深夜のシャーレに遊びに行ったら   作:33z

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三話目。ヒヨリが蛇に呑まれる話。


ヒヨリ×蛇

────

 

よく晴れた青空と、どこまでも広がる草原。気持ちの良い風が吹き抜けていて。ふと目を向けると私達が、なぜか今よりも幾分か幼い姿でそこに居ました。

眩しい太陽の下おいかけっこをしたり、花を摘んだり。虫に驚いたり、川で遊んだり。元気よく外を駆け回って転んで、それでも楽しそうに笑うリーダー……いえ、サオリ姉さん。アツコちゃん。ミサキさん。アズサちゃん。そして私。

……一体この光景を見ている私はどの視点から見ているのでしょうか?そんなとりとめのない思考がぼんやりと流れていきます。

 

私の目に映っている光景は。

辛くなくて、苦しくなくて。なにより虚しくない。

楽しくて、嬉しくて、幸せそうな「私達」。

 

 

──こんな時間、私達には存在していない。だからこれはとても幸せな夢。まどろみの中、私はそう確信しました。

 

────

 

『ヒヨリが目覚めない?』

電波を探して、アジトから幾分か離れた廃墟。どうにか繋がった電話の先、先生はそう返した。

電話越しには多少の雑音。おそらくシャーレの執務室ではなく、外に出ている。

『とにかく、そっちに向かうね。事情は……このまま聞かせて欲しいな、ミサキ』

 

「うん、ありがとう。三日前の昼……くらいだったと思うんだけど」

さらなる説明をすべく、私は口を開いた。

 

 

前日の深夜の不寝番がヒヨリだったから、私が目覚めた時には既に眠そうな顔をしていた。

 

「あ、おはようございますミサキさん」

「お……はようヒヨリ……不寝番ありがとうね……」

「いえ、私は別に……。確かに寝てなくて若干辛いですが、この程度は別に……それにローテーションですしね、えへへへ……」

そう二言三言挨拶を交わした記憶がある。

 

後は姫とヒヨリと朝の雑事を済ませて。朝10時頃だったかな。

ヒヨリは仮眠の為に簡易ベッド……そう言えるほど上等な寝床でもないけど、とにかく。

ベッドに向かっていって、そのまま就寝した。

 

最初は、いつものヒヨリの寝坊かと思ってた。

決めた時間になっても起きて来ない。耳を澄ますまでも無くヒヨリが設定したのであろうアラームが徐々に大きくなっているのが分かった。

 

普段ならアラームを止めて、慌てて私達への謝罪を口にしながら起きてくるタイミング。

 

「ねえミサキ。ヒヨリって体調悪かったりしたっけ?」

「いや……特にそんな様子は見られなかったけど」

 

姫──アツコと顔を見合わせながら、思わずそう話していた。相変わらずアラームが止まる気配も、ヒヨリが起きてくる気配も無かった。

 

疲れが溜まっていたのかも。私とアツコはそう結論付けて、そのまま眠らせておくことにした。

全員が全員体調が良い事なんてそうそう無いし、体調不良者がいる、そういう想定の動き方も私達には叩き込まれているから。そこまで問題視はしていなかった。

 

それでも、22時を回っても変わらずヒヨリが起きてくる気配が無くて。

流石におかしいと思ってヒヨリに声を掛けて見たんだけど……反応が無い。

 

声だけじゃなくて体を揺すって見たり、頬を叩いてみたり。でもいずれも──反応が無い。

これは……

「アツコ、」

「──うん。私薬取ってくるね」

アツコには薬を取りにって貰って、その間にも私はヒヨリの様子を伺って見たんだけど。

額に手を当てても熱がある訳でも無く、咳が出る訳でも無く。まったくもって普通に眠っているようにしか見えなかった。

 

目が覚めない。その一点を除いて。

 

「今の所……在庫は市販の風邪薬くらいかな。抗生物質とかあれば…」

そう言いながら戻って来たアツコは数個の風邪薬を抱えていた。

 

──同時に、遠くから人の気配。少し探ってみれば、どうやら私達を探している訳では無さそうだったけど。

「アツコ」

「うん……ここには留まれないね、移動しないと」

私達は指名手配中の身。姿を隠せないまま一か所に留まると捕まるリスクが高まってしまう。

 

迅速に荷物をまとめ、その分をアツコが。眠ったままのヒヨリを私が担ぎ。出来る限り迅速にその場を後にした……多少の荷物は放棄せざるを得なかった。

 

 

「その後は……緊急用のアジトに一時避難するような形になったんだ」

 

『そして……そこに居る間も、ヒヨリは目覚めなかった。そういう事だね?』

 

「……。そう。出来る範囲では色々手を尽くしたんだけど……私達病院にも行けないから。対して何もできなくて……他に頼れる宛も無くて、先生に」

別に先生は医者じゃない、それくらいは分ってる。でもアツコも私も他にどうしようなくて、こうして助けを求める事しか出来なかった。

 

──それに私には、うすぼんやりとした予感が。もう記憶からも遠くなっているけど、右手首の包帯の下……横向きの多数の傷を縦断するように付いた、引っかかれた様な傷跡が少しだけ疼いた気がした。

 

『事情は分かった……なら、医療に詳しい人間が必要だね。私に心当たりがあるから』

 

「あ……いや、それは」

 

『大丈夫。不用意に秘密をバラしたりする生徒じゃないし、口の堅さは保証するよ。それに、診てもらう必要があるでしょ?ヒヨリの事』

 

その通りだ。私達が持ち合わせている応急手当程度の知識ではもう限界だった。それに。仲間を見捨てる選択肢は、今までならいざ知らず。あの事件を経た私達には存在しない。──その程度には、変わった自覚がある。

ちらり、と端末越しに姫と目を合わせる。こくんと頷くのが見えた。……私達の意思は決まった。

 

「うん、お願い、先生」

 

『了解。じゃあ電話を切ったら座標をモモトークで送って。多分現地に集合する形が一番早いと思う。それじゃあ、また後でね』

 

そう言って先生は電話を切った。

一息ついて、ふとヒヨリの姿を見た。……電話を掛ける前と、いや、もっと前から姿勢も一切変わっていないまま、規則正しく寝息を立てている。寝姿「だけ」なら何もおかしい所はない。

 

──早くどうにかしないと。そんな焦燥感を抱いたままの私とアツコの元に先生が駆けつけてくるのは、それから一時間程度後の事だった。

 

”おまたせ、二人とも”

しばらく待っていたら、そう遠くから声が聞こえた。そちらを見れば、先生が一人でこちらに歩いてきている。

 

「いいや、そこまで待っては無いけど……一人なの?」

現地集合なんていうから、ここへは医療関係の生徒……?と合流してから来ると思ったのに。

 

”私はね。でも、もう来てると思うよ”

 

「……?」

その言葉につられて辺りを見渡すと。

 

──すみません、お待たせしました!

 

私達の背後から、言葉を掛けられた。

 

「「……!?」」

 

慌てて振り向くと、見慣れない人物……生徒が。白を基調にした制服と、顔に覗かせる羽から察するにトリニティ所属か。そう見当を付けていると、続けて声を掛けてきた。

 

「トリニティ総合学園、救護騎士団所属。二年、鷲見セリナです!事情は先生から伺っています。……眠り続けて目覚めない生徒さんの診療ですね?」

 

「え、?ああ、うん、そう。その……お願いします。私はミサキ。こっちは」

 

「秤アツコ。よろしくね、セリナ」

 

そう挨拶を交わす。……トリニティ出身、その言葉に少しだけ思う所はある。私も、アツコも。でもそれは今全く関係が無い。彼女、セリナにはより一層。そして今大事なことは「そこ」じゃない。

気持ちの整理を付ける為に少しだけ逡巡の時間。その間に、先生とセリナの会話が耳に入って来た。

 

「はい、よろしくお願いします。……その、先生、私でよかったんですか?より知識が必要なら私ではなくミネ団長の方が……」

 

”うん、彼女たち、色々訳アリでね。……多分二人の生活を鑑みるとヒヨリ、ああ、今回お願いしたい生徒の事ね。彼女の診察だけじゃなくて、ミサキとアツコも問答無用で殴り倒して病院に送っちゃうから”

 

……耳を疑うほど物騒な会話が聞こえてきた。え?私達病院に送られるの?

 

「なるほど……それはそうですね。少なくとも見渡した限りから伺える食糧事情だけでも、ミネ団長の救護の対象になるかと」

 

”でしょ。それはさすがにちょっとね。……万が一やるにしてもあの二人に了承を得てからでないと”

 

「はい!お話は分かりました。では私は私ができることを全力で行いますね!」

 

……先生に助けを求めて本当に良かったんだろうか。思わず冷や汗が流れた。

 

───

──

 

「ミサキさん、アツコさん。それで、ヒヨリさんはどちらに?」

 

「うん、こっち。付いてきて」

 

アツコがセリナと先生を先導して先を歩く。私は最後尾からヒヨリの元へ。てきぱきと機材を揃え、瞬く間に診察する環境を整えていく。

 

脇に体温計を差し、瞳孔を見て、喉の様子を確認。そこからは私の知識では診察をしている、という事しか分からなかった。

流石に救護騎士団所属という事もあってか、一連の動作はかなり精錬されている。私達は戦闘のための訓練を受けて、彼女は救護の、人を救うための訓練、それに類するものを受けたのだろうと推察できる様子だった。

 

一通り診察を終えて、私たちの方に振り向く。その表情から、明るい情報は無いのだと推察できた。

 

「まず断りを入れておきますと、機材も環境も病院には及ばない環境での診察ですから、信頼性は落ちると思ってください。本当に細部まで診るなら病院が確実です。その上で」

そこまで言って言葉を切り、私とアツコの方を見る。一瞬だけ視線を合わせ、頷く。

 

「はい、では申し上げます。診察の結果、何の異状も見られませんでした。──だからこそ、その結果が「異常がある」ことの証明です」

「熱、咳等の一般的な体調不良に伴う症状は無し。その他の診察を持っても睡眠中である、以上の反応は見受けられませんでした。いたって通常の睡眠状態です」

「ここからは問診ですが……この三日間、ヒヨリさんに生理的な反応はありましたか?……食事、発汗、その他ありとあらゆる、身体を生かす為の機能。私の見立てですと、おそらく」

 

しばらく記憶を探る。

「いや、一切無かった筈。看病の為に汗を拭ってはいたけど、本当に汗をかいていた訳じゃなかった……と思う」

「うん。私が見てた分でも、そういった様子は無かったよ」

 

「そうだと思います。だから、そこがおかしいんです。数時間の睡眠であれば、環境によってはあり得る話ですが……三日間という長期間において一切反応が見られないのは異常です。そして、そういった反応を示さず「ただの就寝中」という結果を返す身体、ひいてはこの状態こそが普通ではあり得ません」

 

そう、セリナが診察結果を教えてくれた。

 

「「異状が無い事が異常」、今この場で分かる結果としてはそう判断せざるを得ません。……私としては受診をおすすめします」

 

その言葉を聞いて、瞬間。ヒヨリへ目を向ける。

 

──セリナの言葉を裏付ける様な、規則正しい寝息が耳に届いた。

 

「確認しますが……みなさん食事は同じものを食されていましたか?就寝場所なども同じ場所を?お二人に身体異常が見られないのでこちらの線からの解明は望み薄ではありますが……念の為」

 

「うん。基本的には同じもの、同じ場所。ただ……木の実とかを採取して食事にしていたことも多いから、全部が全部同じとは断言できない」

 

「分かりました。では、一週間前から三日前までのおおよそで構いません、滞在場所を伺えますか?もしかしたら採取した食べ物や、環境による虫さされからなどの毒の可能性もありますから」

 

「分かった、ちょっと待ってて。アツコ……覚えてる?」

 

「うーん……アジトの場所としては記録を付けてるけど、食事の内容までは。その日その日に採取できるか自体結構運だから」

勿論私達だって毒の無い、体に異常が出ないものを選んで食べている。けど万が一という事も考えて、なるべくぬけの無い様に列挙していく。

 

なるべく丁寧に一週間前からさかのぼり、滞在場所や食事内容を思い出す。そして四日前、つまりヒヨリが寝てしまう前の最後の場所。そこの話になった。

 

「〇〇地区の△△神社跡……ですか」

 

「神社なのか寺なのか良く分かって無いけど……そこってもう何十年前に廃墟になったのか分からないくらい寂れてるんだよね。だから私達が潜伏するにはうってつけで。人の手が入ってないせいか動物も植物も多くて、食べ物にも困らないからよく使ってるんだ」

それに木も生え放題の割に周囲の警戒しやすいんだよね……地形が良いのかな?とアツコが説明する。

 

「ああそういえば。おなか一杯になるって程じゃないんだけど。ちょっとだけ甘いものが取れるから気に入ってるんだ、私。ミサキもそうじゃない?」

 

「……別に。何食べたって変わらない。それに、そんな甘い木の実なんてとれたっけ?」

 

「またまた。ちょっと嬉しそうに食べてるの知ってるよ?──蛇苺、美味しいよね」

 

そうアツコが発言した時、先生が強くこちらに視線を向けてきた。先生に顔を向けると、いつになく険しく。青ざめてるといっても良い程。声にかなりの焦りをにじませながら口を開いた。

 

”ごめん、さっきの場所、正確な座標を教えてもらっていい?”

 

「え?うん、大丈夫だよ。えっと場所は──」

そうアツコが教える端からマップに座標を打ち込み、表示させていく。手を動かしながらも、先生は質問を止めなかった。

 

”他に何かいつもと変わった所は無かった?天候、空気、植物、動物……なんでもいいから”

 

そう言われ、違和感を思い出すように記憶を探っていく。……関係があるか分からないけど、印象に残っている場面が一つ思い当たった。

 

「そう言えば、三人で食事をとってた時。……それこそ、デザート気分でアツコとヒヨリが楽しそうに蛇苺を食べてた時」

言外に私は違うとアピールしつつ、記憶をなぞっていく。アツコが私の言葉を引き取って後を続けた。

 

「後ろからの物音でビックリしてたよね、ヒヨリ。別に蛇なんて驚くほどの事じゃないのに」

 

”…………”

 

険しい様子を崩さず、先生は私達にマップを見せてきた。真上からのアングルで良く分からなかったけど、先程の話と合わせれば件の神社跡だと容易に想像がつく。

少しの間眺めて、アツコが「警戒しやすい」そういった理由に思い至る。そんな私の表情から察知したのか、先生が口を開いた。

 

”ミサキは気づいた?この神社跡の周り、円みたいになってるでしょ”

林、それよりも木が多くもはや森と呼べる程。それが無造作にではなく。整えられたような円。

 

「……本当ですね」

 

「あ、本当だ。まん丸だね。そっか、だから見通しがよかったんだね」

 

先程よりも焦りと、そして確信を強めた顔で。先生が言葉を続けた。

 

”これで検討がついた。ヒヨリは蛇に丸呑みにされたんだ。──最早、一刻の猶予も無い”

 

先生がそう告げる。説明を求めようと口を開こうとした時、セリナから慌てたような声。

 

「ヒ、ヒヨリさんの様子が……!?」

 

慌ててそちらを見ると、一見変わりなく寝ているように見えるヒヨリ。セリナが額に手を当て、離す。手を閉じて、開く。その動作を数度繰り返す。開いた掌をよく見るとほんのかすかだけど……湿っている?汗ならむしろ正常な反応な筈なのに、それにしてはセリナの反応が。

 

「汗ではありません。汗にしては粘度があります。むしろこれは……アルカリ性の薬品を誤って触ってしまった時のような」

その言葉で、嫌な想像が頭を過る。そしてそれを裏付ける、セリナの言葉。

 

──皮膚が、溶けているのかと。

 

息を飲む。遅れて「一刻の猶予も無い」、その意味を理解する。

 

"……ッ!セリナはこのままヒヨリの容態を見て。逐一私に報告をお願い。アツコはヒヨリに声を掛けてあげて。そしてミサキ"

先生と視線を合わせる。

 

「……分かった。私は先生と行動すればいい?」

 

”うん、お願い。私に付いてきて”

 

その言葉にうなずきだけを返す。そして、私と先生はアジトを飛び出した。

 

───

──

 

先生が大急ぎでタクシーを捕まえ、一緒に乗り込んだ。行先は当然、神社跡。

移動中も先生はどこかに電話をしていた。私の耳にも話の内容が聞こえてくる。……盗み聞きって訳じゃない。距離が近いから耳に入る。それだけ。

 

”お疲れ、ヒマリ。少しお願いしたいことがあるんだけど……”

 

意識的に会話の内容をシャットアウトすること数分。先生はまだ会話を続けているようだったけど、突然、電話口を手で押さえて私に話を振って来た。

 

”あ、そうだミサキ。ハンドガンって使える?”

 

「……?うん。銃なら一通り扱うための訓練は受けてるから、ハンドガンも使えるけど」

 

”そっか、ならよかった。……もしもし?うん、それで大丈夫。今から送る……”

 

何の確認をされたんだろう。まだ先生と電話の相手との会話は続いていて、それを聞くことは出来なかった。

 

”お願いね。じゃあまた”

 

更に数分経って、先生は電話を切った。……この事態の最中に連絡を取るという事は、少なからず事情を知っている相手なのだろうか?

 

「今の電話って」

 

”ん?ああ、ミレニアム、特異現象捜査部部長のヒマリだよ。元々オカルト的なあれそれにはかなり詳しくてさ。それに部活も相まって「こういう」事情の時にはたまに協力を仰いでいるんだ”

 

「ふーん、そうなんだ。……まあそれについては別にいいや。それより」

一番大事なことは、私達が向かう先に一体何があるのか。そして、私たちは何をしなければいけないのか。

 

”うん。到着までまだあるし。詳しい説明、必要だよね”

 

先生の言う「蛇」。それについて理解しない事には、ヒヨリを助ける手がかりさえ掴めない。

 

”元々はお呪い……いや、それよりも質の悪い、「願掛け」の方が正しいかな。あんまり生徒に聞かせたい話じゃないんだけど……まあ仕方ない”

先生は本当に嫌そうな顔をしている。いつもなら別に言いたくない事を無理に聞かないし聞く必要なんてないけど、今はそういう訳には行かない。

 

”分かってる、話すよ。元々は──”

 

──自殺の為の願掛けなんだ。

 

先生はそう語る。

未だ目的地は遠く。タクシーから伝わる振動が、私達の身体を揺らした。

 

──

 

 

”睡眠薬を多く飲むタイプの自殺、あるでしょ。その薬の中に木の実を、「蛇苺」を一粒入れ。合わせて飲み下す。そうすると、「必ず幸せな夢が見られる」。そういう願掛け”

”首が絞まり息が苦しくても、高い所から飛び降りても。水を肺まで飲み込んで溺れている時にも。最期に幸せな夢だけを抱いて”

 

”そういう類の、お呪い。願掛け。……ね?先生としては生徒に聞かせたい話じゃないでしょ?”

 

……生徒に聞かせたくない、先生はそう言った。もちろんそれは嘘じゃないと思う。でもおそらくは「私」に伝えたくなかったんだろうと、そう思わせる表情だった。自らの首元に──包帯の下の傷跡に、無意識に手を伸ばしていた。

 

「……願掛けの内容は分った。でもなんでそれでヒヨリが?だってヒヨリは別にそう言った願いなんて持ってないし、睡眠薬だって飲んでない。それになんで蛇苺?」

車内に流れる沈黙が嫌で。先生のその表情を見ているのが嫌で。疑問を次々取り出して先生にぶつけた。

 

”元々蛇って怪談、呪い、そういう話には事欠かないからさ。それらが色々混ざって出来上がっていったんだと思うんだけど……本題はそこじゃないから後回しにするとして”

”今回ヒヨリが目覚めなくなってしまった原因は、意図せず願掛けの動作を行ってしまったこと。願掛けの肝は蛇苺を飲む。噛まずに、丸呑みする”

 

 

”蛇苺はつまり「ヘビの実」、もしくは「ヘビの身」に通じる。そして、それを飲む。──転じて「蛇呑(へびのみ)」の願掛け……いかにもって感じでしょ?”

 

「でもそれなら私達も条件は同じな筈だけど……」

話の内容は相変わらずだけど、それでも沈黙よりはマシ。そうどこかで考えながら、あの日の事を思い出す。

アツコの言う通り確かに私達はデザート代わりに蛇苺を食べてて、ヒヨリも当然蛇苺を口に運んで、背後からの蛇に驚いて。……あ。

 

「……そうか。ヒヨリは驚いて思わず、噛まずに飲んで、丸呑みにした?」

 

”そうだと思うよ。そこが二人が起きてて、ヒヨリが眠ってしまった最大の違い。後は、場所。「こういうの」って場所が問題になるってのはミサキはもう知ってるでしょ?”

 

「……まあ、それは。身を持って知ってる」

 

”裏を取る時間は無かったけど、その日に拠点にしていた神社跡って多分蛇を祀ってた神社なんだよね。しかもただの蛇じゃなくて、「自らの尾を呑む蛇」を祀っていた神社。そしてその蛇は今もそこにいる”

 

”答えから計算式を埋めていくって言うのかな。普通に蛇苺を食べただけじゃこうはならない。なら願掛けを(まじな)いに昇華した原因がある筈。そして、これ見よがしに神社跡があって、ダメ押しは──”

 

そう言って先生は端末へ、神社跡のマップを表示した。

”この円は、多分、蛇の這いずり跡”

 

「蛇行している跡じゃなくて、円の形をしているから。だから普通の蛇じゃなくて……輪になっている蛇が、「自らの尾を呑む蛇」が祀られていた。そういう推論」

 

”そういうこと。つまり。「蛇呑(へびのみ)」の願掛けを、「自らの尾を呑む蛇」が祀られている所で行った。結果、「幸せな夢を見る」願掛けが歪んだ形で成就して昏睡状態。そして尾と一緒に吞み込まれ、蛇の腹の中で溶かされ始めている”

 

なんとなくは理解できた。要するにヒヨリは運とタイミングがこれ以上なく悪かったんだ。……ヒヨリらしいといえばヒヨリらしい。

 

”全部状況証拠からの推察でしかないから、念の為ヒマリには裏取りをお願いしてる。他の可能性を当たっている暇はないから、この推論に沿って私達は動く。それでいいかな?”

 

そう問いかけてくる先生。聞くまでも無い事なのに。

 

「元々、先生にリードは渡してる。シャーレに来た時、そう伝えたと思うんだけど」

 

”そう……だったね。じゃあ改めて。お願い、ミサキ”

 

なぜか少しだけ気恥ずかしさが湧いてきて。先程とは違う意味で沈黙が嫌になって。強引に会話を続けた。

 

「……とにかく。原因は分かったけど、具体的に私達はどう動くの?仔猫の時みたいに謝るとか?」

 

”時間に猶予があればね。呪いをかける方法があれば、呪いを解く方法もある。それこそ、謝って勘弁して貰うのもそれに該当する……だけど、今回は元々は願掛け、つまりお願い事だから。決まった解く方法って無いんだよ”

 

一度叶えて貰ったけどやっぱ無し。そういうのは筋が通らない。多分そういう話。

 

”もちろん願掛けから変質して呪いじみた効果になった以上、解く方法も探せば見つかると思う。だけど。ヒヨリが、正確には精神だけが飲まれてから三日。そして現実の体に影響が出始めた以上、手段は選んでいられない”

 

「……つまり?」

 

”蛇の腹を掻っ捌いて、強引に引っ張りだす。速さを求めるならこれしかない”

 

普段の先生からはかけ離れた物騒な発言。

 

「だいぶ危険なような気がするけど……そうしないといけない程逼迫(ひっぱく)してるって事だよね」

 

”うん。一般知識をどこまで適用して良いかは分からないけど、蛇が消化にかける時間はおおよそ一週間。そしてもう既に三日経過してる”

 

普通の蛇でも、既に消化が終わる日数までの折り返しに入ってきている。ましてや、その常識に当てはまらない相手なら。

 

「……作戦は?」

 

”そこまで凝った作戦は考えついてないよ。いたってシンプル。純銀のナイフで蛇の腹を裂いてヒヨリを救出。蛇の腹を裂くのは私がやるから。ミサキには索敵と防御をお願いして、終わったら直ぐに逃げ帰る”

 

相手は仔猫の時より強い相手。あの時の事を思い出し、恐怖で身が竦みそうなる。だから、作戦。

その言葉を使えば。私はアリウススクワッドの構成員として冷静に動ける。そうして恐怖を心の片隅に追いやって、作戦に意識を集中させた。先生も流石に普段よりはぎこちなかったけれど。それでも私に笑みを向けて。

 

”大丈夫。すぐ終わらせて、ヒヨリを連れて帰ろう”

 

その言葉と共にタクシーが止まる。神社跡はもう目の前だった。

 

───

──

 

タクシーを降りて、神社跡へ向かいしばらく歩く。そうすると、木の陰に隠れてミレニアム製のドローン止まっていた。

 

”お、ちゃんと届いてるね”

 

そう言いながら先生がドローンに近づいて開封し、中身を取り出していく。出てくるのは数枚のお札とナイフと……ハンドガン?

 

”はい、ミサキ”

先生が手渡してきたのはその内のお札。そして拳銃。作りはごく一般的なもので、ミレニアムでの流通品。

 

「これは?……タクシーの中で手配してた応援ってこれの事?」

 

”そう。ヒマリにお願いしてたアイテム群。急いでたせいで碌に準備も出来なかったから、それを補う為の。そのお札は防御用だから常に身から離さないで。出来れば内ポケットが望ましいかな。そして、こっち純銀の弾丸を撃てるミレニアム謹製のハンドガン。ただ、急いだからワンマガジン分しかストックが無い。撃つ判断はミサキに任せるね”

 

見たところ、先生はドローンに入っていたものはナイフ以外全て私に寄越してきた。これだと銃はともかく防御用の品が、先生に何も残ってないように見える。

 

「これ……いつかの護摩?みたいな効果があるんでしょ?全部渡してきて、先生の分はどうするの?」

 

”ん?ああ、私は常備してある分が入ってるからね。こっちは大丈夫。心配してくれてありがとう”

 

そう言って胸のあたりを数回叩いた。きっと胸ポケットにでも入っているのだろう。

 

「作戦のおさらいだけど。このまままっすぐ神社跡……境内まで歩いて行って、蛇の本体までたどり着く。そうしたら先生がナイフで腹を切り開いて、ヒヨリを引っ張り出す。終われば一目散に逃げる。それであってる?」

 

”うん。後は、ミサキにはヒヨリへ声を掛け続けて欲しいんだ。今どの位置にいるのか、少しでも情報が欲しい。もしかしたら、返事が返ってくるかもしれないし”

 

「了解。……こっちの位置がばれるけど、それはいいの?」

 

”どうせ腹を裂く段階ですぐにばれるからね。ここまでやった所で結局明確な対策は打てないから。なら、こっちの強みだけを押し付けた方が良い”

 

「分かった」

 

先生の声に返事を返しながら、銃を一通り点検する。マガジンもスライドにも特に問題は無し。

中に込められているのは純銀製の弾。私でも小耳に挟んだことくらいはある。「銀」には魔除けの効果がある、らしい。吸血鬼に銀の十字架、狼男に銀の弾丸、みたいな。

多分このハンドガンもそういう事なんだろう。銀の弾丸なんて撃ったこと無いから一度くらい試射して使用感を確かめたいけど、そんな時間も残弾も無い。

……こんな時だけど、少しおかしくなってしまう。劣悪な環境での作戦実行。つまり、いつもと変わりない。そう思えば、少し冷静になることができた。

そうして一つ息を整え、先生の号令に合わせる。

 

”じゃあ、作戦開始”

その言葉に頷きを返して、神社跡の境内へ──蛇の元へと歩き出した。

 

──

 

一歩一歩と歩みを進めるごとに、見られていると感じる。ここを拠点にしていた時には感じなかったことが不思議な程。

仔猫の時にも似た、蛇からの視線。ただし、今私達を見ているのは普通の蛇だ。感覚で分かる。自分でも不可解だが、視線が「生きている感じ」がする。

あの時より正確に視線を意識できるのはなぜなんだろう。あの時の私にとっては全くの未知だった。けれど、今の私は曲がりなりにも知っている。幽霊、怪異。そういう類があることを。

 

蛇たちは動き回っているのか、体と地面をこする音がそこかしこから聞こえてくる。私達を……警戒している?

 

安全装置(セーフティ)を外し、引き金に指をかけたまま慎重に歩く。横を見れば、先生も緊張を隠せない面持ちだった。前の時には、もっと余裕があったように見えたのに。

しばらく境内へと続く階段を上る。その間にも至る所からの蛇の視線は止むことがない。まるで、いつでも飛び掛かる準備が出来ている、そう告げるような視線。

 

「ヒヨリ」

 

名前を呼ぶ。一段と視線が強まるが、別に声を出す前からこちらを見られていた。つまり、さっきまでと何も変わらない。そう自分に言い聞かせて、歩みは止めない。進み続け、本来なら鳥居があったであろう位置の一歩手前まで。

更に名前を呼ぶ。

 

「ヒヨリっ」

 

更に視線が強くなる。そして普通の蛇でない、言うなれば「生きている感じがしない」視線が纏わりついてくるのを感じた。おそらくこれが、ヒヨリを飲み込んだ蛇の視線。構わない。元から、隠れてなんていない。

普段の声量ではあり得ないな。自分でもそう思う程大きな声で名前を呼んだ。

 

「ヒヨリっ!」

 

同時に、鳥居を──境界線を超えた。

──

瞬間。

空気が変わった。同じだ。「〇〇通りの路地裏」に踏み入れた時と。ここが「蛇の巣」。本能がそう叫ぶ。

ヒヨリを飲み込んだ蛇の視線も、「生きている感じがする」ものに変化している。多分、私達が鳥居(境界線)の先へ足を踏み入れたから。

視線も、気配も強く意識して無視し、声を掛けたヒヨリの反応を探す。……ダメだ。無視してもしきれない程、蛇の気配が大きすぎる。先生の方を見ると、周囲に忙しなく視線を向けていた。私と同じくヒヨリの居場所を探っていたのだろう。成果は芳しくないようだけど。私も先生も決定打を打てていない。一秒ごとに緊張が高まっていく。私もいつまで冷静でいられるか。

焦りが思考を支配する前に。そんな思いで口を開く。

 

「先生!蛇の注意を引いて!」

 

できるかどうかは分からない。でも、きっと先生ならやってくれる。……大人を信頼するなんて、前の自分が見たらどう思うかな。どこか他人事の脳の一部分が自分にそう囁いている。

 

私の言葉を聞いて、先生は返事の代わりに動作で応える。

懐に仕舞っていたナイフ──輝きを見るに、あれも純銀製だ──を取り出し、順手に構え、切っ先を蛇の視線の出所へと。近接格闘(CQC)の初歩の初歩さえ学んでないことが丸分かりの、素人同然の構え。

それでも一斉に、私へ纏わりついていた視線が立ち消えて、違う。先生の方へ向いた。自分を攻撃しようとする意志、動作に反応したんだ。

 

一瞬のチャンス。ここを逃す訳には行かない。

 

「ヒヨリっ!!」

 

全神経を研ぎ澄まして、ヒヨリの気配を探る。つまり、蛇から発せられることのない人特有の衣擦れ、呼吸音、視線。そういった諸々の位置。それを探した。

 

……。

…………!

 

あった。ヒヨリの気配。

右斜め前5メートル地点の、「空間」。何もない筈の中空から、蛇のモノでない気配、つまり今の場合は息づかい。人の寝息。それをほんの僅かに感じる。

 

「先生!そこ!」

 

少し、けれど確かに感じた感覚を頼りに指を指す。私の声を聴いた先生もその地点に向かって走り出し、ナイフを振り被る。

蛇の気配が殺気に変わる。今にも自分への脅威を……先生を排除するという、そういう殺気。でも先生は、多少の恐怖こそ表情に浮かべはしつつも、全く驚きも慌てもしていない。予想していたかの様にそれを受け止めていた。

 

まさか。先生は予めこうなることが分かっていた?役割分担は私に危険なことをさせない為のカモフラージュ?ほんの一瞬の間なのに、驚くほど思考が回る。一度気付き始めると、他の違和感も続けて顔を出す。

 

──私達のアジトに駆け付けた時には蛇、というか「こういう類の話」という想定はしていなかった。

──碌に準備ができていないと、ドローンの物資を分担している時にそう言った。

──胸ポケットを叩いた時、実際にお札を取り出しはしなかった。

 

全て憶測だ。根拠としては薄い。索敵と防御役が私に適任なのも、救出役は先生が行った方が効率的なのも事実。思い過ごしならそれでいい。でも予想が当たっていたら?先生が。蛇に殺される。それはダメだ。

 

──殺すつもりだったくせに。それを許容したくせに。引き金を引いたのは私じゃないなんて、言い訳としてすら烏滸がましい。そんな自分がどの面を下げて。

頭の中が、心の内が滅茶苦茶だ。でも。先生には死んで欲しくない。あの時とは違う。こんな私達でも変われると、変わっていいと教えて貰ったんだ。

変化の途中だけど。根本に抱く思いは、未だ変えられていないけど。それでも。私には確かに、変化の兆しがあるのだから。

 

そんな混沌とした思考を全て吐き出すように。ヒヨリを助けて、先生も死なせない。その思いの丈を全て言葉に込めて。

……今後の人生でこんな大声は二度と出せない。間違いなくそう思えるほどの声で叫んだ。

 

「ヒヨリっ!!起きて!!」

 

 

 

 

………………

 

 

 

 

────

 

幸せそうな私達を眺めながら微睡(まどろ)みの中にいて、一体どれほど経ったでしょうか。

 

辛くなくて、苦しくなくて。なにより虚しくない。

楽しくて、嬉しくて、幸せそうな「私達」。

 

私としては珍しく微笑んですらいたと思います。だって、こんなにも幸せな光景なんて、現実では見られないんですから。

そんなことをつらつらと考えていたら、「私達」の中の一人がずんずんと私へ近寄ってきました。はて。私は私自身がどこにいるかも良く分かってないのに。そんな風に依然ぼんやりとしていました。……そんなことはお構いなしと駆け寄ってきたのは……ミサキさん?

えへへ、ちっちゃくてなんだかかわい──

 

──ヒヨリっ!!起きて!!

 

そんな普段では考えられない程の大声量に、私の眠気は一気に吹き飛ばされました。

 

……ああっ!私一体いつまで寝てしまっていたんでしょうか!?いくら不寝番の翌日とはいえここまで寝坊したら流石に怒られます!というか今実際に怒られました!

 

「すっ、すみません!すぐ起きます!お昼ごはんも準備しますから!!」

 

いつまでも夢に浸っている訳には行かなくなりました。さあ、すぐに起きて謝らないと。こういう時、意外と姫ちゃんの方がじわじわ突っついてきて辛いんです……。ミサキさんはスパっと済ましてくれるんですが。

やっぱり、現実は辛くて苦しい事ばかりです……まあ、今回は100%寝坊した私が悪いんですけどね、えへへへ。

 

若干の名残惜しさも感じつつ、私は目を覚まします。

いつかまた。こんな夢を見れたらいいなと思いながら。

 

────

 

 

 

 

………………。

──しゅみませぇぇん……すぐぉきますぅぅう……ぉひゅるごはんもじゅんびしますうぅぅ……。

 

「………………」

”………………”

 

……なんだかものすごくふにゃにゃしたのヒヨリの声が、私の指差した先。変わらず右斜め前5メートル地点。その中空から響く。

実際の声が聞こえている訳ではない。ヒヨリ自身はアジトで寝ているのだから。それでも空間に響くあの声は確実にヒヨリだった。

 

寝起きの。

 

”………………”

「………………」

 

思わず先生と目を見合わせる。振り被っていたナイフもいつの間にか降ろしていた。

……さっきまではもっと緊迫した雰囲気だったのに。先生が死んでしまうとか、ヒヨリを助ける事とか。そういったあれこれで頭の中がぐちゃぐちゃになっていたのに。そういったのが全部どこかに行ってしまっていた。

 

私達の、特に先生の敵意と攻撃動作が無くなったせいか、依然視線は感じたままではあるものの蛇からの殺気もかなり落ち着いている。

 

”……あー、そういう事か……。いや、ちょっと考えれば分かることではあった。ちょっと焦りすぎてたなぁ……”

 

「え?何?どういう事?ヒヨリの救出は?」

 

”うん。もう大丈夫。ミサキが上手くやってくれたから。ほら、すぐに分かるよ”

 

「……私が?」

 

ヒヨリを探すために声を張り上げていただけだと思うんだけど。……混乱を抱えたまま、先生の言葉の続きを待つ。

 

十秒か二十秒か。数えればその程度の時間経過。中空にあったヒヨリの気配が段々と薄くなって、違う。これは多分、移動している。方向は私……いやその後ろ、「私達が来た道」へ進んでいる。

そのまま進んでいき、鳥居があったであろう位置を超えたあたりで気配は完全に辿れなくなった。

 

「もしかしてアジトに……帰った?結局何がどうなったの?先生は納得がいっているみたいだけど、私はさっぱり。出来れば説明が欲しい」

 

そんな疑問に先生は、いっそ笑いを堪え切れない様子で返した。……まだ私達は蛇の巣にいて、ほんの数十秒前には蛇に今にも嚙みつかれんばかりの敵意を向けられていたのに。もうほとんど気にしていないみたい。

 

”ミサキの言う通りだと思うよ。ま、場所も場所だし。説明は帰りながら……あ、そうだミサキ。さっき預けたお札、一枚貰える?”

 

その言葉で、さっきまでの思考を取り戻した。何をするかは知らないけど、私にそれを要求するって事は。自分の推理に確信を持つ。あれは正しかったんだ。先生は自分の身を守る術をすべて私に回していた。──あのままなら先生はおそらく。

 

考えが顔に出ていたのか、先生を半分睨みつけるような視線になっていたと思う。……先生はなぜ睨まれているのか分かっているのかいないのか。……多分分かってないだろうな。そんなとぼけた顔をしている。それがなぜだか無性に腹立って、懐から取り出した一枚を先生に叩きつけ、もとい勢いよく手渡す。

 

「……別にいいよ。元々私のモノじゃないから。それで、何に使うの?」

 

”ありがとう。身代わりというか、そんなもの。ヒヨリは私達が連れて……自分で帰ったけどとにかく。経緯はどうあれこの場にあるモノを私達が連れて行く訳だから。それ相応の代わりは置いて行かないと”

 

若干首を傾げつつお札を受け取りながら、同時に全く自然な動作で右手に持ったナイフを左手の人差し指に押し当て、そのまま裂いた。

止める間もない程滑らかな動き。鮮血が零れ落ちる前にお札に指をあてがい。なにやら書かれている文字の上から、自らの血文字で上書きしていく。

 

”まあこんなものかな。後はどこに設置しようか……”

 

そう言って先生はしばらく視線を動かし、ある一点で止めた。視線を辿った先には神社の本殿。正確には本殿跡と言うべきか。「廃れる」の言葉通り、何かの屋根の名残程度が残っている場所へ、そのお札を置く。

 

手を離した瞬間。蛇たちの視線が私達から外れ、お札に注がれた。その分私達への視線の量が、ここに来た当初と比較しても雲泥の差といえる量まで減っている。

 

"じゃあやることもやったし帰ろうか。長居してこれ以上彼らを刺激しても良い事ないからね"

 

そう言って先生は、首でも解すように擦りながら、来た道を引き返していく。そのまま鳥居の一歩手前で止まり、振り向く。私を待っているんだ。

 

「……了解。帰ろう、先生」

 

依然として状況に取り残されてはいるけど、ヒヨリが無事だった以上確かにこの場に残る必要はない。

 

先生の後を追う。追い付き、並び、二人同時に──鳥居(境界線)を超える。

 

蛇の絡みつくような視線は、そこで途切れた。

 

───

 

鳥居をくぐった瞬間、空気が変わったことを肌で感じる。戻ってこれた。その確信が胸中に広がり、深く息を吐く。先生と二人、肩を並べて。来た時よりは速く。でも心持ちは穏やかに階段を下る。

 

「で?結局何がどうなったの?……後半、作戦通りの事が一つも起きなかったんだけど」

 

帰り道の最中、先生に説明を求める。私が分かっているのはヒヨリが助かった事だけ。後は状況に流されるがままだった。

 

”ん?ああ、簡単な話だよ。蛇の腹を裂くだなんて物騒で危険なことをしなくても良かった。ほら、願掛けの内容って覚えてる?”

 

そう言われて、タクシー内での会話を思い出す。確か。「必ず幸せな夢が見られる」。そういう願掛け。色々と歪曲はしたけれど、元はその願い。

 

”「幸せな夢を見る」ってつまり──寝てるって事でしょ?だから、ただ起こせば良かった”

 

……それだけ?でもそれならアジトで散々……あ。そうか。アジトにはいわば体しか無かった。だからヒヨリには聞こえなくて。ここに、神社跡に。直接起こしに来る必要があった。

 

”来る時に話したじゃない?「呪いを解く方法もある」って。今回で言うと「直接起こす」のがそれだったんだよ。私は焦って検討すら出来なかった呪いを解く方法。それをミサキはダイレクトに引き当ててくれたんだ”

 

……なるほど、と思わなくもない。寝ているなら起こす。遠くから声を掛け、起きないなら近くで直接。

整理してみれば実に簡単な話。あはは、と先生はバツが悪そうに笑っている。まるで危険な方法を取ったことを後悔するように。その顔を見ているのが、なぜか嫌で。笑い声を遮るように口を開いた。

 

「──検討しなかったのは時間が無かったから。確実性が無い事に時間を浪費するより、危険でも必ずヒヨリを助けられる方法を選んだ。それだけ。私が正解を引けたのは……ただの結果論」

だから、自分が悪かったなんて顔はして欲しくない。

 

後半の言葉は口から出せずに。自分の内に留めた。

 

”……そうだね。そう言ってくれると助かるよ”

 

丁度会話に一区切りがついたあたりで周りを見回すと、タクシーを降りた場所。同時に先生の端末が鳴り、先生が直ぐに取る。電話越しに漏れ聞こえるセリナの声色から、内容はすぐに察しがついた。

 

”ヒヨリが目を覚ましたって!”

 

「そう。ならよかった」

 

こうして私達は帰路に付く。道中、蛇を見かけることは無かった。

 

───

──

その後の事は特に語ることも無く。

 

寝すぎたせいか、いまだに寝ぼけた顔をしているヒヨリと。抱き着いて喜ぶアツコ。セリナだけは病状を記録したりと油断を見せない様子だったけど。それでも。浮かべる表情からヒヨリの無事を喜んでくれている事が分かった。

……先生は直ぐに左手の切り傷がセリナに見つかって、怒られながら手当をされていた。それも一通り済めば。

 

「では!私は次の現場がありますので!」

 

そんな快活な挨拶を残して去っていった。……何故か先生も引きずられて。

 

──

 

「えぇ!?私三日も寝過ごしてたんですか!?……ご迷惑をおかけしてすみません……あ、でも久々に一杯眠れてよかったです……えへへへ」

 

改めて話を聞けば、ヒヨリはどうやらこの三日間の事はあまり覚えていないようだった。……寝てたのだから当たり前と言えば当たり前か。

 

「別にいいよ。その分働いてもらうから」

 

「あっはい……仕方ないですよね。……サボりの反動がすごく辛いですが、大丈夫です。慣れてますので……」

 

何の気なしの発言だったんだけど、どうやらいつもの様に重く捉えたようだった。……何も変わるところのない、普段通りのヒヨリだった。その姿に安心を覚えていると。ヒヨリの背後から、アツコが顔を出してきて、会話に混ざってくる。

 

「あんまりいじめちゃダメだよミサキ。はいヒヨリ」

 

「アツコちゃん……?こんな私にプレゼントをくれるなんて……すみません……」

 

「うん。快気祝いのスイーツ」

 

そう言ってヒヨリの手を掴み、何かを乗せた。

 

「みんな大好き蛇苺!……なんちゃって、ただの飴──」

 

「うわぁん!私これのせいで眠り込んでたってみなさん言っていたじゃないですか!?流石にもう食べたくありません!!」

 

そんな会話を背に聞きながらテントを出る。いつも通りの日課の、哨戒の為。

 

そして、一抹の。蛇への警戒を残しながら。

 

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