クワトロとシイコ、二人の間に沈黙が続く。
水平エスカレーターの駆動音と、離れた場所にいるジョンとニャアンの会話だけが、やけに大きく聞こえてくるようだった。
クワトロは真顔になり、シイコもだんだんと仏頂面になっていく。
「…何のことでしょう?」
わずかな間、当人たちにとっては長い沈黙が流れ、クワトロは口を開いた。
「テム博士がガンダムの開発者であったことは、今でも公にはなっていません。旦那さんは連邦軍の方なのだとは思いますが、軍事機密もありますし、人目があるところで話すべきことではありませんよ」
軍人として、軽々しく秘密を口にするシイコを咎めるようにクワトロは言う。
「私はガンダムなんて、一言も言ってないわよ。どうしてテム博士がガンダムを作ったって知っているのかしら?」
クワトロは顔を歪めた。
「テム博士が関わったガンダムがシャアに盗まれて、それがジオンの象徴になっているのよ。盗人猛々しいと思わない? アムロ君」
シイコは、地球連邦軍のテム・レイ博士とおっちゃんの話をしただけで、「RX-78-02」の名前は一度も出していない。
シャア、テム・レイという単語から、クワトロ自身がガンダムへと連想を飛ばしてしまっていた。
「あの写真はたまたま見つけた物よ。夫は何も話してくれないの。残念ね」
クワトロは沈黙を保ったまま、シイコの顔を見る。
「でも、坊やにはガンダムの写真を見せてるみたい」
そう言うとシイコは、端末に先程とは違う写真を表示してクワトロに見せる。
写真は、幼子が描いた絵を撮った物だった。その絵は画用紙にクレヨンで描かれている。
画用紙には、トリコロールに塗られていた頃のガンダムとペガサスの絵が描かれていた。
そのどちらもジオンに奪われ、赤いガンダムとソドンに名と姿を変えていることを、クワトロはよく知っている。
クワトロはその絵を見て何とも言えないような表情を浮かべる。
「アムロ君。どうしてあなたがジオンで軍人をやっているのかしら?」
「…シイコさんは勘違いをしている。私はクワトロ・バジーナ、アムロ・レイではありませんよ」
クワトロはポケットに手を突っ込み、シイコから目をそらす。
目をそらした先では、ジョンとニャアンから離れてこちらへ歩いてくるシュウジの姿があった。
シュウジが歩いてくるのに気づいたシイコは、ふふっと笑う。
「そうよね。テム博士の息子さんがジオンの軍人になってるはずないわよね」
「…いえ、お気になさらず」
微妙な間のあと、シュウジが近づいてくる。
シイコに合流しようとしたところで、シイコがクワトロにささやくように言った。
「ここって、変なところよね」
「え?」
シイコは地下通路の壁に設置されている電子ペーパーの広告パネルを指差す。
「あれって一夫多妻の話でしょ」
広告パネルには「婚姻制度改正に伴う税金の変更について」と題した書籍の宣伝が表示されていた。
「…少子化対策の一環です。試行段階ですが」
「一年戦争後にはベビーブームが来るって話があったけど、思ったよりも伸びてないものね」
「今の時点ですらトラブルが続出しているので、定着するかは怪しいものです」
「自分たちで人類の半分を殺しておいて、いざ勝ってみたら子供の数が足りないって、馬鹿みたいな話だと思わない?」
「私の立場ではお答えできません」
「ふふ、そうよねアムロ君」
「…」
シイコは顔をシュウジの方へ向けた。
シイコとシュウジが、離れた場所にいるジョンとニャアンの話をしているのを、クワトロは表情を変えずに見ていたが、端末に着信が入ったことに気づき、着信ボタンをタップした。
(ここ、有事のために作ったな)
ニャアンを抱きながら、ジョンは地下通路を見渡していた。
地下通路に入る際にくぐったNBC防護用の隔壁から宇宙港へ通じる構造、目立つように描かれているシェルターへの誘導マークを見て、ジョンはこの地下通路が単に街の便利な通路として作られたわけではないことに気づいていた。
(アイランド・イフィッシュのときみたいに毒ガスを撒かれても、ここに避難できるようにしてあるんだ。MSが地上を歩いても沈まないように、かなり強固な造りになってる。…どうなってるんだ、このコロニー?)
メビウス・ゼロの運搬に使った坑道にしても、避難所にする前提で作られた公園にしても、アマテラス・コロニーは「有事」を想定して設計されたコロニーであることは明白だった。
イズマ支部では、ここまでコロニー全体で有事に備えるようなことはしてこなかっただけに、ジョンには新鮮に映ると同時に、どこか不気味でもあった。
アマテラス・コロニーはファーム・バンチと呼ばれているように、農業を主目的に建造されたコロニーだ。
予算の優先順位としては農業が最優先のはずなのに、ここまで有事前提の設備に資金を割いているのは、ジョンには不思議だった。
(建造自体はイズマより新しい。戦争に備えたモデルケースとしての役割があるのか?)
一年戦争の準備は、ジオン共和国と呼ばれていた時代から進められていたはずだ。
当然、コロニー内での戦闘というのも、その時点から想定されていたと考えるべきだろう。
アマテラス・コロニーは、コロニー戦が起こった際に必要となる設備を研究するためのモデルケースとして作られたのかもしれない。
「ジャック、何を考えてるの?」
ジョンの胸に顔を埋めていたニャアンが、見上げるように問いかける。
(綺麗になったな…)
上目遣いで見つめてくるニャアンを見てジョンは思ったが、同時に、そろそろだいしゅきホールドを解除してもらえないかとも思っていた。
「僕はジャックじゃないよ、ニャアンさん。そろそろ、この…だいしゅきホールドを解いてくれないかな?」
ニャアンが重いわけではない。人目があるわけでもない。
ただ、この体勢の構造上、服越しとはいえ、ニャアンの胸や股間の存在を意識せざるをえなかった。
それに、姿勢を安定させるためにジョンはニャアンの尻を支えるように手を添えていた。
家電量販店ではドタバタしていたため気にする余裕もなかったが、落ち着いてくるにつれ、ジョンは自分の股間にだんだんと血液が集まっていく感覚を覚えていた。
(僕にも性欲があるんだな…)
マチュに欲情したことはあるが、縁切りをしてからはそれっきりだ。
グラナダでセクシー先輩から風俗に誘われたことがあったが、ジョンは一年戦争時のトラウマがあるので辞退していた。
自分が勃起している事実を、どこか感慨深く思っているジョンだったが、同時にその対象がニャアンであることに罪悪感を覚えていた。
性欲云々を抜きにしても、ニャアンとまともに話をするには、まずこの体勢を解除してもらう必要がある。
「嫌」
しかし、ニャアンは間髪入れず、そのお願いを拒絶した。
ジョンとしてはニャアンと話したいことは多くあった。
自分がいない三ヶ月間で世界がどう変わっていたのか。
ニャアンはちゃんと新生活に馴染めているのか。
シュウジとは仲良くしているのか。
マチュはどうしているのか…。
少なくともシュウジとニャアンの健在をこの目で確認できたので、そこは安堵したジョンだったが、マチュのことが気がかりだった。
ジョンが知っている最新のマチュの状況というのは、プロヴィデンス戦前にニャアンから電話で聞いた話のままだ。
その電話で、マチュが相当自分のことを嫌っているようだとジョンは思っていたが、それでもマチュのことが心配だった。
「ジャック」
ジョンの背中に回していたニャアンの片手が、だんだんと下へと動いていく。
「…ニャアン、さん」
その手の行き先が、勃起している自分の股間であることに気づいたジョンは、ニャアンの手を止めようと彼女の尻に回していた手を動かそうとするが、その前にニャアンの手がジョンの盛り上がったズボンに触れる。
「私のこと、考えてくれたんだよね」
ニャアンはジョンの股間を、愛おしそうに撫でていた。
ニャアンの手はジョンのズボンのファスナーを探すように動く。
「手を離してくれ、ニャアンさん」
「ねぇ、ジャック。私たちって、すごく相性が良いみたい」
ジョンの言葉を受け流しながら、ニャアンは続けた。
「ジャックの匂い、すごく好き。ずっと嗅いでいたい。
そういう相手って、遺伝子レベルで相性が良いってネットにあったよ」
ジョンには、ニャアンの行動が理解できなかった。
ほんの数週間前、こちらでは三ヶ月前のニャアンであれば、絶対にこんな行動は取らなかったはずだ。
「ニャアンさん、君は少し錯乱している。落ち着いて、とにかく僕から降りよう」
「ジャック、アマテのことなんて捨てようよ」
完全に会話が噛み合っていなかった。
明らかにニャアンの様子はおかしい。
困り果てたジョンが、シュウジたちの方へ視線を向けたその時、
「アレックス!! まずいぞ、フリーダムが戻ってきた!!」
突然、クワトロの声が地下通路に響いた。
その叫びとほぼ同時に、大きな揺れが地下通路全体を襲った。
掘り下げが足りないと感じる主要人物
-
ジョン・マフティー・マティックス
-
アマテ・ユズリハ(マチュ)
-
ニャアン
-
シュウジ・イトウ
-
シャリア・ブル
-
シロウズ
-
サンライズカネバン社長
-
シイコ・スガイ