機動戦士ガンダムSEED DESTINY - Agnes Route-   作:カイト__

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混迷の大地、月影の接近

ユニウスセブンの破片落下――後に「ブレイク・ザ・ワールド」と呼称されるこの未曾有の大災害は、地球各地に筆舌に尽くしがたいほどの甚大な被害をもたらしていた。ミネルバの艦橋では、艦長タリア・グラディス以下、ブリッジクルーたちが、次々と司令部から送られてくる地球各地の被害状況や、それに伴う世界の混乱を示すニュース映像を、息を詰まらせ、沈痛な面持ちで見つめていた。

 

メインモニターには、津波によって原型を留めないほどに破壊された沿岸都市、巨大なクレーターと化し赤茶けた大地、そして食料や水を求めて彷徨う難民たちの姿が、まるで悪夢のように映し出されていた。ナレーションやニュースキャスターの悲痛な声が、犠牲者の数、インフラの崩壊、そしてそれに乗じて各地で不穏な動きを見せる武装勢力――特にブルーコスモス(ロゴス)の暗躍――、さらにはプラントへの非難の声を強め、強硬な姿勢へと舵を切り始めた地球連合(その中でも特に大西洋連邦)の危険な動向を、次々と伝えていた。

「これが…ユニウスセブン落下の結果…あまりにも、酷すぎるわ…」

タリアは唇をきつく噛み締める。その美しい顔には、深い悲しみと、やり場のない怒りが滲んでいた。

その隣で、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルは、凄惨な映像を冷静に、しかしどこか計算高い、全てを見通しているかのような表情で見つめていた。「悲劇だ…本当に、痛ましい。しかし、この未曾有の悲劇を乗り越えてこそ、人類は新たな、より良き道を歩み出せるのかもしれない」その言葉の真意は、タリアを含め、ブリッジの誰にも正確には読み取ることができなかった。ただ、その声には、この混乱すらも利用し、自らの描く未来へと世界を導こうとする、鋼のような意志が感じられた。

 

ミネルバは、ユニウスセブン破片迎撃戦と、その後のアビスガンダムとの激しい戦闘で負った艦体の損傷を抱えながらも、次の目的地へと航行を続けていた。艦内では、先の戦闘で心身ともに大きな傷を負った者たちが、それぞれの痛みを抱えていた。

シン・アスカは、前回の戦闘での自身の常軌を逸した暴走と、アスラン・ザラとの決定的な決裂を引きずり、精神的に極めて不安定な状態が続いていた。彼は自室に閉じこもりがちになり、あるいはMSデッキの隅で一人、インパルスガンダムの調整に神経質なまでに没頭していた。その赤い瞳には、未だ癒えぬ怒りと混乱の色が濃く、誰に対しても刺々しい、近寄りがたいオーラを放っていた。特にアスランとは、艦内で顔を合わせても一言も口を利かず、互いに背を向け、凍てつくような険悪な空気を漂わせている。カガリ・ユラ・アスハは、そんな痛々しい二人を、オーブの代表首長として、そしてアスランを想う一人の女性として、深い憂いを込めて見守っていた。

 

そんな中、アグネス・ギーベンラートが、タリア艦長に呼ばれ、ミネルバのブリッジへと赴いた。月の本国からの正式な辞令と、タリア自身の判断により、彼女はザフト月艦隊からの転属という形で、ミネルバ所属のMSパイロットとして、この艦と行動を共にすることが決定したのだ。彼女は、月で慣れ親しんだ白銀と紫の専用パイロットスーツとは異なる、ミネルバの標準的な赤いパイロットスーツ(ただし、彼女の希望で細部のデザインは僅かにカスタマイズされている)に身を包み、ブリッジのクルーたちに紹介された。

「ギーベンラート少尉、先日の戦闘における貴官の援護、改めて感謝するわ。あなたの卓越した操縦技術と的確な判断力は、素晴らしいものだった。月の本国からも正式な許可が下りた。これより、あなたはミネルバ所属のMSパイロットとして、我々と行動を共にしてもらうことになる。異論はないわね?」タリアは、アグネスの瞳を真っ直ぐに見据えて告げた。

アグネスは、その美しい顔に不遜な、しかしどこか蠱惑的な笑みを浮かべ、優雅に一礼した。「光栄ですわ、艦長。このアグネス・ギーベンラート、ザフトの最新鋭戦艦ミネルバの勝利に、微力ながら貢献できることを楽しみにしておりますわ。…特に、この艦には、興味深い“サンプル”も、何人かいらっしゃるようですし」

彼女の挑戦的な視線は、ブリッジの隅で苦虫を噛み潰したような顔をしてこちらを睨んでいるシン・アスカへと、意図的に向けられた。

シンはアグネスの視線に気づき、「誰がサンプルだ、この偉そうな月女め…!調子に乗るなよ!」と、忌々しげに低い声で呟いたが、アグネスはそれを鼻で笑うかのように意に介さず、ルナマリア・ホークの隣にわざとらしく立ち、彼女にだけ聞こえるような声で囁いた。「よろしくて?“先輩”パイロットさん。せいぜい、私の足を引っ張らないでいただきたいものですわね」

「なんですって!あなたこそ、新入りのくせに偉そうにしないでちょうだい!」ルナマリアはカッとなり、アグネスを睨みつける。二人の美しい女性パイロットの間には、早くも新たな火花が散っていた。レイ・ザ・バレルだけが、その様子を表情一つ変えずに冷静に見つめていた。

 

ミネルバは当初、ザフトの重要な地上拠点であるカーペンタリア基地へ向かう予定だった。しかし、艦の損傷が予想以上に深刻であること、そして何よりも、オーブ代表首長カガリ・ユラ・アスハとその護衛アスラン・ザラを、戦乱の続く地球上で安全に送り届けるという「人道的配慮」(それはデュランダル議長の巧みな提案であった)を最優先するという名目で、ミネルバの進路は、中立国オーブ連合首長国へと変更されることが正式に決定された。

タリア艦長がブリッジでその決定を告げると、シンはその言葉に激しく反応した。「オーブだと…!?なぜ俺たちが、あんな裏切り者の国に行かなければならないんだ!冗談じゃないぞ!」彼は椅子を蹴立てるように立ち上がり、タリアに食って掛かろうとした。

「シン、今は命令に従え」レイが、その肩を抑えて冷静に制止する。「オーブは…お前にとっても、決して無関係な場所ではないだろう。違うか?」レイの言葉には、どこかシンの過去の傷に触れるような、意味深な響きがあった。シンはレイの言葉にハッとし、反論の言葉を失い、ただ唇を噛み締めるしかなかった。

その一部始終を、アグネスはブリッジの隅で、まるで面白い芝居でも見ているかのように、興味深そうに見つめていた。「(オーブ…彼の故郷であり、そして彼の家族が死んだ場所…トラウマの地というわけね。フフ、ますます面白くなってきたじゃない、シン・アスカ。あなたのその歪みきった心を、この私が丹念に解き明かしてあげてもよくてよ?)」彼女の瞳には、獲物を見つけた猫のような、好奇心と、シン・アスカという人間への独占欲にも似た複雑な光が、妖しく宿っていた。

 

オーブへ向かう数日間の航海の途中、アグネスは、シンがオーブという言葉に対して過敏に反応しているのを見て、彼に積極的に話しかけ、その内面を探ろうと試みた。彼女にとって、シン・アスカは最高の研究対象であり、そしていつかは自分の意のままに操りたい駒でもあったのだ。

シンが一人、艦内のトレーニングルームでサンドバッグ相手に、まるで何かを破壊するかのように荒々しく怒りをぶつけている。その額には汗が滲み、呼吸は荒い。そこへ、アグネスがまるで計算し尽くしたかのようなタイミングで、優雅な足取りで現れた。

「あら、シン・アスカ。随分とご熱心なこと。でも、そんな風にただ力任せに殴っているだけでは、あなたのその胸の奥のわだかまりは、決して消えはしないわよ?」彼女の声は、猫撫で声のように甘く、しかしどこか挑発的だった。

シンは動きを止め、忌々しげにアグネスを睨みつける。「…お前には関係ないだろう!放っておいてくれ!」

アグネスは美しい肩をすくめ、クスクスと笑う。「つれないのね。でも、あなたのその血のように赤い瞳、何かを必死に隠しているように見えるわ。オーブという言葉を聞いた時のあなたのあの反応…何か特別な、そしてとても辛い思い入れでもあるのかしら?例えば、そうね…そこで、大切な家族を、目の前で無残に失った、とか?」

彼女は、わざと彼の最も触れられたくない心の傷に、鋭利なナイフのように、しかし優しく囁くような口調で言葉を突き立てる。

シンの表情が一瞬にして凍りつき、怒りと悲しみでその拳がわなわなと震えた。「…黙れ」絞り出すような声だった。

アグネスは、彼のその反応を見て、満足そうに微笑む。「図星かしら?フフ、本当に分かりやすい男ね、あなたは。でも、その純粋なまでの激情は、使い方によっては最高の武器になるわ。今のあなたは、ただの制御不能な狂犬だけど…この私、アグネス・ギーベンラートなら、あなたのその力を最大限に引き出し、正しく導いてあげられるかもしれないわよ?」彼女はシンの顔に自分の顔をゆっくりと近づけ、その赤い瞳を覗き込みながら、挑発的な視線で彼を見つめた。

その時、トレーニングルームの入口から、ルナマリア・ホークが血相を変えて飛び込んできた。

「アグネス!シンにちょっかい出すのはやめてって、いつも言ってるでしょ!彼は今、とてもナーバスになってるんだから、そっとしておいてあげてよ!」ルナマリアはシンを庇うように、アグネスの前に立ちはだかり、彼女を鋭く睨みつけた。

アグネスは、そんなルナマリアを一瞥し、まるで取るに足りない虫けらでも見るかのように、フンと鼻で笑った。「あら、あなたこそ、いつまで彼のお姉さん気取りのつもりかしら?それとも…ただの、見苦しいヤキモチ?残念だけれど、シン・アスカは、あなたのような凡庸で感情的な女では、到底手懐けられないわよ。彼に必要なのは、私のような、彼の才能を理解し、導くことのできる、選ばれた存在なの」

「なんですって!あんたなんかと一緒にしないで!」ルナマリアは顔を真っ赤にしてアグネスに掴みかかろうとするが、アグネスはそれを優雅にひらりとかわし、勝ち誇ったような笑みを浮かべてトレーニングルームを後にした。

残されたシンとルナマリアの間には、重く気まずい沈黙が流れた。シンは、アグネスの言葉が、まるで棘のように自分の心に深く突き刺さっているのを感じていた。彼女の言葉は不快極まりないが、なぜかその全てを否定しきれない自分がいた。

 

数日間の航海の末、ミネルバはついにオーブ連合首長国の領海へと近づいてきた。

オーブの本島オノゴロ島の、人気のない静かな海岸線。前大戦後、ラクス・クラインと共に戦火を離れ、プラントから送られてきた孤児たちの世話をしながら穏やかな、しかしどこか満たされない日々を送っていたキラ・ヤマトが、一人、寄せては返す波の音を聞きながら佇んでいた。

ユニウスセブン落下による影響か、空の色はどこか淀み、潮の香りにも微かな焦燥感と、そして血の匂いにも似た何かが混じっているように感じられた。キラは、最近の世界の不穏な動き――プラントと地球連合の対立激化、アーモリーワンでのガンダム強奪事件、そしてユニウスセブンの悲劇――を、アンドリュー・バルトフェルドらが集めてくる情報や、オーブの報道を通じて静かに見守っていた。

彼は空を見上げる。そこには、かつてフリーダムで守り抜いたはずの青空はなかった。「また…戦いが始まるのか…?僕たちは、いつまでこんな愚かなことを繰り返さなければならないんだろう…」

その美しい顔には深い憂いが浮かんでいたが、その瞳の奥には、かつての戦士としての、あるいは何かを守ることを決意した者の、静かで、しかし燃えるような強い光が宿っていた。彼の傍らには、いつか再びその白き翼を広げ、戦場を舞う日を待つかのように、アークエンジェルがオノゴロ島の地下ドックに隠され、静かにその時を待っていた。

 

ミネルバのブリッジモニターに、オーブの首都オロファトの美しい街並みと、モルゲンレーテ社の巨大なドック施設群が、徐々にその姿を現し始めていた。ミネルバのクルーたちは、それぞれの想いを胸に、この中立国への入港を迎えようとしていた。アスランはカガリの横顔を案じるように見つめ、カガリは故国の土を前にして、代表としての責任を改めて噛み締めていた。

シンは、複雑な、そしてどこか苦しげな表情で、窓の外に広がる故郷の風景を、ただ黙って見つめている。彼の脳裏には、炎と悲鳴、そして失われた家族の笑顔が、交互に明滅していた。

そのシンの隣には、いつの間にかアグネス・ギーベンラートが立っていた。彼女は、シンのその苦悩に満ちた横顔を、探るような、それでいてどこか期待するような、意味ありげな視線で眺めている。

「オーブ…あなたの因縁の地、というわけね、シン・アスカ。ここで、あなたがどんな顔を、そしてどんな“力”を見せてくれるのかしら…楽しみにしているわ。私の退屈を、少しは紛らわせてちょうだいな」

アグネスのその挑発的な囁きは、今のシンには聞こえていないかのようだった。彼はただ一点、オーブの空を、その赤い瞳で見つめ続けていた。

不穏な世界情勢と、彼らの運命が大きく、そして否応なく動き出すであろう新たな舞台への到着を、水平線から昇り始めた朝日の、どこか血の色にも似た赤い光が、静かに、しかし不気味に照らし出していた。

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