機動戦士ガンダムSEED DESTINY - Agnes Route- 作:カイト__
かつてプラント国家の礎の一つであったL4コロニー、ユニウスセブン。その残骸が、今は無数の星屑となって宇宙(そら)を漂う危険なデブリ帯と化していた。ザフトの新鋭戦艦ミネルバは、強奪された最新鋭ガンダムとその母艦ガーティ・ルーを追撃し、この星屑の海へと慎重に艦を進めていた。艦橋のメインモニターには、大小様々なデブリが絶え間なく映し出され、レーダーはノイズでほとんど役に立たない。張り詰めた緊張感が、ブリッジ全体を支配していた。
「各員、気を抜かないで。ここは敵にとって格好の狩場よ。目視と近距離センサーを最大限に活用しなさい」
艦長席に座るタリア・グラディスは、険しい表情で前方を凝視しながら、冷静に指示を飛ばす。その声には、この任務の困難さを物語るかのような重みが含まれていた。
MSデッキでは、シン・アスカ、ルナマリア・ホーク、レイ・ザ・バレルが、それぞれインパルスガンダム、ザクウォーリア、ブレイズザクファントムに搭乗し、出撃準備を完了させていた。シンは、前回のアーモリーワン近傍での戦闘、特にあの黒いモビルアーマー「エグザス」と仮面のパイロットの記憶からか、どこか苛立ちを隠せないでいた。コックピットのコンソールを神経質に叩きながら、彼は低く唸る。
「あいつら、一体どこに隠れてやがるんだ…!コソコソと逃げ回りやがって!」
「シン、落ち着いて。焦りは禁物よ」ルナマリアがザクウォーリアの通信回線越しに声をかけるが、シンは「分かってる!」と短く返すだけだった。
ブリーフィングのため、タリア艦長の映像が彼らのコックピットモニターに映し出される。「このデブリ帯では、視界もセンサーも著しく制限される。敵は必ず待ち伏せていると考えなさい。三機で連携を密にし、決して単独行動は取らないように。いいわね」
「了解!」三人は同時に応える。
アスラン・ザラは、オーブ代表カガリ・ユラ・アスハの護衛という名目で、デュランダル議長の暗黙の許可も得て、ミネルバの艦橋に留まることをタリアに申し出ていた。タリアは、彼の卓越したパイロットとしての技量を遊ばせておくことを惜しみつつも、現状を鑑みそれを了承した。「あなたの判断に任せるわ、アレックス。ただし、ブリッジでもあなたの戦術眼は借りたいところね」その言葉に、アスランは静かに頷いた。
同時刻、遠く離れた月面基地。アグネス・ギーベンラートは、ミネルバがユニウスセブン近傍のデブリ帯という、極めて危険な宙域へ向かったという断片的な情報を掴んでいた。彼女の美しい顔には、シンたちの安否を気遣う色はまるで見られず、むしろ彼らがそこで得るであろう貴重な実戦データへの、飢えたような渇望が浮かんでいた。
「(デブリ帯…!レーダーもセンサーも役に立たない、純粋なパイロットの技量が試される場所…!そこでシン・アスカは、あの冷静沈着なレイ・ザ・バレルは、そしてアーモリーワンを襲ったあの黒いMAのパイロットは、一体どんな戦いを見せるというの…!?)」アグネスの瞳には、焦りと興奮の入り混じった複雑な光が宿る。
彼女は即座に父親であるギーベンラート評議員に、暗号化された優先回線で再度通信を入れた。
「お父様、ミネルバは現在、ユニウスセブン近傍のデブリ帯で作戦行動中です。このような予測不能な戦場での戦闘データこそ、今後のザフトのMS開発、特に私のグフ・ルナリスの対特殊環境下における戦術アルゴリズムの構築に不可欠です!月での現状のシミュレーションでは、この貴重な機会から得られるであろうデータの再現は不可能です!」アグネスの声は、冷静さを装いながらも、その実、抑えきれない焦燥感と野心で震えていた。
モニターの向こうの父親は、娘の性急さをたしなめるように、「まだ時期尚早だと何度言えばわかる。お前の身に何かあっては、ギーベンラートの名に…」と渋る。
「では、お父様は私のこの類稀なる才能を、このまま月で腐らせるおつもりですか?それとも、ギーベンラート家の名誉という小さなものに固執するあまり、ザフト全体の技術的優位を失うという大きな損失を看過なさるおつもりで?」アグネスは、父のプライドと功名心を巧みに刺激する言葉を選んで畳み掛ける。「今の私は、単なるテストパイロットではございません。最新鋭機の戦闘データを収集・分析し、ザフト全体の戦力向上に貢献できる、数少ない人材ですのよ!」
父親は長い沈黙の後、重々しく息を吐いた。「…分かった。評議会には私から話を通しておこう。だが、条件がある。決して無謀な行動はするな。そして、必ずやザフトの、いや、ギーベンラート家の名誉となる成果を持ち帰ることだ。もし失敗すれば、お前は二度とこの月を出ることはないと思え」
アグネスは内心で勝利を確信し、唇の端に微かな、しかし確かな笑みを浮かべた。「ありがとうございます、お父様。必ずや、ご期待以上の成果を上げてご覧にいれますわ」
通信を切った後、彼女はグフ・ルナリスの格納庫へと急いだ。その足取りは軽く、まるで檻から放たれる猛禽のようだった。「(待っていなさい、ミネルバ…そして、シン・アスカ。この私が、最高のスパイスを加えてあげるわ…!あなたの運命の脚本にね!)」
ミネルバから発進したインパルス、ザクウォーリア、ブレイズザクファントムの3機は、巨大なデブリの間を縫うようにして、慎重に敵母艦ガーティ・ルーの索敵を開始した。視界は極端に悪く、レーダーには無数のゴーストが映り込み、索敵は困難を極めた。
シンは、先のアーモリーワンでの戦闘で敵を取り逃がしたことへの焦りからか、僚機の制止も聞かず、やや先行してデブリが密集する危険な宙域へと不用意に侵入してしまう。
「シン、危ないわ!単独で突出しないで!」ルナマリアがザクウォーリアの通信回線越しに必死に警告する。
「落ち着け、シン。敵はこちらの動きを誘っているのかもしれない」レイもまた、ブレイズザクファントムから冷静に呼びかける。
「うるさい!俺は俺のやり方でやる!」シンは反発し、インパルスをさらに加速させた。彼が、巨大なコロニーの残骸の影に入った、まさにその瞬間だった。
突如として、デブリの陰からアビス、カオス、ガイアの3機のガンダムが姿を現し、インパルス目掛けて一斉に奇襲を仕掛けてきた。色とりどりのビームが、シンのインパルスの至近を掠め、爆光がコックピットを激しく揺らす。
「なっ…!待ち伏せか!?」
同時に、ミネルバのブリッジでは、別の方向から母艦ガーティ・ルーが姿を現し、ミネルバの後方から猛烈な攻撃を開始したとの報告がオペレーターから絶叫に近い声で伝えられた。
「フフ…かかったな、ザフトの血気盛んな雛鳥ども。ここは我々の狩場だということを、その身に教えてやる」ガーティ・ルーの艦橋で、ネオ・ロアノークは仮面の奥で冷ややかに笑っていた。
ザフト側は、敵の巧妙な挟撃策により、MS隊と母艦ミネルバが完全に分断されるという、絶体絶命の形勢に陥っていた。
ミネルバは、ガーティ・ルーからの直接攻撃と、3機のガンダムによるMS隊への猛攻という、悪夢のような二正面作戦を強いられ、瞬く間に苦戦へと追い込まれた。巨大なデブリが障害となり、自慢のタンホイザーも思うように照準を合わせることができない。
ミネルバの艦体は、ガーティ・ルーから放たれるビーム攻撃やミサイルを次々と受け、激しく振動を繰り返す。艦橋では赤い非常灯が点滅し、火花が散り、クルーたちの悲鳴にも似た報告が飛び交った。「第一隔壁、被弾!」「左舷エンジン、出力低下!艦のコントロールが…!」
タリア艦長は冷静に、しかし厳しい表情で指示を飛ばし続けるが、その額には冷や汗が滲んでいた。「くっ…この忌々しいデブリが邪魔で、主砲の射角が全く取れない…!敵はそれを計算ずくで…!」
カガリは、戦闘の激しさと、艦内に響き渡る衝撃音に怯え、自分の席で身を固くしていた。何もできずにただ戦況が悪化していくのを見守るしかない無力感が、彼女を苛む。その隣で、アスランは冷静に、しかし鋭い視線で戦況モニターを分析し、敵の配置とデブリの複雑な動きを読み解いていた。彼の脳裏では、かつてヤキン・ドゥーエで繰り広げた死闘の記憶が瞬時に蘇り、最適な戦術解を導き出そうとしていた。
「艦長!」アスランの声が、混乱するブリッジに響いた。「敵はデブリを巧みに利用し、こちらの射線を塞ぎつつ、予測不能な位置から攻撃を仕掛けてきています。こちらも、あの正面に見える巨大な岩塊を逆に利用するしかありません!あの岩塊の裏に回り込み、敵母艦の防御が手薄な側面を強襲できれば…!」彼はモニターの一点を指差し、具体的な回避ルートと反撃ポイントをタリアに明確に示した。
タリアは、アスランの驚くほど的確な分析と、絶望的な状況下でも失われない戦術眼に一瞬目を見張ったが、即座にその提案の有効性を理解し、決断を下した。「…やってみる価値はあるわね。操舵手、針路変更!アレックスの指示通りに、あの岩塊の裏へ艦を滑り込ませなさい!」
遠い月の管制室、あるいはアグネス専用のシミュレーター室。遅延しながらも、デブリ帯でのミネルバとMS隊の戦闘データが、アグネスの元にも断片的にだが届き始めていた。彼女は、ネオ・ロアノークという仮面の男が展開する巧妙な戦術と、それに翻弄され苦戦するシンたちの姿に、苛立ちと興奮が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
「(あの仮面の男…ネオ・ロアノークとか言ったかしら。ただのパイロットではないわね、戦場の指揮官としても一流の腕だわ。そしてシン・アスカ…相変わらず感情的で単調な攻撃ばかり。だから、あんな子供騙しの罠にやすやすと引っかかるのよ!)」
彼女は自室の高性能シミュレーターを起動し、受信した戦闘データとデブリ帯の三次元状況を即座に再現。自分がグフ・ルナリスでこの絶望的な戦場に介入した場合の最適な戦闘パターンを、まるで作曲家が新たな旋律を生み出すかのように、凄まじい集中力で構築し始めた。
「私なら、あのデブリの配置をこう利用して敵を分断し、まずは厄介なガンダムから各個撃破する…!シン・アスカのインパルスは囮として最適ね。彼のあの馬鹿げた突進力を利用して敵を引きつけ、その隙に私が本命の母艦を叩く…!」
シンのインパルスが苦戦し、被弾するデータがモニターに映し出されるたびに、アグネスは「だから言わんこっちゃないわ…!私がそこにいれば、あんな無様な戦いは絶対にさせなかったのに!」と毒づき、思わずコンソールを叩きそうになる。それは純粋な優越感からだけでなく、どこか彼を心配し、彼の持つ類稀なる才能が、未熟な指揮と制御できない感情によって潰されてしまうことへの、我慢ならない苛立ちのようでもあった。彼女自身もまだ明確には気づいていないうちに、シン・アスカという存在が、彼女の心の中で無視できないほど大きな位置を占め始めていたのだ。
アスランの策に基づき、ミネルバは巨大なデブリの影を縫うようにして、まるで踊るような危険極まりない操艦を行い、ついにガーティ・ルーの防御が手薄な死角へと回り込むことに成功した。
ミネルバ艦橋:「敵艦、射程内!タンホイザー、発射用意!」
予期せぬ位置からのミネルバの出現に、ガーティ・ルーのブリッジは一瞬にして混乱に包まれた。「馬鹿な、どこから現れた!?あのデブリの密集地帯を突破したというのか!?」
タンホイザーが再び咆哮を上げ、その閃光が今度こそガーティ・ルーの艦体側面に直撃した。轟音と共に大きな爆発が起こり、ガーティ・ルーは大きく損傷し、黒煙を上げながら体勢を崩す。
しかし、ミネルバもまた、度重なる被弾と限界を超えた危険な操艦により、推進剤やエネルギーを著しく消耗していた。シンたちのインパルス、ルナマリアのザクウォーリア、レイのブレイズザクファントムもそれぞれ損傷を負っており、これ以上の追撃は不可能と判断された。
ネオ・ロアノークは、仮面の奥で唇の端を歪めた。「フン、少しは楽しませてくれるようになったじゃないか、ミネルバ。だが、今回のゲームはここまでにしておいてやろう。しかし安心するな、またすぐに会えるだろう…もっと絶望的な状況でな」彼は意味深な言葉を残し、損傷したガーティ・ルーと共に、デブリの奥深くへとその姿を消していった。
ガーティ・ルーが撤退し、星屑の戦場に一時的な静寂が戻る。ミネルバ艦内では、辛くも窮地を脱したことへの安堵と、激しい戦闘による疲労が入り混じった空気が流れていた。
シンはMSデッキでインパルスから降り立ち、自分の未熟さと、アスランの的確な助言の意味を噛み締めていた。悔しさと、ほんの僅かながらも彼への認識の変化――それは尊敬とはまだ呼べないが、無視できない何か――が、その表情に複雑な影を落としていた。
「シン、大丈夫だった!?本当に、あなたっていつもいつも無茶するんだから!」ルナマリアはシンの無事を喜び、駆け寄って心配そうに声をかける。
レイは冷静にインパルスの損傷具合を確認しながら、次の戦いに備えて戦闘データを分析している。その表情からは、一切の感情が読み取れない。
カガリはブリッジでアスランの冷静沈着な活躍を目の当たりにし、彼の強さと頼もしさを再認識すると同時に、何もできなかった自分自身の無力さを改めて感じ、唇を強く噛み締めていた。
その時、艦橋のオペレーターが、普段の彼女からは想像もつかないほど悲鳴に近い声を上げた。「艦長!緊急通信です!プラント本国からです!最高レベルの緊急警報が発令されました…!」
メインモニターに、戦慄すべき映像と情報が映し出される。それは、かつて「血のバレンタイン」という未曾有の悲劇を引き起こした禁断のコロニー、ユニウスセブンの巨大な残骸が、ゆっくりと、しかし確実にその軌道を外れ、青く輝く故郷、地球へ向かって降下を開始しているという、信じ難い、そして絶望的な光景だった。
ミネルバのブリッジにいる全員が、モニターに映し出されるユニウスセブンの落下映像に言葉を失い、凍りついた。シン、アスラン、カガリ、タリア、そしてデュランダル…それぞれの顔に、驚愕と絶望、そして来るべき未曾有の破局への予感が、色濃く浮かび上がった。
遠い月では、アグネスもまた、その絶望的な情報を、地球やプラント本国からの緊急放送を通じてほぼ同時にキャッチしていた。
「ユニウスセブンが…地球に…?これは…大変なことになるわね…」彼女はモニターに映る地球と、そこにスーパーインポーズされたユニウスセブンの予測落下軌道を凝視し、その美しい顔を僅かに曇らせた。予測落下地点の中には、シン・アスカの故郷であるオーブ連合首長国も含まれている可能性が高い。
彼女の脳裏に、アカデミー時代に偶然目にした、シンの家族写真と、彼の赤い瞳の奥に宿る、癒えることのない深い悲しみが、不意によぎった。「(シン・アスカ…あなたの憎しみは、また新たな形で試されるというわけね…)」アグネスは、来るべき地球規模の混乱と、それがシン・アスカという存在に何をもたらすのか、そして自分自身がその中で何をすべきなのか、月下の暗がりで静かに思考を巡らせ始めた。彼女の瞳には、新たな戦乱の予兆と、シンへの複雑な想いが、月光のように揺らめいていた。