シイコ・スガイは無宗教を自負している。
地球連邦軍時代もそうだったし、今でも変わらない。
シイコの家の玄関の壁には絵画が飾られている。
いつの間にか夫が買ってきて飾っていたものだ。
いったいどこから買ってきたのか、どれくらいのお金がかかったのかを聞いても、夫はいつものらりくらりとはぐらかす。
その絵画はイコン画に近い画風で描かれていた。
シイコの知識では、それをイコン画と呼んでいいのか分からない。
素人がインターネットで調べる限りでは似ており、独特の雰囲気を醸し出しているこの絵も、イコン画の仲間入りをしても良いのではと思う程度の適当な認識しかない。
だからこそ、夫の感性がよく分からなくなる。
普段の夫の生活ぶりを見る限り、聖書を読んだり教会へ通ったりするような習慣があるようには見えなかった。
平日はしょうもない雑誌を読み、日曜は競馬をやっているような人間に、信仰心の欠片があるとは思えなかった。
「シイ、お帰りぃ。お好み焼き焼いたでぇ~、広島風やで」
「あなた、それまぜ焼きだから大阪よ」
「チビ、絵うまくなったなぁ。チビとシイコ、これ誰や」
「おっちゃん」
「ワシ、こんなに毛薄いんか…」
料理もよくやるし、子育ても積極的に手伝ってくれる。
ガサツでセクハラはしょっちゅうで、シイコに毎度のごとくシバかれるような男だ。
ガハハハという笑い声が似合い、その容姿から「おっちゃん」の愛称で近所では老若男女問わず好かれている。
そんな夫のことを、シイコは好きだ。
だが、シイコはおっちゃんの過去をあまり知らない。
自分と同じく地球連邦軍の退役軍人だとは聞いており、そこに嘘はないのだろう。
だが、おっちゃんが一年戦争中にどこにいたのかその話になるたび、いつもはぐらかされる。
そして話題が出るたびに、おっちゃんはシイコの胸をブラジャー越しにつかみ、ボコボコにされるのがお約束だ。
コンプライアンスなどどこかへ行ってしまったのだろう。銀河の果てへ飛んでいったに違いない。
しかし、一年戦争の話になるたび、あの愉快なおっちゃんの顔が戦士の顔になるのを、シイコは見逃さなかった。
自分も一年戦争の話は家庭であまりしないので、そこはお互い様だ。
勝った国の兵士の口は軽いが、負けた国の兵士の口は重い。
そんなおっちゃんが、珍しく昔話をしてくれたことがあった。
あの夜は、息子を寝かしつけたあと、おっちゃんがビールを飲みながら、息子の描いた絵を嬉しそうに眺めていた。
二枚あるうちの一枚その絵には「RX-78-02 ガンダム」が描かれていた。
「かっこええやろ」
「ガンダム」という単語を聞いた瞬間、自分の中の「魔女」が目覚めそうになったが、絵を見ればそれはトリコロール――有名な赤色になる前のガンダムだった。
「地球連邦軍の最新鋭モビルスーツ。テムのおっちゃんが心血を注いでなぁ」
だんだんとおっちゃんの声が詰まり、やがて何も言わなくなった。
ただ悲しそうな目で、残り少ないビールを飲み干し、もう一枚の絵を見つめた。
「おっちゃんなぁ、戦争中、何も守れなかったんや」
新しい缶ビールを開ける。
「避難してきた子供たちを戦いに出して、酷いことばかりさせたんや。ワシがあの子たちを守らなあかんかったのに」
おっちゃんはテーブルに突っ伏した。
「ボンと赤毛の子は元気かなぁ……海は綺麗やった」
酔いが回ったのだろうと思い、シイコはおっちゃんの周りに散らばった空き缶を片付けていく。
「ボン、赤毛の子が好きやったのに、酷い喧嘩してもうてな。おっちゃんも若かったから、子供の喧嘩なんてどうすればええか分からんかったんや」
「赤毛の子がボンを何回もぶったんや。何回も、何回も」
おっちゃんは左手で何度もテーブルを叩いた。
「でもボンは泣かへんかったんや。自分をぶった左手を優しく握った。せやけど仲直りもできへんまま、ボンはグラナダへ行ってしもうた。取り残された人たちを助けるためにな」
「でも、シャアのクソ野郎のせいでボンは…」
「シャア」という単語にシイコは反応したが、それ以外の言葉はまともに耳に入ってこなかった。
流しの水音でかき消されていたのもあるが、シイコは人の生死に関しては人並み以上にドライになっていた。
その感性のせいか、おっちゃんの嘆きに対する興味はほとんどなかった。
その夜は、おっちゃんのいびきと酒臭さに耐えながら眠った。
ただおっちゃんのあの悲しそうな目だけは、シイコの記憶に残った。
それだけだった。
サイド6のイズマ・コロニーで、かなり大規模な揉め事が起きていると、シイコたちのパルダ・コロニーのコミュニティでも話題になっていた。
第2次ソロモン会戦で消息不明になったシャア・アズナブル大佐と、赤いガンダムの捜索任務を帯びたジオン唯一の強襲揚陸艦ソドンが、サイド6宙域で正体不明のMSの襲撃を受けて大損害を被った。
正体不明のMS「アンノウン1」と呼ばれるようになった機体はイズマ・コロニー内へ逃走。
この事件を受け、ジオン公国とサイド6行政庁は共同で捜査を開始した。
アンノウン1の出現より少し前、イズマ・コロニー周辺で「赤いガンダム」が目撃されていた。
ジオンは両者に関連があると判断し、ソドンをイズマ・コロニー内部へ進入させた。
こうした内容を、どのテレビ局も特番で長尺に報じていた。
素人のコメンテーターが赤いガンダムについて「知った気になって」語るのが、シイコには不快だった。
アンノウン1や赤いガンダムの映像と呼べるものは、コロニー外壁の監視カメラ映像か、近くで作業していたジャンク屋が撮ったビデオくらいしかない。
おっちゃんは、隣で昼寝する息子の頭を撫でながら、ボリュームを絞ったテレビを黙って見ていたが赤いガンダムの次に映し出された映像を見て、驚いたような顔をした。
「ガンダムや…」
「赤いガンダムに襲われたガンダム」として、コロニー公社イズマ支部が運用しているガンダムの映像が映し出された。
『このガンダムは一年戦争中に開発されながらも、ほとんど実戦投入されなかった量産型ガンダムの一機種です。
戦後、ジオン軍に接収され、ジオン工科大学内の研究所で研究用機体として運用されていました』
『一部情報筋では、このガンダムにはサイコミュの一種が取り付けられているという話もありますが、この件についてはあくまで噂レベルで、信憑性は不明です』
おっちゃんは、ソファに座るシイコを見た。
テレビに映る赤いガンダムとイズマ支部のガンダムを見て、シイコの中の「魔女」が目覚めかけていた。
おっちゃんは、その顔をただ黙って見つめていた。
掘り下げが足りないと感じる主要人物
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ジョン・マフティー・マティックス
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アマテ・ユズリハ(マチュ)
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ニャアン
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シュウジ・イトウ
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シャリア・ブル
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シロウズ
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サンライズカネバン社長
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シイコ・スガイ