これは怪談ではなく、誰かに聞かせる話でもない。自分が抱いた疑問を解決するためだけの、ただの会話。ただの記録。それだけのもの。
ただ深淵を覗き込みかけてしまった。それだけの無駄話。
*
「先生に誘導された」ユウカちゃんがアネモネ学院跡へ向かう道中、わざと私は先生と二人きりになった。確認したいことがあったから。
一度は棚上げした疑問。違和感。
「とてもよくご存知なんですね?こういった事象を」
”詳しいって程じゃないけどね。昔取った杵柄だよ”
先生がこういったことに対して知識があるというなら、辻褄が合わない。そう感じた出来事があった。少し前に起きた百鬼夜行灯籠祭での事件。それに端を発する、『クロカゲ』との大規模戦闘。
シャーレに所属する全ての生徒が駆り出される、シャーレの全力を挙げた
総力戦、それが起きること自体は珍しく無い。定期的に理解が及ばない勢力が平然とポップするのが
しかし、『クロカゲ』に関しては。あれも
それならば、なぜ先生は対処出来なかったのか?ユウカちゃんに起きた事象に、そしておそらくコユキちゃんの身に起きていた事象についても見通した程の知識があって。
いえ、対処出来ないこと自体はおかしいことではない。私が言えた義理ではないけれど、時に予測を上回る出来事が発生して対応が後手に回る、なんてことは(あまり好ましくはないが)どうしても頻発する。
だから肝心なのは、何故。なぜ先生は総力戦が起こる程に後手に回ったのか。
外的要因?それもある。事件を引き起こした者の思惑や悪意?それもある。
しかし諸々の理由を差し引いて、先生自身にも理由はあったのではないだろうか。……理由と表現するには少し毛色が違う。
原因、もしくはやむを得ない訳。こちらの言葉であれば、多少は的を得た表現になったような。そんな気がする。
違和感があった。先生はある時期から常に体調が悪そうであったことに。
そして、体調が悪く見え始めた時期は燈籠祭の直前であったことに。
その時期に、ミレニアムに数ある部活の中でも特にユニークな。「特異現象捜査部」がとある場所のとある廃墟に、ドローンを飛ばしていたことに。
普段は特異現象捜査部の活動は公にされていないし、セミナーから干渉するにも制限がかかる。
しかし、そうはいってもミレニアム自治区外へ、緊急的にドローンを飛ばすには流石に申請が必要だった。
普通であれば何十という申請の果てに許可が降りるが、それをたった一枚の簡単な申請書で通せるのはさすがと言ったところ。
申請書は至ってシンプルな物。ドローンの内容物の記載だけ。そこに記されていたのは。
その日を境に見えた、先生の様子の変化。物忘れの悪い私だからこそ気づけた違い。今までは過労かと考えていた。生徒達に気付かれないように誤魔化そうとまでしていたので敢えて触れずにいた事柄。
しかし、不可解な現象を目の当たりにした今日、一つの可能性に思い至った。
先生はずっと。「ああいった出来事」による「何か」の影響を受け続けていて、著しく身体を蝕まれている。どれ程のものかは推測になってしまうが。仮にも事件の収束に際して十全に力を発揮できない程度には深く。そして周囲に。生徒達に悟らせないように、隠している。
それが、私の抱いた確信。
「先生。ここ最近、体調を崩されてはいませんか?」
”......まあ師走ってのもあって色々忙しいから──”
「──シャーレからミレニアムまで。いえ、その大半はタクシーでの移動ですから。ミレニアムの校舎入口から執務室まで。急いでいたとはいえその移動は息を切らす程でしょうか?」
「階段を使用しましたか?」
「いいえ、いたずらに階段で移動するより
EVを使用した方が結果的にユウカちゃんまで迅速にたどり着きます。あの状況で、より遅い手段を選ぶ必要が有りません」
「ユウカちゃんも私も、お世辞にも体力があるとは言えないですが。それでも流石にその程度では体力切れは起きませんから、先生なら尚更だと思います。本来であれば」
「普段から誰かと会話する機会の多い先生が、あの量の解説程度で息が上がりますか?」
「十月頃から呼吸回数が増加傾向にあります。平均して10%程ですね。それに伴い、鼻から息を吸った後、追加で口からも空気を吸う。……まるで、足りない酸素を補うような。そんな癖が増えた自覚はありませんか?」
「最近は化粧にご執心のようですが。青ざめた顔色をファンデーションとコンシーラーで隠しても、唇の血色までには気が回らなかったようですね。それか、見慣れすぎて見落としてしまっていましたか?......こちらも二ヶ月ほど前からでした」
「──セミナーの暖房は、お体にあいませんでしたか?いつまでもネックウォーマーを外さずにおられましたけど」
僅かな運動による息切れ。呼吸回数の増加。青ざめた顔色に、むらさき色の唇。
医学知識に乏しい私でも分かる。いわゆる酸欠、酸素欠乏による症状の代表例だと。
専門家であれば更に詳しく分析が可能だと思うけれど私の知識ではこれが限界。それでも、先生を問い詰めていくには十分。
ゆっくりと、右手で先生の
首元を温める目的。
首を、首元を隠すこと。
”……私、そんなに分かりやすかった?”
観念したかのように、先生がネックウォーマーを外し。そこに見えるものに対して、思わず息を呑む。身の毛がよだつ。
みちみち。ぎちぎち。
そんな擬音が耳に届くかと錯覚するほど。
絞め付けられている。
絞め付けられ続けている。
びっしりと、鱗の痕が先生の首へ浮かび上がるぐらいに強く。……時折、鱗の痕がうぞうぞと蠢いているのが見えて。
そこにあるなにかは、先生の首を、先生を苦
そう、確信した。
「……先生。それは」
何かを言おうと。けれど、明確に意味を持つ言葉を形成する前に解けてしまい。結局は、先生の言葉を待つだけになった。
”蛇だよ。……ノアの言う通り、十月頃かな。今回みたく生徒が怪異に行き遭ってね。それをどうにかしに行ったんだけど、途中で私がトチっちゃってさ”
軽い溜息と共に、先生が言葉を紡ぐ。
”色々あって、私の……なんていうかな、身代わり人形?みたいなのを置いていくことで事なきを得たんだ。けど代償に、次は私が蛇に絞め上げられることになってさ”
ま、呑まれるよりはマシだよ。溶けないからね。
そう言って先生は微笑む。首に見える絞め跡をまるで意に返していないかのように。
「……その場にいなかった私に何かを言う権利が無いのは承知しています。その上で言わせて下さい」
「『それ』は、他の人が肩代わり出来ないものなのですか?だって……あまりにも」
例えばユウカちゃんが。コユキちゃんが。もしこの有様になっていて苦しい思いをしていたなら。
他の誰かが変わってくれないだろうか。なんて思ってしまう。勿論、知人友人でなければ辛い思いをしたって良いという意味では絶対に無いが、それでも反射的に浮かぶ考えをかき消す事なんて出来ない。
あまりにも痛々しい。
だってこれは、延々と拷問を受けているようなものだ。ほんの少しの力で、喉の中心を抑えてみたって、かなりの苦しさを感じるのに。
それをあの強度で。いっそ私が。憎からず思っている人の苦しみを軽減できるなら。全ては無理かもしれないけれど。その一部分でも。
そう考えての発言は、先生の言葉に遮られて消えていく。
”ありがとう。でもそれは出来ない。これは私だからこの程度で済んでるんだ。肩代わりなんてしたら本当に死んでしまう”
「それは
当番であるとか。シャーレの所属であるとか。そういう事ではなく。もっと。それとも
そう思っての言葉は、予想外の角度から弾かれた。
”私が生徒が身代わりにするなんて論外。それはあるよ、勿論。けれど、根本的な理由はそれじゃない。私が先生だからというより
”生徒達とは相性が良すぎる、いや、悪すぎるんだよ。反面、私は良くもなく悪くもなく。フラットって感じかな”
相性、とは。何と何の。先生は多分、意図的に言及を伏せた。片方は生徒だろう。文脈から察するにそこは間違いない。ならもう片方は?
先生の話していた蛇?いや、恐らく──。
そこに気づいて良いのだろうか。気付いてしまって大丈夫なのだろうか。不意に。先程の「うらきり太郎」の解説が脳裏にひらめく。
まずい。この考えに至るべきではなかった。そう思っても、思考が止まらない。
誇張されようと、変質しようと。本質からは逃れられない。テクスチャを貼り替えたところで。骨子は変わらない。それは、「うらきり太郎」に限っての話ではなかったのでは?もっと大きな括りで、カテゴリで定義するなら、「怪談」の本質、骨子の話。
『大事なのは
それと、
『相性の良すぎる、「生徒」』。
──の本質とは、怪談の本質と同等?
──と怪談は、ただ、誇張と変質のベクトルが異なっただけの、
”……ア!ノア!”
先生の声で、不意に思考から引きずり戻される。私は今、一体何を考えていた?
ひらめきが言語化される前に、引き戻されたことに安堵する。忘れることが苦手な私は、一度形にしてしまえば考えずには居られなくなってしまうだろうから。
自分の口から漏れ聞こえる呼吸が、ひどく浅い。それを整える為に意識して大きく、息を吸いこむ。肺に冷たい空気が満ちる。酸素が体中を巡っていき、思考が冴えていく。
”改めて、気遣ってくれてありがとう。でも大丈夫。これは私の担当すべき事柄だから。むしろ、ノアにはアドバイスを貰えたら助かるかな……上手い化粧の仕方とかね”
先程までの雰囲気を壊すため、と言わんばかりに先生が明るい口調で話しかけてくれる。未だに絞め付け跡が残る首筋はそのまま。
けれど私には、もう肩代わりを提案することは出来ない。覗いてはいけない、考えてはいけない。そういう深淵に触れてしまいそうで。
「……アドバイスですか?ええ、任せて下さい」
化粧品であったり、十月以前の先生の様子に近づけるための。それだけなら多分、大丈夫。きっとそれは、私が適任だろうから。
”じゃあ、そろそろユウカとコユキも合流できてる頃合いだと思うから。私達も向かおうか”
ネックウォーマーを先生が付け直す。もう首の絞め跡は隠れてしまい、そこに立つのはいつも通りの先生の姿。
───
そうして私達は、ユウカちゃんとコユキちゃんの元へと戻る。答えは得た。収穫はあった。けれど同時に手放した。
もっと近づける人は居るだろう。もっと遠くでしか関われない人も居るだろう。
けれどここが、この深さが、私にとっての分水嶺。日常と
そしては私は、引き返すことを選んだ。
閑話休題。