第三の魔王の侵攻から、二日。
未だ奴の潜伏している場所は分からず、ただ待っている事しか出来ないという自分の不甲斐なさにいら立ちが募る。だけど少しでも身体を休めて来るべき時に備えるべく……ベッドに潜っては目を瞑る。そんな一日を送った後の事。
「それじゃあゲートを開くけど……」
フラつく足取りでと立ち上がって、ゲートへと歩き出す。
その足取りは酷く重い、これからの事を考えれば自然とそうなるのは当然かもしれないが……
「本当に良いのね?」
「覚悟は……してきましたわ」
「んん……難儀な性格してるわね?」
それでも、これはわたくしの……責務だから。
目の前でみすみす彼女を攫われた、わたくしの。
「家から少し離れた場所にゲートを開いたわ? 直接は念のために避けて……ね?」
「えぇ、お願いしますわ」
ゲートへと足を踏み入れて、景色が切り替わった───その先。
そこは公園……だろうか、煌びやかな噴水がピンク色の証明で染め上げられている。
「案内するわ? ついてきて……グライシアちゃんは可愛いんだから、はぐれないようにね?」
「分かってますわ、子供じゃありませんのよ?」
「分かってるけど、絶対にはぐれないように……ね?」
「そこまで念を押されると、少し怖くなってきましたわね……」
淫魔の街は随分とサイケデリックな装飾が目立つ、だがしかし現代の都市部とそう変わらない風景でした。
「わん! わん!!」
「もーっ! もぉ~!?」
そこに居る、随分と風変わりな住民を除けば───ですけども。
少なくとも犬や牛の鳴き声を発さない筈の『彼ら』が、動物のような鳴き声を上げてお散歩を楽しんでいる。そんな音とチカチカした街の光源も相まって、酷く寝不足の頭が悲鳴を上げる。
そして至る所から視線を感じる、好機と値踏みと……捕食者のような視線を。
「人間には刺激が強いわよね? タクシー呼ぶ?」
「いえ、歩きますわ。少し動かないと、身体が鈍りそうですし」
それに、こんな街でも家に一人でいるよりかは幾分か気分がマシになりますし。
そんなサイケデリックな装飾の街を歩く事暫く、今回の目的であるそこに辿り着きました。
「鍵はあるけど……一応、インターフォン押してから入るわね?」
「まあ、鍵はありますわよね。それは……」
「自分の家なのだから」と言う言葉は飲み込んだ、扉の先から足音がしたから。
軽快なインターフォンの音が響いて、それから少しして淫魔が扉を開けた先に居たのは……
「あら、ルクスちゃんとクロ……グライシアちゃんね。お帰り……でいいのかねぇ」
「はぁい、ただいま……ね。お義母さま?」
万が一に備えて避難していた、あの子の母親の顔だった。
玄関に入って、靴を脱ぐ。
綺麗に並べられた靴箱の中には、淫魔のものでは無さそうなものが何足か仕舞われていた。
「今お茶とお菓子用意するわね、洗面所はあっちよ」
「ご丁寧にありがとうございます」
奥へと向かったお義母様を見送って、洗面所の方へと歩く。
奇抜な外装に比べて、随分と落ち着いた雰囲気の内装は本人の趣味……というには普通過ぎる。それに驚きを隠せないでいると、横合いから補足の声が上がった。
「サテライトちゃんを連れて来た時に、あんまり奇抜だとビックリさせちゃうかなって」
「あぁ、そういう……」
「……嫌な事、思い出させちゃったわね?」
「別に、気にしなくても構いませんわ」
忘れていた訳では無いけど、言葉にされるとあの日の屈辱を嫌でも思い出す。
二度目は無いと誓ったはずなのに、今度は目の前でみすみす彼女を連れていかれて。
身を焼くような苛立ちが、溺れそうな程の後悔が胸中でせめぎ合っている。
そんな内心を噛み殺して、廊下を歩き続ける。
こんな酷い表情を、晒すわけにはいかない。
せめて外見だけでも、気丈に保てと背筋を伸ばす。
わたくしよりももっと辛いのは、きっと娘が帰ってこない母親なのだから。
「これ、近くの有名な温泉のお饅頭らしくて。ルクスちゃんが買って来てくれたのよぉ」
「ありがとうございます、いただきますわ」
何時も通り元気そうに見える彼女の母親、しかしそれも空元気なのでしょう。
濃いめの化粧でも隠しきれない程、目の下の隈が黒く見えるくらいなのですから。
「……それで、ユウちゃんは」
「それがあの子ったら、部屋から出てこなくて……困ったわねぇ……」
「私が少し様子を見に行ってみるわ? 栄養は取らないと大変な事になるから……ね?」
冷蔵庫から何かしらをもって、二階に上がっていくルクス・ルクスリア。
彼女が部屋から出てこれないのも……仕方ない事なのでしょう。
遂に出来たと思った居場所が、いきなり崩れ落ちたのですから。
彼女が塞ぎ込むのもよく分かる、自身に戦う力が無ければ……猶更歯痒いでしょう。
「この度は、わたくしの失態でしずくを……」
「いいのいいの。あの子ったら昔から『そうなりたい』って頑なでねぇ、あなたが責任を感じる必要はないのよ? 最近は、あの子を引き止めるものが増えたから、もしかしたらと思ったんだけど……」
違う───と、声を大にして叫びたかった。
だけどそれは、お義母様に対して残酷な現実を突きつける事に他ならない。
今のわたくしに出来るのは、誠意を見せて約束するだけ。
「作戦の詳細はお話しできませんけど……しずくは、わたくしが必ず……必ず連れて帰ります。この命に……変えてでも」
「こんなに熱心に思ってくれる友達を持って、幸せ者と言うべきか……親不孝者と言うべきか……判断に困るわね、本当に」
手慰みにかリモコンを握ったお義母様がリモコンを弄るも、テレビには淫魔が映っていました。
恐らくはあの淫魔の配慮でしょうね、随分と人の機微の察知に長けているものですわ。
恐らくきっと、わたくしなんかよりも……ずっと。
何処となく居場所が悪くて、お土産らしいお饅頭へと手を伸ばした。甘い……事だけは分かるけど、それ以上に味を楽しむ余裕なんて無くて。マグカップに入れられたお茶も、暖かくて……少し苦くて。
「あの日……ね」
そんなマグカップを見ながら、ポツリと呟く声が聞こえた。
「あの子のお気に入りのマグカップが割れちゃったのよ」
思わず息を飲みそうになった。
それは知っている……見ていた、から。
「本当、縁起悪いわよねぇ……」
半ば見せしめとして、次は何処にしようかなどと語っていたあの魔王の。
卑怯で、卑劣で……下劣な手段。
「一つだけ、聞かせてくれる? グラ……ううん、クロエちゃん」
「……はい」
半ば確信しているかのように、ゆっくりと口を開いたその一言を。
「もしかして───私の、せいなのかしら」
「違いますわ」
違うと断言した。
決してお義母様のせいなんかではない、傷つけた方が……人質を取ろうとする方が悪いに決まっている。責任の所在なんてある筈がない、当たり前です。当然のことですけど。
だけど、わたくしは上手く動揺を取り繕えていたでしょうか。
その声は、震えていなかったでしょうか。
「そう───なのね。そっか、そう……よね……」
「本当に、違うんですの」
最悪だった、こんな事ならはじめからスクイレに来てもらうべきでした。
果たすべき説明責任すら、まともにこなせないなんて。
「ふふっ、私。何時からあの子の足枷に───」
「違うっ、違いますわッ! そんな、そんな訳無いですのッ!」
ガタリと椅子を押しのけて、思わず立ち上がったわたくしに、驚いたようで義母様と視線が合う。
何時の間にか握りしめていたこぶしが、血が出そうなくらいに震える。
「誰かを、誰かを大切に思う事が……悪い事であっていい筈なんて無いのですわよ。だから悪いのは、第三の魔王で……あの子がお義母様が悪いなんて、そんな事冗談でも思ってる訳がッ───!」
「ふふっ、ごめんね。ちょっと弱気になっちゃってたみたいね、私」
自分の不甲斐なさに、思わず倒れ込みそうになる。
それでも詰んでいない、だからこそまだ倒れる訳にはいかない。
わたくしだけは、絶対に。
「……ごめんなさい、取り乱してしまいましたわ」
「いいのよ、ありがとうね?」
冷静になって椅子へと座り直す、叫びたいのは皆一緒だろう。
冷静さを保たなければ、出来ることも出来なくなる。
寝不足でベストコンディションが出せないだとか。怒りで視野狭窄になるなんていうあの時のような失態は、二度と犯すわけにはいかない。今度こそ、絶対に。
何時の間にか暖かったお茶は冷めきっていて、それを一息に飲み干すとようやく頭が冷静に回りだしました。そんな私を見て、お義母様は何かを思い出すかのように目を伏せてから……
「こんな時だけど……いえ、こんな時だからこそ……」
「……はい」
真剣な目でわたくしの目を見て、懐かしむかのように言った。
「聞いてくれるかしら、あの子の昔の事」
次回『私のルール……なんだが!』
木曜or金曜日に投稿予定です。
乞うご期待!