「ニャアンさん」
ジョンの首元の噛み傷は出血が止まっていた。
歯形の傷跡を舐め続けるニャアンを見て、ジョンは困った顔のまま隣にいるシュウジへ視線を向けた。
「いつまでそれ続けるの?」
だいしゅきホールドを継続し続けるニャアンに、シュウジは呆れたように言う。
「ジャック…今までどこに行っていたの」
シュウジの言葉に、ニャアンは傷跡から舌を離し「どうするかな…」と言いたげなジョンの表情を見つめた。
「僕は君が探している人じゃないよ。本当に、本来なら傷害事件だぞ。
ニャアンさんはまだ混乱しているみたいだし、宇宙港に着いたら降ろしていいかな? シュウジ君」
あくまでアレックス・ディノを名乗るジョンへ、シュウジは肘で軽く突いた。
(何でそんな平然としていられるの?)
シュウジは無言でジョンの目を見つめる。
その意味にジョンはすぐ気づいた。
(ニャアンは昔から、割とタガが外れやすいんだ)
アイランド・イフィッシュでの生活を思い出し、ジョンも視線を返す。
(ちゃんとニャアンと話をしてから来てよ?)
目を細め、シュウジは静かに無言の圧をかけた。
「僕は許す。でも、ニャアンは許すかな?」
そう言い残し、シュウジは前方のシイコたちへ歩いていった。
ジョンたちは宇宙港へ続く水平エスカレーターに乗っていた。
宇宙港近くの街は地下通路で各地と接続しており、グランド・セントラル・グラナダのような大型駅の地下街が、宇宙港やショッピングモール、大型家電量販店、公園、広場にまで伸びている。
地下通路には水平エスカレーターが敷かれ、ジョンたちはそれに乗って宇宙港へ向かっていた。
シイコの夫でありサンライズ・カネバン社長のおっちゃんは、夕方に友達と会うため別行動を取っていた。
合流地点として宇宙港のドイツ料理店を予約していたため、ジョンたちもそこへ向かうことになった。
本来なら無関係のはずのジョンとクワトロだったが、
「ニャアンが迷惑をかけたから」「いろいろ話したいから」
というシイコの押しにより、なし崩し的に同行することになってしまっていた。
まだ午後6時だというのに、宇宙港へ続く地下通路に人影は少ない。
便利ではあるが、景色を見たい観光客はタクシーやバスを使うのでここを歩く者は多くないのだ。
そもそも、この地下通路を使いたがった理由は明らかだった。
シイコがニャアンとジョンに話をさせるためだ。
話せなければレストランで続ける気なのだろう。
ジョンはシイコの顔を以前どこかで見た覚えがあったが、思い出せなかった。
しかし、ただ一つだけ確信があった。
シイコは、イズマ支部のボカタなど比較にならないほど兵士のオーラをまとっている。
(どこまで考えているんだ?)
数歩先で白髪を揺らすシイコを見つめながら、ジョンは内心で呟いた。
「…それでは」
端末での通話を終えたシイコがクワトロに向き直る。
「レストラン側も、二名追加を承諾してくれたわ」
ジョンとクワトロの分の予約を追加していたらしい。
「ありがとうございます…しかし、本当に良いのですか? 我々は邪魔では?」
「良いのよ。私もあなたたちのこと、もっと知りたいから」
クワトロの遠慮を、シイコは軽く切り捨てる。
「旦那さんのことですか?」
「今は友達と会ってて別行動よ。三人のことなんて私に丸投げ」
眠る幼子を抱えながら淡々と続ける。
「うちの子には今のうちから世界を見てほしいの。そう思って連れてきたの」
「良いことだと思います」
クワトロは短く返し、シイコと見つめ合った。
「何故、ニャアン君はアレックスにあんなことを?」
先に口を開いたのはクワトロだった。
後方ではだいしゅきホールドを継続するニャアンと、それを受け入れるジョン、そしてシュウジが話している。
「ジョン君には、あれでも足りないくらいよ」
シイコは吐き捨てるように言った。
「彼はアレックスでジョンではありません」
「人一人いなくなったところで世界は変わらない。けれど、ニャアンちゃんはああなった。あれでも抑えてる方よ」
クワトロの抗議を無視して続ける。
「ニャアンちゃんは昔からジョン君のことが好きだったの。でもジョン君は別の女の子が好きになった」
「ありがちな話です」
クワトロは淡々と返す。
別の女の子とは、恐らくはアマテ・ユズリハという少女だろう。
「ニャアンちゃんとしては、ジョン君が幸せなら別の子でも良かった。でもジョン君はいなくなってしまった。…あなたも知っているでしょう? 月で起きたこと」
「ええ」
「だからニャアンちゃんはその子を責めたの。『あの子のせいでジョン君は不幸になった』って」
シイコは視線を清潔な地下通路へ向ける。
「でも、こうしてジョン君はまたニャアンちゃんの前に現れた…クワトロさん。奥様とはどういう縁で?」
「元々幼馴染でした。その縁です」
「ジョン君とニャアンちゃんも幼馴染なのよ。…でも幼馴染同士が結ばれるって少ないわ」
「そりゃあそうでしょう。僕とコミリーはレアケースですから」
「幼馴染でも恋人でも、結局、結婚できれば勝ち。だからね、ニャアンちゃんはもう身を引いたりしない」
シイコは淡々と言った。
「ジョン君とアマテちゃんの運命の赤い糸なんてハサミで切って、ジョン君の糸を自分に手繰り寄せればいい…私はニャアンちゃんにそう言ったわ」
「…恋愛指南ですか、シイコさん」
クワトロは苦笑混じりに言った。
つまりニャアンがジョンに抱きつき噛みつく狂気じみた行動は、シイコの示唆によるものだった。
「旦那さんには何て言うんですか?」
雰囲気を変えようと、クワトロは話題を振った。
シイコは変わらぬ笑顔で告げる。
「あの人、シャアを殺したがってるの」
「…シャア?」
「シャア・アズナブル。ジオンの英雄よ?」
唐突な話題転換に戸惑うクワトロ。しかしシャアの単語に反応してしまう。
「ふふっ…夫は戦争中、何をしていたのか話してくれなかった。でも最近になって教えてくれたわ」
シイコは端末を操作し、一枚の写真を表示させた。
「これ、覚えはないかしら?」
そこにはテム・レイ博士と、おっちゃんのツーショットが表示されていた。
「テム博士と夫よ。テム博士の顔、あなたに似てるわね?」
「…」
「気になる? あっ、そういえばテム博士にはご子息がいたって夫が言ってたわ」
シイコは端末をしまい、再びクワトロを見る。
「もしかして、クワトロさん。あなたって…アムロ君かしら?」
クワトロは真顔のままシイコを見つめ返す。
掘り下げが足りないと感じる主要人物
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ジョン・マフティー・マティックス
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アマテ・ユズリハ(マチュ)
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ニャアン
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シュウジ・イトウ
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シャリア・ブル
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シロウズ
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サンライズカネバン社長
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シイコ・スガイ