機動戦士ガンダムSEED DESTINY - Agnes Route- 作:カイト__
ミネルバの艦橋は、かつてないほどの緊張と衝撃に包まれていた。メインモニターに映し出されたのは、禁断のコロニー、ユニウスセブンの巨大な残骸が、ゆっくりと、しかし確実にその軌道を外れ、青く輝く地球へと向かって降下を開始しているという、悪夢のような光景だった。
「なんですって!?ユニウスセブンが地球に…馬鹿な!そんなことが…!」
タリア・グラディス艦長の普段冷静な声が、珍しく上ずる。オペレーターたちの間にも動揺が広がり、コンソールを叩く音だけがブリッジに虚しく響いた。
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルは、その報告を冷静に受け止め、即座にプラント本国と連絡を取り、状況を確認した。「評議会は、イザーク・ジュール隊長率いるユニウスセブン破砕チームを急派した。ミネルバにも、ジュール隊と合流し、破砕作業を全力で支援するよう命令が下った。一刻の猶予もない」彼の声は静かだったが、その瞳の奥には強い決意が宿っていた。
シン・アスカは、モニターに映る巨大なユニウスセブンの残骸と、その予測落下地点を示す赤いラインが、故郷オーブを含む地球の広範囲を覆っているのを見て、顔面を蒼白にさせていた。オーブの戦火、炎上する街、逃げ惑う人々、そして瓦礫の下で冷たくなった家族の姿――忌まわしい記憶が、鮮明なフラッシュバックとなって彼の脳裏を焼く。
「(また…またあんなことが繰り返されるのか…!?絶対にさせない…!絶対に!)」シンの赤い瞳が、悲しみと怒り、そして絶望的なまでの焦燥感で赤黒く染まった。
カガリ・ユラ・アスハもまた、自国の、そして地球全体の未曾有の危機に、代表首長としての強い責任感と、なすすべもない無力感に打ちひしがれていた。彼女は唇をきつく噛み締め、震える手で自分の制服を握りしめた。
ミネルバのMSデッキは、緊急出撃を前にした慌ただしい喧騒に包まれていた。シン、レイ・ザ・バレル、ルナマリア・ホークに、ジュール隊支援の出撃命令が下る。
「絶対に地球に落とさせない!俺が…俺たちが止めるんだ!」シンの声には、悲壮なまでの決意が込められていた。その瞳は、一点、モニターに映るユニウスセブンを睨み据えている。
「シン、冷静になれ。我々の任務はジュール隊の支援だ。突出した行動は慎むように」レイは、いつものように淡々とした口調でシンを諌めるが、その声にも僅かな緊張が滲んでいた。
「シン…無理しないでね。私たちもいるんだから」ルナマリアは、シンの肩にそっと手を置き、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
その時、アスラン・ザラがタリア艦長のもとへ向かった。「艦長、私にも出撃許可を。ザクファントムをお借りしたい。この状況を黙って見ているわけにはいかない。俺にも、守りたいものがあるんだ」彼の真摯な視線は、不安げに自分を見つめるカガリへと向けられていた。
「アスラン!あなたまで危険なことを…!あなたはオーブの…!」カガリが悲痛な声を上げる。
「カガリ、大丈夫だ。必ず戻る」アスランはカガリに力強く頷き、その瞳に宿る決意は揺るがなかった。タリアは、彼の申し出を了承し、議長から貸与されていたという専用カラー(深紅に金のライン、あるいは白と青のオーブを思わせるカラーリング)のザクファントムが急遽用意された。
その頃、ザフト軍月艦隊基地では、アグネス・ギーベンラートがユニウスセブン落下とジュール隊派遣、そしてミネルバの作戦参加という情報を即座に掴んでいた。彼女はこれを、自身の才能をプラント中枢に証明し、月という辺境からの脱出を果たす絶好の機会と捉えた。彼女の美しい顔には、野心と計算が複雑に交錯した表情が浮かんでいた。
アグネスは、父親であるギーベンラート評議員に、前回の通信よりもさらに強硬な口調で、半ば脅迫に近い形で再度連絡を入れた。
「お父様、これはプラント、いえ、地球圏全体の存亡に関わる未曾有の危機ですわ!私のグフ・ルナリスが持つ長距離単独航行能力と、デブリ帯での精密作業支援能力は、必ずやジュール隊のユニウスセブン破砕作業の支援に貢献できます!それに、ミネルバ隊との共同作戦から得られる実戦データは、今後のザフトのMS開発戦略にとって、何物にも代えがたい貴重な財産となるでしょう!これは、ギーベンラート家の名誉を地に落ちたところから回復し、お父様の政治的立場を再び強化する、千載一遇の好機でもありますのよ!」
彼女は、危機感と功名心、そして父親の権力欲と名誉欲という弱みを、まるで手玉に取るかのように巧みに織り交ぜて説得を試みる。
モニターの向こうの父親は、娘のあまりの剣幕と、否定しようのない状況の深刻さ、そして彼女の言葉に含まれる無視できない「利益」の可能性に、ついに重い溜息をついた。「…分かった。ジュール隊のイザーク・ジュール隊長の指揮下に入れ。彼の指示には絶対に従うのだ。そして、決して突出した行動は取るな。もし失敗すれば…ギーベンラート家は終わりだと思え」苦虫を噛み潰したような声で、父親は条件付きの出撃許可を出した。
「ありがとうございます、お父様。必ずや、ご期待以上の成果を上げてご覧にいれますわ」アグネスは淑やかに、しかしその瞳の奥には勝利の光を宿して礼を述べた。
通信を切った瞬間、彼女の口元には、月下の狼のような、獰猛で美しい勝利の笑みが浮かんだ。彼女は即座にグフ・ルナリスの緊急出撃準備を命じ、月面基地のカタパルトから、数機の護衛MS(彼女の部下、あるいは彼女の家が手配した私兵に近い存在)を強引に随伴させ、単独に近い形でユニウスセブンが落下する絶望の宙域へと、猛禽のように飛び立っていった。
「(待っていなさい、シン・アスカ。あなたのその絶望も、私の輝かしい野望の糧にしてあげるわ…そして、もしあなたが本当に壊れそうになっているのなら…その時は…フフ、この私が、少しだけ介抱してあげなくもないわね)」彼女の瞳には、冷徹な計算と、ほんの僅かな、彼女自身もまだ明確には気づいていないシン・アスカへの複雑な感情が、月光のように妖しく、そして強く揺らめいていた。
ユニウスセブン近傍宙域は、まさに地獄絵図と化していた。イザーク・ジュール率いるジュール隊が、巨大なユニウスセブンの残骸に、コロニー破砕装置「メテオブレイカー」を設置しようと懸命の作業を続けている。彼の副官であるディアッカ・エルスマンも、白い専用カラーのザクウォーリアで作業支援と周囲の警戒にあたっていた。しかし、作業はデブリの多さと、残骸の不安定な回転のために困難を極め、時間は刻一刻と無情に過ぎていく。
「急げ!このままでは地球が持たんぞ!何としても食い止めるんだ!」イザークの焦燥に満ちた怒声が、通信回線を通じて響き渡る。
メテオブレイカーの巨大なドリルが、ユニウスセブンの強固な外壁にゆっくりと、しかし確実に食い込んでいく。その、まさにその時だった。
突如として、デブリの影から旧式のジンやジンハイマニューバで編成された所属不明のモビルスーツ部隊が、まるで亡霊のように奇襲をかけてきた。彼らは、前プラント最高評議会議長パトリック・ザラの過激な思想に染まった狂信的な残党であり、地球への無差別な復讐と、世界の混沌を望むテロリスト集団だった。
「我らの手で、血のバレンタインの悲劇を再び!ナチュラルどもに鉄槌を!ザラ議長の理想のために!」テロリストのリーダーが、狂ったように叫びながらビームライフルを乱射する。
「ちぃっ、こんな時に、どこから湧いてきたドブネズミどもが!作業を続けろ!こいつらは俺たちが食い止める!」イザークは自ら白いグフイグナイテッドを駆り、テロリストに応戦する。ジュール隊の護衛MSも続くが、敵は数で勝り、捨て身の攻撃で執拗にメテオブレイカーの設置作業を妨害してくる。
その絶望的な戦場に、ミネルバから発進したシン、レイ、ルナマリア、そしてアスランの4機が到着した。彼らは直ちにテロリスト部隊と交戦を開始する。
シンは、眼前に迫る巨大なユニウスセブンの残骸と、それが地球に落ちれば、故郷オーブが、そして自分の過去の忌まわしい悲劇が再び繰り返されるという強烈な恐怖と怒りから、鬼気迫る戦いぶりを見せた。インパルスのエクスカリバーレーザー対艦刀が、ジンの装甲をまるで紙のように次々と切り裂いていく。
戦闘中、オーブの街が炎上する光景、逃げ惑う人々の悲鳴、そして瓦礫の下敷きになった最愛の妹マユの小さな手が、シンの脳裏に鮮明なフラッシュバックとして何度も蘇った。「(させない…絶対にさせないぞ!もう誰も死なせものか!俺が、俺が守るんだ!)」彼の赤い瞳が、悲しみと怒りでより一層赤く染まり、その操縦は神がかり的な精度と破壊力を帯びていく。
アスランは、その冷静沈着な操縦技術で的確に敵のジンを撃破しつつ、かつての戦友であるイザークやディアッカと、言葉を交わすまでもなく巧みな連携を見せ、ジュール隊のメテオブレイカー設置作業を守り抜いた。
「アスランか!貴様、まだ生きていたのか!相変わらずお節介な奴だ、死にぞこないが!」イザークは憎まれ口を叩きながらも、アスランの援護に感謝しているのは明らかだった。
「今はそんな軽口を叩いている場合ではないだろう、イザーク!集中しろ!地球が終わるぞ!」アスランもまた、昔と変わらぬ調子で言い返す。
レイはブレイズウィザードのミサイルとビームキャノンで広範囲の敵を的確に牽制し、戦線を維持。ルナマリアもまた、必死にシンを援護し、食らいついていた。
その激戦が続く中、月面から単独(あるいは数機の護衛を強引に引き連れて)で急行したアグネス・ギーベンラートのグフ・ルナリスが、ついにユニウスセブン宙域に到着した。
彼女は、眼前に広がる壮絶な戦闘と、地球へ刻一刻と落下し続けるユニウスセブンの巨塊に、一瞬息を呑んだ。「(想像以上の混戦ね…そして、シン・アスカのあの動き…まるで何かに取り憑かれているようだわ。あれでは、すぐに消耗しきってしまう…ただの犬死にね)」
アグネスは戦況を冷静に分析し、ジュール隊の直接の指揮下には入らず(あるいは通信で状況を報告しつつも、半ば独断で無視し)、独自の判断で行動を開始した。
グフ・ルナリスは、その白銀と紫の美しい機体を翻し、メテオブレイカー設置の障害となる大型デブリを、長距離から精密なビームライフルで狙撃し破壊。さらに、ジュール隊の作業ポッドを狙うテロリストのジンを、まるで踊るように回避しながら的確に排除していく。その洗練された動きと、一点の無駄もない精密な射撃は、最前線で戦うイザークやアスランをも一瞬驚かせた。「(あの機体は…月艦隊の新型か?なかなかやるじゃないか、誰だ、パイロットは?)」
シンが、数で勝るテロリストのジン数機に囲まれ、回避しきれない集中砲火を浴びて絶体絶命の危機に陥った、まさにその瞬間だった。どこからともなく放たれた一条の紫色のビームが、ジンの一機のメインカメラを正確に撃ち抜き、シンの窮地を救ったのだ。
「なっ…!?誰だ!?」シンは一瞬、誰に助けられたのか分からなかった。しかし、その紫と白銀の独特な機体カラーと、どこか見覚えのある、まるで月光の下で舞うかのような優雅な機動に、彼の脳裏にある一人の女性の顔が鮮明によぎった。「(まさか…あの女か…!?なぜ月(こんなところ)に…!一体何をしに…!)」
「(…礼は言わないでちょうだい、シン・アスカ。これは私の戦果のため、そして私の計算の内なのだから。あなたは、まだここで死なれては困るのよ…私の手のひらの上で、もっと華麗に踊ってもらわなくては、ね)」アグネスはコックピットの中で、シンには決して聞こえない声で、いつものように高飛車に毒づいた。しかし、その瞳の奥には、彼を見捨てられない、自分でもまだ明確には気づいていない複雑な感情が、月影のように静かに揺らめいていた。
ミネルバ隊と、そして遅れて到着したアグネスの予想外の支援により、ジュール隊は辛うじてメテオブレイカーの設置と起動準備を完了させることができた。しかし、テロリストの執拗な攻撃は止まず、彼らは最後の抵抗とばかりに、メテオブレイカー本体への特攻を仕掛けてくる。
「全機、メテオブレイカーを守り切れ!起動まであと僅かだ!」イザークの絶叫が響き渡る。
テロリストのリーダー機であるジンハイマニューバ2型が、ブースターを全開にし、自爆覚悟でメテオブレイカーに特攻を仕掛けようとする。アスランのザクファントムとレイのブレイズザクファントムが、それを阻止しようと激しく交戦するが、敵の捨て身の攻撃に阻まれる。
その時、メテオブレイカーの起動シークエンスが開始され、装置全体から強烈な光が放たれた。しかし、直前に受けた損傷のためか、あるいはテロリストの執拗な妨害電波のためか、本来のエネルギーが完全には出力されず、ユニウスセブンは期待されたようには完全に破砕されなかった。
凄まじい轟音と共にユニウスセブンの一部は宇宙空間に飛散したが、依然として複数の巨大な破片が、その絶望的な軌道を変えることなく、地球へ向かって落下を続けていく。
「くそっ、ダメだったか…!このままでは、地球が…!」イザークの顔に、絶望の色が浮かんだ。
ミネルバの艦橋でも、タリア艦長が苦渋の表情で叫んだ。「各機、衝撃に備えよ!本艦はこれより大気圏に突入し、落下する破片を追撃、可能な限り破壊する!地球を、守り抜くのよ!」
燃えながら地球の青い大気圏へと突入していくユニウスセブンの巨大な破片群。それを追って、シンのインパルス、アスランのザクファントム、レイのブレイズザクファントム、そしてルナマリアのザクウォーリアが、同じく深紅の炎に機体を包まれながら、決死の大気圏へと突入していく。彼らの癒えぬ傷痕は、地球を覆う炎となって、新たな悲劇の予兆を告げていた。
宇宙空間に残ったアグネスは、その息を呑むほどに絶望的で、しかしどこか悲劇的に美しい光景を、グフ・ルナリスのモニター越しに、ただ黙って見つめていた。
「シン・アスカ…あなたの悪夢は、どうやらまだ終わらないというわけね…そして、私の本当の舞台も、ようやくこの月(こんな場所)から、あの赤く燃える地球(あなたのもと)へと始まるのかもしれないわ」
彼女は静かに呟くと、その白銀と紫の機体を翻し、ミネルバ隊が突入していった灼熱の大気圏へと、まるで運命に導かれるかのように、ゆっくりと降下を開始した。彼女の瞳には、新たな決意と、ほんの僅かなシン・アスカへの案じるような色が、月影のように静かに、そして強く宿っていた。