年の瀬も迫り、十二月の最後の土日。
今年一年は補習授業部としての活躍が多くて、正義実現委員会としてはあまり活動できなかったから。実際の所属は、今は正実から外れてはいるけど、そのうち戻るし! 今からでも、少しでもなにか貢献したい!
「ですから、なにか少しだけでもお仕事ありませんか、ハスミ先輩!!」
「……」
「…………」
「ええと、そうですね.……申し出は大変ありがたいのですが……」
「押収、いえ、備品室の整理? それくらいなら任せても……。しかしコハル、一口に整理と言ってもかなり数があるのでとても一日では」
「! 分かりました、ありがとうございます! 早速取り掛かりますね!」
「あっ、ちょっとコハル……行ってしまいましたか……」
久々の正義実現委員会としての仕事を言い渡されたのが嬉しくて、急いで出てきてしまった。また倉庫整理なのはちょっぴり不満が無いでも無いけど。
でも、せっかくハスミ先輩に任されたんだから、バッチリ熟してみせる! ……最後の方、なんて言っていたか聞き取れなかったけど、多分大丈夫!
全部終わらせたあと、また話を聞きに行けばいいだけなんだから! そう喜び勇んで、ハスミ先輩に指示された場所に着いてみると。
想像の三倍くらいの広さの倉庫だった。
……どうしよう。これ、私一人では終わらないかもしれない。
───
──
─
”……で、私が呼ばれたって訳? ”
「そ、そうよ! きっと先生は年末暇しているかなって! それにほら、先生が変なことしないか見張ってなきゃいけないから! こうすれば一石二鳥よ!」
お昼時を少し過ぎた十四時頃。モモトークで先生に助力を……いや、監視するために呼び出した。
寒さも厳しくなるこの時期、首元に付けているネックウォーマーが暖かそうで羨ましい。私もマフラー持ってくればよかったかも。
……大丈夫。きっと仕事にかかればそのうち暖かくなる。
”あはは……ま、大丈夫だよ。じゃ、早速取り掛かろうか”
「う……はい。お願いします……」
素直に手伝って欲しいとは言えてないけど。流石にこの状況でいつものような会話につなげることは出来ずに。
ぺこり、と頭を下げて感謝の意を表した。
*
中に入ってみると見た目通りの広さになっていて。一歩足を進める事に積もった埃が中を舞う。それに光が反射してキラキラと光るくらいには長らく、誰も使用していないことが見て取れた。
二人で中をぐるりとめぐりながら、並べられた品々を見ていく。等間隔で並べられた棚に無造作に積まれた様々な物品。
バット、ヘルメット、ガスマスク、などなどの明らかに押収品だと分かるものから、ノートに筆記用具、用途が不明な黄緑とピンクで色分けされた三角コーンまで。多分こちらは備品かな? そのどれもが埃を被っている。
”けほっ.それにしてもここ、広いね。ただの倉庫って言うよりは備品と押収品がごちゃまぜになってる感じがする”
「あ、うん。そうみたい。正実の活動が大きくなる前に使用されていた古い倉庫で、押収品と備品が一緒になっちゃってるからそれを整理して欲しいって」
ハスミ先輩から追加で飛んできたモモトークにはそう記載されていた。それと、細かく分類する必要はなくて、押収品と備品で大まかに仕分けておくだけで大丈夫だと。
……ついでに言うと、元から一日で完了できる想定では無かったとも。
ハスミ先輩と直接あった時、言いかけてたのってもしかしてそれだったのかな。先走って出てきてしまって、よく話を聞けていなかった。反省しないと。
”じゃあ、そろそろ始めよう”
先生のその言葉を合図に、整理を開始する。よし! 私も頑張らないと!
「あ、私向こうから見ていくから! 先生は上の、私が届かない所の物をお願い!」
”おお、コハルがしっかりしてる……! 了解。気をつけて、怪我しないようにね”
「ちょっと、それどういう意味!? 私はいつもしっかりしてるってば!」
もう。先生ったらすぐ私をからかうんだから。こほん、と咳払いを一つ。気合を入れ直す。そうして私と先生の、年末の大仕事が始まった。
───
──
─
それにしてもすごい量。なんでここにしまわれたのか想像がつかないものも沢山ある。
凄く分厚い装丁の本。
錆びついてしまったロケットランチャー。
細長い桐の箱。
バラバラに分解されたハンドガンの部品達。
何かの……なんだろう、抜け殻?
黒い羽で出来た羽ペン。
そんな良く分からない品々を相手に、がたがたごとごとと整理していく。一つの棚に一緒くたに置かれている押収品と備品を別の棚へ。それぞれに分けて並べていく。あまりに埃が酷いものは払って。そうして作業すること一、二時間ほど経過した頃合い。
「痛っ!」
作業への慣れと集中力が低下したのが悪かったのか、鋭い金具の角で指を切ってしまった。
”コハルー? 大丈夫ー? ”
「あっ、う、うん! 大丈夫! ちょっと指を切っちゃっただけ!」
”それはあんまり大丈夫じゃないね……。一旦休憩にしよう。まずは手当しないと、傷跡からばい菌入ったら大変”
ちょっと離れたところで、脚立を立てて作業していた先生が私に声をかけてくる。せっかくいいペースで作業できてたところだったのに。
……本当の所は自覚がある。さっきは先生に「しっかりしてる!」って言い返した。でも。本当はちゃんと出来ていないことくらい分かってる。
今年は色んなことがあまり上手いこと出来なかったけど。来年の自分は、今のこんな、様々なことが上手く出来ない私から変われるかな。
今の自分とお別れして、新しい私へと。
そんな事を考えていたせいか、一冊の古びた本が目についた。傷を洗いに水道まで向かう道すがらの、まだまだ整理の終わっていない棚の角で、隅っこで埃を被っている本。
装丁はなんというか、和風だ。正義実現委員会やトリニティにあるよりは、百鬼夜行にある方が似つかわしい。
怪我をした手と逆の手でとって埃を払うと、掠れた表題が目に入る。読んでみようとするけど、漢字が読めない。
勉強があまり得意ではない事を(受け入れ難い事実だが)除いても、みみずがのたくる様な意匠で文字が書かれているのが良くないと思う。
”コハル? 傷洗ってこれた? 救急セットはこっちにあるから──”
脚立から降りた先生が、私にそう声をかけてくれる。少し離れた位置にいるから、声も相応に遠い。そんな先生に見えるように、本を上に掲げて先生へと降ってみせる。
「うん、ありがとう! ……ねえ先生、こんな物があったんだけど」
当初の目的だった水道へ行くことも忘れ、本を持って先生の元へ歩きながら、本を逆の手に持ち替えて。ズキッとした痛みが走り抜ける。そうだった、私、こっちの手は怪我しているんだった。本を見れば、ちょこっとだけだけど私の血で汚してしまったみたい。……だ、大丈夫だよね? これ、学校の備品とかじゃないし……。
気を取り直し、私の側へ表紙を向けて再度タイトルを読めないか試してみる。
「『たち』……? 『─』……? 読めない……べつ、でいいのかな? この後は……」
かろうじて読めたっぽい部分を声に出してみる。その時だった。私の声が耳に入ったのか、先生がこちらを向いて。
”ちょっ、コハル!? なに持ってるの!? と言うかなんでそんな物ここに.!? ”
いつもでは考えられない程に慌てた声音。血相を変えて私の元へと走って来ている? え、ちょっと、先生!? まだ心の準備が!?
それまで古びた本に夢中だった私。けれど目に入った先生の様子に、一気に集中が吹き飛んだ。だってそれは。そういうのは。私のよく読む本の中でも特に憧れ、こほん、目につくことの多い展開だったのだから。気になっている男の子が、自分の元へ強引に走り寄ってくる、なんて。
──お、男の子が強引に女の子に駆け寄ってくる展開! や、やっぱり先生ってばそんなことを考えて! そんなのダメ! ──
私はもうパニックになってしまっていた。舞い上がっていた。だから失念していた。そんなことばかり考えていたせいで。
なぜ。物語の中で、主人公は女の子に慌てて走り寄るのかを。
えっちで死刑な展開になるのは八割方、問題や試練を乗り越えた先のご褒美的なシーンで。(最初っからご褒美もたまにある、実に死刑!)大体はその前段階。
──女の子に、危機が迫っているから。急いで駆けつけようとする。そんな当たり前のお約束が、すっぽりと認識から抜け落ちていた。
”間に合わな……! 絶対に離さないでコハル!! ”
私の目の前まで駆けてきた先生が、私の手を取るのと同時。古ぼけた本が光を放つ。
赤と黒の禍々しい光が倉庫を満たしていく。そして。視界に並ぶ押収品の棚の群れ。その奥の、隅っこに一匹の動物の影が見えた、ような。あれは確か。
──
*
「ちょっと今の何!? 何が起きたの!?」
流石にこの事態で取り乱したのはしょうがない、と思いたい。だって、自分の手の内にある本が光って、しかもあんな、禍々しいの実体化そのものみたいな。そんなものがたった今、私の目の前で。
”大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて”
不意に右手から感じる、かすかに痛みさえ覚えるほどの強い強い圧迫感。つないだ手が握り締められている。その感触で、今自分の傍に誰がいるのかを遅れて思い出した。
「……ッ! ……うん……大丈夫、なのね?」
”それはこれから確認。けど、慌ててたら本来大丈夫なものまで、大丈夫じゃなくなるからね”
張り詰めた声。けど焦ってはいない、そんな声色。周囲を見回すより先に、先生が言葉を続けた。
”一旦、棚の陰へ”
つないだ手に先導されて、近くの押収品棚の足元へ、先生と二人でしゃがみ込む。先生は周囲をきょろきょろしていて、何かを警戒しているみたい。釣られて周りを見回すけれど、特に何も感じない。
……違う。
一拍置いて理解する。逆だ。何かの気配が多すぎる。別に私は戦闘の勘が冴えていたりだとか、そんなことは全くない。そんな私でも、直感的にそう思った。
しゃがみ込んだ棚の陰を覗けば何かがいる。
私の真後ろの棚から誰かが私を見ている。
私の頭上から生暖かい息が当たっている、
ような、気がする。
普段、─ナコが私を驚かせようと、ほんのすぐ目の前の物陰に隠れたりしているものでさえ全く分からない私でも感じられる。まるで、見つけて欲しいのかと思うくらいに。すぐそばに、何かがいる。
思わず身が震える。振り向いた先に待ち構えている何かに、齧りつかれたりさえしそうなそんな気配。けれど、先生の声が耳に届いて、少しだけ落ち着きを取り戻せた。
今私が感じている直感がまやかしだと、そう教えてくれるかのような声。そのおかげでどうにか、平静を取り戻すことができた。
「ま、また、先生がなにか私をからかおう、と。そ、そうしてるんでしょ!? まったく! だから私が傍で見てあげて、い、いないといけないんだから!」
少なくとも、そう思い込むことくらいは。……頑張って、いつもの通り振舞おうとした結果がこれだけど。支離滅裂で、前後の文章が繋がってないことは、この際大目に見て欲しい。
*
仕切り直して、先生が言葉を続ける。
”まず、今起きたのは、一種のお呪い”
「お……まじない?」
その言葉で最初に閃いたのはこっくりさん。あんまり詳しくないけど、小銭を使って答えを聞いたりなんてするやつ。
”うん。こうなる直前、コハルが本を持ってたでしょ? 十中八九、あれが今回の原因。最初に言っておくけど、今こうなっているのは本当に単なる偶然。万が一にもコハルが悪いなんてところはどこにもない”
私が拾った本のせいで。そう思考が飛びそうになった先を、先回りで封じられていた。でも。その言葉で。少しだけ救われた気分になった。
「あ、そういえば! 先生、この本の事知ってるの!?」
思い出し、手に持っていた本を先生に見せる。さっきの赤黒い光は夢だったんじゃないかと思えるほど、本の様子は何も変わっていない。本が光を放つ直前の先生の言葉は、この本を知っていないと出ない台詞だった。
”直接見たことは無かったけどね。こういうのがあるよっていう話くらいは小耳に挟んだことが。……まさかトリニティで実物を拝むことになるとは思わなかったけど”
どこでどんな風に聞いたんだろうか。すごい気になる。だけど、今はそれを気にしてられる余裕はない。知っている人がいるなら都合がいい。そう考えるべきだ。
それより今は、この本がなんなのか。お呪いとはいったい何か。それを確かめることが先決。
「そもそもこれ、なんて読むの?」
「……! べ、別に私が漢字苦手って訳じゃなくて! こんなに字体が崩れている文字なんて見るの初めてだったから!」
”分かってるよ。テストならともかく、本物の行書体なんて読めないよね。……これは”
”
そうして先生は、未だ私の手の中にある本のタイトルを口にした。
*
「え、えんきり、って……」
”文字通り。誰かとの関わりを断ちたいとか、自分の人生に出てきて欲しくないとか。少し変わったところだと、物との縁切り、なんてのもある。物欲を断ちたい、お金を使いたくないって考えも間接的に当てはまる。そうだね……断捨離がイメージしやすいかも。そうして、一念を抱いて。藁にでも縋る様な思いで、あるいは”
”執念を込めて、繋がりを断つ。──お別れを、する。そういう、お呪い”
「そっ……ッ」
そ、そんなものある訳ない!
そう否定するには、手にする本から漏れる光が禍々しい。まるで、先生の言葉を全力で肯定するかのような。それに。先ほどから私と先生以外の誰か、何かの、獣じみた気配が無くならない。
倉庫の整理をしている時には一切感じなかった「それ」は、確かに、先生の言うおまじないが始まってから感じている。
あれ、そういえば。そもそも何でこのお呪いが始まって──。
”いや。今はこの話は重要じゃない。問題はこの状況を脱する為に何をすべきか、だよ”
……思考が形になる前に、先生に遮られてしまった。でも。先生の言う通り。何をすべきなのか。それを冷静に考えないと。そういう事ができる─スミ先輩に憧れて、私は正実に入ったんだから。それに。本人に言えたことは無いけど、いつかの時、自分の出来る事をしっかり考えて行動できた──サにも。
……? なにか、変だ。あれ? 言葉で言い表せない感覚が、訴えてくるものがある。……早く終わらせた方が良いと。
”とはいえ、実はこのお呪いを破棄するだけなら簡単なんだ。元々、人に掛けるものというより自分自身に能動的に行う側面が大きいからね”
”『
このお呪いは終わる。
まあ私も初めてだから推測も多く混じってるんだけど、と先生はそういう。
「は、早く出来るなら先にそう言ってよ! すっごい不安になっちゃったのに!」
嫌な直感が鳴り止まなくて、背筋が冷たくなるような錯覚。それを振り払いたくて。本の端を両手に掴んで思いっきりひっぱろうとした瞬間。先生に止められた。
”待って。その前に確認したいんだ”
「なんで止めるのっ……って、確認?」
”うん。コハルも私も。お呪いが始まってから、無くしたもの、落としたもの、無い? ”
”縁切りってそもそも、
”逆に言えば。今この時この状況で、自分のモノを、身に着けているモノを無くしたなら。そのものとの
”一方的な契約破棄。そういう形で終わらせてしまったら。断ち切って別れた
先生は、私と繋いだ手を目の高さまで上げて言葉を続ける。
”だからお呪いが始まる直前、私はコハルと手を繋いだ。仮に、お呪いの始まりと同時にコハルと離れていたせいでコハルとの縁切りが起きないとも限らなかったから”
”その上で、もう一回確認。お呪いが始まってから、無くしたもの、落としたもの、無い? ”
「あ、あはは……。流石に先生私の事バカにしすぎだってば……そんなミスなんてする訳……」
反射的に軽口を叩こうとして、失敗した。つないだ手と反対の手で、震える自分の体をまさぐった。
帽子、ある。リボン、着けてる。──から半ば押し付ける様に渡されたペロロ、様のキーホルダー。持ってる。
三十秒もかからず、全部のポケットを調べ終えた。
……。
…………。
「……ねえ先生。縁切りのお呪いで捨てるものって、なんだっけ?」
”……相手との縁のある品物。貰ったプレゼント、贈られた手紙、思い出の写真。そういうものだね”
「じゃ、じゃあ」
「相手の連絡先がいっぱい入ってて、モモトークでたくさんやり取りしてて、お互いに取り合った写真がいっぱい入ってる」
「──なんて」
”……スリーアウト、ってところじゃない? ”
スマホが、無くなってる。
*
いつ? どこで? 最後に使ったのは? 必死で記憶を掘り起こす。思い出さなきゃ。こんなことで友達と、先輩とさよならなんて嫌。そうだ。前に、効率的な失せ物探しのやり方を聞いたことがあったような。うん。毎度のごとくからかわれつつだったから覚えている。
えーっと。誰に、だっけ?
……もう影響が出ている。あんなに変なことばかり言ってる子の事なんてそう簡単に忘れるはずがない。何考えてるの私。そんなことより、スマホを探さないと。それが一番大事。別に、仮に忘れたってまた会えばいいだけだし、それより優先すべきなのは──。
”分かった。その様子だと、スマホを無くしたか、あるいは取られたかしたんだね。ならすぐに本を破るのは悪手だから……コハル? ”
──ハッとした。先生の声で意識を引き戻される。心臓が早鐘を打つ。一瞬の隙間で、自分の頭に広がった考えが恐ろしい。
私は、今、何を考えた?
違う。もっと正しく言うなら。
優先順位が下がった。
そこまで考えて、思い至る。
そっか。そういう事か。お
相手を、何かを、
嫌いとも好きとも思わない。どうでもいい。誰かに指摘されたら、
「ああ、そんな人もいたかもね」「そんなもの持ってたっけ」
そんな風に思い出すかもしれないけれど、きっかけさえなければ思い出せなくなるくらいに。万が一機会が来たとして、欠片も自分の感情が動かないくらいに。自分との関わりが消えて欲しいんだ。何よりも自分の頭の中から、居なくなって欲しいんだ。
まずい。
何がまずいって、今抱いてる焦燥感さえも。その内無くなってしまう。スマホを取り戻したいと願う根源の思いが風化して消えてなくなる。
そんな漠然としている、けれど絶対の確信。
事実。今この瞬間にさえもかすかに、わずかに。そんなこと無いと否定しているのにもかかわらず。
面倒くさい。
そんな思いが、心のどこかをもたげている。
嫌だ、私の友達、仲間。尊敬する先輩。そんな人たちと。疎遠になんてなりたくない。
面倒くさい。さっさとスマホを探して作業を続けないと。
相反する考えが頭をぐるぐる巡る。おかしくなってしまいそうだ。
強く強くつないだ先生の手を握り締める。思考を塗り潰されない様、力を込めた自分が痛みを感じるくらいに。多分先生はもっと痛いかもしれないけど、今だけは許して。そうしないと。自分のじゃない思いが溢れて止まらなくなってしまう。
それになぜだか、先生に対してはどうでもいいと思っていない。そう認識できる。
予想はつく。手を繋いでいること。多分そのおかげ。写真よりも手紙よりも強い、
「その場にいる」という
反面、この手を放してしまったら。きっと私は。
……自分の想いがねじ曲がってしまう事がこんなにも怖いだなんて、考えたこと無かった。
「先生……私、こんなのでせっかくできた友達と離れるなんてのやだ……!」
”そうだよね、分かってる。早く終わらせよう”
先生が繋いだ手の甲で、涙を拭ってくれる。……別に泣いてなんてないけど。その気遣いは嬉しい。
「ちょっ、あううう……っ。て、手馴れてるのはなんかエッチ! ダメ!」
”ええ……”
それに甘えて、無理やりいつもの言葉を口に出す。まだ大丈夫。私は私のまま。……死刑! とはちょっと、口に出来なかった。
*
こほん。
気を取り直して、先生に疑問をぶつける。
「そ、それで先生。ちょっと気になったんだけど。さっき、取られたかもって言ってたよね? あれ、どういう意味?」
”
”こっちは『こいつに誰かとの縁の品を持って行かれるな、嫁だろうと親兄弟だろうと疎遠になってしまうから』っていう、むしろ警戒を促すような形なんだけど、縁切りを願う人たちにとっては渡りに船みたいな話だったのかも。ほら、名前も似てるじゃない? ”
”ともかく、縁切りのお呪いなら。それこそ、その獺に叶えて欲しいと願われていてもおかしくないなって”
「だから、私のスマホもそのたちきり……かわうそ? に持って行かれたのかもって事?」
”そう。そういう事。縁切りのお呪いを行った本人が持っている、人との縁がたっぷりと詰め込まれた品。獺に狙われる条件は十分に満たされてる”
話は分かった。一応。けれど。だからといって状況は改善していない。むしろ、悪くなってる。
もし、私がただ落としただけなら探して見つければいいけど。その獺が悪い事考えて、隠したり壊したりしてしまったら。もう私は、友達と友達でいられなく、疎遠に。お別れすることになってしまう。このままなら。そうなる。
どうしよう。どうすればいい。いつになく働く私の頭。友達と疎遠になるのはもちろん嫌だし。なにより、それをそのままでいいと。そう思ってしまう自分になんてなりたくない。
だから思考する。無くしモノがある時はどうやって探す? 私が無くしたのは。手紙や写真じゃない。いつか──が言っていたのは確か。
無くしモノに目立って貰えばいいとか、確かそんなようなことを言っていた気がする。
それに私は今、一人じゃない。横にいる先生が言葉をこぼした。
”せめて目印でもあれば良いんだけどね”
──閃いた!
「ねえ先生! 先生は特に何も無くしたりはして無いでしょ!? だったら!」
「スマホ持ってる!?」
”もちろん。あるよ”
それならいける。落とした時に壊れた可能性もあるけど、それは一度試してみてから考えたって遅くはない。
「私に電話して! それで、着信音で探せばいいの!」
スマホを無くした時の基本の探し方。状況が異常だから忘れていたけど、別に機械そのものの使用方法が無くなった訳では無い。
”分かった。ちょっと待ってね”
そうして先生がポケットからスマホを取り出す。少し操作して、耳に当てる。先生がスマホを使う、わずかな空白の時間。
周りが静かだからか、やけに周囲の気配に敏感になっている気がする。特に、ずっと感じていた何かの気配。それも、説明を聞いて納得がいった。
一番最初、私の視界の端に映った動物の影。そして、お呪いが始まってから感じていた第三者の気配。
多分全部、
ともかく、それが私にちょっかいを掛けようとしていたんだ。
”コハル”
名前を呼ばれた。見上げれば、先生と目が合う。果たして、私のスマホは鳴ってくれるのか。
ピリリリ。
「……ッ! 聞こえたッ!」
耳を澄まして、音の方向を探す。音が鳴り続けているから多分スマホは壊れていない。これなら見つけられる。少なくとも、最悪の事態は避けられる。
目を閉じる。視界が狭まるとより音を鮮明に感じられる気がする。
分かった。私達の立つ方向から十一時の方角、二、三区画程離れた地点の備品棚の下のあたり。恐らく台の下に潜り込むような形で鳴っている。そういう音の反響がある。
急いで向かわないと。スマホを回収して、早くこの本を破く。その為に。速く。
友達の名前が思い出せなくなる。いや、もう既に始まっている。さっきから、誰かの事を思い出そうとしても名前が出てこない。辛うじて思い出はまだ出てくるけど、肝心の名前が。鉛筆でぐしゃぐしゃに塗り潰したみたいに。
次は何を忘れる? なんの縁が切れていく? 確か──は、人が人を忘れる時は、まず声が思い出せなくなる。そんな話をしていた。なら声を忘れて、思い出も、感情も、全て忘れる? そんなの嫌!
だから早く! そればかりに意識が集中して、すっかり忘れていた。スマホがあろう位置に足を向けて走り出した瞬間、がくん、と。体がつんのめる。
私は今、先生と手を繋いでいた。だから、その手に引っ張られるように。移動するのならせめて一声かければ合わせて走り出してくれたのに。私が一方的に急いでしまったから。
それだけならよかった。私がケガするだけで済む。けど違う。それで終わらない。むしろ隙を見せてしまった。じっとチャンスを伺って来ていた何かに対して。緊迫感に満ちた先生の声がそれを教えてくれる。
”──コハルッ! 右! ”
声につられて首を向ける。そこに見たのは。
襲い掛かってくる、一匹の獣。大きさは多分一メートルくらい。いつか写真で見た時には愛嬌のある可愛い顔をしている、だなんて思ったけど、とんでもない。今私の目に映る獣は目が血走り、歯を獰猛にむき出し、なにより、
爪が異様に大きい。
体長の半分程度の大きさ。普通の生物ならあり得ない。こんな体に見合わない爪なんて、生活に支障をきたす。だからこれは普通の獣じゃない。……普通の、
何かを引き裂くことだけを目的として発達した爪。何か? 決まってる。
そんな
対して私は、重心が後ろによって、倒れかける寸前の体勢。バランスが崩れ切っていて、一歩前に進むにも下がるにも、ワンテンポ遅れてしまう。だから。
もう、どうにもならない。
このまま断ち切られて、先生の事をどうでもいいと。思い出したくもないと、思うようになってしまうのかな。
例えスマホを取り戻せても、機械越しより強い絆である実物の体ごと、縁を断ち切られてしまったら。最初は大丈夫でもいずれ。
名前を忘れて、声を忘れて。そうして思い出すのも億劫になり、やがて疎遠になるような。そんな
未来を想像して、身が竦む。体が強張る。無意識の内に目をギュッと閉じてしまっていた。
”ッ!! ”
「──ひゃあっ!?」
ぐいっ。
力強く引っ張られる、そんな感覚。
気付けば、両足が床から離れて宙に浮いて。思わず目を開ける。視界の先を、体に不釣り合いな大きな爪が横切って行った。
同時に、先生の腕の中にすっぽりと収まる。
え?
私いま、先生に抱きしめられてる? つよく先生の体温を感じ──ッ!!??
「あっわわわわっちょっとまってこんなの」
”悪いけど今はこのまま行くから! 舌、噛まないようにね! ”
「は、はいっ!?」
一瞬で頭が茹で上がって、こんな時だというのに先程までとは違う緊張で体が強張る。
先生は私を抱えたままいまだに着信音を鳴らし続けるスマホの元へと走り出す。断切獺から逃げる様に。いや、事実逃げている。追い付かれる前に、私のスマホへたどり着くために。
そんなに真剣に先生が頑張っているというのに、私ときたら。
繋いだ手は離されて、けれど先程以上に近く。私は両腕でしっかりと抱えられている。
片腕は私の腰の少し下、お尻と腿の間くらいを支えて。もう片腕は私の背中から肩にかけてをホールドしている。だけどそれでも流石に私に気を遣う余裕はないみたいで、ガクガクと体が揺れる。
このままでは落ちてしまいそう、なんだけど。
私は今、片方の手に例の本を持っている。だから。もし仮にもう片手で先生の服をつまんでも、きっと私の握力では足りない。落ちてしまう。
そう、だから。
この振動に耐えるには。本を持った手を、先生の首筋に回すしか無くて。決して自分の意志ではなく。状況が許さないので仕方が無い事。
考えれば他に正解はあるかもしれない。でもそれを導き出すにはあまりにも頭が沸騰している。
ぎゅっ、と。しっかり。落ちないように。
……ここまで先生と近づくなんて。いつか先生に迫られた時よりもそばに。……
ネックウォーマーに覆われていて、首筋は見えない。それでも見えるあごのラインとか、肌とか。ちょっとがさがさしてて。全然自分とは違うんだなって。異性、だと。脳裏に焼き付く。そんな距離。
……やっぱりダメ、こんなのエッチすぎる。
”コハル! 拾って! ”
「あっうん! ひ、拾う!」
時間にするなら十秒も行かないくらい。そんな夢のような、こほん、ただの。ただの移動時間は終わって、現実に引き戻される。背後には変わらず、断切獺の気配。到着したのは、私のスマホが落ちているだろう棚の前。相変わらず着信音が響いている。
スマホを拾うので片手を開けないといけない。なので本を掴んでいる腕の、手首を先生に掴まれた状態で。しゃがみ込み、反対の手を伸ばす。無造作に動かして、指に引っかかったストラップを軸に一気に引っ張り出す。
「拾えたよ先生!」
”了解! ”
膝を床に付けて、ほとんど寝っ転がっているような状態。行儀は悪いけど今はそうも言ってられない。そんな恰好で無理やり首を曲げて先生の方を見れば。今まさに断切獺に切りつけられようとしている。間に合わな──。
「せっ、先生!?」
”大丈夫! しっかり本を押さえて! ”
「わ、分かった!」
さっきとは違う。もう諦めない。言われたことを全力で。本の端をギュッと強く握りしめた。先生は、私の手首から手をスライドさせ、その反対側を握り込み。私と先生の間に本がある状態を作った。……皮肉なことに、縁切りの本が私達を繋いでいる。
そしてそこに、鋭い爪を振り被った
”一方的に破いたのはそっちだからね”
言葉と同時に爪が本にぶつかり、振りぬかれる。
私の持っている本が。
断って、切って、別たれる。
それが、お
*
その後の事は特に語ることも無く。
本を破けばお呪いが終わる、との予想は当たっていて。後に残されたのは、緊張続きで息が整わない私と先生。ビリビリに破れた、古びた本。
「あ、あの先生……」
”ん? どうしたの? ”
「助けてくれて、危ないって分かってるのに私の手を取ってくれて、ありがとう……。おかげで、縁が切られなかった……!」
”どういたしまして。私も、コハルと縁切りになんてならなくて良かったよ”
「! ま、またそんなこと言って! もう大丈夫でしょ!?」
…………数舜前まで繋いでいた手の名残を惜しむかのように数度、離した手を結んで開く。まだ少し、ぬくもりが残ってる。
「あっそうだ! 私、スマホ壊れてないか確認してみる!」
拾い上げたスマホを操作して、モモトークを立ち上げる。見ると数件の未読。
一件はハスミ先輩から。進捗の確認と作業量の心配していたとの連絡。
一件はヒフミから。差し入れを持って行くからとの連絡。
一件はアズサから。ヒフミと一緒に行くというのと、人手が足りなければ手伝う旨の連絡。
一件はハナコから。ハナコも一緒に来るというのと、先生と二人っきりな事をからかう、そんなメッセージ。
…………そのメッセージでさっきの状況が脳裏によみがえる。先生へ抱き着いたまましがみ付くだなんて、かなりすごい事しちゃったよね!? 私もう、先生にエッチ! 死刑! だなんて言えないくらいに!
”……コハル? 大丈夫? そういえばそもそも手のケガ──”
「大丈夫、大丈夫だから! 問題ない、大丈夫! それよりあんまり近づいたらダメ! まだ覚悟できてないんだから!」
”覚悟? ”
「~~ッ! 何でもない! 傷、洗って来る!」
墓穴を掘りまくってしまい、恥ずかしくなって、戦略的撤退を試みる。元々の目的だった水道へ駆け出す。──もうすぐ友達が来る。決して数は多くない。けれど大切な仲間たち。そんな三人に会えることに期待が膨らんで、口元に笑みが浮かぶ。
友達との「お別れ」なんて、もうどこにも存在しなかった。
これで深夜のシャーレに遊びに行ったらシリーズはひとまず完結。