「それで、次はどのリストを埋めようとしてたんですか?」
「これですね。折角海にきたので泳ぎたいですし、一緒にって」
2人の合流が決定して少し。
ソラからの予定について質問に、ヒフミがリストを示す。
その指先にあったのは[泳ぎを習得する]という項目だった。
泳いで遊ぶ、ではなく泳ぎを習得する……
少し文章が変わっただけだが、随分と限定された場面になっている気がする。
「あの、この泳ぎを習得するって……」
「うん。多分言葉通りの意味。
私達は、[泳げない誰かが泳ぎを習得している場面]を撮らないといけない」
ソラの言葉に返答したのはアズサの方だった。その表情は心なしか険しい。
「そ、それで、この中に泳げない人っていらっしゃいますか?
私は、泳げないというほどではないので……」
「わ、私も、ヒフミ先輩と同じです」
「海に来たのは初めてだけど、訓練としての水泳なら習得済み」
「私もある程度泳いだことはあります」
一抹の不安を感じながらヒフミが尋ねてみれば、
やはりと言うべきか皆、少なくとも一般程度に泳げる人ばかりだ。
「"私も泳げるよ"」
「……ひひ」
「"うん、ツルギも泳げるみたい"」
大人である先生は泳げる。そして、反応こそ分かりにくいものの、
正義実現委員会委員長として日々身体を動かし続けているツルギも当然泳げる。
……その事実を目の当たりにしたヒフミの表情が、心なしか青くなり始めた。
今彼女の脳裏では、アズサが言っていた正義実現委員会の恐ろしい制裁(真偽不明)が駆け巡り始めていた。
「グ、グラングさんも絶対泳げるでしょうし、
これはどう頑張っても実行できないってことですか!?」
「……?」
ヒフミの悲鳴。更に現在の状況を前に、険しい表情になるアズサ。
未だ何やら誤解されていることを察したのか何とも言えない表情になるマシロ……
そんな中、グラングは彼女が発した叫びの内容にかくりと首を傾げた。
「……我は、泳げぬ」
「ですよね、泳げ……え?」
勘違いを正すべくかけられたグラングの言葉。
しばらくの間、頭を抱えたままだったヒフミだったが、
幾度かその言葉を聞くうち、その違和感に気が付いたのか顔を上げる。
……というより、彼女の突拍子もない発言にその場にいる全員の視線が集中していた。
「"え、グラングって泳げないの?"」
「……泳ぎの経験がない、と言うべきかもしれぬ」
この中で、ソラ以外に唯一グラングの凄まじい身体能力を知っている先生から、その場全員を代表した疑問が投げかけられる。その言葉に、彼女は少し居心地の悪そうに視線を彷徨わせた後返答した。
「あ、そっか。グラングって、海以前に水遊びをそもそもしたことなかったんだっけ」
「うむ」
事情を知っているソラからの言葉に、グラングは頷く。
そのやりとりを聞いて、先生達も一先ず理解したようだ。
「"それは……何というか意外というか"」
「水着も物凄く似合ってますしね」
「うん。軍に例えるなら、熟練の兵士のような感じ」
グラングの身体つきがしっかりとしていること、
そして水着がとても良く似合っていることもあってか、マシロとアズサが意外そうにそう言う。
その言葉を聞いてちらりと自分の水着へと視線を向けたグラングだったが、やがて顔を上げると、そばにいるソラの方を示した。
「この衣服は、ソラが選定した。称賛を受けるべきは我ではない」
「へ、ちょ!?」
急に話題を振られてソラが驚愕と抗議の声を上げる。
けれど悲しきかな、場の視線は当然のように彼女へと集中する。
「そうなんですか、ソラちゃん?」
「う、そうですけど、そ、そんなことわざわざ言わなくても……」
「事実故。我は、服装に関することは苦手だ」
「うぅ……」
正直に、特に悪気があるわけでもなくあっけらかんとそう言うグラング。
本人は純粋に、水着を選んでくれたソラの方を褒めて欲しいのだろうが、
それなりに人見知りをするソラにとっては全く望んでいない展開である。
とは言え、グラングの考えていることもわかってしまうので一概にも否定しずらく、口をもごつかせるしかなかった。
……と、
「"まあまあ。取り敢えず、グラングが練習してるところの写真を撮るってことでいいかな?"」
「そ、そう!そういう事でお願いします!」
ここで先生が助け舟を出してくれたため、これ幸いとソラはこくこくとその言葉に頷く。
こうして話が主題へと戻ったところで、次に決めるべきは……
「じゃあ、次は教える側を誰がやるかか」
「そうですね」
泳ぎを学ぶ人がいれば、泳ぎを教える人も必要である。
そして、教えるとなると、自然とその人……[先生]へと視線が集まることになる。
「ここはやっぱり、先生「嫌です」えっ!?」
「"えぇっ!??"」
だが、ここで先生が教えることに反対する者が1人。ソラである。
先程までのオドオドした様子はどこへやら、零下の視線をもって彼を見ている。
ヒフミ達はその様子に首を傾げていたものの、先生には心当たりがあった。
……グラングとの初対面の件である。
当人は気にしていないものの、ソラにはこの件で未だに警戒されている。
「"や、やっぱりあの件……?"」
「ぎゃ、く、に、それ以外に何があるんですか」
冷や汗を垂らしながらそう言う先生に厳しい言葉で応じるソラ。
と、ここで再び周囲の視線が自分に集まっていることに気が付いたのか、
少し視線を右往左往させた後に言葉を続けた。
「それに、先生とグラングで写真を撮ったら、肝心のヒフミ先輩達が映らないので。それをその……提出?するのは違う気がして」
「なるほど、一理ある」
「そうですね。ソラさんの言う通りかもしれません」
「でも、そうすると誰にしましょうか?」
正直なところ、咄嗟に思いついた言い訳のようなものだったのだが、ヒフミたちはどうやら納得してくれたようだ。とは言え、話し合いは振出しへと戻ってしまった。
先生以外で、水泳を教える人物……
そんな中、少女らを見回していた先生の視線が、ふと端の方でソワソワとしているツルギの方へと留まった。
「"……ツルギ、やってみる?"」
「……!?!?!?わ、わたっ!?」
突然話しかけられたためか、将又自分に話が回ってくるとは思っても見なかったためか。
いずれにせよ、先生の言葉にツルギは大いに慌てた。
しかし、そんな彼女に更に声がかかる。
「委員長自らの指導、見てみたいです!」
「私も気になる」
マシロとアズサである。
どうも彼女らは、正義実現委員会委員長である彼女の指導方法(?)に興味があるらしい。
その言葉に更に狼狽するツルギ。
……いや、そもそも自分で本当にいいのか?
迷った末に、そう言わんばかりの視線を教えられる当人であるグラングに向けるツルギ。
けれど、視線を向けられた彼女は首を傾げるのみ。
やがて顔を上げると、ツルギに向けて少しばかり歩み寄った。
「ツルギ。水泳の師事、頼めるだろうか?」
「……くぐぐっ!!」
その言葉に、彼女はただ、呻き声をあげることしかできなかった。
正義実現委員会委員長、剣先ツルギ。
その恐ろしげな外見と歩く戦略兵器とも称される戦闘能力に反して、普段の内面は内気な少女のそれである。故に、押しにかなり弱かった。
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……数分後。
「ま、まず、水面と、か、身体を水平にして……」
「……ふむ」
ツルギとグラングは、浅瀬で泳ぎの練習を始めていた。
ガチガチに緊張しているツルギに対して、グラングは相変わらずの無表情。
普通に喋れたのか……などと、失礼なことをぼんやりと考えながら、彼女の指示通りに水面に身体を浮かべた。
水に浸る冷たい感触が身体を覆う。初めて経験するそれにグラングは少しだけ表情を動かしたものの、直ぐにツルギの方へと視線を向けた。
「そ、そう!そんな、感じ……」
どうやら正解だったらしい。心做しか、ツルギの言葉も先程より弾んで聞こえる。
「そこ、から……足を動かして」
「斯様か……?」
そうしてグラングが軽く足を動かすと、その身体はあっさりと、緩やかではあるものの前進を開始した。
「おお、意外とあっさり……!」
「"やっぱり、グラングは運動は得意だもんね"」
「委員長も緊張はしてますけど楽しそうですね」
離れた場所からカメラを構えつつ見ていた先生達から、歓声が上がる。先生の言葉通り、元々身体能力が高い為かグラングの呑み込みはかなり早い。ツルギの方もややギクシャクとしているが、順調そうだ。
そんな2人の様子を、ソラはやや複雑な表情で見ていた。
その様子に、ヒフミが気がついた。
「ソラちゃん、どうかしたんですか?」
「へ!?い、いやその……何でも」
急に話しかけられた為、ビクリと身を震わせたソラだったが、その言葉は徐々に窄んでいく。
何故だか落ち着かないのだ。ツルギに連れられて泳いでいるグラングのことを見ていると。まるで、大切なものが誰かに取られてしまうような気がして……
……って、何考えてるの!?
無意識の内に薄暗い方向に傾きかけた思考を前に、ソラは慌てて勢い良く頭を振る。そんなことより、グラングが初めて泳いだという事実に目を向けよう。
そう思って、ソラは再び、グラング達の方へと視線を向けた。
「……あれ?」
と、ここでソラは、映った光景に首を傾げる事となった。
先程までいた筈のツルギとグラングの姿がないのだ。
精々、少し水深が深くなっている場所に無数の泡が残されている程度で……
……無数の泡?
「"……あれって"」
「不味い!」
ソラがそれに不吉な引っ掛かりを覚えるのと、側で様子を注視していたアズサが飛び出すのは、殆ど同時だった。
……グラングが溺れた。
彼女はその事実に、ようやく気がついた。
「そんな!?」
「えっ、グラング、グラング!!?」
ソラが思わず声を上げたのとほぼ同時、先程海中に潜っていったアズサとツルギが水面に飛沫を上げて顔を出した。その2人に腕を担がれる形で、ぐったりとしたグラングの姿も見える。
2人はグラングを連れて即座に岸まで泳ぎ切ると、そのまま彼女の身体を横たえた。瞼の閉じられたままの表情は少し苦しげで、未だに起きる気配はない。
「噓……グラング、しっかりして!」
真っ先に駆け寄ってきたのはソラ。それに続けてヒフミ、マシロと駆け寄る。
そんな中、先生はツルギへと声をかける。
「"ツルギ、何があったの!?"」
「わ、わかりません。ただ、水深が少し深いところに進んだところで、いきなり手の力が抜けてそのまま……」
「奈落に落下してるみたいだった。原因はわからない」
動揺しすぎて一周回って冷静になったのか、普段奇声を発しているとは思えない様子でグラングがおぼれた時の状況を説明するツルギ。その言葉に、アズサも付け加えるように続ける。
水深が深くなったところで、いきなり力が抜けた?
聞く限り余りにも不可解な現象だが、それ以外の要因でグラングが溺れるとも思えない。
……いや、それよりも今は、救命の方が先だ。
「と、取り敢えず手当を!」
ヒフミがそう言葉を口にした……その時だった。
タタタタタッ
「きゃあっ!?」
「"っとお?!"」
アサルトライフルの銃声が幾重にも響いたかと思うと、身体にいくつかの衝撃。それと共に周囲の砂が跳ね上げられる。慌ててソラが周囲に目を向けると……
「おい!何だか知らねえけどあいつら油断してるみたいだぞ!」
「ナイスタイミング!さっきの仕返しをしてやる!!」
「え、なんでスケバンが!?」
「こ、こんな時にどうして……!?」
何故か、結構な数のスケバン達がこちらに攻撃を仕掛けてきていたのだ。グラングが店から叩き出した連中かとも一瞬思ったが、記憶にない顔ぶればかり。
身に覚えのない敵意にソラが目を白黒させる。けれど、ヒフミの反応を見るに先生達の方はそういう訳でもないらしい。
「……ぁあ?」
「なるほど、負傷者がいるにも関わらず攻撃とはいい度胸ですね」
特に、ツルギが露骨に不機嫌な表情になった。
……いつも通りの表情に戻った、と言うべきかもしれないが。
委員長が戦闘態勢に入ったのを見て、マシロもまた立ち上がる。
スケバンたちの迎撃は、彼女らに任せておいて大丈夫だろう。
今自分がすべきことは、どうにかグラングの意識を取り戻すこと、その一点だ。
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……そして、時間軸は前回の冒頭へと戻る。
「へぶわっ!?」
砂……というより、祈祷の力で大質量の砂岩と化したそれが、最後のスケバンの顔面に直撃する。
唐突に先生らを襲撃してきたスケバン達だったが、ツルギとマシロ、アズサ。そして何より回復したグラングの手により一瞬にして殲滅され、現在は砂に埋められるか、海に浮かんでいるかしたまま気絶していた。
グラングは呻き声を溢すそれらを確認するように一瞥した後、直ぐ側にいるソラに向けて腰を落とす。
「ソラ、大事はないか?」
「いやっ、私は大丈夫だけど、寧ろグラングの方はもう大丈夫なの?」
「素早く引き上げられたことが幸いした。もう、大丈夫だ」
同僚の少女からの言葉に、グラングは普段と変わらぬ調子で返答する。
先程まで失神していたことが幻だったようにすら思える。まあ、少なくとも本当に回復したのだろう。
グラングは続けて、自分を引き上げたツルギとアズサの方へと視線を向ける。
「お主らは我の恩人だ。感謝する」
「……け、けけっ!?!?」
「礼には及ばない。当然のことをしただけ」
その言葉に対する2人の反応は対称的なもの。
ツルギは意識外からの声とその内容に体を震わせ、アズサはただ淡々とそれに応じる。
……ともあれ、だ。それ以上に、先程の事故について気になることが一つ。
「でも、どうして急にグラングは溺れた……というか沈んじゃったの?」
そう、急にグラングが沈んだ原因である。
飛沫の1つすらなく、身体能力の高い彼女が海底に落ちるように沈んだのは余りにも不可解過ぎる。
その問いかけに対し、グラングはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく首を振った。
「我にも、わからぬ。ただ、水底が一段深くなったと同時、意識が途切れた」
「ほ、本当になんで……」
しかし、原因がわかることはなく。
寧ろ、水深が深くなったと同時に意識が途切れた、という更なる不可解な現象が残されたのみである。
その返答にソラが困惑する中、後ろで会話を聞いていた先生が、急にパッと顔を上げた。
「"もしかしてグラング、変な果物を食べたことがあったり……?"」
「……?妙な果実、とは如何様な?」
急に果物の話が出てきて、首を傾げるグラング。
そんな彼女に先生は言葉を続ける。
「"なんかこう、毒々しい色合いだったり、ぐるぐるした模様がついてたり……"」
「先生、仮にそうなら浅瀬でもダメだった筈では?」
「"……確かに"」
「???」
しかも、自分の与り知らぬところで先生は何やら納得したらしい。
会話に置いてけぼりになったグラングはますます首を傾げた。
そんな中、逸れ気味の話題を修正するためか、ヒフミが声を上げる。
「ま、まあ、取り敢えず練習してる写真は撮れましたし、グラングさんも浅瀬だったら普通に泳げるみたいなので、よかった……んですかね?」
「よかった……かな?」
「悪くは、なかった」
数多の問題と疑問符は残るものの、当初の目的である[泳ぎを習得する]は一先ず達成できた。
さて、次の目標のリストは……と、
「そういえば、グラングさん。先程の戦闘方法についてお聞きしたいんですけど」
「私も気になる。岩と短剣で戦っている人間なんて見たことがない」
「……む」
そう声をかけてきたのは、マシロとアズサ。
……そう言えば、ここで使用するのは初めてか。
最近は専ら、既に祈祷について噂に広がっているミレニアムでモモイ達の修行(?)の為に使っていた為、かなり珍しいものであることをグラングは忘れていた。だからと言って、また一から説明するとなるとそれなりに時間が取られてしまう。
グラングがどう説明したものかと首をカクリと傾げていると、事情を知っている先生の方から助け舟が出た。
「"グラングは外からこっちに来たんだ。私の暮らしてた場所とは別みたいだから、詳しいことはわかんないけど"」
「……先生の説明した、通りだ」
内心感謝を述べつつ、グラングはその説明に頷く。
酷く簡潔な説明だったが、[キヴォトスの外]という言葉に2人は一先ず納得してくれたようだ。
「なるほど、キヴォトスの外ではこのような戦い方があるんですね」
「CQCに応用できそう。運用場面は……」
そしてそのまま、祈祷をどう扱えるものかと思案し始める2名。
生真面目と言うべきか、常時戦場思考と言うべきか……
「と、取り敢えず次のリストを埋めに行きましょうか!」
ヒフミが改めてそう口にするのに、さほど時間はかからなかった。
________________________________________
それから、グラング達は提示されたリストの内容を次々に埋めていった。
海の家では、臨時の店員によって提供された食事が原因でほとんどの人間が失神する中、グラングだけが平気な様子でそれを食べていたり。
スイカ割りがアズサとマシロのスイカ狙撃合戦になった結果、グラングがまた間違った常識を覚えそうになったり。
ビーチバレーでは……試合が白熱しすぎた結果、何某2名の余波により一部の地形が大幅に変わった。
先生は早々に脱落し、続けてソラとヒフミが退避。
アズサとマシロは何とか食らいつこうとしていたがその試みも頓挫し、一体には嵐と見まがう衝撃波と旋風の応酬が吹き荒れた。途中でスケバンが巻き添えを食って吹き飛ばされていた気がするが気のせいだろう、多分。
因みに、試合は最終的にバレーボールが度重なる衝撃に耐えきれず破裂したことにより、引き分けで終了した。
当人らはお互い全力で体を動かせて楽しそうだったが……
……ともあれ、ウィッシュリストの5つの項目を埋め終えた彼らは、最後の項目を埋めるべく、日が落ちるのを待っているところだった。
「…………」
浜辺に流れ着いた手ごろな流木の上に腰かけているグラングの眼前に広がるのは、水平線いっぱいに浮かぶ夕暮れ。夕暮れ自体は今までに幾度も見てきたものの、海で初めて見るそれは、記憶の中にあるものとまた違った様相を呈していた。
「……綺麗だね」
「うむ。悪く、ない」
すぐ傍で腰かけていたソラが、ぽつりとそう声を溢す。
グラングもまた少女へと視線を移すと、その言葉に小さく頷いた。
「……ヒフミ先輩たちの買い物、手伝わなくても大丈夫だったかな?」
「折角の好意だ。預かるとしよう」
「まあ、うん」
それ切り、しばらくの間会話は途切れる。
向こうの方では、先生とマシロ、ツルギが話しているのが見える。
アズサとヒフミは、買い出しに行っているため、ここにはいない。
……
「ねぇ、グラング。海、楽しかった?」
「む……」
ふと、ぽつりと。ソラから言葉がかけられる。
その言葉に、少しの間グラングは声を詰まらせた。
脳裏に、今日過ごしてきた様々な光景が鮮明によみがえる。
……確かに、溺れはした。しかし……
「……悪くなかった」
考えた末、グラングはそう結論を出した。
彼女はいつも通りゆっくりと、言葉を続ける。
「浅瀬しかゆけぬが、それでも、泳ぎは存外心地よい。良き友人にも、出会えた」
視線の先にいるのは、頬を赤くしながらも先生と何やら話し合っているツルギの姿。
彼女も、その視線に気が付いたのだろうか。ほんの小さくではあるが、手を振った。
……グラングもまた、それにこくりと頷くと、水平線へと視線を戻した。
「それに、この地の海辺は、蟹もザリガニもいない」
「いや、だからなんなのその蟹とザリガニ……」
話してもらった時からいまいち正体の分からない甲殻類。
それにソラが本日何度目かのツッコミをいれた。
……と、
「ただいま戻りましたー!」
2人の元に届いた、ヒフミの声。
くるりと視線を向ければ、沢山の袋を抱えたヒフミとアズサの姿が見える。
どうやら、買い物は終わったらしい。
「それじゃ、最後は初めての花火だね、グラング」
「……楽しみにしている」
そう言ってちょっぴり笑みを浮かべるソラに向けて、グラングは微笑みを返した。
________________________________________
……夜。
日はすっかり落ちて、砂浜は夜の暗闇で満たされている。
その中に浮かび上がっているのは、少女達の頭上に浮かぶ光輪と、遠のきに見える街灯り。
そんな景色の中を、ヒフミは少し見回した。
「静かですね……もう誰もいませんし、私達以外皆さん帰られてしまったんでしょうか?」
「いや、あっちの方にまだスケバンが残ってる」
そんな彼女に向けて、アズサが少し離れた場所を示した。
見れば、確かに無数の光輪と、何か準備しているのか懐中電灯の光がいくつか見える。
その時、グラングの脳裏によぎる、日中の幾度にもわたるスケバンの襲撃……
「……」
「グラング大丈夫、大丈夫だからその岩降ろして」
気がつけば、グラングは剣吞な表情のままに地面から砂岩と化した砂の塊を引き出していた。
ソラが諌めているためか投げこそしないものの、かと言って降ろしもしないままである。
そんな彼女に、マシロが一言。
「いや、先制攻撃は戦術の基本ですよ、ソラさん」
「や、やっぱり変な人ばっかり……」
「と、取り敢えずわざわざ喧嘩を売らなくてもいいのではないかと……!」
……一連の件で、その[変な人]に自分がカテゴライズされているとはつゆ知らず
自称ごく普通の女子生徒ヒフミも声を掛ける。
そんな中、スケバンたちの方を見ていた先生が、口を開いた。
「"……もしかして、あっちも花火の準備してるんじゃないかな?"」
「花火、ですか……?」
その意外な言葉にマシロが首を傾げる。
しかし、買い物に行ったヒフミとアズサには思い当たる節があったらしい。
「確かに、一概に否定できる話じゃない。
さっき花火を買いに爆発物を取り扱う店に行ったらスケバンたちもいた。
状況から加味して、花火を買っている可能性は高い」
アズサは底で一度言葉を区切ると、懐中電灯のちらつく方向に向けて視線を向けながら言葉を続けた。
「もちろん、それでも万が一と言うことはある。
できる限りのリスクを洗い出して備えるという意味では私も賛成だけど……」
「我も、異存はない」
「え、えぇ……」
「そこまでやらなくもいいと思います……」
完全に臨戦態勢の3名……主にグラングとマシロ。
そんな彼女らに、ソラとヒフミがそんな言葉を溢した。
(尚、ツルギは興奮を隠せない様子でいそいそと花火を開封している為、騒ぎに気が付いていない)
「……グラング。ヒフミもソラもこう言ってるし、やっぱり警戒だけでいいかもしれない」
「……そうか」
少しの逡巡の後、アズサは臨戦態勢を解きながらそう口にする。
そんな彼女を見て、グラングの方も漸く岩を地面に降ろした。
警戒が解けたことで、少しばかり場の空気が緩む。
……その時だった。
「……!!」
視界の向こう側で鈍い気爆音と共にまばゆい閃光が瞬いた。
射出された閃光は、瞬く間に暗黒の空中へと駆け上ってゆく。
反射的にグラングはソラに向けて手を伸ばす。
しかし、その動作が完了する間もなく、それは……
パッ
上空で光が弾けた。
それは周囲の砂浜一帯を照らし出す。
けれど、いつまでたっても衝撃はやってこない。
……そうだろう。上空を彩った光球は、降り注ぐことなく消えていったのだから。
「……これは」
「花火……」
「……ですね」
……グラングの言葉を先頭に、図らずも1つの文章が出来上がった。
最も、そこに込められた感情は種々様々。
そうしている合間にも、光の華は次々と打ちあがり、消えてゆく。
「スケバンたちがいた方角……本当だったんだ」
誰かの声が聞こえる。
けれど、それはグラングの耳には既に届いていなかった。
彼女の視線は、幾星霜に及ぶ生で初めて目にした光景に、釘付けになっていた。
…………
……
「ねえグラング、どう?」
……声が、聞こえる。
見れば、すぐ傍で寄り添う小さな少女が自分の方を見上げていた。
その黄金の髪色に、光が反射して煌めく。
「……流れる、星の様だ」
グラングは視線を空に移しながら呟くようにそう返答した。
そもそも本当の流れ星自体、久しく見ていない。
そも、狭間の地において流星というものは一概に良いものではなかったので仕方のない側面もあるのだが。故に、目にするのは星砕きの将軍が星を封ずる以前。
本当、いつ振りか……
「……」
……ふと、グラングの脳裏に、遠い記憶が瞬いた。
気がつけば、彼女は波打ち際に向けて歩き出していた。
「あれ、グラング?」
「……すごい、キラキ……?」
突然のグラングの行動に、花火を眺めていた他の人々の視線が集中する。
そんな中で、彼女は足先が水に少し浸る程度の浅瀬で立ち止まると、ゆっくりと片膝をつく。
そしてそのまま宙を仰ぐように両手を広げると、聖印に祈りを込める。
あくまでも形だけの再現、本来の威力は無いに等しい。
けれど別に、戦場で使うのでもないのだ。ただ、その光芒を、煌めきの再現だけでも……
「……大いなる意志よ、黄金の流星を……ここに」
普段の簡潔な、攻撃的なものとは異なる、静かな詠唱。
それを口にすると同時、それは起こった。
「……!!」
「わぁ……!」
周囲から歓声が上がる。
グラングが詠唱した祈祷で出現したのは、眩い黄金の光。
花火に比べ酷くゆったりとしたそれは、幾つもの光の粒を散らしながら、空へと舞い上がってゆく。
現実のものとは思えない。けれど美しく、幻想的な黄金の流星だった。
「"これは、綺麗だね……"」
「花火ともまた違う……凄い」
「スケバンさん達の方も、手が止まってるみたいです」
誰もが、その流星に魅入られていた。
そうしている合間にも、それは緩やかな軌跡を残しながら、空を駆けてゆく。
……気に入ってくれたようだ。
そのことにグラングは立ち上がりつつも、小さな安堵の息を付いた。
そんな彼女に、ソラから声がかかる。
「ねえねえグラング、こんな祈祷もあったの?」
「……うむ」
興奮冷めやらぬ様子の少女に、グラングはこくりと頷いた。
「故郷の酒宴で、よく披露されていたことを思い出した。名を、エルデの流星と言う」
「エルデの流星……」
ソラはその祈祷の名を口ずさみながら、もう一度黄金の軌跡を目で追う。
先程から幾分か進んだそれは、ゆっくりと弧を描きながら軌道を下に向けて。
「……下?」
気がつけば、ソラは思わずそう口にしていた。
そうしている合間にもエルデの流星は下へ下へ……具体的には、スケバンたちがいる方向へと、沢山のつぶてと共に進んでゆく。
……何故だろう、非常に嫌な予感がする。
「ね、ねえグラング、なんかあっちに落ちてない?」
「……あぁ」
少し引き攣ったソラの言葉。
その言葉に、グラングは少し考え込んだ末、ポンと手を打つとあっけらかんと言った。
「元は、攻撃の為の祈祷故」
「えっ」
パッ
瞬間、一際眩い光芒が浜辺に炸裂した。
黄金の燐光を伴った爆発が、スケバンたちを容赦なく吹っ飛ばす。
威力はほとんどないはずだが、それでも複数人をふきとばすほどの衝撃はあったらしい。
……その結果。待ち受けていることなど、嫌でも想像できる。
全員の何とも言えない視線が集中する中、グラングは気まずそうに視線を逸らた。
「…………図らずも、先制攻撃となってしまった」
「な、何やってんのよグラングー!!!」
「先制攻撃了解。これより砲撃戦に移行する」
ソラの叫びも虚しく、スケバン達のいる方角から断続的に響き始める砲撃の音。
間違いなくこちらに向けての砲撃。更にはこちらもこちらで、アズサとマシロが即座に応戦の体勢を整え始める。
「まあ、遠からずこうなっていたでしょうし。手早く掃討しましょう」
「ど、どどどうし……ってアズサちゃん!?六尺玉は迫撃砲の弾じゃ、あっ」
……瞬く間に、夜の浜辺は戦場へと変貌する。
空に打ち上げられるはずの花火、何故だか混じっているナパーム弾やらHE。
それが色とりどりの花を咲かせては、燃焼の煙を残してゆく。
その中に時折岩が混じるも、責任を感じているのか、ソラを庇いながらの応戦は酷く散発的だった。
「"……わー、綺麗だなー"」
その輝きの応酬を、先生は少し離れた場所から何とも言えない表情で眺めていた。
……今夜も、キヴォトスは平和である。