俺が7歳の誕生日を迎えてから半年間、周りの環境には大きな変化はなかった。強いて言えば、父親が勤めている会社で役員になったことと、姉もマリアがサッカーの少年クラブチームのレギュラーに選ばれたくらいだ。
1950年代のアメリカ…じゃない、サヘルタに、女の子を入れてくれるようなクラブチームがあるとは思っていなかったが、どうやら一緒にサッカーをして遊んでいる同級生に加入されたらしい。その子が監督に猛プッシュをしてくれたようだ。…姉さん、そんなに上手いのか。ともかく、マリアは家にいる時間がずいぶんと減った。
念の修行のやり方も大きく変わったわけではない。父さんにもらった万年筆で、姉さんにもらったノートに、念の練習記録と、そのときの自分の感覚を言語化して落とし込む。今まで通りだ。いい文房具を使ったからといって、急に学習効率が上がるなんてことはない。しかし、モチベーションは間違いなく上がっていた。
そのおかげもあってか、念能力の修行は結構進んだ。
まず、絶を覚えた。今まで開きっぱなしだった精孔を閉じるっていうのはなかなか大変だったが、1回感覚をつかんでからは早かった。
それよりも大事なのは、絶のコツをつかんでからはオーラ操作の精度が大きく上がったことだ。今までにない感覚だった分、乗り越えてからはオーラ操作の幅が広がった気がする。
何よりも大きいのが、練を覚えたことだ。練は、技術的には大したものではない。要するに、精孔をかっぴろげれば良いのだ。これまで俺が練に挑戦しなかったのは、ひとえに怖かったからだ。もし万が一練を制御できなければ、オーラの過剰流出によって死ぬ危険さえあった。
しかし、絶が使えるなら話は別だ。どんなに勢い良くオーラが流出しようが、元栓となる精孔を閉めたら関係ない。だから俺は、絶を修得するまで練の実践は避けていたのだ。
そして、練を覚えたということは…
「よし、やるぞ」
俺は水を入れたコップの上に庭からちぎってきた葉っぱを乗せて、手をコップに向けて集中し始めた。そう、水見式だ。
全身の精孔をゆっくりと開いていく。すると、水に浮かぶ葉っぱがぐるぐると周り始めた。
「操作系か…!」
特質系だったらよかったんだが。まあ、別に期待していたわけではない。むしろ、結果とは関係なく、原作のイベントを追体験したような気分になって興奮している。
しかし、操作系か…どんな発にしようか。今すぐに決めてしまうのはよくない気がする。念の基本操作だってまだ完璧とは言えないんだ。発は俺にはまだ早い。
なに、俺はまだ7歳だ。時間には困っていない。そのうち何か思いつくだろう。
数日後。
「うわぁ~!ドキドキするぅ〜!」
「そんなに緊張することはないだろう。そんなに強い相手でもないんだろう?」
「でも…」
「マリアはずっと頑張ってきたんだから、きっと大丈夫よ」
今日はマリアの初試合の日だ。俺達は今、父さんが運転する車に乗って家族で試合会場に向かっているところだ。マリアが緊張してるとこなんて初めて見た。後でからかってやろう。
「ままぁ、だっこして!」
「ごめんねクレア、今は抱っこできないのよ。いい子にして座っててね」
「いや!だっこ!」
「今はできないの…」
「びええええん!」
クレアは顔をしわくちゃにして泣き出した。2歳時には車はしんどいよな…
「うぇえええん!」
うわ、クレアに触発されてルークも泣き出した。
「よしよ~し、良い子だから、ねっ?」
「びええええん!」
「うぇえええん!」
一度こうなったら母さんが抱っこしてあやすまで泣き止まないんだよなぁ。俺が代わりになれたら良いんだが。
「あなた、会場まであとどのくらいかかるの?」
「…30分くらいかな。途中で停めようか?」
「…そうしましょう」
結局こうなったか。
「まま!」
「ままぁ〜」
「は~い、よしよし」
やっぱりかわいいなあ。前世じゃうるさい子供を見たらイライラしていたもんだが、弟と妹がいくら騒ごうが愛らしくて仕方がない気持ちは変わらない。
「ねえ、私の試合に間に合う!?」
「十分間に合うよ。かなり余裕をもって家を出たからな」
「ならいいけど…」
どうやらマリアがこの試合に懸ける思いは相当に大きいようだ。まあ、俺だって部活の初試合には緊張したものだ。11歳の姉にとっては無理ないことだろう。
「落ち着いたようだな」
「そうね。そろそろ行きましょうか」
「そうしよう」
俺達は再び車に乗り込んだ。ルークとクレアは寝てしまったようだ。安心しきった寝顔もかわいいなぁ。
そうして俺達を乗せた車は再び走り出した。そのまま20分くらい走っていたのだが…
後ろの車、ずっとついてきてないか?俺達はもう大きな通りを外れて小道に入っているのに…
…嫌な予感がする。どうやら、俺以外の家族は気がついていないらしい。杞憂かもしれないが、念のため…
「父さん」
「ん?どうした?」
「後の車が…」
キィィィィィー!!
「なっ…!?」
例の車が急にスピードをあげて俺達の前に回り込んだ。父さんは慌てて急ブレーキをかけた。
「きゃあぁぁ!」
「な、なんだ!?」
「なんなの!?」
車からぞろぞろとガラの悪い奴らが降りてきた。ほとんどはわかりやすいチンピラだったが、こぎれいな服を着た大柄な男だけは異質な雰囲気を醸し出していた。俺は慌てて凝を使う。リーダーらしきこの男は、体の周りにオーラを纏っていた。クソっ!なんで念能力者がこんなところに…
「おい、降りろ!」
下っ端らしき若い男が、俺たちの乗っている車に近づいてきて声を上げた。
「お前たちは誰なんだ!」
「うるせぇ!降りろっつってんのが聞こえねぇか!」
男が父さんの席の窓をたたきながら怒鳴る。
「…分かった。今降りる」
「さっさと降りろ!全員だ!」
「ひっぐ…ひっぐ…びええええん!」
「うぇええん!」
クレアとルークが男の怒声にびっくりして泣き始める。
「全員だと!?何の用かは知らないが、私だけでいいだろう!」
「ぁあん!?口答えする気かぁ!?」
「あなた、ここは従いましょう」
「…そうだな。ルークとクレアは君が抱えていてくれ。マリア、アレン、降りなさい」
「パパ…何なの…?この人たち、誰…?」
「…私にも分からない。とりあえず、指示に従っておこう。いいか、おとなしくしているんだぞ」
そうして俺たちは車から降りた。両親は俺達隠そうとしているが、表情から不安が読み取れる。マリアはもっとだ。マリアは俺よりは年上とはいえ、まだ11歳の女の子に過ぎない。チンピラに囲まれて怖くないはずがない。俺だってもちろん怖いが、今家族を窮地から救えるのは俺しかいない。俺が怖がっている場合じゃない。
「おせぇんだよ!」
そう言ってチンピラが父さんに殴りかかる。
「ぐはっ」
父さんが倒れる。
「あなたっ!」
「きゃあぁぁぁ!」
クソっ!俺には見ていることしかできない。このチンピラだけなら何とかなるが、後ろにいるデカいやつ…あの念能力者は、明らかに格上だ。俺が何かできるとしたら、あいつが油断している隙に凝で強化した本気の一撃をたたきこむことだけだ。あいつが隙を見せるまでは耐えるしかない…!
「おら、立て!」
チンピラが父さんの胸ぐらを掴んで立たせる。
「おい、その辺にしておけ。あとは俺がやる」
「うす!」
後ろにいた念能力者が口を開いた。やはりこいつがリーダーだという俺の推測は当たっていたらしい。
「お前たちは何者だ…」
「心当たりがないとでも?てめぇはモーガン銀行の反マフィア派閥の筆頭格だろうが」
「…モレッティ・ファミリーか」
「ご名答だ」
「…何が目的なんだ」
「言ってしまえば報復と見せしめだな。俺たちファミリーは昔から銀行とはうまくやってきたんだ。それをてめぇがぶち壊しやがった。うちの幹部連中はてめぇみたいな自分の立場をわきまえないやつを許してやるほどお人よしじゃねぇんだよ」
「…私を殺すなら、家族は車に乗せてくれ。子供に親が死ぬ姿を見せたくない」
「てめぇはアホか?殺すのはてめぇが最後に決まってんだろ。まずはてめぇの愛する家族を殺す。じゃねぇと見せしめになんねぇだろ?」
「な…何を言っているんだ…頼む…家族には手を出さないでくれ…!」
父さんが初めて聞くようなか細い声で懇願している。チンピラたちはその様子を嘲って笑っている。
「おい、てめぇら、笑ってねぇでこのアホを抑えておけ!」
父さんはチンピラたちによって押し倒され、羽交い絞めにされた。
「やめろぉ…頼む…やめてくれぇ…!」
父さんは泣きながら懇願する。
「まずは誰にしようか…そうだな、最愛の妻が殺される心の痛みでも知ってもらうか」
リーダーの男がゆっくりと母さんのほうへと歩みだす。母さんはルークとクレアを抱えてうずくまり、震えている。母さんは恐怖のあまり声が出なくなっている。
「ママっ!いやっ…いやっ…やめてっ!」
マリアは声を震わせながら必死に叫んでいる。
リーダーはオーラを纏わせてた拳を振り上げた。こいつは今、母さんとマリアしか見えてない!今しかないっ!
「うぉぉぉおっ!」
俺はすべてのオーラを足に集め、死角からそいつの股間を蹴り上げた。
「うがっ…!」
そいつは股間を抱えてうずくまる。チンピラたちは急な展開に呆然としている。その隙に俺は父さんを押さえつけている奴らに駆け寄り…
「おらぁ!おらぁあっ!」
「うぐっ!」
「ぐはぁっ!」
同じく股間を思い切り蹴り上げた。
チンピラどもがうずくまっている間に、俺は父さんを抱えて車へ向かって走りながら、母さんとマリアに大声で呼びかけた。
「車に乗って!早く!」
母さんはハッと正気に戻り、マリアをせかしつつルークとクレアを抱えたまま走り出した。マリアはまだ泣きそうな顔で呆然としているが、母さんに手を引かれて車に乗った。母さんはマリアと双子を後部座席に座らせた後、自分は運転席に乗り込んで…
「アレン!父さんは助手席に!」
俺は父さんを助手席に置いた後、急いで後部座席に座った。その瞬間、母さんはアクセルをべた踏みし、車が走り出した。
「てめぇら…待ちやがれ…!」
起き上がったチンピラが足を引きずりながら向かってくるが、車は止まらない。
「母さん!家までの道わかるの!?」
「分からないわ!でも、早くここから離れなきゃ!」
こうして俺たちはひとまず一命をとりとめた。心に大きな傷を残して。