ミレニアムサイレンススクールの一年生の
一年生という事はつまり、誰からも後輩だという事。
後輩という立場に不満がある訳では無い。そも不満を述べるのであれば事あるごとに反省部屋に送り込んでくるセミナー、引いてはその中核を為す二人の先輩への言及が必要になる。
嫌いな先輩では決して無いが。「嫌いでは無い」と「文句が無い」、というのは簡単に=で結べるものでもないのだから。
話が逸れた。
つまり何が言いたいのかといえば。「後輩」である私が「先輩」、つまり年上の立場に回る機会が少なく。つい浮かれてしまって、楽しくなってしまって。
それ故に違和感を見過して、遂には私自身が迷いかけた。
ただの、そういう体験談。
*
いつもの様に反省室から
とある部活から提出された期限超過した書類が。承認権限の関係でさらに遅れそうだった。だけど私がちょっと頑張れば、きっと誰の負担も減る。そう思って必要な権限をちょちょいと拝借して承認をおろしただけなのに。
あんなに怒らなくったっていいと思うんだけどなあ、ユウカ先輩。
普段から目が回る程忙しそうにしている先輩方の負担を減らそうと思っただけだったのに。せっかくの気遣いに対して、あんな剣幕で怒らなくったって……。
そんな不貞腐れた気持ちを抱えたまま、ぶらぶらと歩く。
直ぐに学校に戻っても反省部屋へ戻されるだけだし。ゲーセンにでも遊びに行こうか、それともシャーレへ。どちらにせよ気が乗らないな……なんてまとまらない思考をまとめないまま歩を進める。
だからだったのだろうか。何の気なしに見回した景色は、寂れた校庭のような、そんな風景。おそらくここにはかつて学校があって、そして無くなったのだろう。
「……いつの間にか結構遠くまで歩いて来ちゃってたみたいですね」
独りごちて、どのくらい歩いたのか気になり自身の端末を取り出して地図アプリを開く。……もう学校名の表示は無いものの、別途検索を掛ければすぐ学校の名前が判明した。
『アネモネ学院』。
それがこの場所の、ひいては学校そのものの名前だった。
今日は特にやりたいゲームがある訳でも無し。たまには廃校探検と洒落込むのも悪くはない。落ち込んだ気分を振り払うようにして、改めて学校跡に目を向けてみれば。
なにかを抱えてキョロキョロとしている子供の姿が一つ。年は五、六歳くらい。よく見ると、抱えていたのは子供が持つには不釣り合いなくらいの大きさのタブレット。
それを手に持って、頭と同じ高さまで掲げて。上下左右にくるくると回しては首を右へ左へと傾げている。
こくりと頷いてある方向に走り出したかと思えば、一分もしないうちに元の場所へと戻ってくる。そしてまたタブレットをくるくる回し始める。その繰り返し。
「何してるんですかー!」
気付けば、遠目に見えるその子に声を掛けていた。
特に理由は無く、自分より幼い子が困っている姿が忍びなかった。強いて言えばそんなところ。ともあれ私の声が届いたのか、勢いよくこちらへ振り返ると同時。
──行き方が分からないのー! 地図の読み方教えて、お姉ちゃん!
大きなタブレットを片手で支え、もう一方の手で大きく手招き。寒空の下、風の音にも負けない良く通る声で、そんな返事が返って来る。
彼女の手招きに導かれるように。ただの散歩道から、アネモネ学院跡へ。足を踏み入れた。
少女の姿に、誰かの面影を重ねながら。
お姉ちゃん。
会って間もないどころか、まだたった一言しか言葉を交わしていない間柄だけど。そう呼ばれて悪い気はしない。
「地図、ですか? ええ、任せて下さい!」
……悪い気はしない、ではなく。しっかり喜んでいる私だった。
──はいこれ! ここに行きたいんだけど行き方が分からなくて困ってたの!
その言葉と共に渡されたタブレットを受け取る。遠目から見ていた時にも感じたが、かなり大きめの端末だ。
開かれたままの地図アプリを少し触る。普段私が使用するアプリとはメーカーが違うのか勝手が少しばかり異なっていたが、このくらいならすぐに使いこなせそう。
徒歩で五分程度の近場ではあるようだったけど、確かにこのくらいの年の子が一人で行くには心許ないというもの。道案内も欲しくなるか。そう思いながら、この子が指で示した場所にピンを差し、目的地までのルートを表示させ、ついでに北方向を固定する設定に変更した。こうすればもうタブレットをくるくる回すことも無くなる筈。
「はいどうぞ。この赤い線を辿っていけばつく筈です! あとタブレットの上を北に固定したので見やすくもなっていますよ!」
──ほんとう!? ありがとう! お姉ちゃん!
「いえいえ、このくらいお安い御用です!」
いまいち理解しているようには見えないけれども。私がタブレットを戻すとそれを受け取ってぴょんぴょんと跳ね回る。にはは。たったこれだけのこととはいえ、こんなにも喜んでもらえるなら私まで嬉しくなってしまう。
その子はまたしばらく地図をためつすがめつしていたが、やはりと言うべきかまたしても首を傾げてしまい。
赤い線を辿っていけば目的地に付けるという事がそもそもピンと来ていないようだった。やがて地図から顔を上げて、初めて見る不安げな表情を浮かべて。
──ねえ、お姉ちゃん。案内して欲しいな。
私へ、そう告げた。
『お安い御用ですよ!』
そんな言葉が喉を突いて出そうになった。それをすんでのところで止めたのは、なんとなく。あるいは、虫の知らせ。そういう他ない。
私自身が案内できるか不安だったから躊躇ったのか、喋りすぎで喉が乾燥したからつばを飲み込んだだけなのか。無意識の内に、何かしらの別の訳があったのか。
理由はどうあれ、私はすぐの返答を返せなくて。一拍の呼吸。
吸い込んだ、冷たく乾いた空気が、頭を冷やした。吐き出した息に体の熱が乗り、体温が下がる。
なんだ? 私は何を思った? 違う。見落とした何かがある。その思考こそが私の直感だ。なぜかそんな確信がある。電子が介在しないこの空間がもどかしい。これがネットに転がっている暗号ならいつもの通りすぐに分かるのに。
焦りが顔に出たのか、私の表情を見たあの子の顔にも更に不安が広がる。
私を連れていってはくれないのか。一緒に居てはくれないのか。
言葉にせずとも十二分に伝わってくるその感情。それを見ると、導いてあげなければという思いが膨れ上がって。
ピリリリ。
音の出所は私の上着のポケット。不格好にねじ込まれた私の端末。
音に弾かれるようにあの子から視線を外し、慌てて端末を取り出す。画面を見れば着信で、連絡者はユウカ先輩だった。
ピリリリリ。
かけてきているのはユウカ先輩。無断で反省部屋を飛び出して来てから一体どの程度時間が経ってしまったか。
ピリリリリリリ。
心配させているかもしれない。それでも私が今やるべきことは。やらなければいけないことは。考えを止めずに──。
ピリリリリリリリリ。
ダメだ。
まるで頭を回すのを阻むかのように、耳障りな電子音が鳴り響く。思い通りに思考を働かせることの出来ない苛立ちを、手繰り寄せかけたか細い違和感と一緒くたにして、画面に浮かぶ赤色へと親指をスライドする。
あれ程騒がしかった着信音は、耳を澄ますまでもなく。
まるで音が鳴っていた事実そのものが存在しなかったかのように。
ユウカ先輩からの着信を。決定的なチャンスを。引き返せる可能性を。
断ち切って、しまった。
音を失った端末から顔を背けると、あの子と目が合う。
──ありがとうお姉ちゃん!
不安げな顔つきはどこへやら。着信を
勢い良く走り寄り、私の右手を取る。
顔いっぱいに嬉しそうな表情をされてしまえば、もう私にそれを振りほどく術はない。
頭を掠めた違和感はもうすっかりと立ち消え、今はこの子を導いてあげなければ。そのことだけが頭の中に満ちている。改めてこの子を見据える。
なぜだか、一瞬前と変わらず顔を見ているというのにようやく、この子の人となりを私の頭が認識する。視界に入っていたのに気にも止められなかった部分。
というより、ピントがあったと。この表現がしっくりくる。ピンクの髪を二つに結い。年齢より幼く見える体躯。なにより、何事にも興味を抱いているようなその瞳は。
「この子」、ではなく。私だ。
今より何年も前の私の姿。悲しい事に今であってもそれほど成長したとは言えないが、それよりも明確に子供子供している私。
朧げに、しかし正しく。私の記憶にある私の姿。
なんのことは無い。
私は私の寂しそうな姿を放って置くことが出来なかった。悲しい気持ちを抱えて放置されたくなかった。一人で迷っていたくなかった。
誰かに、そばに居て欲しかった。ただ、それだけの事。
もしかしたら、あの時抱いた違和感はそれだったのかも。そうだ。そうだった。それに違いない。一度確信に至れば、なぜそう考えなかったのか自分の認識を疑う程に間違いない。電子端末をこの頃から扱っていたか、まではさすがに覚えていないけれど。どうだったかな。地図アプリくらい見れたっけ。
なら他の事にかまけている場合ではない。私は私と遊ばなければいけない。
私の瞳に映るのは、幼い
脳裏を支配するのは、たったそれだけの、幼い私の単純な願い。
─
──
───
「にははは! ではこちらまで案内してあげましょう! 、
本当!? やったー! 探検みたいで楽しみ!」
「おや? ちょっと間違ってしまったかもしれません……、
えー!? 大丈夫なの!?」
「ふむふむ、なるほど! もう間違えませんよ! 、
やったー! お姉ちゃんさすが!」
「どうでしょうか!? ここが目的地なのでは!? 、
うーん? そうかな? そうかも!? そうだと思う!!」
「
───
──
─
その後の事は特に語ることも無く。
あの子とどうやって別れたのかはよく覚えていないが。気づけば真っ暗闇に染まったアネモネ学院跡に立ち尽くしていて。私の肩を掴んで激しく揺さぶるユウカ先輩の、涙でぐしゃぐしゃの顔と。
極限まで渇き切った喉の、今にも血が吹き出そうなな程の痛み。それがやけに印象的だった。
どうやら私が電話に出なかった後は着信さえ繋がらなくなった様で、それを不審に思ったユウカ先輩がノア先輩や先生にも声を掛けて私を探しに来てくれたらしい。
掠れた声で先輩に謝ろうとすると、言葉を遮るように抱き留められる。
それが未だに幼い
ただの、そういう経験談。
次話に解説。