目の前にいる少女はアマテ・ユズリハだ。
それは間違いない。
だが、窓際の手すりに身体を預ける少女が「マチュ」ではないとジョンの直観が告げている。
下着姿で包帯を巻いた姿を晒しながら少女はジョンを見つめる。
「シュウジ…?」
その声はジョンの知っている「マチュ」の声だ。
だが何かが違う。
目の前の少女が「マチュ」であれば自分のことをシュウジと間違えるはずがない。
つい先ほどまで考えていた突拍子の無い話が脳裏によぎる。
「僕はシュウジじゃないよ」
頭の中に浮かんだ仮説を振り払い、ジョンは縋るような思いで少女に視線を向けた。
窓際の少女と馬上の少年は互いに見つめ合い、赤く染めた黒髪と白毛混じりの金髪が風に揺れる。
「君は誰?」
その言葉でジョンは察してしまった。
目の前の少女は自分の知る「アマテ・ユズリハ」ではない。
全くの他人であると。
「僕はジョンだ。君は?」
自身の動揺を隠すようにジョンは名乗る。
「ジョン…?」
怪訝な顔を浮かべながら少女は言った。
「アマテ…アマテ・ユズリハ」
その名前を聞いてジョンは思わず視線が下がった。
(出来れば違う名前であってほしかった)
アマテに見えないように沈痛な面持ちを浮かべ、アマテの方に向き直る時には穏やかな笑顔を作った。
「アマテか、まだ安静にしてた方が良い」
アマテの容態を心配しながらジョンはウーマくんの頭を撫でる。
「君が私を助けてくれたの?」
アマテの言葉にジョンは首を振った。
「応急処置はしたよ。でも僕だけじゃない。みんなで君を助けたんだ」
ハテナマークを浮かべるアマテにジョンは苦笑いを浮かべた。
「君を見つけて、ここまで運んだのはウーマくん、手当をしたのは救急隊員、君の面倒を見てたのはヴァーニとカンチャナだ」
そうだろう?とジョンはアマテの横から顔を出してるヴァーニとカンチャナを見た。
「ララァさんの話はした?」
ジョンの言葉にヴァーニとカンチャナは頷いた。
「恋人さんが来てるからまだ行けないけどね」
「忙しいな、ララァさんは」
ヴァーニの言葉にジョンは頷き、アマテに視線を直した。
「ララァさんの仕事が終わったら挨拶に言った方が良いよ。君のことを知っているみたいだ」
そう言うとジョンは口を噤んだ。
言葉を続けずアマテに向けて先ほどと同じように穏やかな笑顔でアマテを見つめ、視線をアマテから外すとウーマくんを走らせた。
内心にある種の絶望を抱えることになったが、それを表に出さずジョンはウーマくんを走らせる。
その姿を見てヴァーニとカンチャナは嬉しそうな声を上げる。
だが、アマテは去っていくジョンの後ろ姿からどこか哀愁が混じっているように思えてならなかった。
「ジョン、あの子が言っていたのと同じ名前だ…まさか!?」
去っていくジョンの姿を見てアマテは痛む身体を押して部屋の中へと戻って行った。
ジョンは脳震盪のような感覚に襲われていた。
少女が「アマテ・ユズリハ」と名乗った瞬間からジョンはあの場から逃げ出すことしか考えていなかった。
逃げ出さなければ自分の中の現実が崩れてしまう。
限られた情報とアマテを名乗る少女が自分を知らないとなれば、ジョンは想像を絶するような結論を下すしかない。
『ジョン・マフティー・マティックスは月面のエンデュミオン・クレーターでゼクノヴァに巻き込まれ、パラレルワールドの地球に転移してしまった』
ジョンはかつてハロが言っていたことを思い出す。
『ソウダ。奴ラガマチュ達ニ注目シテイタノハパラレルワールドデノ動向ダカラナ』
『ナガラ衆ノ信仰スル神ガ司ッテイルカラナ』
これもまたナガラ衆絡みの話だ。
ハロにきちんとその辺の話を聞いておけば良かったと後悔するジョンだった。
これがまだ宇宙で窒息死か水死寸前に見る夢であればまだ納得できるが、夢から覚めるような感覚は全くない。
ウーマくんがどこへ行くのかにも興味が持てず、ジョンはどうしようもなくなっていた。
絶望とも虚無とも思える感情のまま、ジョンは呟いた。
「死ねば夢から覚めるかな…マチュの所に帰れるかな…」
自分が何を言っているのかをジョンは分からずに呟く。
ウーマくんが立ち止まる。
ジョンが顔を上げると、そこにはブランコがある。
手作りの木製ブランコにララァが座り、ジョンを見ていた。
黒いドレスの裾を揺らしながらララァは緑色の瞳がジョンの濁った瞳を射抜く。
「ここは夢ではなく現実よ。王子様」
そう言われたジョンはウーマくんからゆっくりと降りる。
ジョンはてっきりララァは客の相手をしているものだと思っていたのでここでブランコに揺られているのが意外に見えた。
「ジオンの将校さん、急に仕事が入っちゃって時間ができたの」
そんなジョンの疑問を察したのかララァは笑った。
「王子様は何故ここに?」
「夢見では分からなかったのですか?」
メンタルがどん底のジョンはぶっきらぼうに言った。
「教えて貰ったのね。初めてなの、あなたみたいな人」
「何がですか」
もったいぶったララァの言い方にジョンは苛立った。
「あなたからはジオンの将校さんと同じ匂いがする」
ジョンはララァの言っていることが分からなかった。
ララァはジョンを手招きする。
トレッキングシューズで土を踏みしめながらジョンはララァへと近づく。
「私は夢を見ているの」
「夢?」
「そう、ここではない。全く違う場所の」
M-65の裾を正しながらジョンはララァの言葉を待つ。
「王子様も恋をしているのね。分かるわ」
ララァの言葉にジョンの顔が歪む。
「自分で縁を切りました」
「どうして?」
「マチュのためです」
ララァは楽しそうな表情から一変して仏頂面のような表情を浮かべる。
「あなたは本当にそう思っているの?」
ジョンは頷く。
「それにもう、マチュは僕のことを忘れています」
それはジョンの願望であった。
少なくとも殺されるくらいの恨みをマチュに抱かれているのは間違いないと思いながらもジョンは願望を口に出していた。
不思議とジョンは自身の身の上話をララァにしてしまっていた。
そのような魅力がララァ・スンにはある。
「一方的な思いが相手を追い詰めることがある」
そんなジョンを窘めるようにララァは言った。
「王子様は好きな人が自分をどう思っているのかちゃんと考えたことはあるの?」
ララァは責めるような声でジョンに言う。
その声には自分以外の誰かにも言っているようにもジョンには思えた。
落ち葉と枝を踏みしめる足音が聞こえてくる。
ララァはジョンから視線を外し、ジョンが来た道を見た。
ジョンもそれにつられて足音が聞こえる方向へと視線を向けた。
そこには先ほどの下着姿からジャージに似た服に着替えたアマテがジョン達に向かって歩いてきていた。
「あの…」
ジョンは穏やかな表情を作りアマテの顔を見た。
表情を作る前に悲壮な表情を浮かべていたことをララァは見逃さなかった。
2人で話している所に割って入った形なので気まずそうだ。
「どうしたのアマテさん?そうだ。この人がララァさんだよ」
ジョンの声を聞いてアマテの顔が強張る。
アマテはジョンに何かを言いたそうだったが、その前にララァの方へと顔を向ける。
「あの…ありがとうございます。助けていただいて」
「あなたはなぜここに来たの?ここに薔薇はないわ」
ララァはブランコを揺らす。
「私が探しているのはその薔薇を探している男の子なんです」
ジョンをチラリと見ながらアマテは言った。
「館の女の子達が言っていました。あなたは夢で未来が見えるって」
「分からないわ。私が見るのは向こう側の夢」
どうやら単なる未来予知という訳ではないらしい。
「向こう側?」
アマテの呟きが周囲に響く。
「向こう側の私は恋をしているわ。商売じゃない本物の恋よ」
パラレルワールド説をつい先ほどまで考えていたジョンはララァの発言を聞いて自身の説を当てて考えた。
ララァは未来予知というよりも別の世界を覗く力があるのかとジョンは思った。
「とても若いジオンの将校さんがこの館を訪ねて来て私を見初めるの…身請けまでしてここから連れ出してくれるのよ」
唇を少し歪ませてララァはジョンの作り笑顔の中にある瞳の揺らぎを射抜く。
「王子様からはその将校さんと同じ匂いがするの…あなたは何者なの?向こう側の夢の中では一度も出てこなかった。
一度も!それなのに何の前触れもなく私の前に現れた!」
穏やかな声の中に驚愕を混ぜた音色でララァはジョンに語りかける。
ジョンはその問いに答えられず、ララァの緑色の瞳に意識が集中していく。
緑色の瞳がだんだんと周囲を支配していくような錯覚をジョンに与える。
ジョンは目をそらすことができない。
そして、何の前触れもなくジョンを「キラキラ」が覆った。
掘り下げが足りないと感じる主要人物
-
ジョン・マフティー・マティックス
-
アマテ・ユズリハ(マチュ)
-
ニャアン
-
シュウジ・イトウ
-
シャリア・ブル
-
シロウズ
-
サンライズカネバン社長
-
シイコ・スガイ