デイリー・デッド   作:松の犬

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魔法の力

…………大地を黄金色に焼き付ける夕暮れの美しさが、脳裏に付いて離れない。

古い記憶だ。

茜色の空を見上げれば薄い白煙が揺蕩い、ふと一迅の夏風がそよげばほんの甘い匂いが鼻を突く。この甘ったるい匂いの正体は何なのだ、と初めてそう考えたのは奇しくも最後の日のことで。……あぁ、お隣のまんじゅう屋が焼くあんこの匂いなのかと。そんなことを考える余裕が出来てしまった己が悔しくてくしゃりと顔を歪めた。

 

ー本日限りで、土出杏士さんはこのサッカークラブを辞められるそうです。

響いたのはコーチの静かな声。男のように圧が効いた低すぎる声でもなく女のように高すぎることも無い、そんな耳障りの良い聞き慣れた声が静かに。一滴の雨水のようにその場に垂らし落とされた。あまり負の感情を表に出さない人で、その時の声がジブンの退会を惜しんでいたのか悲しんでいたものなのか、今考えても答えは出そうにない。

 

その知らせを受け、手に抱えるボールも放り出しクラブメート達は別れを惜しみわらわらと集まってきた。

彼らの口から放たれる言葉に嘘偽りなど少しもなかった。酷く人間の出来た者達だったと思う。

ー別のところ行ってもサッカー続けろよ。

ーまた絶対会おうねデッドちゃん。

ー今度の帰りまんじゅう屋一緒に行こうぜ。

 

口々に、とある者は涙を滴らせながら、時には嗚咽交じりに伝えられる言葉をジブンは黙って聞いていた。

俯いて、目尻からは涙だって溢れた。

でも、ジブンは。

皆みたいに人間のできた奴じゃなかったみたいだ。

 

『あっ!デッド!?』

ジブンが涙を流したのは、みんなと離れるのが寂しいだからなんて綺麗なもんじゃない。

何か大切なものがぶち切れたように全力で疾走し、みんなの後ろ姿が見えなくなっただろうところで大きく吠えた。

 

『ふざけんな!!!!!』

ジブンはただ悔しかった。惨めで惨めで、ジブンが情けなくて耐えられなかった。心臓の内側が痒くて痒くて身体の毛穴という毛穴に蟲が入り込んでくるような嫌悪感をクラブメートに抱いた。

ずっと好きだった場所。

蒼い芝をスパイクで蹴り上げシュートを決めれば胸の鼓動が早まった。

相手のシュートを妨害してやれば高揚感に身が包まれた。

ボールを持って整列するだけでワクワクが止まらなかった。

練習終わりにコーチが奢ってくれたドクダミ茶の味を今でも覚えてる。みんながみんな口を揃えて不味い不味い言うもんで、その時ばかりは強面のコーチの顔もしょんぼりと揺らいでた。

 

……嫌いになれたらどれだけ良かっただろう。

こんなゾンビの身体でサッカーなんてもう出来やしないと諦められたらどれだけ良かっただろう。

……………………あの日、ジブンは。

全てが大好きで嫌いになんかなれないまま。サッカーを辞めたんだ。

 

あの醜いぐらいに美しい夕焼け空が、今でもジブンは大嫌い。

 

 

 

「は?デッドが生い先短い病人と勘違い?バカじゃないですか」

「すんまへん……」

「全く……カンシはいつまでもカンシする癖が治らないな、なぁカンシ」

「固有名詞を動詞として使うんはやめてくれん!?」

「あはは」

ところ変わって昼下がりの乙木家では。

種々のトラブルには見舞われたものの、自己紹介を終えたばかりのデッドを加えてリビングでの談笑が行われているところだった。アンジャッシュ事件をネタにゆすられるカンシを見ながらデッドも口を開けて笑う。そんな愉快な様子を目にし、個性豊かな乙木家の住人たちへの警戒心はすっかり解けたようである。

10数分は自己紹介も兼ねて話した頃だろうか。ふと会話の流れが途切れた。

それを確認すると、デッドはゆっくり声を発した。その話題は勿論と言うべきか、ミハルによってデッドが招かれた目的についてである。

「んで、ミハル今日はなんか用かよ?」

モリヒトお手製のコーヒーを口を窄めて熱そうに啜りながら、上目でミハルの方を見やった。

 

「あぁそう、用事ね用事」

マグカップを優雅に片手で抱えるミハルは、いつものように穏やかな笑みを浮かべてその表情は変わらない。しかしながら、横目でチラリとニコの方を見ながら何やら示し合わせると、一拍を置いてゆっくり話し始めた。

ほんの少しだけ、場の空気がピリッと引き締まる。

 

「デッドの身体ってクッソ貧弱じゃん?」

「うんうん」

「その身体を強くする方法があるかもしれないんだ」

「ブーーーーーッッッ!!!!!」

「うわ汚ッッ!!」

ミハルの口から飛び出たまさかの言葉を受け、そのとても信じられない内容にデッドは口からコーヒーを勢いよく吹き出した。

漫画のように吹き出されたコーヒーは綺麗な扇形を描きミハルの顔面に直撃である。絶賛混乱状態に陥っているデッドを横目に、しかめっ面のミハルは焦茶の液体を拭き取るので一生懸命だ。

ゲホゲホといまだに咳き込むデッドだったが、ミハルは気を取り直し。

 

「こちらのニコさんは魔女な訳なんだけども」

「中々聞かねーぞそんなパワーワードな他己紹介」

魔女であるニコの存在については、フラン達の話から兼ねてより知ってはいたのだが。それでも側から聞いたら意味の分からない紹介にデッドはツッコミを入れた。

 

「ミハルくんから話は聞いてるのよ。もしデッドちゃんが困ってるなら力になりたいの」

「…………ミハル……」

デッドは数日前のやり取りを思い出していた。体育を見学してる時に己の身の丈を語った、あのグラウンド端での出来事。……わざわざ気にしてないと前置きしてやったのに、動いてくれたのか。

思わず目頭を熱くさせてしまったことが恥ずかしく、デッドは少しの間下を俯いた。ニコは柔らかく微笑んだまま言葉を続ける。

「だからその……魔法かけてみても良い、かな?」

「あはい!!!メチャクチャお願いしまぁす!!!」

「躊躇無ッ!!え!?躊躇無ッッッ!!!」

刹那!!

まさに一瞬の出来事であった。

カンシがむず痒さを感じくしゃみを解き放つより早く、それを察知したケイゴがティッシュを差し出すよりも早く、その横でモリヒトが瞬きをするよりもさらに早く。

デッドは承諾の返事を嬉々として放ったのである。その速さまさに熟練のジャガーが獲物を仕留めるが如しの勢い。

「えぇ!?何かもっとこう……!!葛藤とかしろよ!」

「ばっかおめぇ何を言う!」

鱗滝さんもびっくりの判断の速さに困惑を露わにするミハルだが、それを前にデッドはおもむろに立ち上がると彼の言葉をバッサリ否定した。

「このゾンビボディ実生活で役立つこと殆ど無ぇかんな!!見逃せない特番やってる時に下半身トイレ行かせて上半身で大笑いするぐらいしか使うことねぇからな!!」

「それは普通に羨ましい」

「腹痛の時に欲しいな」

ケイゴとモリヒトの二人によって思わぬ賛同を得たデッドであった。

 

「というわけで何かこう上手いことやってカッチカチの頑丈ボディにして下さい」

「願い事に反して言葉がフワッフワしてるなぁ」

「ま、まぁそこまで言うなら……それじゃあ行くよ……!!」

デッドの熱い想いに押し負けたのか、ニコは渋々ながらもそれを承諾した。初めと立場が逆転してるのは何とも奇妙な光景である。

「"ダイジョーブイ"!!!」

ニコの掛け声と同時に、室内には薄桃色の光が飽和する。これが魔法なのかとデッドが面を喰らう間もなく光は彼女の身体に収束していき…………

泡沫の光が収まったのを確認すると、ニコはふぅと息を吐いた。その額には汗が滲んでいる。

 

「……なんか変わった?」

「身体のボロボロ具合は健在だね」

「いやスナック感覚で腕もぐな!!」

何が変わったのかと、ミハルが身体を触って確認するも何の変化もない。以前と変わらぬゾンビボディのままだった。デッドの異常な体質にまだ慣れていないカンシは、腕をもがれても微動だにしないデッドに勢いよくツッコむ。

 

「この魔法には発動条件があるのよ。デッドちゃん、両腕を前に突き出して『ダイジョーブイ!!』って手をチョキの形にしてみて?」

「なんやねんその掛け声」

「押忍!!"ダイジョーブイ"!!」

「ほんでやるんかーい!!」

カンシのツッコミ声が響き渡るリビングにて、魔法を使うため立ち上がり仁王立ちをしたデッドは半信半疑ながらもニコの言うように両手をVサインにしてみせた。

 

「はいっこれで準備OK!カンちゃん、試しにさっきやったみたいに背中叩いてみて?」

指さしでビシッと指名を受けたカンシは、ワシか?と困惑しつつ元気なく立ち上がった。

「ワシさっきの頭部落下事件でちょいトラウマなんやけど……」

不用意にデッドに触れてしまったことで申し訳なさを感じていたカンシだが、ここは目の前のニコを信じてみようと腹を括った。当の本人がトラブル発生常習犯のドジっ子魔女なのは不安要素だがやるしかない。

「ほんじゃいくでー?どっこいしょー!!」

 

その瞬間、手のひらと肉がぶつかる重い音が室内に響いた。衝撃に備え両の眼をギュッと引き絞るデッドだが、1秒、2秒。

(………………?)

待てども待てども身体が崩れる浮遊感は訪れない。思い切って目を開けてみると、そこには何ら変わらぬ五体満足の立派な身体が残っていた。

「おおおぉ…………!!?」

デッドはにわかな感動を覚えた。

体がよろめくぐらいのあれ程の衝撃を受けて、身体のパーツが綻ばないのは一体何年振りの出来事だろうか。

煌めく眼で己の震える両腕を見つめ、意図せず感嘆の声を漏らすデッドからは静かな感動が伝わってくる。

 

「この魔法の名前は”ダイジョーブイ”!!両手をこうしてVサインにしてる間だけは、肉体の耐久力を素の5倍にしてくれるのよ!」

「ニコの魔法にしては珍しく癖が無い……」

「それ褒めてる?」

「だいじょーぶだいじょーぶ、きっと褒めてるっすよ」

ケイゴから向けられた疑念の眼差しに、ニコは頬を膨らませてしかめっ面を返す。対して、魔法を掛けられ丈夫な身体を手に入れたデッドは満面の笑みでご機嫌顔だ。

魔法の効果が上手く表れたことを確認し、ミハルはほっと胸を撫で下ろすと再びデッドに少年のような笑顔で微笑んだ。

「こんだけ耐久力上がればジキルの代わりに試合出場なんて楽勝じゃない?」

「いやーそりゃ勿論!!選手100人抜きだって夢じゃねーっつーか?ガハハハッ!!」

 

「……………………」

「…………あー、うん。……急に自信すごいなデッド」

…おや?と。

初めに違和感を感じたのは洞察力に優れたモリヒトだった。いや別に、何か取り立てて様子がおかしくなっている訳ではない。

乙木家を訪れてからの彼女はずっとテンションが高いし、事前にミハルから聞かされていた人物像から大きく離れた人格をしているということもない。しかし、何なのだろうかこの妙に心を騒がす違和感は。

魚の小骨が喉奥に突っかかったような、そんな奇妙な感覚をモリヒトは覚えた。

しかし彼の疑念が確信に変わるのもそう時間が掛かることでは無かった。

 

モリヒトが気付いたのは、その後のデッドを取り巻く会話を聞いてのことだ。

「そういえばデッドって数学の課題もう終わらせた?」

「え~?やーまだ終わってねーけどだいじょーぶだいじょーぶ、一夜漬けで何とかなるっしょ」

「……………………」

 

「うっ、宿題とか嫌な話出すんはやめてくれや……ワシもまだ古文のレポート終わっとらんねん…」

「やー大丈夫っすよカンシさ~ん」

「え?」

 

「…………………………」

 

「学校の宿題なんて提出さえすりゃ点もらえるんだしだいじょーぶだいじょーぶ」

「そ……そうか?そうよな!」

にこやかに笑うデッドの甘言に、カンシがほだされそうになったその時である。

 

「……いや何か言動が無責任になってない!!?」

モリヒトがそう大きく叫んだ。

『え?』

「さっきから地味に様子がおかしいと思ったが……!!魔法を掛けられてからのデッド『だいじょーぶだいじょーぶ』ばっかで言動がやたらふわっふわしてるぞ!!!」

「や~そんなこと無いっすよモリヒトさーん。だいじょーぶですってー」

「ええいお前はその鬱陶しく間延びした語尾を今すぐ直せ!!おいニコちゃんと説明しろ!!」

 

怒り心頭のモリヒトに名指しで責任を追及されれば、丸めた背中をびくりと震わせて怯えるのはニコの姿だ。

その様子はさしずめ蛇に睨まれ動けなくなった蛙そのもの。

背後から両の肩をそれぞれカンシとケイゴに静かにポンと叩かれると、ニコは観念した様に。

「はい…………」

己のやらかしを反省し、デッドに詫びるのだった。

 

***

「まぁそういう訳で…………この魔法にかかると副作用で、『だいじょーぶだいじょーぶ』と言った口癖で無責任な言動をしてしまうようになるのよ」

「これのどこが癖が無いんですか」

「精神にまで影響及ぼすとか反動強すぎるやろ」

これぞニコらしい魔法というか何というか。

ケイゴが疑念を抱いていた通り、ニコがデッドに向けて放った魔法はどうやら一癖も二癖もある難解なものだったらしい。

慣れない魔法による負担でその眼をグルグルと回しつつ、だいじょーぶだいじょーぶとうわ言のように呻き続けるデッドはさながら生ける屍のようで実に哀れだ。ゾンビだけに。

 

「でもこの副作用も魔法の発動をやめれば収まる筈……」

ニコは地面にへたり込むデッドに近付くとそのVサインを無理やり解いて見せる。暫くすれば、デッドは段々と正気を取り戻していった。

「……あぁ?ジブンは一体何してたんだったかよ……」

「ねぇねぇデッド、丈夫になった身体なら100人抜きとかサッカーで余裕?」

 

「は?何言ってんだミハルおめぇ、サッカーは全員の力で勝つもんだろ」

「あ良かったまともだ」

「デッド、お前は今の今まで『だいじょーぶだいじょーぶ』を連呼するしかできない生ける屍だったんだぞ」

「どぉーーいうことっすかそれッ!!!」

どういうことも何も、そのままの意味である。

いつの間にか時間は過ぎ、時計の針が四時を指し示すここ乙木家では、今日も今日とて騒がしい空気が家中に覆いかぶさる。

カンシがおふざけ半分で「この魔法モリヒトがかけてもらえば最強になるんとちゃうか」と大口を開けて笑う。モリヒトは「無責任な言動にされるのはごめんだ」とこめかみに手を当てて、頭を痛そうにカンシへと言葉を返した。

より一層の笑いにリビングが包まれる。

 

しばらく笑い合ったところで、魔法の反動から完全に回復したデッドがおもむろに立ち上がった。視線の先には、彼女らしい活発さを醸し出す明るい黄土色で、チェック柄の刺繍が入れられた可愛らしい背負いカバンが置いてあり。

すると何やらガサゴソと、己が背中に背負ってきたそのカバンを漁りながら……

 

「ねーねーミハルきゅん、一緒にサッカーしな~い!!?」

大切そうにボールを両手に抱え、キンキラキンと輝いた眼で友をゲームに誘うのだった。まるで少年の様な、その純粋で単純な笑顔を直視してしまいミハルは目眩がしそうになる。

「えー……いやボクはちょっと……ってぐえっ!!」

嫌だねと頭を振って断ろうとしたミハルだが、次の瞬間には床に倒れうめき声を上げる。

「えぇー良いじゃんやろうぜ!頑丈になった身体試してーんだよ、PKでもミニサッカーでも何でも良いからー!!!」

「引っ付くなァ!!!」

 

興奮したデッドに勢いよく腰に飛びつかれ、倒れたのだ。

でもでもと子供がおもちゃ売り場で駄々をこねるようなデッドを見下ろし、引き剝がそうと押し問答を開始する。一体どうしてサッカーボールなんか持ち歩いてるんだ、とかそんな疑問を胸中に抱えながら、他のメンバーは二人のケンカを苦笑いで見守る。ところがそこで。

「あれ?」

デッドの頭を手で押しやり怒るミハルの姿を見て、ケイゴがとある違和感を感じたようでそれを口に出した。

 

「珍しいな、ミハルが素手で人の体触れてるの」

「ほんまや」

そう、吸血鬼であるミハルは不用意に人に触れるとうっかり相手の生気を吸ってしまうため、極力肌での接触は避けている筈なのだが。

どういう訳か、指どころか手のひら全体でガッツリ触れられているデッドは、生気を吸われて干からびそうな様子も無い。

不思議そうに思うそんな視線を肌に受け、あぁ、と気付いたミハルは説明した。

 

「いやぁボクにも分からないんですけど、デッドからはよほど興奮した時じゃないと吸魂が出来ないっぽいんですよね」

そんな説明を横耳で聞きながら、ミハルの腰に捕まったままのデッドはふと回想した。この吸血鬼と初めて邂逅した、あの薄暗い学校の廊下での出来事。

 

『馬鹿みたい、ね………………その言葉そっくりそのままお返しするよ。”吸魂”!!』

『グッ……!!?』

 

あの時のデッドは、ミハル達に自身の正体を他言させない為の口封じで頭がいっぱいで正に背水の陣、といった言葉で形容するのが正しい極限の心理状態に陥っていた。あの時ほどアドレナリンがドバドバ分泌されたのもそうは無い体験である。

つまり、あのバトルの時ほどの極限状態でなければミハルのエネルギー吸収技は効かないのか。遅ればせながらに、デッドはそのことを理解した。

ミハルが言葉を続ける。

「まぁゾンビだから生命力が低いんでしょうねきっと(笑)」

「なんてことを言うんだよ!!!!!」

 

先程までとは打って変わり、憎たらしいぐらいの笑顔で辛辣な毒を吐きそう話を締めたミハル。

それに対してデッドは猛反発だ。

再び場を支配した喧騒を目に残し、軽く息を吐くと今度はモリヒトがソファーから腰を離し立ち上がる。

「モイちゃんどしたの?」

「陽も傾いてきた。夕飯の仕込みを始める、今夜はビーフシチューだからな」

『わーいモリヒトのビーフシチューだ!!!』

 

今夜の献立宣言を耳にすれば、乙木家の住人たちは諸手を上げて喜びを露にする。下手をすればそこらのチェーン店で食べるよりも遥かに美味しいモリヒトの手作り料理は、母の味が恋しくなってくる年頃の彼らにとって至福のひと時なのである。「ワシの皿は大盛りにしてくれや」などと調子の良いことをほざくカンシに面倒くさそうな表情を返す。と、いったところでモリヒトはデッドの方を唐突に振り向いた。

予期しなかったその挙動に、デッドの肩がほんの少しの驚きで揺れる。

 

「お前も良かったら食べてくか?デッド」

「えぇ!?」

振り向いたモリヒトの口から事もなげに繰り出されたのは、何と食事のお誘いだった。突然の声掛けにデッドは跳ねる身体を抑えられない。それはもちろん動揺から来るものだ。

「や、別に良いっすよ気なんか遣わなくて!!どの道6時ぐらいにはお暇しようと……」

「何や、おかんがご飯作って待っとってくれてるんか?」

「そういう訳じゃないっすけど……どの道、今日オヤジは帰ってくんのが遅くて一人っきりだし…………」

 

カンシにそう詰められるも、流石に今日会ったばかりの人達にご飯までご馳走してもらうのは申し訳ないとデッドは消極的だ。ただでさえ魔法を掛けてもらった恩があるので、その想いは更に一入だった。そこに追い打ちを掛けるのはニコだ。

「それだったら食べてけば良いのよー!5人分の食事が6人前になろうと大して変わらないし!」

「そのセリフは調理者のものであってお前が言うべきではないんだよなぁ」

しかしその説得内容には些か疑問が残る。

まるで自分が作りますよとでも言わんばかりの、ニコの偉そうな態度にケイゴが冷静に突っ込んだ。

 

しかしその言葉を受けてもデッドの対応は煮え切らない。

「いやー、でも」

デッドがそんな様に再び手を横に振った、そんな時だった。

 

ぐううううううううぅぅぅぅぅ~~~~~~~~。

 

人の会話を遮るほどの、一際大きい腹の虫が大きく唸り声を上げた。その場に居る皆の視線が一点に集中する中で、恥ずかしそうに頬を赤らめさせ小さく俯く者が一人。

「…………………………」

それは言うまでもなくデッドだった。食事の誘いを断り続けていた手前、どんな顔をして反発を続ければ良いのか分からず黙って下を向いている。

何とも言えぬ、いたたまれない空気が流れるそんな中で。

「…………フッ。」

 

既に立ち上がっていたモリヒトが、腕組みをしながら軽い笑みを零して言った。

「確かに、ニコの言う通り5人前も6人前も変わらないな。待ってろ」

「…………おす」

クールな言葉を残し、キッチンルームへと向かうモリヒトの背中に向けて、デッドはバツの悪そうに了解の言葉を零した。

しかしそれも束の間、冷蔵庫に向き合い『ブロッコリーはあったかな』と物色を始めるモリヒトの背中を遠くに確認すると。

 

「…………カァ~~~ッコよ!!え!?何だ今のクソイケメンムーブ!!顔面偏差値80以上あって初めて許されるヤツだろアレ!!」

「そうなのよ……モイちゃんは毎日無自覚的にあのレベルの人垂らしムーブをやるからね……『待ってろ』(cv:鈴〇崚汰)は破壊力が凄すぎるのよ!!」

「やっぱり(cv:鈴木〇汰)は違うよなぁ」

「でも(cv:松岡〇丞)の方も渋みが増してて良いですよね~~」

「いや声の話はもうええねん」

目の前のまな板に真剣に向き合うモリヒトを他所に、リビングではその本人の話で持ち切りだ。

デッドの発言を皮切りに、各々が彼の美声を褒めた。

と、ひとしきり話したところでふとニコの表情がほの暗くなる。

 

「まぁ…………でも、ね……」

「…………あぁ……な」

「……せやけど、なぁ……」

「……そう、なんですよね……」

 

ニコから始まった薄暗い表情は伝染していき、モリヒトを除く乙木家の住人4名は揃って『はぁー』と溜め息を零した。

「え?え??」

そんなモリヒトの罪な行動が4人の頭を悩ませているのだということをデッドは知らない。

まだ何も知らないデッドが、ニコがモリヒトに向ける片想いに気付くのはまた別の機会である。

 

 

***

今日も我が家のキッチンには規則の正しい小気味良い調理音が響く。

包丁の鼓動に合わせて、ひいたまな板が奏でる気持ちの良い木の音色。その横ではぐつぐつと、エサの投入を待ちわび大口を開ける鉄鍋の沸騰音。頭の上では、溢れる蒸気を懸命に吸い込み呼吸する換気扇が働く声が耳に溢れた。

自慢じゃあないがオレは、こういう調理にかけるひと時が結構好きだ。調理の工程が予定通りに進むのを見ると充実感を感じられるし、何よりこうして鍋のシチューにスパイスを振りかけるひと手間。そして、牛肉を更なる高みへ導いてやれるよう身体をほぐすそのひと手間が加わり、料理のグレードアップに貢献してやることで味わえる達成感には得も言われぬものがある。

 

さぁそして、塩コショウで牛肉にドレスを着せてやればいよいよ鍋に投入だ。あらかじめオリーブオイルで炒めておいたにんにくの香りが、鼻を突くのを感じれば迷いなく肉を放り込んだ。程無くして健康的に色付いてくる肉を取り出せば、次の出番となるのは食卓を彩る野菜たち。人参に玉ねぎ……セロリはカンシが苦手だと言うので、我が家ではバジルで代用だ。きつね色になるまでじっくり炒めた後は、ケチャップにトマト、先ほど煮た牛肉を投入して数十分の煮込み工程に入る。料理は根気とよく言ったものだが、この待ち時間もなかなか侮れないものなのである。

 

長い待ち時間が開けたら、肉だけを取り出し煮汁をザルに濾す。濾した煮汁に煮詰めたデミグラスソース、肉を再度投入して煮立たせればビーフシチュー作りもクライマックスだ。眼下の鍋には色艶の良くきれいな栗色に染まるシチューが顔を覗かせた。そこにハチミツ、バターに薄力粉を混ぜ合わせるのも忘れてはいけない。全体的にとろみがつくまで、じっくり煮込んでやればビーフシチューの完成である。

一口すする。

うん、悪くない。程よいしょっぱさと甘み加減だ。

 

ただしかし、ビーフシチューだけ食卓に出してはい食事の時間ですよと言う訳にもいかない。

付け合わせのサラダには、梅ドレッシングを使おうか。今年の春先にうちの庭で採れたものを漬けておいたんだ。癖の強い酸味がこれまた強烈で、オレは気に入っている。母の味に似ているようで、意外にもケイゴには好評だ。

黒和ちゃんのお店で買わせてもらったバゲットも惜しみなく使おう。程よい厚さにスライスして、レンジでトーストの形に整えてやる。

そんなこんなで調理にのめり込んでいけば、食卓の上にはみるみるうちに華やかな色が咲いていった。

我ながら満足な出来じゃないか。

 

「さぁみんな出来たぞ!!今回はデミグラスソースにも拘ってみたんだ……ってあれ?」

夕飯にしよう、とモリヒトがそう意気揚々と顔を上げたところだったのだが。

どういう訳か、羽虫でさえその音圧で叩き落されそうな程のさっきまでの喧騒はどこへやら。リビングには人っ子一人の姿も見当たらず、代わりに中庭へと続く窓の外で小さな声が聞こえてくる。耳をすませばボールの跳ねるような軽快な音も漂ってきた。

そんな様子に、モリヒトは瞬時に状況を察する。

 

「……やれやれ。まったく元気な連中だ」

そう言葉を残しエプロンの紐を緩めたモリヒトは、元気の有り余る愉快な同居人たちの元に歩を進めるのだった。

 

 

***

カラスの鳴き声が静かに響く、茜色の空の下で。

「わははっ、ケイゴさんの足長ェ!!」

「そりゃ元スケート選手だからな」

デッドの足からボールを発射させまいとケイゴが脚を搦めて妨害する。

「カッカッカ、思うようにはさせへんで!!」

「カンシさんはジャンプ超高ェ!!」

「そりゃ、天狗やからな!」

そんな二人からサッカーボールを奪うのはカンシだ。

 

「3人とも頑張れー!」

お互いに身体をぶつけ合い、汗水を飛び散らせながらボールの奪い合いをする3人に笑顔で手を振るのはニコである。激しいぶつけ合いをしても綻ばないデッドの身体には、言うまでも無くその両手にVサインが作られている。

ふとした時に、背後の窓ガラスがカラカラと開けられる音が聞こえれば、縁側にゆったり腰掛けるニコとミハルはそちらを振り返った。

「何だアイツら、結局サッカーやってるのか」

そこから姿を覗かせたのはモリヒトだった。

「なんか話の流れでつい」

 

簡素な説明を終えたミハルは、またすぐに顔を正面のミニサッカー模様に据え直した。

モリヒトも軽く息を吐き。

「……随分、楽しそうじゃないかデッド」

「本当にずっと、ずっとサッカーやりたかったんでしょうね。友だちと」

そう言い微笑を浮かべるミハルは、ボクは本気になったものが無いからよく分かりませんけどと皮肉な言葉を加える。

サッカーというのは、集団スポーツだ。

ただボールを蹴って蹴られてという単純なゲームであれば、ゾンビの身体であろうと活躍は容易であっただろうが。…その過程には、激しい身体のぶつけ合い、譲れぬ応酬がある。そんなことを必須とするスポーツの世界で、身体が物理的に弱いデッドがそれを諦める理由は想像になど難くなく。

 

「げっ、しまった引っ掛かった!!」

「わーっははは!!シュートやりィ!!!」

食事に呼びに来たモリヒトも、それを憚られるぐらいに。

眩しい笑顔が今だけはこうしてデッドの額に咲いていたのだ。まるで齢が10もいかぬぐらいの少年のような、只々純粋な満面の笑みで。

高く跳躍し、そのままの体勢で華麗なシュートを決めたデッドは着地後すぐに起き上がり、グッとガッツポーズを作っては胸を逸らして威張って見せた。

「はっはー、これでジブンの5連続シュートっす!!!」

「何をう、合計数競うならワシの方が多いっちゅーねん!!!」

 

笑顔のままバチバチと火花を散らすカンシとデッドの二人だったが。このままではいつになっても終わらないな、とそうため息をついたモリヒトによってゲームは打ち切られたのであった。

「そこら辺にしておけお前たち。夕飯の時間だぞ」

「あ、おす!!」

「ちぇっ、何やもう終わりかい」

 

動き足りんとぼやくカンシだったが、鬼の管理人による一言でその場は解散に動く。

腹減ったなーとお腹をさそるケイゴに続いてデッドも室内に入ろうと歩みを進めたそんな時だった。

突如カンシが振り向きデッドに声を掛けた。

何てことの無い、ありふれたただの一言。

 

「カッカッカ。まぁまた今度、決着つけようや」

 

デッドは歩みを止めて立ち止まった。別に意識して立ち止まった訳ではない、無意識のうちに身体が動きを止めていた。

また、今度。

何故だろうか。

目の前の男から放たれたのは、取るに足らない何でもない言葉の筈なのに。どうしてだか、その暖かさは胸の内にじんわりと染み入って。そのシミは一滴の滴を芝の上に垂らした。

 

「……え、デッドもしかして泣いてる?」

『!!!???』

 

室内に入ろうと窓ガラスを開けた際に、目に映ってしまったのだろう。薄い驚きに色濃い困惑が混ざったような、ミハルのそんな上擦った声を聞いてその場の者達はあからさまな動揺を抱えバッと振り向く。

そこには、芝生の上に突っ立ったまま静かに涙を流す14歳の少女がいた。嗚咽を上げるでもない鼻水を垂らすでもない、ただ呆然としたままの表情で頬を静かな雨垂れに濡らし固まる少女がいたのだ。言わずもがな、茜色に染まる夕焼け空からは一滴の雨水だって降ってきやしない。

そんなデッドの様子に、乙木家の住人は大慌てしたものである。

カンシとケイゴは、先ほどのサッカーで何か怪我でもさせてしまったのかと眉を八の字に下げて狼狽え。ニコにモリヒトにミハルの3人は、彼女が流す涙に予想などつく筈も無く、ただ驚きを隠せないまま立ち尽くしていた。

 

「………………そりゃ、泣くよ」

デッドは小さな声で話し始めた。両腕は脱力したままで、頬に流れる涙を拭う様子も無い。

「こんな身体じゃもう絶対に出来ないことだと思ってたんだ。…人と身体ぶつけ合って、1個のボールに無我夢中になってさ。ついさっき、マジに唐突に思ったんだ。サッカーってこんな、こんな楽しかったんだってよ」

 

最後にデッドは、誰よりも真っ直ぐミハルの双瞼を見つめて言葉を述べた。静かに震える肩で、響く声には歪な波が揺れていたけれど。

「ありがとう、ミハル」

ようやく漏れた感謝の言葉。その言葉を聞き、乙木家の面々にはようやくいつもの様な笑顔が戻ってきた。各々が自身の生い立ちに悩み苦労してきた身。抱える感情は様々で、皆が静かにデッドのことを見守っていた。

デッドは心中で、アンタには貰ってばかりだなと零した。

ミハルも先ほどまでの驚嘆めいた表情から一転、いつもの様な穏やかな笑みを見せて。何も言葉を返しはしなかった。

その代わりに、モリヒトの言葉が静かに響く。

 

「さ、中に入ろう」

彼の一声により、室内へと戻っていく乙木家の住人たちにデッドは今度こそついていく。

芝生を踏みしめ縁側へと右足をかけたところで、背後からじりじりと照り付ける夕陽の温かさを感じた。

何の気も無しにデッドは空を振り返る。

そこに映ったのも、何てことの無い夕焼けだ。学校との行き帰りで毎日目にする何てことの無い情景。

でも、何でかな。

庭の植栽と交わるその太陽が、良い感じに映える時間帯だったのか。

理由は分からない。でも。

 

その醜いぐらいに美しい夕焼けが、今はほんの少し。ほんの少しだけ、好きになれた気がした。

涙も乾いた心の内で、デッドはそんなことを思うのだった。

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