原初の微笑 作:永雨の詠み人
「深夜の試練、予定外……!“虚構の静寂”が発生しています!」
制御室に鳴り響いたアラート音が、すべての職員の思考を一瞬で凍りつかせた。点滅する赤い警告灯。非常灯が照らす薄闇の中、クロエは素早く端末を操作しながら、唇を噛みしめる。
「予定にない深夜試練……こんなの、聞いてない……!」
通常、深夜の試練には必ず数分前の予兆がある。それがまったくなく、いきなり現れた今回の現象。それは明らかに異常だった。
「これが……“黎明の試練”……」
モニターの表示が切り替わる。複数の監視カメラ映像が同時に表示され、その中央に二体の存在が並んで映し出された。
“原初の龍”。
“憎しみの女王”。
二人の少女の姿をした存在が、まるで対を成すように並んで歩く。その背後には、深夜試練で出現するはずだった敵性存在たちの、無惨な残骸が幾重にも転がっていた。
「すべて……焼き尽くしてる……!」
映像では捉えきれない閃光と熱波。しかし解析された波形データは、原初の龍が高確率で特殊攻撃を発動していたことを示していた。
それは――まるで夢の中で見た、希望そのもの。
“彼女”が見た夢の通りに、施設を守るためだけに放たれた光の力。
だが、クロエはその幻想に酔っている余裕はなかった。
「女王の体力……残り17%……やばい……!」
焦燥が胸を締めつける。黎明イベントには明確な失敗条件が存在する――“憎しみの女王の死亡”だ。
もし彼女が倒れれば、原初の龍は即座に戦闘を中止し、すべての意志を断つ。そして残るのは、収容違反と同等の混乱、暴走寸前のアブノーマリティ、そして逃げ惑う職員たち。
「……一か八か、やるしかない」
クロエは決断した。非常用ロックを解除し、E.G.O装備《黎明ノ終》の展開を選択する。
「お願い。力を貸して……!」
その瞬間、彼女の背に淡い光が宿った。まるで羽根のように、光の粒子が肩から広がり、彼女の姿を包み込む。
E.G.Oギフト《黎明ノ終》獲得――ログに記録される電子音が、静寂を切り裂く。
戦場が再び熱を帯びた。
クロエが放った光の斬撃――それは剣でも銃でもない、ただ純粋な意志の形だった。“彼女”の願いと、“クロエ”の選択が交差する一撃は、女王に迫る敵性存在を一掃し、すべてを沈黙させた。
「……間に合った……!」
画面上、女王の体力はギリギリ1%で踏みとどまっていた。すべての敵性存在は壊滅。システムは即座に“黎明イベント 成功”の文字を表示した。
エージェントたちの安堵の声が、制御室全体に広がる。 誰もが今日を生き延びたことを、ようやく実感していた。
だが、クロエだけは、そのまま再びモニターに目を向ける。
彼女――原初の龍は、静かに収容室の中央に戻り、小さく微笑んでいた。まるで、自分の中に秘めていた“何か”が、ようやく報われたかのように。
そして、その唇がそっと動いた。
「これで、少しは泣き止んだ……かな」
その囁きは、マイクを通して記録され、静かに保存された。
誰のための言葉だったのか。それは今も謎のままだ。
ただ一つ確かなのは、彼女のその声が、どこかとても――人間らしかったということだった。