原初の微笑 作:永雨の詠み人
「どうして、あの子は戦うのか」
夜勤明けのモニター室。空調の静かな唸りと、淡い電子音だけが支配するその空間で、クロエは独りごちた。誰に向けた問いでもなく、ただ、自身の思考を形にするように。
黎明の試練の発生から一夜が明け、施設内は表面的には静けさを取り戻していた。だがその沈黙こそが、かえって胸の奥に沈殿する疑念と不安を増幅させていく。
モニターに映るのは、変わらぬ収容室の一つ。
白い壁、白い床、白いベッド。その中心で、少女――“原初の龍”が目を閉じて座っている。
「……なぜ、あの姿で、あんなにも嬉しそうに戦えたのか」
黎明の試練。施設全域を巻き込んだ戦闘の最中、“彼女”は確かに笑っていた。憎しみの女王と肩を並べ、敵性存在を焼き払うその姿に、怒りも憐れみもなかった。ただ、穏やかな、そしてどこか誇らしげな微笑みがあった。
その答えを探すように、クロエは端末のアーカイブを開き、過去の記録を漁っていた。
大半は破損し、断片化されたデータの山。だが、その中に一つ、妙に引っかかる音声ログがあった。
「……これですか」
記録日時不明、発信者不明、保存理由不明。
それでも再生された音声に、クロエは覚えのある声色を感じた。
『――“彼女”が憎しみの女王に惹かれた理由?そんなの、決まってるじゃない。あの子も、寂しかったんだよ。』
『姿を真似たのは、ただ“気に入ったから”。でも、それは真似ごとなんかじゃない。あの子なりの“祈り”だったんだ』
「……祈り」
クロエはその言葉を静かに繰り返す。
可憐な少女の姿を取る“原初の龍”に、龍の要素は一切ない。翼も鱗も、炎すら存在しない。どこにでもいるような、しかし決して“普通”ではない存在。
だがそれは、偶然や変異ではなかった。
「……あの子は、自分で選んだんだ。あの姿を、“終わり”の形として」
なぜ少女の姿なのか。
なぜ、あの笑顔に人の温もりが宿っていたのか。
なぜ、“原初”と呼ばれる存在が、誰かを真似るのか。
そのすべてに、今ようやく一つの線が結ばれていく。
「……彼女にとって、女王は“理想”だったんだ」
誰よりも強く、そして美しくあろうとした魔法少女。
その背中に憧れた存在が、龍の名を冠して生まれ落ちた。
忠誠でも命令でもなく、ただ純粋な“憧れ”が形を成したのだ。
クロエは端末の前に腰を下ろし、小さく息を吐いた。
それは、深い納得と、同時に苦しみを含んだ吐息。
「……誰かのために目覚めて、誰かの姿で笑う。そんなアブノーマリティが……いていいの?」
常識が否定する。だが、目の前の存在はそれを超えていた。
そこへ、不意に通信端末が反応する。小さな電子音が鳴り、表示が切り替わった。
『報告:原初の龍、作業可能状態に回復。現在、愛着作業を“希望”中です』
「……希望?」
思わずクロエは目を細める。アブノーマリティが“希望”を示すなど、常識ではあり得ない。だが、“彼女”ならあり得るのかもしれない。
その中に、誰かの記憶があり、誰かの祈りがあるのなら。
クロエは立ち上がり、肩の力を抜いて笑った。
「……ほんと、面倒な子。でも、嫌いじゃないよ」
そう呟きながら、彼女は作業割り当て端末へと歩き出す。
終わりの形が誰かに似ていてもいい。
それが、誰かの救いになるなら。
たとえそれが、人間ではない存在であっても――
その微笑みは、確かに“誰か”を救おうとしていた。