第8話 アラタ×ナ×セイカツ
叔母さんの運転するトラックは、瓦礫の山を抜け、焼け焦げたビル群を後にし、そして、俺たちが生まれ育ったヨークシンシティの市境を越えていった。車窓から見える景色は、次第に緑が多くなり、空気も澄んでくるのが感じられた。
そうして2時間ほど車に揺られた後…
「さあ、着いたよ。ここが、私達の住む村、ホープウェルだよ!」
そこには、俺たちの育った大都会・ヨークシンシティとはまるで違う、豊かな田園風景が広がっていた。叔母さんはトラックから降り、牛の乳を搾っている男性に声をかけた。
「ただいま!」
「おーう、サラ、おかえり!この子たちがそうか?」
「そうよ。マリアとアレンに、ルークとクレア、こっちの毛むくじゃらな子がチャーリーよ。みんな、この人はトーマス。私の夫よ!」
トーマスさんは、頬に髭を蓄えた恰幅の良い人で、人好きのする笑顔を浮かべていた。
「遠いところまでよく来てくれたな。サラから話は聞いてるぞ。辛かったなあ。でも、これからはここが君たちの家だ!」
最近は大人に怯えがちだったルークとクレアも、トーマスさんの温かい声と笑顔に、警戒心が少し和らいだようだった。二人は小さな声で「こんにちは…」と呟き、俺の服を握りしめた。
トーマスさんは、マリアの車椅子に視線を移した。一瞬、痛ましげな色が目に宿ったが、すぐに柔らかな表情に戻った。
「マリアちゃん、大変だったな。ゆっくり休んで、美味しいものをたくさん食べて、早く元気になりな。この村には、美味い牛乳と、とれたての野菜がたくさんあるぞ」
「…ありがとうございます」
マリアは、トーマスさんの言葉に小さく頷き、掠れた声で答えた。まだ、どこか強張った様子だったが、トーマスさんの優しい気遣いが少しだけ、マリアの心を解きほぐしたように見えた。
「さあさあ、いつまでも立ち話もなんだし、家に上がって、ゆっくり休みなさい」
叔母さんが、テキパキと指示を出した。
「そうだな!」
トーマスさんも明るい声で応じ、トラックから荷物を降ろし始めた。2人の先導のもと、俺たちは村の中を歩き出した。
道沿いには、庭付きの一軒家が並んでいる。人々の姿も見えたが、皆穏やかな顔をしていて、通りすがりに俺たちに好奇の視線を向けはするものの、すぐに温かい笑顔を向けてくれた。
叔母さん達の家は、村の中でも少し大きめの家だった。家に着くと、庭先で子供たちが遊んでいるのが見えた。一人は、十歳くらいの男の子で、日に焼けた顔とやんちゃそうな瞳をしている。もう一人は、七歳くらいの女の子で、くりくりとした大きな目が印象的だ。俺たちに気づくと、二人は遊びを止めて、興味深そうにこちらを見ていた。
「ジョージ!エミリー!お客様だよ!」
トーマス叔父さんが、庭先にいる子供たちに声をかけた。二人は、俺たちの方へ駆け寄ってきた。
「お客様?だれだれー!」
と、元気いっぱいのエミリー。
「こいつらがおふくろが言ってたやつら?」
と、悪ガキっぽい雰囲気のジョージ。
「ただいま、二人とも。この子たちはあなたたちの従兄弟たちよ。ほら、自己紹介しなさい」
叔母さんに促され、二人は改めて俺たちの方を見た。
「俺ジョージ!よろしくな!」
「わたし、エミリー!ねぇねぇ、ワンちゃんかわいいね!おなまえなんていうの!?」
ジョージは、言葉遣いは少し乱暴だが、明るく屈託がない。エミリーも元気いっぱいだ。
「…私は、マリア。よろしく…」
マリアは、二人の勢いに少し圧倒されたのか、小さな声で返した。
「ジョージもエミリーも、よろしく。俺はアレン。この子はチャーリーっていうんだ」
「チャーリー!…もふもふだ!」
エミリーはチャーリーに駆け寄った。チャーリーは、エミリーの勢いに少し驚いていたが、警戒する様子はない。ルークとクレアは、新しい子供たちの存在に少し戸惑っているようだったが、二人の明るさに少しずつ興味を示し始めた。
「さあ、入って」
この家は、一階は牛舎になっていて、生活空間は二階にあるようだ。温もりを感じる木造の家からは、ほんのり動物の匂いがした。
叔母さんに案内され、俺たちは二階の居間に入った。質素だが、生活感であふれた暖かみのある部屋だった。窓からは、ホープウェル村の豊かな田園風景が一望できる。
マリアは、慣れない手つきで車椅子を操り、窓辺に移動した。その瞳に映る景色は、瓦礫の山ではなく、どこまでも広がる緑と青い空だ。少しでも心の傷が癒えればいいのだが。ルークとクレアは、新しい環境に少し緊張しながらも、部屋の隅々を興味深げに見て回っている。チャーリーは、安心して床にごろんと寝転がった。
叔母さんとトーマスさんは、俺たちに温かい牛乳と、焼きたてのパンを用意してくれた。俺たちは、叔母さん一家とともに食卓に並ぶ。
「ルーク、クレア、美味しいかい?」
叔母さんが、二人の口元についた牛乳を拭いてやりながら優しく話しかける。二人は、パンを頬張りながらコクリと頷いた。
「このパン、母ちゃんが焼いたんだぜ!うまいだろ?」
ジョージが、焼きたてのパンを頬張りながら、得意げに話しかけてきた。
「うん、すごく美味しいよ。こんな美味しいパン、初めて食べた」
俺は、素直に感想を伝えた。ジョージは、俺の言葉に嬉しそうに鼻を鳴らした。
「だろー!牛乳だって、都会のよりずっとうまいんだぜ!牛が違うからな!」
サラ叔母さんが、マリアに温かい牛乳を手渡す。
「疲れたでしょう。さぁ、マリアちゃんも、温かい牛乳を飲んで、ゆっくり休んでちょうだい」
「…ありがとうございます」
マリアは、小さな声で答えた。彼女の表情は、まだ完全に安心しているわけではないようだが、叔母さんたちの温かい歓迎を受けて、少しだけ緊張が解けているように見えた。
エミリーは、俺たちの会話をにこにこしながら聞いていたが、ルークとクレアがパンをポロポロとこぼしているのを見て、自分のパンを小さくちぎって二人に渡そうとしていた。優しい子だ。
温かい空間と美味しい食事。そして、優しい人々。体の疲れも、心の緊張も、ゆっくりと解けていくのを感じる。ここが、俺たちの新しい家なんだ。
その夜。
柔らかいベッドに横になった。隣では、マリアとルーク、クレアが眠っている。下の階からは、トーマスさんと叔母さんの、穏やかな話し声が微かに聞こえてくる。
常に聞こえてくる、人々のうめき声とすすり泣き。両親を失った悲しみと、マリアの安否への不安。そして、いつまた危険が襲ってくるか分からないという、張り詰めた緊張感。避難キャンプの、あの息詰まるような日々は、ただ生き延びることで精一杯で、立ち止まって考える時間などなかった。
しかし、今は違う。窓の外は静かで、暗く、そして満天の星が瞬いている。耳に届くのは、風の音や、牛が鳴く声だけだ。体の緊張が、ゆっくりと解けていくのを感じる。久しぶりに、心から安全だと思える場所にいる。
ここでなら、じっくりと考え事ができる。…俺の、計画について。
あの夜、俺は誓った。念能力という強大な力が、ならず者やハンターによって独占され、力なきものが蹂躙されるこの歪んだ世界を変えることを。
…しかし、どうやって?これは、俺一人が強くなってどうにかなるような問題ではない。世界に影響を及ぼすほどの大きな権力が必要だ。…それに、武力も。
操作系能力で大国の指導者を洗脳…いや、だめだ。現実的じゃないし、そもそも俺の理念と反する。
…仲間が必要だ。俺と志を同じくし、世界を変えるためにともに戦う仲間が。しかし、俺の思想に共感してくれる奴なんているのだろうか?いたとして、そいつらは俺のことを仲間として認めてくれるのか?
…だめだ、考えがまとまらない。あまりにも壮大すぎる。俺はまだたったの7歳だし、前世は普通の大学生に過ぎなかった。そんな俺に、本当にそんなことができるのか?両親を守ることさえできなかった、この俺に?このまま平凡な人生を送った方が、マリアやルーク、クレアを危険に晒さずに済むんじゃないか?
…いや、俺は誓った。あの夜、父さんと母さんに誓ったんだ。世界を変える具体的な方法は、今は分からなくてもいい。仲間がすぐに見つからなくてもいい。だが、絶対にあきらめてはいけない。あの時の怒りを、忘れてはいけない。
武力のため、権力のため、そしていつか出会うかもしれない仲間のため。どんな理由であれ、念能力を鍛え上げることが、俺がこの世界で生き残り、未来を掴むための最初一歩となるだろう。
ホープウェル村のこの平和な環境は、そのためにはこれ以上ない場所だ。誰にも邪魔されず、じっくりと自分の内面と向き合い、能力を磨くことができる。
新しい生活が始まる。それは、悲劇の終わりではない。失ったものは、決して戻らない。これは、新しい物語の始まりだ。この理不尽な世界を変えるための、静かな準備期間の始まりだ。
窓の外では、満天の星が瞬いていた。都会の光に遮られることのない、力強く、澄んだ輝き。その一つ一つを見上げながら、俺は深く息を吸い込んだ。土と草、そして牛の匂いが、肺を満たす。
よし。まずは、念能力の修業を再開する。それだけは、明日からでも始められる。