霧の街のヒナタ   作:下駄ロボ

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いるなら是非とも標本にしたい

 カニンガム教授の研究室は、いつも通り静かだった。

 

 昼下がりの光が、高い窓から斜めに差し込み、書棚と実験台の間に長い影を作っている。

 硝子瓶、乾いた標本、書きかけの論文。どれもが整然としているが、生き物の気配は薄い。

 

 教授は椅子に腰掛けたまま、机の上に広げた新聞を指先で叩いていた。

 

 例の事件の記事だ。

 

 ――バス暴走事件。

 

 見出しそのものは、もう珍しくもない。

 だが、教授の視線は、記事の隅に添えられた小さな囲み欄から離れなかった。

 

「……運転手の身体的特徴、か」

 

 小さく呟く。

 

 ○○○が語った言葉が、唐突に脳裏に浮かんだ。

 

 ――「日本の高級食材に似てる」

 

 冗談のような言い回しだった。

 だが、教授は覚えている。

 ○○○は、無意味な比喩を使う人間ではない。

 

 教授は一拍置いてから、ゆっくりと視線を上げた。

 

「……インスマス、か」

 

 地図を広げる。

 アーカムからそう遠くない海沿いの町。

 港。漁。古い血筋。

 

 噂話はいくらでもある。

 だが、どこまで本当かわかった物じゃない。

 わかっているのは、身体的特徴がヒナタ君からの伝聞と噛み合っている事くらいだ。

 

「まるでUMAみたいな生き物だ」

 

 教授は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。

 

「もし、本当に“それ”がインスマス近辺にいるとしたら」

 

 これはカニンガム教授の勘に過ぎない。

 

 ーーそれに引っかかる物がある。

 バスの運転手はヒナタ君の事を恐れていた。

 漁の手伝いが日雇い仕事になっているくらいだ。数える気にならない位に“高級食材”達は狩られていたのだろう。もし彼が“高級食材”だったならパニックになる事は容易に理解できる。

 無論、“例のモンスター映画”の記事を読んで恐ろしく感じていた可能性もある。

 もし運転手が“高級食材”だったならヒナタ君が反応していると思うので、多分違うとは思うが、もしそうならヒナタ君達は…

 

 教授は、そこで一度思考を止めた。

 

 深海で生きられる生き物が元人間?何をどうしたらそこまで体質が変わるというのだ。

 ……良く考えなくてもヒナタ君というもっととんでもない生き物の実例がいた。

 とはいえ、まさかそんなふざけた生態の生き物がゴロゴロいる訳ないだろう。

 まあ仮に“そう”だったとしても、インスマス周辺では近く「浄化作戦」が始まるという噂が出回っている。多分、本当だろう。

 警官の連続失踪で面子を潰された事に警察のお偉方がキレて、軍のツテから機関銃や火炎放射器を取り寄せたという話をスピークイージーで一緒に飲んだ不良警官が語っていた。

 都合の悪い記録を全て燃やして「暴徒を鎮圧した」とだけ記録に残るだろう。

 

「……うやむやに、できるな」

 

 教授はそう結論づけた。

 

 教授は机の上の別の書類――研究費の申請書に視線を移した。

 研究費がない訳では無い。まだ余裕があるが、あればある程良い物である事は確かなのだ。

 

「……まあ良いか。犯罪者の巣窟だ……有効活用させてもらっても別に構うまい」

 

 それは言い訳でもあり、事実でもあった。

 教授は静かに立ち上がる。

 

「捕獲はヒナタ君に頼めば行けるか。」

 

 何しろ捕獲バイト経験者だ。深海まで潜り、“日本の高級食材”を捕まえた経験がある。

 

 教授は研究室の扉を開けた。

 静かな廊下に、足音が響いた。

 

 

---

 

 講義が終わった教室は、あっという間に空になった。

 

 学生たちは教授に一礼すると、それぞれノートを抱えて廊下へ流れていく。

 ざわめきが遠ざかり、扉が閉まると、室内には静けさが戻った。

 

「○○○君、ヒナタ君」

 

 教授は二人を呼び止めた。

 

「少し、研究室まで付き合ってもらえるかな」

「はい」

「了解です」

 

 特に理由を問うこともなく、二人は素直に応じた。

 

 研究室に入ると、教授はいつもの席に戻り、眼鏡を外して布で拭いた。

 

「○○○君、君が先日のバス暴走事件で言ってた事について気になることがあってね」

「何のことですか?」

「あの運転手が“日本の高級食材”にヒナタ君から聞いていた特徴と合致しているって話だよ。

 …ところでその〝高級食材〟の名前は何というのだね?

あの時聞けなかったから、気になっていたのだが……」

「あー……話半分で聞いてたので忘れてました……

 ヒナタ、あの人型の魚っぽい奴ってなんて名前だった?」

「〝ギョジン〟の事?」

 

 ヒナタの答えを聞き、納得した教授は淡々と続けた。

 

「もしかしたらインスマス近海にその〝ギョジン〟の生息地があったりしないかなと思ってね。いるなら是非とも標本にしたい。」

「あの、その理屈だと“ギョジン”が元人間か知的生命体と言ってるように聞こえるんですけど」

「槍使ってる所は見てるので多分、知的生命体ですよ」

 

 ヒナタが答えると、二人は驚いてヒナタを見た。

 

「あー…躊躇いとかそういう物は無かったのかね?」

「仕事ですし、美味しいから別に良いかなとしか感じて無いですね」

「そうか…」

 

 教授は頭を抱え、○○○は仕事中と割り切ってたらそんな物だろうなと納得している。

 

「とりあえず、ヒナタ君にはインスマス近辺の海にそれらがいたら捕獲してもらいたい。

 インスマスから少し離れたここの海水浴場から、ヒナタ君が泳いで近付き、捕まえたらそのまま泳いで海水浴場で私が用意するピックアップに載せてそのまま大学に持ち帰る予定だが……ヒナタ君、何か手順に問題はあるかね?」

 

 指先が、港町とそこから少し離れた海水浴場をなぞる。

 

「大丈夫ですよ。とりあえず、標本なら生きてる必要は無いですよね。」

「……なるべく傷は付けたくないが、まあそうだね」

「では暴れると面倒なので、そんな感じで行きましょう。」

 

 教授は再び机に腰掛ける。

 

「漁業権については禁猟の指定に入っていない事は確認した」

 

 教授は、はっきりと言った。

 

「仮に問題があってもインスマス周辺は、近く“浄化作戦”が入るという噂だ」

 

 教授は肩をすくめる。

 

「記録も“暴徒”ごと全部燃やすつもりなのはスピークイージーの不良警官から聞いている。

 まあ、大丈夫だろう」

 

 研究室に、短い沈黙が落ちた。

 

「標本は私のツテで買い手を探して売り払うつもりだ。

 研究機関以外に金持ちも買うだろうね。報酬もそこから払うよ」

「……元人間の可能性は?」

「人を水中で呼吸可能で深海でも生きられるようにできる物があると思うかね?」

「それもそうですね」

 

 教授は○○○の質問に即答した。

 

「だが、証明もできない。どう確かめれば良いのかわからないからね」

 

 教授は、静かに言った。

 

「やってくれるかね?ヒナタ君」

「良いですよ。やりましょう。いつ頃行きます?」

「次の週末、君達の予定がなければ。」

 

 教授は満足そうに答えた。

 研究室の窓から、夕方の光が差し込み、静かに日が傾いていた。

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