ドレンは鞄の中に入れていたミネラルウォーターが入ったペットボトルの封を切った。
水を2口飲むとキャップを閉めてペットボトルをテーブルに置く。
「グラナダの水は美味いな」
グラナダで流通しているミネラルウォーターは再生水であって地球の湧き水のような出所ではない。
「昔、地球生まれの新兵を教育してた時だ。『再生水はまずい』と言っていたな。『誰のおしっこかも分からない再生水』、懐かしい…」
「その人は今?」
「死んだ。若い子だったよ。世界はその子が生きることを許さなかった」
容量が少し減ったミネラルウォーターを見ながらネスカは話の続きを聞こうとした。
ドレンが語る第2次ソロモン会戦の話をネスカは頭の中で整理しようとするが、中々頭に入ってこない。
ネスカはドレンへのインタビューのためにシャア達のことは予め勉強してきたつもりであった。
戦後にジオン公国が出版した公式戦史を始めとした関係者への取材を行った書物と映像作品を見てきたが、ソロモン会戦に2体のガンダムが実戦投入されていたなど何処にも書かれていなかった。
それでもジャーナリスト界隈ではこの話が定期的に零れてくるのだ。
ブリティッシュ作戦と第2次ソロモン会戦の証言を探してきたネスカであったが、当事者であるドレンから直々に存在を肯定、それどころか直接会話をしているという話になってくると表情には出さないが面食らってしまう。
そう思うとネスカは自分が無自覚で思っていたことを理解した。
2体のガンダムについては実在を確信しつつもどこかに都市伝説、戦争にありがちな真偽不明の話のように思っていたのだ。
ドレンに見せたあの写真を含め、自分はゼクノヴァのガンダムのことをフィクションのように思っていたのだと。
そんなネスカの思いを感じたのかドレンは話を続けた。
「2体のガンダムはソロモン内部で戦闘を続けたようだ。大佐達もその戦闘に巻き込まれた。自爆ザクの設置には成功したが…」
ドレンは言い淀んだ。
ネスカはその言葉を続けた。
「ゼクノヴァが発生したんですよね」
「そうだ。2体のガンダムの戦闘で発生したゼクノヴァに大佐は巻き込まれてしまった。設置部隊は何とか脱出できたが、大怪我を負った者が12名いる」
公式戦史ではゼクノヴァについては詳しく触れられていない。
ただ、シャアがソロモン落としを阻止するために偶発的に起こしたという書き方に収まっている。
詳しい記載は避ける形であったが、サイコミュの未知の暴走という扱いでその危険性からサイコミュ兵器の禁止条約が戦後に発生する程の影響を及ぼした。
「ゼクノヴァと自爆ザクの起爆によりソロモンは落下軌道から外れ、こうしてグラナダは潰れることなく残った…」
ドレンは窓の外に広がるグラナダの市街を見た。
窓といってもディスプレイとカメラで再現された疑似的な物だ。
「ソドンは設置部隊を回収してソロモンから脱出、グラナダに帰還した。スワメル、キャメルは轟沈、大破したトクメルは戦争が終わった後に解体された。…ソドン以外で生き残った者は96名」
そこまで言うとドレンは言葉を噤んだ。
沈黙の中でネスカは分かった。ドレンは涙を流すまいとしていた。
涙を流さずにドレンは一息ついた。
「シャリア中佐はあの時、ビットの猛攻で死ぬ寸前の所をオルフェに助けられたと言っていた。中佐はその時のことがあったのか、今でもあの赤いガンダムを探しているみたいだ」
そのオルフェという人物も気がかりだが、ネスカの調査でであの時点の地球連邦軍はサイコミュ兵器を実用化、それも赤いガンダムとキケロガよりもずっと高性能なビットなど開発できていなかった。
「今回話したこと、グラナダに帰還した後に全部話したんだが、結果はこのザマだ」
ドレンは自嘲するような小さな笑いを浮かべた。
公式戦史にはゼクノヴァの記述はシャアが起こしたことにされ、2体のガンダムの話は無かったことにされた。
殴り込み艦隊の指揮を執ったドレンは出世街道とは言い難い立場にいる。
シャアと共に戦い、グラナダを救った英雄の1人であるドレンが閑職に追い込まれたのはジオン軍内の政争に巻き込まれたことネスカは事前の調査で把握していた。
「ネスカさん、今回話したことは時を置いて発表した方が良い。少なくとも今ではない」
「元からそのつもりです」
「イズマでまたオルフェが現れた。ガンダムを巡ってグラナダの幹部連中は揉めている。ゼクノヴァの研究のためにイズマに調査部隊の派遣が決まり、オルフェの赤いガンダムの捜索も始まった」
まぁそうなるだろうとネスカは思った。
ゼクノヴァという現象自体は広く知れ渡っている。
ソロモンの大質量が消えたり、オルフェという人物が操縦する赤いガンダムが現れたのは紛れもない現実だ。
ゼクノヴァの研究自体はジオンの大学機関と軍が一年戦争終戦直後から続けてきているが、ここにきてゼクノヴァからMSがやってきたのだ。
本腰を入れて調査するのはある意味では当たり前だ。
「オルフェが現れたということは再び戦いが起きる…互いに用心した方が良い」
含みのある言い方でドレンはネスカの目を見た。
ネスカはその老兵の目に静かに頷いた。
その直後にネスカはボイスメモの録音を止めた。
「エッチは全てを解決する」
シイコの声はフライパンで餃子を焼く音に混ざりながらマチュの耳に届いた。
つい先程までニャアンもマチュと共に餃子を包んでいたが、友達から電話があったようで席を外している。
おっちゃんとシュウジは残業で1時間以内には帰ってくるという話だ。
頃合いを見計らって包み終えていた餃子をシイコは焼き始めていた。
「私のマヴが言ってた言葉、人間らしいでしょ」
コンチと共に餃子を包むマチュの表情は暗い。
「人間はどこまで言っても神様になれない。地球で生まれた生き物の1つに過ぎない…アマテちゃんはどこかの宗教に属してる?」
「いえ」
「良かった。神様の話、本当ならもっとデリケートにしなきゃいけないからね」
フライパンの餃子が焼き上がり、シイコは手慣れた手つきで皿へとひっくり返した。
シイコ、ニャアン、マチュ、コンチの3人と1体が作成している餃子をどのように調理するか僅かな逡巡があった。
水餃子にするべきか、揚げ餃子にするか、焼き餃子にするか…
悩んだ末にシイコはマチュが預かっている白いハロに決めさせ、焼き餃子に決まった。
醤油、酢、ごま油を混ぜながらシイコは言った。
「私のマヴ、元々夫の婚約者だったの」
その言葉に餃子を包むマチュの手が止まった。
「戦争が終わった後、マヴを通じて夫と初めて会った。…あれからもう5年」
シイコはリビングのソファで白いハロと遊ぶ我が子を眺める。
「夫も軍にいたらしいけど何をやってたかなんて全然教えてくれない」
リビングのテレビには映るイズマ・コロニーのニュースが流れる。
2機の赤いガンダムの戦闘の動画が流れるが、ミノフスキー粒子対策が施されたライブカメラといえど多少のノイズが入る。
それに戦闘の余波でライブカメラがいくつか破壊されており、綺麗な画角で撮られた動画は少ない。
そのおかげでストライクがジークアクスを回収する光景は撮影されず、その光景自体も滅茶苦茶に混乱しきったコロニー内では話題自体上がることがなかった。
「ジョン…」
ガンバレルを射出するストライクの動画を見てマチュは思わず呟いた。
(あれがジョン君か)
マチュの身の上事情についてシイコは表面上の事情は聞かされていた。
シイコはマチュに対してはその事情、戦闘に巻き込まれたニャアンの友達という体で接している。
実際には相当に複雑な事情を抱いているのだろうとは思っていたが、その事情とやらがテレビに映るガンダムだろうとはシイコも察していた。
マチュ、ニャアン、シュウジ、この3人の会話の中で登場するジョンという少年が渦中の人物であり、ゼクノヴァから現れたガンダムのパイロットだろう。そんな直感がシイコにあった。
そしてジョンはあの忌々しい赤いガンダムとマヴを組んでテロリストと戦った。
赤いガンダムの戦い方から見てパイロットはシャアではないだろう。
それでもシイコはあの赤いガンダムに対する想いが再燃してきている自覚があった。
シイコはマチュの顔を見た。
ジョンの乗るガンダムを見るマチュの顔は恋焦がれる少女の顔であり、同時に何もかも失った女の顔をしていた。
「好きなんでしょ、ジョン君のこと」
スタジオ内のゲストが好き勝手言うコーナーに入った後、シイコはマチュに囁くように言った。
「はい…」
力なくマチュは頷いた。
「そしてフラれたと見た」
「…着信拒否しているみたいで」
酷い男の子、とシイコは呟いた。
シイコはジョンについては時折ニャアンから聞いている。
同郷の幼馴染ということでジョンの事を話すニャアンは楽しげな表情を見せる。
ニャアンのサンライズカネバンへのリクルートにジョンも関係しているようなのでジョンとニャアンの関係も深いのだろう。
同時にニャアンからジョンに対してある種の執着心を抱いているとシイコは感じていた。
マチュからはニャアンとは違うベクトルの執着心をジョンに対して持っているように見えた。
「それでアマテちゃんは諦めたの?」
「違う!!」
その言葉にマチュは過敏に反応した。
「ジョンのいない人生なんてない!!生まれた時からずっと一緒だったのに!!なのになんで!!なんでいっつも私から離れるの…」
しおらしかった先ほどの態度から一変してここにはいない人物に対して激昂するマチュを見て自然とシイコの口元が歪んだ。
(私と同じね)
シイコはシャア、もっと言えば赤いガンダムとニュータイプに対して自身が執着している自覚があった。
その執着は憎悪か憧憬に近いだろう。
マチュがジョンに対して抱いている執着もベクトルは真逆でもどこか似通っているとシイコは思った。
そんなマチュに対して人生の先輩として、或いはシンパシーを感じた者としてシイコはアドバイスしようと思った。
同時にジョンに好意を抱いているであろうニャアンに対しても何かしらフォローをしようとシイコは決めた。
「アマテちゃんがジョン君のことで悩まなくて良い方法があるの」
その言葉を聞いて激昂した表情のままマチュはシイコを睨み付ける。
そんなマチュを見てシイコは微笑んだ。
「あなたがジョン君に傷痕(スティグマ)を付ければ良い」
シイコはマチュに囁く。
「ジョン君がどんな時でもアマテちゃんがそばにいると思えるくらいジョン君の魂にアマテちゃんを刻み込むの」
「それが出来たら苦労しない、媚薬を飲ませたのに…」
その時の事を思い出したのかマチュは少し頬が赤く染まった。
「御守りも完成したのに」
「意外と女の子ね」
今度は気落ちしたマチュを見てシイコは焼き上がった餃子を乗せた皿をテーブルに置いた。
「ジョン君の魂をあなたの魂が汚すの、汚して汚して汚しつくすの」
おっとりとしたその口調から放たれる言葉を聞いてコンチは困ったようにソファで坊やと遊ぶ白いハロに救いを求める視線を向けた。
コンチの視線を理解した白いハロは申し訳なさそうにボディを横に振った。
そんな2体の葛藤などマチュとシイコには関係無かった。
「そのやり方を教えてあげる」
魔女は囁いた。
魔女の言葉がマチュの脳裏に電流のような衝撃を与える。
「ジョンの…」
「魂までも汚したい…」
掘り下げが足りないと感じる主要人物
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ジョン・マフティー・マティックス
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アマテ・ユズリハ(マチュ)
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ニャアン
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シュウジ・イトウ
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シャリア・ブル
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シロウズ
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サンライズカネバン社長
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シイコ・スガイ