実への焦燥感が浮かんでいた。

ふと、部屋の隅に無造作に置かれたシンの赤いジャケットが目に入る。彼女は無意識にそれを手に取り、鼻を近づけた。そこには、シンのものとは違う、微かに硝煙と汗の匂い、そして雨に濡れた布の匂いが混じり合っていた。どこか懐かしいような、それでいて胸がざわつくような、不思議な感覚。

「(…変な匂い。でも、なぜか…捨てられない…)」彼女はジャケットを丁寧に畳み、自分の私物ロッカーの奥深く、誰にも見られないようにそっとしまった。

 

数週間後、アカデミーの講堂では、卒業を控えた候補生たちにそれぞれの配属先が発表されていた。

「シン・アスカ、ルナマリア・ホーク、レイ・ザ・バレル。以上三名は、新造戦艦ミネルバ所属とする」

シンは複雑な表情を浮かべたが、新たな戦場への覚悟を決めたかのように唇を引き結んだ。ルナマリアは少し不安そうにシンを見つめ、レイは無表情のままだった。

続いて、アグネスの名が呼ばれる。「アグネス・ギーベンラート。ザフト月艦隊旗下、新型モビルスーツ開発評価部隊所属とする」

周囲からは「さすがギーベンラート家の令嬢だ」「エリートコースだな」と羨望の眼差しが向けられる。しかし、アグネスの表情は硬く、その瞳には明らかな不満の色が浮かんでいた。

発表後、アグネスは一人、誰もいない廊下で壁に拳を叩きつけた。「月ですって!?なぜ私が最前線じゃないの!お父様の差し金ね…!こんな辺鄙な場所で、私の実力を正当に評価してもらえるとでも思っているの!?」彼女のプライドが、そして抑えきれない野心が、静かな怒りとなって爆発した。

 

卒業式が終わり、候補生たちがそれぞれの任地へと向かうため、宇宙港は喧騒に包まれていた。シンがミネルバへ向かうシャトルへの搭乗口を探していると、偶然、同じくシャトルを待つアグネスと顔を合わせた。彼女もまた、月へ向かう高官用のシャトルを待っているようだった。

一瞬の沈黙。先に口を開いたのはアグネスだった。「…せいぜい頑張ることね、シン・アスカ。ミネルバで問題を起こして、私の耳に届かないように祈っているわ」相変わらずの嫌味と、どこか突き放すような冷たさが彼女の声にはあった。

シンも負けじと言い返す。「お前こそ、月で退屈して化石にでもなるなよ、ギーベンラートのお姫様」

アグネスは一瞬ムッとした表情を見せたが、すぐにフッと鼻で笑った。「心配ご無用よ。私はどこにいても、一番輝いてみせるわ。あなたのような野良犬とは違うの」

二人の視線が、火花を散らすように絡み合う。互いに憎まれ口を叩きながらも、その瞳の奥には、言い知れぬ寂しさと、ほんの少しの名残惜しさのような感情が揺らめいていた。

アグネスは、シンの赤いジャケットをまだ返していないことに気づいていた。しかし、今更それを言い出すのは彼女のプライドが許さなかった。シンもまた、ジャケットのことを言い出せないまま、気まずい空気が二人の間に流れる。

「…じゃあな」シンが先に背を向け、ミネルバへの搭乗ゲートへと歩き出す。

アグネスはその後ろ姿を数秒間見つめた後、小さな声で呟いた。「…さようなら、シン・アスカ。次に会う時は、あなたが私を見上げる立場になっていることを期待しているわ」その声は、喧騒にかき消され、シンには届かなかった。

 

シンがルナマリア、レイと共にミネルバへ向かう輸送シャトルの窓から遠ざかるプラントを見つめ、決意を新たにする。「(俺は、もう何も失わない。そのための力を、手に入れるんだ!)」

 

同時刻、アグネスは一人、月へと向かう高官用シャトルの豪華なシートに深く腰掛けていた。窓の外には、巨大なプラント群がゆっくりと小さくなり、その向こうには青く輝く地球、そしてその先に、彼女の新たな任地である冷たい「月」が静かに浮かんでいた。

彼女の手には、いつの間にかクローゼットの奥から取り出していたシンの赤いジャケットが、固く、強く握りしめられていた。その布地からは、微かにシンの匂いがしたような気がした。

アグネスは月を見据え、その美しい顔に野心と孤独、そして微かな決意の光を宿らせて呟いた。

「見ていなさい、シン・アスカ…そしてお父様。私は月になど縛られない。私は私自身の力で、誰よりも高く、誰よりも強く輝く太陽になってみせる…!」

 

宇宙(そら)には、まるで二人の運命を暗示するかのように、ひときわ明るく輝く二つの星が、互いを意識するように、しかし決して交わることなく、それぞれの軌道を描きながら並んで見えていた。

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