霧の街のヒナタ   作:下駄ロボ

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あちらのお客様からですぜ

 炎は勢いを失い、黒煙だけが立ち昇っていた。

 

 給油機は折れ、舗装は抉れ、数台の車が原形を留めないまま燻っている。

 ガソリンスタンドというより、小規模な爆撃跡だった。

 

 ヒナタは触手をゆっくり解き、教授と○○○を地面に降ろした。

 

「……二人とも、怪我は?」

 

「無い……けど、あの塩水は何なんだ?」

「火傷も無いですね。服はダメですが」

 

 二人は互いの身体を確かめ合い、顔を見合わせる。

 状況への理解が、まだ追い付いていない。

 

「何って、魔術で海水を呼び出したんだよ。

 これでも留学できるくらいに成績は良いんだからね?

 ……あれ、そういえばミスカトニックで魔術の授業を見たことが無いな……」

 

 教授が、ふう、と長く息を吐いた。

 

「……いやはや。

 今日は朝から盛りだくさんだね。

 とりあえず、魔術云々は後で私に教えてくれるかな?」

 

 声は、いつも通り落ち着いていた。

 ただし、眼鏡の奥の目は明らかに冴え切っている。

 それはそれとして、運転手を挽肉にしたガソリンスタンドの店主には三人とも触れなかった。

 下手につつくと錯乱して銃を向けられかねないと感じたのだ。

 

 少し離れた場所で、ガソリンスタンドの店主が立ち尽くしていた。

 

 手放したショットガンが地面に転がっている。

 視線は、かつて“運転手だったもの”に釘付けのまま動かない。

 

「……俺……」

 

 掠れた声が漏れる。

 

「俺の店……」

 

 言葉は、続かなかった。

 

 サイレンの音が近付く。

 一台、二台。パトカーの赤色灯が、煙に滲む。

 

「……面倒ですね」

「そうでもないよ」

 

 ヒナタの呟きに、教授が即答する。

 

「誰から見ても、バスの運転手が錯乱して客を銃撃し、暴走した事件にしか見えない。

 私達がずぶ濡れな事なんて、警察は気にしないさ」

 

 ○○○は、焦げたバスの残骸と周囲の惨状を見回した。

 

「……教授」

「うん?」

「もしかして、アメリカの学校って魔術を教えてないんですか?」

 

 教授は静かに首を横に振る。

 

「教えてない。それどころか、大体は嘘やペテンの類だと思われているね」

 

 彼はヒナタを見る。

 

「私も、そうだと思っていたよ」

 

 ヒナタは一拍置き、小さく頷いた。

 

「……僕、もしかして、とんでもない事をしてしまいました?」

「私の興味に火を付けた事は、確かさ」

 

 パトカーが完全に停車する。

 ドアが開き、警官が二人、慎重に降りてきた。

 

「動くな!」

「手を見せろ!」

 

 教授、○○○、ヒナタは素直に両手を上げる。

 

「ご苦労様です。

 我々は被害者ですよ」

 

 警官の一人が、焼け落ちた現場を見て顔色を変えた。

 

「……バスの運転手が暴走したと聞いてますが、何がありましたか?」

 

 教授は、少し困ったように微笑む。

 

「そうだね……私達を乗せたまま錯乱して、銃撃し、そのまま暴走した。

 結果が、ご覧の通りだよ」

 

「そうですか……」

 

 警官は納得した様子だった。

 

 サイレンと焦げた匂いを背に、

 三人はこの後の取り調べを想像して、揃ってため息をついた。

 

 

 西アーカム警察署は、外観だけは立派だった。

 

 赤煉瓦の壁、年代物の柱、入口に掲げられた市章。

 だが中に入ると、床は擦り切れ、電灯は一部が点滅している。

 

 ――長居したい場所ではない。

 

 三人とガソリンスタンドの店長は別々に、簡易的な取調室へ通された。

 

 ○○○の前に座った警官は、書類をめくりながら淡々と質問を続ける。

「もう一度聞く。

 バスに乗った理由は?」

「教授に誘われて。廃線前に一度くらいは、って」

「インスマスに親戚や知人は?」

「いません」

「用事も?」

「特に」

 ペン先が止まる。

「……本当に観光だけか?」

「はい」

 警官は小さく鼻を鳴らした。

「まあ、あんなバスに好んで乗る連中は、だいたい理由が無いもんだ」

 次はヒナタだ。

 警官は最初から、少し距離を取っていた。

「君は……留学生か」

「ええ」

「国籍は?」

「日本です」

 一瞬の沈黙。

 警官は咳払いしてから続けた。

「……バスが暴走した時、

 君は車外に投げ出されたと聞いているが」

「はい」

「その後、どうやって生き延びた?」

 ヒナタは少し考え、素直に答えた。

「……運が良かったんだと思います」

「それだけか?」

「それだけです」

 警官はじっとヒナタを見つめる。

 濡れたままの髪。

 火傷も切り傷も無い肌。

「……まあいい」

 深追いはしなかった。

 最後は教授だった。

 取調室に入った瞬間、警官の態度が変わる。

「ミスカトニック大学の……教授?」

「そうだよ」

「失礼しました」

 椅子に座る前に、軽く敬意が示される。

「事件の説明を」

「簡単な話だ」

 教授は、最小限の情報だけを丁寧に並べた。

運転手が錯乱状態だったこと

銃を持ち出し、客に発砲したこと

そのまま暴走し、ガソリンスタンドに突っ込んだこと

「……以上だ」

「何か、心当たりとか、そういう話は?」

「無い」

 教授は即答した。

「少なくとも、私の見た範囲ではね」

 警官は一度だけ教授の目を見て、頷いた。

「分かりました」

 数時間後。

 三人は同じ待合ベンチに並んで座っていた。

「……疲れました」

「同感だ」

 ○○○とヒナタが、同時に息を吐く。

「結局、どうなるんですか?」

「どうもならないよ」

 教授は静かに言った。

「責任の所在は全て運転手だ。我々は完全な被害者だよ」

 ヒナタは安堵したように肩を落とす。

「良かった……」

「ただし」

 教授は声を落とした。

「君がやった“あれ”は、ここでは一切話題に出していない」

 ヒナタは頷く。

「……分かってます」

「後で、教えてもらうよ。誰にも聞かれない場所で」

 ○○○が顔をしかめる。

「教授」

「安心したまえ」

 教授は珍しく、少しだけ悪戯っぽく笑った。

「取り調べをするつもりじゃないとも。ヒナタ先生に生徒として教えを乞うだけさ。」

 その時、事務員が顔を出す。

「カニンガム教授。手続きは以上です」

 三人は立ち上がった。

 

---

 

 警察署を出た三人の服は、いまだに海水を含んだままだった。

 

 朝からの騒動と長時間の取り調べで体力は削られ、

 家や寮までの距離が、やけに遠く感じられる。

 

 ――もっとも、疲労の色が見えないのはヒナタだけだった。

 

 三人は帰路につくため歩き出す。

 教授と○○○は明らかに限界が近く、足取りも重い。

 

 教授の家は大学のすぐ近くにあり、大学寮も当然その周辺だ。

 しばらくは同じ道を進むことになる。

 

 ○○○は無言のまま懐に手を入れ、スキットルを取り出すと、ぐいっと一口あおった。

 それを見て、ヒナタは自分のスキットルを教授に差し出す。

 

 中身は、余った自家製ワインから蒸留したブランデーだった。

 

「これは……まさか……」

「そのまさかです」

 

 教授の推測に、ヒナタは小さく笑って答える。

 

「少し飲めば、歩く気力も湧くかと思いまして」

「ありがとう……また礼を考えないといけないな」

 

 教授はスキットルから一口含み、ヒナタに返すと、

 先ほどよりも幾分、力強い足取りで歩き出した。

 

---

 

 西アーカムの夜は、昼間の騒ぎが嘘のように静かだった。

 

 通りを一本外れた裏道の、看板のない小さな客の気配が無い理髪店。

 

 店内にある隠し扉を抜け、地下へ降りる階段の先にある控えめな灯りの酒場。

 

 教授の家でシャワーと着替えを済ませた三人は、ほとんど惰性のまま、そこに流れ込んでいた。

 

「……生き返る……」

 

 ○○○がカウンターに突っ伏すように座る。

 

「まだ死んでないだろう」

「気分の問題です」

 

 教授はコートを脱ぎ、いつもの席に腰を下ろした。

 

「ウイスキーを三つ。

 ああ、つまみは適当でいい」

 

「はいよ」

 

 カウンターの奥から、店主の青年が顔を出した。

 今日は演奏が無いらしく、ラジオからニュースが流れている。

 店内は、ニュースで取り上げられている“バス暴走事件”の話で持ちきりだった。

 

「お客さん、大丈夫かい?……酷く疲れているようだが…」

「聞かないでくれ……色々あったんだ。」

「そうかい…無理はするなよ?」

 

 ○○○の返しに店主は深くは聞かなかった。

 

 グラスといくつかの小皿が置かれ、琥珀色の液体が揺れる。

 

 ヒナタは一口含み、ゆっくり息を吐いた。

 

「……美味い」

「そりゃどうも。彼氏を捕まえた愛情ワインには負けると思いますがね。」

 

 店主は笑って返した。

 

「どこからその話が?」

「あちらのお客様からですぜ」

 

 店主が指差した先ではいつぞやの映画研究部の二人がポーカーで負けて上着を取られていた。

 もう勘弁してくださいと泣きが入っている。

 期日まで余裕があるとはいえ、慰謝料のマトモな酒を手っ取り早く調達する為に賭けポーカーに手を出したのだろう。

 この調子ではパンツ一枚で放り出されるのも時間の問題だ。

 

「何やってるんだあいつら……」

「嘘でしょ……」

「掛け金が無くなったあいつらの提案を常連が面白がりましてね。

あなた方お二人の話をチップにしてポーカーやってたんですが、あっという間に使い切ってこの有り様です。」

 

 ヒナタと○○○と教授は呆れてため息をついた。

 映画研究部の二人もヒナタ達に気付いたらしい。声をかけて来た。

 

「「慰謝料の酒を調達する為にお金貸してください!」」

 

 ふざけた提案である。思わずヒナタが触手で映画研究部の二人の頭を締め上げた。

 

「慰謝料支払う相手のプライベートをチップにした挙句、金まで集ろうとするんじゃない!」

「「申し訳ありません!」」

 

 少し強く締め上げてから解放した。二人とも痛みで悶絶している。周りの客は二人の所業にドン引きした。

 

 バウンサーが映画研究部の二人を店から摘み出すと、店主が○○○とヒナタの前にウイスキーの入ったグラスを一つづつ置いた。

 

「こいつは俺からの気持ちです。奢りだから気にしないでください。」

 

 店主はいたたまれ無さそうな顔をしている。

 教授が横から口を挟む。

 

「……君達、中々大変な奴と知り合いだったんだね。」

「休みの日に寮の部屋へ乗り込んで来ましてね…」

 

 ○○○の台詞からはこれまで以上の疲れが感じられる。

 三人は小皿のつまみを食べながらちびちびとウイスキーを飲んだ。

 

---

 

 先程までポーカーをしていた奥のテーブルでは、対戦相手を失った老婆と壮年の警官がどうやって面子を揃えるか相談していた。

 

「……面子が足りなくなっちまったな」

「なに、ちょうどいいヤツがいるだろう?」

 

 老婆は紫煙をくゆらせながら視線をヒナタ達の方に向け、席をたった。

 

「お三方、ちょいとポーカーに興味はないかい?」

「ないです。って言うか、さっきのやり取りを見てそれを言うんですか?」

 

 ○○○が嫌な予感に眉をひそめる。

 

「だからこそさ。あいつらの“慰謝料の元”がここにあるんだ。

 せしめるチャンスがあるのに乗らない道理は無いだろう?」

「賭けができる程の持ち合わせは無いですよ。」

 

 老婆がヒナタの隣に座り、目を合わせて笑いながら話しかけ、ヒナタは迷惑そうに答えた。

 

「いいや、あるね。摘み出された坊や達から、ワイン作りにガロン瓶を四本も使っている事は聞いているんだ。

 二人で飲める量じゃない。持っているんだろう?スキットルの中に、ワインから作ったブランデーを」

 

 老婆の推理でヒナタに店中の視線が集まり、○○○がヒナタと老婆の間に割り込んで答えた。

 

「ミス・ホームズ、もしあったとしても口付けたスキットルの中身にそんな価値は無いですよ」

「私としても、そろそろ意地悪はやめて静かに飲ませて頂きたい。今日は疲れたからこの一杯で帰るつもりなんだ。」

 

 教授はグラスを傾けたまま、迷惑そうに言い切った。

 

「ダメかい?モリアーティ教授、一局だけでいいから」

「いい加減にしてくれよママ、暴走バスから振り落とされてガソリンスタンドまで追いかけた奴と暴走バスに乗せられた上にガソリンスタンドに突っ込まされた奴らだぜ?

 目立った怪我も無くこの店に帰って来たんだ。ゆっくり酒を飲ませてやるくらい、いいだろう?」

 

 教授に口添えを頼む老婆に見かねたバーテンダーが助け舟を出した。

 彼の発言から察するに、朝の騒動は既に街中に広まっているようだ。

 三人揃ってため息をついた。

 

「しょうがないね。バスから二人を助けたヒーロー…いやヒロイン…どっちかわからないけど英雄の作る酒が気になったんだけどね」

「やるなら来週くらいまで待ってやってくれ」

 

 バーテンダーの取りなしで老婆は今日の所は諦めてくれたようだ。

 

「それはそれとして、ワインやブランデーが余ったら売ってくれないか?

 相場より高くするからさ」

「あー…うん、良いですよ」

 

 ヒナタはバーテンダーからの頼みを取りなしてくれた恩もあって了承した。




Q.ガソリンスタンドの店主はどうなったの?

A.状況証拠と情状酌量の余地から正当防衛が認められた為、無罪になりました。
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